23 Dense fog-霧中-
地上のドーム・ローレライがザンクト・ツォルンに占拠されているのだとしたら、それはラインキルヒェンへの橋頭堡となるだろうと言うことは容易に想像がつくのだから、僕は警察と協力をして結成されたばかりの【コラテラル隊】を率いて、ドームの制圧をしようとした。でも、先に仕掛けてきたのはザンクト・ツォルンの真竜、マイアだった。
『船を護衛しているのが青い竜と監視が言っていて、貴様だとすぐに感づいた。聖者はやはり、私を導いてくれる!』
『聖者に慈悲があるのなら、僕たちが戦う必要なんて……ないだろ!』
『それは貴様に慈悲をかけていないからだ!』
『分からず屋め!』
マイアは僕から距離を取りつつ、口に魔力を集めて積極的にブレスを放ってくる。拡散するブレスは地上にもあたり、土ぼこりを巻き上げて僕の視界を奪ってくる。このマイアという真竜、今まで上空でしか戦ってこなかったけど、地上での戦いに慣れているのか? いや、そうか。フィフス制圧の時点で、二年前でザンクト・ツォルンは真竜を有していたんだ。二年も真竜として戦っているのなら、戦闘そのものはこなれているってことだ。これまではマイアには戦闘経験の薄さを感じていたけど、それは空中戦での経験値のなさだったのかもしれない。けど!
『見えていなくても!』
『こいつ、正確に火柱を……!』
マイアの、真竜の魔力を僕は正確に感じ取っているし、ノナクとの戦いで発揮した僕の、エリフの真竜としての力を引き出すことも、リベさんとの訓練でもう十分に可能になっているんだ。相手が見えなくたって、そこに火柱を放つことも、火球を放り込むことも、造作もない。
『だが、貴様の戦い方はノナクが教えてくれた! 私が……私が何度、貴様に焼かれるノナクの映像を、この目に焼き付けたと思っているんだ!』
知らないよ、そんなこと! でも、彼女の言葉通り僕の火柱も火球も、すんでのところでかわされてしまう。狙いが、正確すぎるか? 【この戦い方】だと、力の拮抗した真竜同士の戦いじゃ持久戦になってしまうな。でも、せっかくリベさん相手に色々戦い方について研究し、訓練したんだ。いつまでも、あの時の僕と同じじゃない!
『アズール!』
「キュイィィッ!」
僕の心の声に呼応して、僕の愛竜アズール・ステラが空から舞い降りる。
『青い竜!? ただの竜が、真竜に何ができる!』
『できるんだよ、僕のアズールなら!』
僕は意識を集中させて、アズールの動きを自分の感覚でとらえる。実戦で試すのは初めてだし、目の前に真竜がいて魔力の干渉が邪魔をするけど、大丈夫だ、僕はアズールの魔力を、感じ取れている。僕とアズールなら、できる!
「グウォォォッ!」
「キュイィィ!」
『二匹で……来ると言うのか!?』
訓練の中で、僕はリベさんと色々とアイデアを出して戦い方を試行錯誤してきた。もちろんスウケさんの意見も交えてだ。真竜である僕には魔力を操るだけの力があって、竜っていうのは魔力を糧にしつつ魔力を放出して生きる生き物なんだから、その理屈と、僕とアズールの絆があれば、こういう戦い方だってできる!
僕はアズールと交差を繰り返しながらマイアを翻弄し、すきを見せた瞬間を見計らって……アズールがブレスを放つ! とびっきり強力なやつを!
