第13話:「神父ボロディンに気をつけろ!」

 「しっ! 声を抑えろ! 秘密警察にシベリアまで連れて行って貰いたいのか。素手で鉱山を掘ったり、夜間熟睡しているところを小屋ごと破壊されたり、爆薬で正体の分からない緑色の生き物を吹き飛ばしたりするような生活がしたいと?」

 「も、申し訳ありません……」

 主祭─ボロディンは周囲に視線を走らせ、宿舎に彼ら二人しかいないことを確認すると、やっと緊張を解いた。

 「私はモスクワを離れ、君は最も権力の核心に近い地位である救世大教堂の主任神父となるんだぞ。一体何の不満があるというんだ」

 「わ、私はもちろん何の不満もございません!」後任の神父は緊張しながらそう答えた。「私はただ理解できないというだけなのです。ボロ神父のような人が、どうしてこんな時に外国まで派遣されることになるのか……」

 「正しくこんな時だからだろうさ。總主教は着任して間もない、幹部連中の新たな配置も必要だ。それに私が今回、広東まで派遣される任務だって充分重要なものだ。私としては今回の采配にはとても満足しているんだよ」

 「その広東という土地は、そんなにも重要なのでしょうか?」

 「君という人は信仰は厚いし、国内の情勢にも理解が深いが、国際的に今何が起こっているのかを理解することになるのは、君がここの主祭として着任することになってからになるだろうな」

 「お教えいただけますか、ボロ神父」

 ボロディンは箪笥の傍で、水がめから水を一杯口にすると、傍の木の椅子に腰かけた。後任の神父はその様子を見て、もう一脚をひき、彼の前に座った。

 「君は『聯露容共』という言葉を聞いたことがあるか?」

 「えっ?」

 ボロディンは溜息を漏らした。

 「どうしてこんな国際的な常識すら知らないんだね」

 「すみません」

「ソフィア主教の時代、教会はすでに、現在の政治の中心である中国最南端に位置する広東に、国民政府と名乗る地方政権を扶植することを決めていたんだ。彼女らをして武力で中国を統一させるためだ。私たちが武力によってソ連を立国したようにね。今言ったのは私たちの扶植政策に対する彼らの称号というわけだ」

「奇妙ですね。どうして教会はそんな辺境の地に地方政権を扶植しようと考えたんでしょうか? 私たちは自分たちの国家だけでも大変なのに、どうして他所の国のことにまで手を出そうと?」

「この政権を立てた人物の名を孫中山といってね。聞いた話では彼女がまだ生きていた頃、ソフィア主教とは友人関係にあったそうだ。彼女たちは存命の間、互いに助け合うことを決めた。そしてソ連成立後、教会は一貫して孫中山に人材と物資を提供し続けていた他、彼女の政権こそが中国を代表する唯一の政府だと承認していた。今となってはソフィア主教と孫中山は共にこの世の人ではなくなってしまっているが、教会と国民政府は変わらずこの方針に従っているんだよ」

「では『聯露容共』の、容共というのは何のことでしょうか?」

「彼らは人材を取り込むため、積極的に共産主義小組の連中が参軍することを奨励していたのさ。つまりこれが容共、というわけだ」

「しかし……」後任の神父は声を低くしていった。「ソフィア主教はもうご存命ではないのですよ。教会がそのような関係を維持する必要はあるのですか?」

「それこそが今回、私が広東まで派遣される理由だよ」ボロディンは相槌を打ってみせた。「果たしてどのような政権なのか、教会にとって利用価値があるのか、それに……」

「それに?」

 ボロディンはすぐに答えようとせず、しばらく考えにふけった後で、頭を振ってこういった……

 「……君までこの件に引き込みたいとは思わないな。一つ言えることがあるとすれば、私は別に秘密任務を帯びている、ということだけだ」

 「そうですか……分かりました」

 後任の神父はボロディンが渋い表情を浮かべているのを見ると、彼が口にした「秘密任務」というのが耳障りの良いものではないことを知り、早々に口を閉ざした。

 「まあいい、これでいいのさ」

 ボロディンは立ち上がり、宿舎内の床下から空の皮箱を一つ取り出すと、部屋の中にあった主祭としての衣裳な雑多な品をそこに詰め込み始めた。

 「今回の任務は急を要するものだ、すぐにでも準備を整えてしまわなければならん……ここの事については、君に任せることにするよ」

 「はい、はい……では私もこれでお暇させていただきます」

 後任の神父がそういって宿舎を出ようとした時だった。

 「……待ってくれ」ボロディンは入口の外に立っている後任の神父に振り向くといった。「……最後に一つだけ忠告をさせてくれないか」

 「はい、なんでしょうか」

 「君は今や聖職者として要職にある身だ。群衆の前では自信に満ちた振る舞いに努め、群衆に対してこの人物は信頼に足る者だという風に思わせなければならんよ。それでこそ後々も上手く運ぶというものだ」

 「神父のご指導ありがとうございます。私は……」

 ボロディンは手を伸ばし、後任の神父の言葉を遮った。

 「それに、本当の敵と遭遇することになった時は、我々が神の信徒であることを理由にその手を緩めるようなことはあってはならんよ。敵対する時には手段を選ぶな、でないと……割を食うことになるのは、君自身だからな」

 ボロディンの眼は、冷酷さのあまり後任の神父に鳥肌をおこさせるものだった。

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