俺の内情
時刻は午前3時15分。
この時間に、俺達は生まれた。同じところから、同じ人間の中身から、同じ遺伝子の源から、俺達は生まれた。
俺達はずっと一緒に過ごして、ずっと一緒に学んで、ずっと一緒にいろんな思い出を作るんだ。
それが当然で、それが必然で、それが普通のことなんだ。
さっきまではそう、それが俺達にとっての日常だった。
でも、これからは、それを完全に崩していく。
それを完全に粉々にして、限界レベルまで粉々にして、再生なんてしないレベルまで落として、誰も知らない、誰もわからない、誰の記憶にも残らないように、なかったことにするんだ。
「恭介…」
「恭介、無視すんなよ…」
「恭介、こっち向けよ、何で全然こっち見ないんだよ…」
「恭介、もうほんとに何も話さないつもりなのかよ…」
「恭介、お前の好きなさ、エクレアだっけ?あれ買ってくるから、あと他のやつもやるからさ。シュークリームもケーキも、苺のやつもチョコレートも全部買う、全種類買うから、それ全部食べていいから。だから、まじで許して…」
名前を読んでくれている。前の俺ならきっと、緩む口を押さえられないくらい喜んだであろう、その甘い切ない、涙まみれのその言葉を、俺はもう二度と聴きたくないと思っている。
それに俺がそこまで甘いものは好きじゃないということを、こいつが知らないわけないのだけれど。
もしや神経…いや、間違いない。きっとさっきの長時間の俺の最後の愛の行為で、一番好きだったこいつの神経を、俺は何処かずたずたに傷つけてしまったのか。
その神経ごと好きだったはずなのに、俺はもう、こいつのことを名前で呼ぶ気はないのだ。
俺はこいつの話を、息遣いでさえも、もう感じたくない。
感じたくないではない、もう感じないように、自分の神経を停止させたんだ。
どうしよ…頭がくらくらする…こういう感覚いつぶりだろう…そうだ…これは確か…夜中に恭介と一緒に忍びこんだワインセラーで見つけた赤ワインを、ばれないよなんて軽い気持ちで一緒になんとかコルクをこじ開けたんだっけな…それでテンション上がって飲んではみたが、どうも苦くて辛くて、これが大人の味なのかと悟った初めての瞬間の時に感じたあの感覚…その時に感じたあの重さとこの重さに似ている。頭が割れるように痛い。でも、ずっと気持ちいいのは、何故なんだろう。
さっきから恭介は、ずっと俺の下半身にいる。
ずっとずっと、俺の下半身に舌を這わせている。
頼む。この2行で、この状況の説明は勘弁してほしい。
そして時間が経った。時間が経ってしまった。時間が経ってくれた。
やっと恭介が俺を解放した。やっとその手を離してくれた。
拘束された跡は、愛の証などではない。これはただの、縛られた跡、それだけだ。
そして俺は、さっきから、もうずっとずっと、恭介だけを呼び続けている。
そして恭介は、それに対して全く返事をしてくれない。
恭介って、甘いの苦手だったけな。こんなの全然意味ないじゃないか。でも、ここで辛党全推しの発言したところで、俺がそれを思い出したなんて一秒も経たない内に察するだろう。それが、恭介なんだ。
俺はそういう恭介を独り占めしたいと、独り占めしいていきたいと、ずっと俺のものにしていきたいと、ずっと俺だけのものだったとそう思っていたし、それからもそうだと、さっきまで、ついさっきのさっきまで、敏感だったはずの神経が鈍くなり、完全に使い物にならないこの脳みそでさえも、その希望を、その日常を、ずっと保っていけると、そう思っていたんだ。
「恭介…今日さ、バイト何時に終わったんだよ。」
それ、今もう必要ないんじゃないのか。
「恭介…今日さ、バイト忙しかったのか。疲れたか。」
それ、本当に知りたいことなのか。
「恭介…今日さ、バイトのシフト変わってたのか。いつ変わったんだよ。」
それ、さっきから結構何回も聞いてるけど、そんなに気になるのか。
「恭介…きょ…」
「あのさ。」
俺はもう我慢できなくなって、ずっと閉ざしていた自分の口から出る音を絞り出すように発した。
「恭介、ごめん。」
それが本当の気持ちで、それがこいつの一番俺に言いたい言葉なのだと、それは最初からわかってるんだ。
「それだけなの。」
「何が。」
「言いたいことはそれだけなのかよ。」
「だから何が。」