マイアは多分最初、たかが竜のブレスだなどと侮ったに違いない、魔力の壁も作らずに弾こうとしたのだから。だが、彼女だって死線を潜り抜けてきた人だからなのかもしれない、とっさに魔力をアズールに向けて放ち、アズールのブレスを分散させて見せた。がっ、その竜の顔は驚きに満ちていたのだ! そして弾かれた体を立て直しながら、竜の声で絶叫した。
『ヨエク・コール、貴様……その竜に、魔力を乗せたかぁ!』
言うとおり。僕の、灼熱の紅蓮竜エリフの魔力をアズールにも分け与えれば、アズールだって真竜に匹敵する力を発揮できるんだ。魔力の譲渡なんて口で言うには簡単だけど、実際には簡単にできはしない。それでも僕とアズールならそういう戦い方だってできるってことなんだ。
けどマイアは思っている以上に冷静だ。僕にノナクを奪われて、さっきまで言葉を整理できないほど激昂してたっていうのに。あるいは、それこそ本来のこの人らしさなのかもしれない。最初の戦いだって、どちらかと言えば逸るノナクを御する言動をしていた人だ。10日もあればそりゃ、少しは落ち着くってものかもしれない。僕だって。でも!
『私の憎しみを、そんな手品で止められるものかっ!』
だろうさ! 僕が10日でアズールとの手品を仕込んだって言うのなら、相手だって、マイアだってそういうのがあるわけだ! マイアはブレスをはいて再び僕の視界を奪ったかと思うと、その一瞬のスキをついて急接近してきた。そして次の瞬間、マイアは何かを持っていて、僕に振りかざしてきたのだ!
「グゥゥゥッ!」
『私が、恥を忍んでノアの男に教えを請うたんだよ!』
それはあの時のナイハトル――ワッハ・オークニーが変身した真竜の使っていたものとよく似ていた。魔力の束を、まるで剣のように形成して、質量とエネルギーを生み出しているのかっ……て、いくら僕でもこんなものを腕でまともに受け続けたら、まずい!
『離……れろぉ!』
僕は口に熱を十分にため込むと、至近距離にわざわざ飛び込んでくれたマイアに向けて思い切り放出する! 腕のけがは……うん、ダメージは大きくない。まだ、やれる!
「ガァァァッ!?」
『扱いなれてないのに、魔力を無駄にしてるだけでしょうそんなの!』
『私に、説教を垂れるな! ナイハトルと同じことを言うな!』
『あの男は騎士なんだから、戦い方については正論でしょうに!』
『銃と火薬なら、私はあの男だって殺せるんだ!』
『だからテロリストと言われるんだと、分かれよ!』
火柱で動きを制限しても、マイアはそれを見越して動くから、追い込み切れない。けど、それをさらに見越してアズールを向かわせて灼熱のブレスで攻撃させるから、結果としてマイアの体力を確実に削っていける。……やれる!
『誰がテロリストだ、攻めてきたのは、私のドームに来たのは貴様らだろうに!』
『私のドームって、あんたローレライの人間だっていうのか!』
『自分が何と戦っているかも知らないお坊ちゃんに、私は負けられないんだよ!』
『故郷を侵略の橋頭堡にしようだなんて人に、言われる筋合いはないんですよ!』
ザンクト・ツォルンがどういう人間の集まりなのか、わかっていないわけじゃない。というより、資源に困窮する人々を中心に聖者の救いを求めて集まった多様な集団なのだから、様々な人間がそこにいるのは確かなことで、もちろんその中には、ガイストがラインキルヒェンの資源採掘権を取得したことで困窮した地上の残留民族だっているに決まっているわけだから、マイアがそうだってことはきっと嘘じゃないんだろう。
だとすればこれは、今始まった戦争なんかじゃなくて、エイブラハム首長らがガイスト建立と独立を勝ち取ったこの五十年の因縁が、噴出した結果だとでも言いたいのかこの女竜は。
『ヨエク・コールは私が殺す! 空の蠅たちも私の仲間が撃ち落とす。後悔して咽び泣け!』
『上に誰がいるのかも知らないで!』
僕が地上に降りてマイアと戦闘を始めてから程なく、ドーム・ローレライから数体の竜が飛び出したのは魔力の気配で感じ取っていた。警察の船を沈めるつもりだろう。竜の数は、うちの部隊が出した数と互角か少し多いぐらいだろうか。でも、僕は何の心配もしていなかった。上にはワニエバ中尉やリアテさんら手練れの竜乗りがいて、その後ろには竜の魔力を無力化できるアイラムことキロアが控えているんだから、心配のする必要はない。
ただ一つ心配があるとすればそれはそう、【ハイダルの死神】が張り切りすぎることだ。
『っ!? 何だ、ドレ! ヒウレ! そんな、竜の気配が消えていく……!?』
ドーム・ローレライから飛び立った竜の気配があっという間に一つ、また一つと消えていく。そのことはマイアを動揺させるのに十分だった。だけど、僕は言ったはずだぞ、撤退させるだけでいいと。聞いていなかったのかリベ・エイブル!
