俺の目的

俺は日本人だ。キスはそこまで好きではない。でも、誰にでもできないといった、そういう人間でもない。

どうでもいいやつには、出来る行為なのかもしれない。


「ごめんごめん。キスしてあげるから許して。」

「最低3分はしてね。」


まじめんどくせえなこいつ。女は嫌いじゃない。でもこいつは例外だ。俺の恭介に手を出そうとした女。

絶対に許さない。食い止めれて良かった。簡単な女で良かった。


「何分でもしてあげる。」


何分唇を重ねたって、積み上がらず崩れ去っていく感情というものがある。それがこの時間だ。

この女との、この女の彼氏としての時間だ。隣の部屋に恭介がいないこの情事の時間は、俺にとっては軽快に走っている途中にいとも簡単に解けた靴紐を結ぶくらいめんどくさい時間である。

恭介、お前今日バイト何時に帰ってくるんだよ。言えよ、何かしら態度で示せよ。

お前が聞いてないと俺もう反応しない体になってんだよ。わかるだろ?早く帰って来いよ。

そうかそうか、そういうテンションなのか、恭介よ。知らない間にいたんだぜパターンなのか、恭介。

そういうつもりなら俺にも考えがある。この前はびびって途中で出て行ったもんな。音丸聞こえなんだよ、地獄耳舐めんなよ。

俺は隣の部屋に潜んでいた恭介にする仕打ちを暫く考えるつもりだったが、彼女がその思考回路の邪魔をするように唇に迫ってきた。


「止めろ!」


俺は思わず口を滑らせた。この時間この女に本当に思っていることを口にしたのは、初めてかもしれない。


「え。どうしたの?そんなに大きな声…」

「あ、ごめんごめん。ちょっと余計な事考えてて、続きしよっか。」


俺は彼女の首にいやらしく触り、彼女を自分に引き寄せようとした。


「いい。なんかやっぱり今日の響一変かも。心ここにあらずみたい。」


なんでお前みたいな鈍感無神経女に俺の気持ち悟られなきゃいけないんだよ。


「そんなことないよ。いつもこんな感じでしょ。」

「いつもはあんなに優しくしないじゃない。特に最近は。さっきのだってそう、“階段気を付けてね”なんて普通言わないじゃない。」

「そんなことないよ。ほんとに階段危ないなって思ったんだよ。」


いっそのこと階段から転げ落ちたら帰ってくれるかもとは思ったぜ、正直。でも、そこまでのことを現実に望む程、俺は悪魔じゃないよ。


「私ね、響一が浮気してるんじゃないかって思ってるの。下着だってそう。私、大きな花の付いた下着なんて持ってないんだから。」


こいつ、舐めてたけど意外と鋭いのか。やっぱ女全般は嫌いだわ、さっきの発言訂正するわ。


「それに、もう一つ言いたい事あるの。」


誰か俺に耳栓を恵んでくれ。


「3人でしたいんだったら、私とは絶対止めてよね。そんなことしたくないんだから。私、これでも真面目なタイプなの。」

彼女はそう言うと、携帯をものすごい勢いで手に掴み、ずたずたと足音を鳴らしながら部屋から出て行った。

その足音はもう可愛い女子のかけらもなく、むしろたくましくも思えた。


「お前と3人とか…ないわ…」

「聞こえてるんだからね!」


お前も地獄耳かよ、その情報は知らなかったわ。だから聞こえてたのか、恭介発信の物音が。

さあてと、これからどうするもんか。恭介は隣の部屋で今の一部始終を聞いていたわけで、俺は完全にフラれた感じなわけで。

まあ、元々好きじゃないんだし、告白されてフラれるという何とも言えない結末を俺は迎えたわけだ。


「恭介ー!」


俺は少し泣きそうな声で部屋の壁に向かって叫んだ。


「恭介ー!いるんだろー!そこにいるんだろー!」


あんまり叫んだりとかしないが、とりあえずこの憤りを何とかすべく俺は叫び続けた。


「…え…よ。」


ん?声聞こえたな。


「恭介ー!俺フラれたわー!慰めてよー!」


俺は恭介がキレるのを見計らった。恭介の出した音のせいで、俺の思考回路は絡みに絡まった。

それでこの様だ。笑えよ。何か言えよ。もっと俺を責めろよ。それでもっと、俺を好きになれよ。


「響一。」


声がはっきり聞こえた。俺は壁に両手の掌をそっと触れさせた。

もし恭介が俺と同じ体勢で俺の声を聞いていたとしたら、その光景は何ともロマンチックではないかと、そんな甘い想像を頭の中に巡らせていた。


「響一。もう止めろよ。もうこれ以上、俺を刺激するなよ。」


恭介の声が、震えているのがわかった。曇ったその声は、俺に静かな怒りをぶつけていた。


「嫌だ。俺を嫌いになるなよ。俺にはお前しかいないんだよ。」


俺は壁に爪を立てて、この壁がなければ恭介に触れられるのにと思った。部屋を出るという手段を忘れた俺の思考回路は、壁を爪でひっかくという行為のみで自分の気持ちを伝えるという手段しか思いつかない状態にあった。


だから知らなかった。俺の後ろにはもう、恭介が迫っていたことを。

そして気付いていなかった。恭介の手に、俺のマフラーが握られていたことを。

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