第22話:「孫中山との別れ」

 不思議な縁の作用によって、蒋中正は留学から帰国し国のために尽くそうと考えていたその時に、孫中山と出会った。

 当時、孫中山は広州に身を置いて、まさに北伐のために準備を整えている時だった。蒋中正は直接孫中山と会い、率直に自分の考えを伝えた。二人はまるで長い間の付き合いがあったかのように、膝を突き合わせて一晩に渡り話を続けた。この事があってから蒋中正は孫中山の腹心となり、黄埔軍校設立の責務を負うことになったのである。

 蒋中正に言わせると、孫中山こそがこの国家の頂点に相応しい人物だった。彼女は、どんな状況にあっても、孫中山を名実ともに大総統の座に据えることを決心していたのだ。

 だからこそ、彼女が黄埔軍校設立を実現させてから間もなく、孫中山が訪れた先の北京で重病を患ったという知らせを受け取ったことで、一瞬にして人生の目標を失ってしまうことにもなったのだった。

 万が一彼女が本当に広州に戻らないなんてことになったら、北伐はどうすればいいんだ?

 万が一彼女がこの世を去ってしまったら、仮に北伐が成功したとしても、その後この国家を誰が管理するのか?

 ……万が一彼女を失ってしまったら、私はどうしたらいいんだ?

 孫中山が死去したという知らせを受け取ってから、彼女は軍校内に押し籠り、孫中山の葬儀が北京で行われた時にも、彼女は出席することはしなかった。彼女のこういった態度は国民党員から批判を受けることとなり、彼女自身も不安を感じ、相当に後悔することともなっていた。けれど彼女は冷静さを失ってしまう余り、そういった世俗の見方というものを気にする余裕もなくなってしまっていたのだった。

 そして彼女は孫中山の遺書を受け取ることとなった。

 伝え聞いたところでは孫中山が遺書を書いていた時には、すでに自身は風前の灯火といった状態だったそうだが、遺書に記された文字は依然として整えられたもので、死に際に立つ病人が書いたものとは思われないほどだった。彼女の傍に付き添っていた蒋中正は、一目見てそれが孫中山のものだと分かった。


 『介石……

 ごめんなさい。一足先に行くわね。

 あなたは傷付くかも知れない。落ち込むかも知れない。道を見失ってしまうかも知れない。けれど自暴自棄にだけはならないで欲しい。

 だって私は、責任感の強さであなたに勝る人なんて、他に知らないんですから。

 北伐の事は、あなたに任せます。

 約束してちょうだい。あなたがこの手紙を読んだ後、汪精衛と一緒に、私に代わって、この五千年の歴史を持つ国を導いていくと。

 あなた達はきっと、私がいなくなってしまった後でも、国家と人民を幸福にすることができるでしょう。

 私はあなた達が成し遂げることを信じています。』


 蒋中正はこの手紙を読むと、長い間抑え込んでいた感情が、堰を切ったように溢れ出し、とうとう爆発してしまった。彼女は床に蹲り、長い間痛哭し続けた。

 そして、彼女はかたく遺書を握りしめ、立ち上がったのである。

 両目は充血し、顔には流した涙の痕が残されたままだった。

 けれど彼女の眼には、昔日の鋭さが戻っていた。

 その日から、彼女は孫中山の遺志を継ぐことを決心し、この国度を失ってしまった国を導く羊飼いとなることを決意したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る