だけど、マイアの動揺を誘うには十分だ。僕は戸惑って動きが鈍る彼女に、手も炎も尻尾も緩めない。ドーム・ローレライの残留民族って言うのなら、同情を全くしないわけじゃないけど、それが将軍を、人々を、殺めていい理由にはならないだろうに!
『何故だ聖者、私は、何故私たちに慈悲が、慈悲をぉ!』
それにすがって、ノナクがどうなったのか忘れたのか。聖者が、すべてを救ってくれるなら、どうしてノナクは僕にやられた? 僕はどうして、ノナクを殺すことになったんだ? そういう言葉が出かかっているのを、僕は必死で飲み込んで、ただ無言で炎を打ち込んでいく。僕は怒っていたのかもしれないし、焦っていたのかもしれない。真竜に変身した僕には、竜石を通じて上空の仲間たちと連絡を取る手段を有さない。
でも僕は竜の魔力を感じ取ることが出来るから、周囲に敵の竜がいるかどうかは感じ取ることが出来る。そして、僕は少し前から気づいていた。遠くから一体の真竜が、こちらに近づいて来ていることを。その魔力に覚えがあることも。そしてそのことを上空にいる仲間たちに伝える手段がないことを、焦っていたのだ。
『キロア、前線に来ていないか!? 聞こえていないのか!?』
僕は竜の声でキロアに呼びかける。でも、アイラムはどうやらまだジョナサン船長の戦闘船の護衛を続けているのか、僕の声が届く距離にいないのか、応答はなかった。まずいな、一旦人間に戻ってアズールの竜石で連絡を取るべきか? でも、そんな隙をマイアが与えてくれるはずなんてない。もちろん、引いてはくれるはずはもっとない。だったら、押し切るしかない!
両手に魔力を集めて、目の前に手を突き出してマイアに向けて火柱を放つ。よけた先に地面から火柱を噴出させてじわりじわりとダメージを与えていく。よけようとすればアズールがそれをさせないようにブレスを放つ。朽ちた建造物の陰に身を隠しながら、相手の動向をうかがいつつ、最善だと考える手を打っていく。
僕の戦い方は、多分それほど間違ってはいなかったと思う。実際僕のダメージはマイアの魔力の剣による不意打ちで腕に傷を負ったぐらいで、ダメージはほとんどない。対するマイアは、僕の放った炎で鱗はすでにボロボロだ。徐々に徐々にとはいえ、相手の体力を奪い続けた。魔力だって、もう大して残っていないはずだ。
だから、多分勝てたはずだ。僕が相手を本当に、本気で倒す気になれば、動きの鈍った相手に、ノナクの時のように、ためらうことなく全力のブレスを放てば、僕は、僕にはそれが、できたはずだ。
だが僕は、それをしなかった。……できなかった。
だから僕は、近づいてきていた真竜の遠方からのブレスをはっきりと視認した上で回避して建物の陰に身を隠したし、自分の踏ん切りのつかなさがまた、一つの怨嗟を断ち切れなかった現実を受け止めるしかなかった。
『青い竜を従えた紅蓮の真竜。その姿をこの目で直接見るのは初めてだが、ヨエク・コールだな』
淀んだ空気を掻っ切るように翼を広げ、僕とマイアの上空に現れた真竜。僕に似た赤い鱗で覆われた屈強な体躯を持ち、魔力を凝縮して作り上げた剣を持つ、騎士然とした佇まいは見覚えがある。その名は深紅の騎士竜ナイハトル。
