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「課長は今日は残業…ですか?」


早紀は隣りを歩く渡瀬の顔をチラリと伺った

先ほどオフィスにいなかった渡瀬が残業じゃないことは当然知っていたが

帰宅せずにこの時間まで何をしていたのかが気になった


「今日は吉田課長と少し飲んでた」


どこかで飲んでたのだろうという気はしていたものの、その相手が吉田というところで早紀にはかなり意外な相手だった


「吉田課長ですか?」


「うん。意外だった?」


「まぁ、そうですね」


「吉田さんはね、俺が入社した頃

 同じ部署で仕事をしてたことが

 あるんだよ。

 今と変わらずにニコニコ優しくて

 よく仕事を教えてもらった」


もっと意外だった

同じ空間で仕事をしながらも、2人が会話しているところなど殆ど見たことがないというのが

正直なところだった


「もっと意外?」


渡瀬は早紀の心の中を見透かしたように笑った


「わかりやすいよね。

 顔に出てる」


早紀はそう言われてあわてて手のひらを両方の頬にあてた

そのしぐさを見て渡瀬はまた笑った


「まぁ今の感じしか知らない人

 には意外だよね」


話しながら通路を抜けると目の前にはあの長いエスカレーターが現れた


渡瀬は早紀を最初に乗せ自分はその後ろから乗り込んだ


乗ってすぐ、下りのエスカレーターにまとまって人が乗ってくるのが見えた


この乗り換え通路は距離が長い

特にこの時間になると余計にこのルートで乗り換える人も少ないのだが

下りのエスカレーターのに乗っておりてくる人の数がやけに多い


「何か今日は人が多いですね」


「そうだね、

 地上線でなんかあったかな?」


早紀と渡瀬はすれ違い降りていく人たちを見送った


エスカレーターを上りきり改札を抜けると地上線の東京駅構内になるが、

早紀たちの乗る京浜線のホームへと続く階段の下がやたらと混雑していた


人だかりの中から拡声器を持った駅員が


「ただいま京浜線は信号機トラブ

 ルのため、運転を一時見合わせ

 ております。

 復旧にはまだ時間がかかるもよ

 うですので

 振替輸送のご案内をしております」


と繰り返しアナウンスしていた

それを聞いた人たちは皆腕時計を見たり電話をしていたり

他の駅員に我先にと振替や乗り換えについて詰め寄るように聞いている


「なるほど、これのせいか」

「こっちもか…」


この様子をみた早紀と渡瀬は、ほとんど同時につため息をついた


渡瀬は腕時計を見て


「22時すぎか」


小さくつぶやくとその視線を早紀に移した


「さっきさ、お酒がお寿司に変わっ

 たって言ってたよね?」


「えっ?あぁはい」


「もし時間大丈夫だったら一杯どう?

 電車もこんなだし、

 林田の誕生会リスケになったお詫

 びにごちそうするよ」


早紀は思いもかけない突然の誘いに耳を疑った


(あれ、もしかして私いま…誘われた?)


驚きすぎて自問自答してしまう

そしてやっとひとこと


「是非」


これがやっとだった

早紀の返事を聞いて渡瀬は


「良かった」


そう言って笑顔を向けた

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