立場が、少しだけ戻りそうな、そんな予感がした。
でも、その予感をこいつには感じさせるわけにはいかない。
それを悟られた時点で、もうこいつのペースに引きずり込まれるんだ。
「お前さ、本当に思ってんの?本当に俺にちゃんと謝る気あんの?」
「あるよ。ずっとあるよ。初めて冷たくしたあの日からずっと思ってるよ。」
「それは嘘だろ。それだけは絶対嘘だろ。」
「まあ…最初はさすがにちょっと違う感じがあったかもだけど、でもそれは好きの裏返しって言うかさ。よくあるじゃんか。好きな人をいじめてしまうみたいなさ。よく聞くじゃん、あれだよあれ。恭介そういうの知らないの?」
「どの口が言ってんだよ。」
「恭介さ、さっきから思ってたんだけど、そんなに口悪かったっけ?もっと優しいはずじゃん。もっと俺に優しかったはずじゃん。もっと俺のこと好きだったはずじゃん。」
「もう好きじゃないよ。」
「は?」
「だからもう好きじゃないんだよ。」
「何で。」
「何で?」
俺はこんな無神経なこいつを好きになったのか。
俺はこんな語彙力のないこいつを好きになったのか。
俺が好きになったこいつは、こんなやつじゃない。
こんなやつじゃなかったはずなんだ。
俺は自分の言葉に続くであろうこいつの言葉を待ったが、質問がこちらに投げかけられているという事実を、この時はまだ気づいていなかった。
そう。質問に応えるのは、俺の方なんだ。
嘘だろ、もう好きじゃないんだってさ。何で。それはさ、俺が思うはずの感情じゃん。あんな拷問みたいな行為、普通された側が綺麗にさっぱりフるみたいな、そういうのじゃないのか。なんで俺がお前に嫌いって称号をこれ見よがしに押されなきゃいけないんだよ。
しかし、恭介が全然話してくれないんだけど、何なんだよこの状況。
「恭介。俺の質問の答え、早く言えよ。何で嫌いになったんだよ。」
「…」
「俺はともかく、お前が嫌いになる要素なんて…あ。」
いや、あったな。全然あったわ。完全に忘れてたわ。俺は恭介の、前から知ってたはずの恭介の俺への気持ちを、完全に踏みにじってたんだった。さっきまであんなことされてたからとか、そういう自分に都合の良い解釈をしていたのは自分の方だったってわけか…
嫌いになる理由は、俺自身か。
俺が何かを言いかけたと思った恭介が少しだけこちらを見た。俺の発した最後の一文字に、きっと反応してのであろう。少し目を細めて、俺をじっと見ている。その顔を、もっと前に見せてほしかった。タイミングが、今日は全てのタイミングが悪い気がするのは、きっと気のせいではないだろう。
質問のタイミングも、それに応えるタイミングも、恭介次第なはずのこの状況が少しずつ、俺の歯車に噛み合って来ている。
「恭介。俺が悪かった。本当にごめんなさい。」
「だからさっきそれは聞いたんだって。もういいんだよ。お前にはもう、何も感じなくなったから。」
俺は、このタイミングで、恭介に触りたくなった。
恭介に気づかれないようなスピードで、俺は恭介の髪にそっと手を伸ばした。
「何!」
「何って、髪の毛に手を持っていってるんだよ。」
「その行為を世間では触るって言うんだよ。」
「そうなの?じゃあこれは何て言うの?」
俺は恭介の髪の毛から撫でるように頬にかけて手をゆっくり這わせて、感触を味わう行為をしてみせた。
「お前!」
恭介が俺の手を力強く払い上げた。少しだけ恭介の爪によって、俺の腕から赤い血が流れ出た。
俺はその流れる血にそっと舌を這わせてみせた。
「強いね、相変わらず。」
「お前、本当にいいかげんにしろよ。もう俺は…」
「ねえ、さっきから思ってたこと言っていい?」
「何だよ。」
「名前。何で呼んでくれないの?」
「え。」
「さっきからお前とか、もしくはスルー?名前だよ名前、俺の名前だよ、忘れちゃったの?」
俺は少し血の味のする口内に妙な麻薬作用を感じる気がしたが、それはさっきから続く頭痛のせいだと意識的に思うことにした。
「もう勘弁してくれよ。俺はもう、お前のこと…」
「だから…」
名前を、呼んでほしいんだよ、恭介。
「俺の名前は、お前じゃない。」
時刻は午前4時30分。
これで次は、俺が恭介を好きにできるタイミングが来たってわけか。
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