『クーデターの首謀者が、こんな前線で何をしているって言うんです、ワッハ・オークニー!』
『私がここに現れたということが、どういうことか。かの将軍を祖父に持つ貴公なら、その意味が理解できるのではないかな、ヨエク・コール』
そんな買い被りをされたって困る。けど、その言葉から受け取れるニュアンスから大体の想像をつけることはできる。ノアの中心部からここドーム・ローレライまでは500キロ近くあるはずだ。僕とマイアが戦闘に突入してからまだ十数分ぐらいだろうか。あるいはそれよりも前、ドームに警察の飛行船が接近した時点でノアに報告があったとしても、この時間でノアからここにたどり着けるはずはない。
だとすれば、この短時間でたどり着ける距離にワッハ・オークニーは既にいたのだ。それがコルンなのかボンなのか、あるいはそれより近いのか遠いのかわからないけど、とにかくローレライに真竜の姿で、十数分でたどり着ける距離にワッハ・オークニーの侵入を許していたのだ。ああもう、こうあっさりと敵の大将の侵入を許して、何のための【領空】で、何のための【制空権】なんだよ!
だが、これはヒントだ。これは大きなチャンスなのだ。ワッハ・オークニーの潜伏を許すだけの拠点が、ローレライの他にまだ地上に存在している。ローレライをラインキルヒェン攻略の橋頭堡だとするのなら、そこはおそらく司令塔のような場所だと予測できる。つまりそこを叩くことが出来れば地上からザンクト・ツォルンを一掃し防衛網を構築できれば、主力を飛行島に集中できるようになる。
裏を返せばワッハ・オークニーがここへ現れることは自らの首を絞めることになる行動のはずだ。にもかかわらずそのリスクを冒してまでなおワッハ・オークニー自らここに乗り込んできたのは、やはりマイアを救出するためか。貴重な戦力である真竜を消耗させることが出来ないのは、お互い様なのだろうか。
『エルオア同志、動けるな?』
『私は、まだ戦える! 奪われた仲間の命に、報いるために私はまだ戦わなければならないのだ……私は!』
『いや撤退だ、エルオア同志』
『……何を言っている、ワッハ・オークニー』
『エルオア同志、何故自分がローレライに封じられたのか。その意味を理解できなかったが故だ。警察の突入は始まった。すでにローレライに、価値はない。ローレライは放棄する』
『何を言っている! 放棄だなどと、ふざけたことを何故言える! あれは、私の故郷だ、放棄するとか、そういう概念がある場所じゃないんだ! 何を……聖者は、聖者は何と言っているんだ……!?』
『これは、聖者の意志だ』
そう言われた直後、マイアの顔が、竜の顔が引きつっていたのが僕にもわかった。一歩、二歩と後ろによろけるように下がり、尻尾はうなだれるように垂れ下がっていた。ブレスの代わりに漏れる絶え絶えの呼吸が、彼女の悲壮な現状を物語っていた。自分が何のために戦っていたのか。それを思い知ったのだろう。
ローレライは、見捨てられたのだ。
『そんなはずはない、聖者は、ドームのことをずっと想って、願ってくださって、慈悲をかけてくださって、私たちに、希望を授けてくださって、それが、何と言ったワッハ、何を言ったんだワッハ・オークニー……! そんな言葉を、言葉を、私は……どう受け止めろと……』
