第17話:「周公旦なら私のベッドで寝てるよ」
周恩来は自分の執務室に戻ると、今回の案件について思考を巡らせ始めた。
彼が知っている李之龍という男は、ふざけた性格をしているが、それでも勝手に軍艦を動かしたりするような人物ではなかった。
彼は蒋中正への不満を露わにしてもいた。けれどそんな単純な理由だけでは反乱を扇動するような動機にはならないだろう。そもそも中山艦には乗組員が千名以上いるのだ。実際問題としても不可能だといえる。
もし彼が純粋に逃亡を図ったのだとすれば、他の軍閥にくだるはずだ。どうして一人で逃亡しなかったのかという前に、軍艦一隻をまるごと移動させ、深夜の軍港に停泊したことの説明がそもそもつかない。
李之龍は愚かな男ではなかった。逃亡兵という身分で軍校に対して物資の補給を要求できるなどと考えるとは思えない。
(くそ……正直、情報が少なすぎる。先輩の許可を得られたこの機に、李之龍同志に面会した方がいいかも知れないな。)
トントン。
(彼の取り調べを担当している憲兵士官も、たぶん僕と同じ疑問を抱いているはずだ。動機の面ではかなり執拗に探りを入れているはず。けど彼の性格からして、正直に話すとは思えないし……拷問で有りもしない罪状を認めさせられるってことにだけは、ならないといいけど。)
周恩来は集中するあまり、門外でドアを叩く音も耳に入っていなかった。
「さっさと開けろよバカぁ!」
猛然とドアを叩き付ける音と聞き慣れた怒鳴り声で、周恩来は現実へと引き戻された。
「ああ、悪い。カギはかけてないから、入って来てくれ」
外に立っていた毛沢東は、その場で怒りも露わに周恩来にこういった……
「ふざけんな! どうして私も起こしてくれなかったんだよ! 昨日の晩はお前をベッドまで世話してやってただろうが!」
「お、おい! まだドアが開けっぱなしだろうが! 外で誰かに聞かれたら、不必要な誤解をされてしまうじゃないか!」
「えっ!? ああ……」
毛沢東はさっとリンゴのように顔を真っ赤にさせると、執務室の外でひそひそと噂話をしている部下たちを見付け、慌てて部屋の中に入ると乱暴にドアを閉めた。
「ぜんぶお前が悪いんだからな!」
「僕に言えるのは壁掛け時計をよく見てみろってことだけだな。今何時だと思ってるんだ?」
毛沢東は時計の長針が「九」、短針が「三」を指している木製の壁掛け時計をみた。
「遅刻して来た上に上司に責任転嫁じゃ、失業もするわけだよ」
「ふ、ふん! 私たち共産主義小組っていうのはな、旧制度打倒の先駆者だからな! 私は自分の身をもって、時間通りに出勤するという保守思想の束縛を打破してやったんだ!」
「詭弁! 出勤時間を守ることが旧制度とどう関係があるっていうんだよ! 社会人としての常識だろ!」
「要するに今から仕事始めればそれでいいんだろ! 仕事で重要なのは結果、結果だ!」
「はぁ……」周恩来はこれ以上追究したところで意味はないと悟ったのか、毛沢東とそれ以上言い合うことを止め、彼女を自分の席へと着かせた。
毛沢東は腰を下ろしてから三秒と経たず、また弾けるように立ち上がった。
「そうだ、李之龍はどうしたんだ! 私たちで今から蒋中正のところに詰めかけなくていいのか?」
「お前が周公(周公旦)と遊んでいる間に、僕が先輩のところまで行ったよ」
周恩来はおおまかに状況と蒋中正の決定を伝えると、椅子から立ち上がった。
「お前の言うことも確かだ。僕たちで出かけないといけない。だけどそれは先輩のところじゃない。李之龍同志のところだ」
「ふふ、いいぞ、今回のお前は小組へ多大な貢献をしたことになるな! じゃ、さっそく出掛けるか!」
「お前その前にどっちがどっちの上司かはっきり答えてみろ!」
そうしてまさに二人が執務室を出ようとした時だった、
「主任! 処理されてない書類がこんなに残ってるんですよ、執務室を空にできると思わないでください!」
「主任が処理すべきは俺の書類だぞ、お前はほんと割り込むのが好きだな!」
一男一女の部下たちが、大量の書類を抱えて執務室の外に立ちふさがり、二人が出て行くのを阻止しようとしているのだった。
「君たちはわざとやってるだろう! これはパワハラだぞ! 君たちまで僕のことを上司として見てないんじゃないのか!」
けれど周恩来がいくつも文句を垂れない内に、彼は大量の書類によって押しつぶされてしまうことになった。
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