第21話:「武士道と貴族意識」

 小組というのが中央組織を持たず、各地の支部が各地の情勢に応じてばらばらに活動しているにせよ、同志たちの間は異常なほどの信頼で繋がれているのだった。

 まさに彼女が言うように、無条件に同志を信頼しているのだ。

 「之龍同志が小組に加入したあの日、私は彼に言ったんだ。私は決してどの同志も見捨てたりはしないってな。もし彼らが困難に直面していれば、私はきっと体を張って出て行く。今の私は、ただその時の約束を実行しているに過ぎないというわけさ」

 周恩来はさきほど李之龍が毛沢東を見た時のことを思い出していた。武官が言っていた態度とは百八十度違うものだった。武官によって迫害されていたことも影響していただろうけれど、毛沢東の訪問が主要な要因に違いないだろう。

 最初こそ浮かない顔をしていた李之龍だが、彼らが宿舎が離れる時には、大きな石を下ろしたような様子になっていた。これこそが彼女の気持ちが彼の内心へと伝わっていたことの証明ではないだろうか? 李之龍がどれだけ強かったとしても、何か起こった時には誰かが傍にいて自分を支えていて欲しいと思うものだろう。

 毛沢東は両手を腰に当て、八重歯を覗かせけらけらと笑いながらいった……「だから、もしお前が同じようなことになったら、私は之龍同志にしたのと同じように、なにがなんでもお前のところに駆け付けて、一緒にいてやるからな」

 夕日はすでに落ちかけ、辺りは暗くなっていた。周恩来は彼女の様子をみながら、温かな感情が湧き上がって来るのを感じていた。彼は無意識に彼女の頭に手をやると、軽く撫でていた。

 「バカ。その前に自分の身の振り方を心配しろよ」

 「にゃんだよ! 私が真面目な話をしているって時に、突然何をするんだ? 変態!」

 「ご、ごめん。知らない間にやってた……」

 周恩来が慌てて手を引っ込めると、頬を膨らませて怒っていた毛沢東だったが、すぐに怒りを引っ込めた。

 「いいや。陽が落ちる前に蒋中正の執務室に行こう! 私もお腹減ったし、とっとと蒋中正に之龍同志を釈放するように言って、三人で一緒に食堂でご飯食べよう! 早く早く!」

 まるで元の子供っぽさに戻ってしまったかのように、毛沢東はその場で向きを変えると目的地へと駆け出していた。

 (無条件に自分たちの同志を信じる……か)

 周恩来はどんどん遠ざかっていく毛沢東の姿を眺めながら、万感が迫る想いを感じていた。


 蒋中正は黄埔軍校の校長として就任して以来、毎日を忙殺されて来た。

 今日のように、彼女は深夜の校長室で数時間の睡眠をとった後、早朝から周恩来と剣道の練習試合を行い、朝食をとった後は校内の高層と部隊演習の詳細について討論した後で、外国から購入を予定している新式の武器に関する予算、各省軍閥の動向、軍需品の資源状況、北伐に関わる各種の作戦方案といった書類の検査を始めるわけだ……

 北伐の時期が熟して来るに従って、蒋中正は忙し過ぎて収拾がつかないほどになっていた。その忙しさといえば、彼女の秘書でさえ心配し始めるほどだった。

 彼女は超人的な作業能力を発揮し、毎日早朝から深夜にかけて働き、この一年来はほとんどまともに休暇もとっていなかった。軍校では上下を問わず、話に聞いたり彼女の仕事ぶりを実際に見た人間は、揃って彼女の真面目さに感服することになるのだった。

 彼女がずっとそんな風に真面目に働き続けているのは、新時代の貴族の一分子としての意識、また孫中山が彼女に与えた遺訓によるものといえた。

 蒋中正は裕福な商家の生まれで、幼い頃から上流社会の雰囲気の中で育って来た。彼女は父親によって英才教育を受け、子供の頃にはすでに四書五経を暗記するまで精通し、同時に上流社会での作法を身に着けていった。清朝が滅亡した後では、父親は彼女を日本の軍学校へ留学するように計らってくれた。

 この留学期間で、最も蒋中正に影響を与えたのは、日本というこの民族が長らく継承してきた武士道精神というものだった。

 日本は明治維新までの千年あまりに渡り、武士が国を治めて来た歴史がある国だ。階層統治のため、武士は自身に対して平民よりも更に厳格な規則を設けていた。彼らは社会における自分たちの責任を自らの生命に帰することを重視していた。武士道精神の最高表現とは、世の責任を全うするために自らの生命を犠牲にすることだった。

 幼い頃から上流社会の貴族意識を抱くようになっていた蒋中正は、思想上で、すぐに武士道精神というこのある種の貴族意識を受け入れることになった。彼女は自分の旧名を捨てて「中正」と名乗り、これを自分の人生の座右の銘としたのである。

 大中至正。

 新時代の貴族は、中立を守り、一心に軍事のため心を尽くす。

 もし幼い頃の経歴が彼女の貴族意識を形作ったのだとしたら、武士道精神は彼女に人生の目標を与えたということが言えるかも知れない。この激動の時代に生きている、全ての人間が清末の改変からゆっくりと積み重ねて来た決心を抱いているように、蒋中正もまた例外ではないのだった。

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