僕らと警察が事前に動いたから、ラインキルヒェンの橋頭堡という存在価値が失われたと言うことだろうか。いずれにしてもその必要性が無くなったローレライをどう扱うのか、それがザンクト・ツォルンという組織の在り方なのだと言うことを、マイアは今知ったのだ。そして僕も、それは同じだ。
攻撃しようと思えば攻撃できるこれほどの隙の中で僕がそれをしなかったのは、ワッハ・オークニーの口から何かを聞けると感じたからだ。
『言っただろう、撤退だ。聖者は土地より民の命を選んだのだ。理解したまえ』
『我々にとって、土地こそ命なのだ!』
『大概に聞き分けのない娘だ……尤も、聞き分けが良すぎるのもどうかと思うがね、ヨエク・コール』
わざと僕に聞こえるようにそう語っていたくせに、よく言うよ。僕だって、この判断が正しいとは思っていない。だが、わざとらしく饒舌な敵の大将の意図がどこにあるのか、僕をどう試そうとしているのかまで考えたうえで、内輪もめを僕がこのまま許していていいのか、僕は悩んでいた。いや、あるいはこれは時間稼ぎなのだろうか。
僕とアズール、ナイハトルとマイアで二対二。でも、怪我空けのアズールに無理をさせたくないなという思いもあった。撤退をしてくれるなら見逃すべきだとも思っていたし、とはいえ目の前にいるのは敵の大将なのだ。今この瞬間が、チャンスなのは事実だ。
そう、チャンスなのだ。今が、その時だ。とはいえ、僕はもうこれ以上、安易に無茶はできない。だからこそ、こういうのにめっぽう強い戦闘狂が、うちには必要なわけだ!
「ぬるいごっこ遊びなんか、してるんじゃないよ! ヨエク!」
建造物に反射する、嬉々とした叫び声。同時に地面に突き刺さる幾条ものブレス。ナイハトルが、そして僕が、それを躱そうと逆方向へと飛び散った。
……いやいや、まさかとは思うけど、もしかしなくても、今確実に僕も狙っていたよな、リベ・エイベル! 僕は翼をはためかせて地上に降り立ったナスルを見届けながら、飛び去ったナイハトルの気配を感じ取ろうとする。遠くには行っていないし、まだこの場から離脱はしていない。
マイアはさっきのナスルのブレスの直撃を受けたみたいだけど、気配は消えちゃいない。ナスルほどの魔力のブレスを持ってしたって、一発じゃ真竜にとっては大したダメージになりはしない。でも、身動きを取る気配はない。ブレスのダメージというより、ワッハ・オークニーの言葉が堪えているのかも知れない。
ナスルは音もなく再び飛び上がると、ゆっくりと上昇していく。リベさんはその上で周囲を見渡しながら、にたりと笑った。
「ははっ、真竜が一匹ぃ、二匹ぃ、三匹ぃ! さぁ、逃げろ逃げろぉ!」
だから何故、僕を数に入れる! 楽しそうなリベさんの声を、僕は聞こえないふりをした。 リベさんが招きこんだ混沌、利用するしかないだろう。今ならワッハ・オークニーを討てる!
僕は地面を蹴って建物の合間を縫うように飛びナイハトルの気配を追う。汚染された霧で視界は悪いけど、問題はない。ナイハトルは逃げちゃいない。だが、こちらを避けている? いや、誘っているのか。マイアと距離を取らせるためか?
僕は両手に魔力の炎を宿して、待ちかまえていたナイハトルに向かって突っ込んでいく!
『決闘なら、受けてたとう!』
『そんな酔狂なものじゃあ、ないんですよ!』
炎を纏った僕の拳を、ナイハトルは素手で受け止める。僕はもう一方の拳も打ち込もうとするが、ナイハトルにいなされて体勢を崩されかけたので、そのまま逆らわず前へと転がり込んで、地面に手をつけてバランスを取りながら僕は自分の大きな尻尾をナイハトルにぶつけてみせた。ナイハトルがよろめいた瞬間を見計らって、僕は体を回転させながらも火球を放ち、ナイハトルを牽制する。
ナイハトルもまた、僕の火球を魔力の剣で真っ二つにし、爆炎を僕に向けて放ってくる。似たような能力を持つ紅の真竜同士の戦いは、やっぱりお互いの手の内が読めてしまうのもあってなかなか大きく動かなかった。
『オークニー騎士団とレンジャーズ、ガイストとノア。与えられた期待と責任。火炎と爆炎。任されたものがよく似ている我々は相互に理解しあえそうではないか。ヨエク・コール!』
『望まないことを、言うもんじゃあないんですよ!』
『望んでいるさ! 私は騎士であって軍人ではない。いたずらに争いを広めるほど愚かではない!』
『言行を一致させてから言うものですよ、それは!』
『行動こそが、言葉なのだ!』
『おしゃべりな人だ、本当に!』
魔力の剣で斬りかかろうとしてきたナイハトルに対して火柱を放ち相手の行動を制限したつもりでも、次の瞬間には僕の立っていた地面を爆発させられ体勢を崩してしまう。その隙を狙われないように、次の瞬間にはアズールで牽制をかけ、さらにその隙に僕は体勢を立て直す。顔を上げて、相手の様子を確認する。紅の竜は、笑っていた。ああ、自分が嫌になる。ここにもう一匹、笑顔になりかけた紅の竜がいるのだから。
やっぱりこの人は、戦い方を知っている人だ。平和に胡坐をかいていた他の騎士団と違い、この騎士団長は戦い方を知っている。しかも出奔してザンクト・ツォルンに加勢し、自国でクーデターを起こし、そして今だってクーデターの首謀者でありながら最前線に出てくるような、大胆で滅茶苦茶な人間だ。この人の存在が、混沌の大部分を引き起こしていることは僕にだって理解できた。
だとすれば、僕のすべきことは、単純だ。マイアに対して感じたような、妙な感傷はワッハには持ち合わせていない。あとは、僕が覚悟を決めるだけだ。
戦う者の覚悟を。
でも、そういうことを悩んだり考えたりしているうちには、大体行動されてしまうのだ。最初から覚悟ができている人間に。
「あはっ、見ぃつけた!」
再び僕らめがけて、ブレスが放たれる。ブレスの主はもちろん、ナスル・ドライだ。
『ベガに乗った女、【ハイダルの鷹】か。また随分な猛禽を飼い慣らしているのだな!』
『教えを請われたって、飼い方なんか教えられるものではないんですよ!』
『いいさ、騎士が鷹狩りの獲物になるのも、一興か!』
ナイハトルは魔力の剣をナスルに向けて構える。ナスルに乗ったリベさんは、しっかりとナイハトルを見据えて、じわり、じわりと距離を詰めていく。と思った瞬間、僕の方を見て叫び出した。
「ヨエク、何ぼさっとしてんの! こいつと私は今から遊ぶんだから、あんたは人間に戻って一旦状況整理と指示を出す! 自分で考えて行動しろ【特務隊長】!」
ちっ、悔しいけど、さすがはリベ・エイブル中尉殿だ。戦いに関しては僕よりもやっぱりキレている。それを大声で叫んじゃあ、ワッハ・オークニーに筒抜けなんだけど、まぁ仕方ないだろう。他に僕に伝える手段はない。
しかし、さすがのリベさんとナスルといえど、真竜相手じゃあ互角には戦えないはずだ。時間稼ぎはできるのかもしれないけど、どれだけ持ちこたえてくれるか。
「ははっ、遊ぼうよ深紅の真竜!」
リベさんは、ナスルの翼を震わせると、急加速でナイハトルへと突撃していく。ナイハトルは構えた剣を振り下ろしたり、振り回したりするが、ナスルは慣性を無視するような急停止、急加速、急旋回を駆使して相手の攻撃をかわしていく。その間にもブレスや雷、風や炎を縦横無尽位に操って、ナイハトルを翻弄していく。……うん、魔力の差というか、能力の差はナイハトルの方が上だと思うんだけど、ナスルの予備動作なしでの移動と滅茶苦茶な戦法は、初めて目にすれば面食らうはずだ。
竜は魔力で空を飛んでいるのだから、そもそもある程度は物理法則を無視しているわけだけども、万能ではない。世の理を強引に捻じ曲げるような、無理な魔力の使い方を続ければ、当然心身への影響も大きくなる。だが、【調整】を受けているリベさんとナスルには、そんなこと関係ないのだ。物質透過とか瞬間移動とか時間遡行みたいな超常現象以外のことであれば、大抵のことはできてしまう。荒唐無稽とも思えるような動きだって、彼女たちなら可能だ。当たるはずの攻撃が当たらない、当たらないはずの攻撃が当たる。その常識の捻じ曲げ方が、【ハイダルの鷹】たらしめているのだ。
ナイハトルも思惑があるのか、リベさんの言葉に乗って僕を追わずリベさんの相手に徹している。僕はその隙に変身を解いて人間の姿に戻る。そしてアズールをすぐそばに呼び寄せて、背中の竜石で連絡を試みる。
「こちらヨエク・コール! 竜石の干渉、聞こえますか? 応答を」
「こちらイニ・アレン、聞こえてます! ヨエクくん、無事ですか!?」
「イニさん! ってことはキロアを、アイラムを前線に出しているんですか?」
「ワッハ・オークニーの気配を感じたとキロアちゃんが言うので、ここまでは出てきました。ただ、リベ中尉が対応するからと、今丁度ヨエク君の上空のあたりで、万が一の敵の増援に備えて待機しています」
「警察の突入は?」
「進行中です。リアテさんとソキアバさんは予定通り突入に帯同」
「ワニエバ中尉は?」
「ドームの外で警戒任務に。スアノアさんは私と共に上空待機」
「わかりました。撃墜した敵の竜が再起する可能性もあります、上空での戦闘経緯を竜石に転送お願いします。スアノアさんもドームに回してください。イニさんとキロアは、そこで待機を継続してください」
「はい!」
イニさんとのやり取りをしつつ、僕は周囲の魔力と音から、ナイハトルとナスルの戦闘の経過を追っていた。少し離れたところで戦闘を継続しているのはわかるが、やはり視界が悪く正確な状況はつかめない。リベさんが特別押されているという感じはしないが、やっぱり【ハイダルの鷹】をもってしても、真竜相手は五分以下の戦いを強いられている状況なのは確かだ。
だからすぐにでも、リベさんの増援に戻らなくては。僕はそう逸っていた。エースであるリベさんが落とされるわけにはいかないし、と同時にリベさんとナスル、僕とアズールがそろえば、真竜三体に匹敵する戦力をナイハトルにぶつけることが出来るのだから、勝機が見えていると感じていた。そう、だから僕は、同じ過ちを犯してしまうのだ。焦って、驕って、肝心の状況を見落としてしまう。もっと警戒をしなければならないものがあることを、見落としてしまうのだ。
瞬間、感じたのは全身に鳥肌が立つ感覚。真竜クラスの魔力に慣れ、もう多少の魔力の大きさなら、そう動じることなんてないと思っていた僕が、一瞬ですくむほどの魔力が、突然沸き上がり、溢れ出していることに気づいたのは、その数秒後だった。
「イニさん、キロアを!」
「その、キロアちゃんが、急降下を!」
「正しい行動です! サポートしてあげてください! あと今送る座標からの攻撃を回避するよう全員に通達! 任せます!」
「え!? あ、はい! ま、任されます!」
イニさんにそう告げた後、自分の中の魔力をコントロールしながら、同時に竜石を操作してアズールに指示を与えながら、さらに竜の声で呼びかけた。
『キロア、聞こえるキロア!?』
『聞こえます、ヨエク! 今向かってます!』
『もしかしてこれは!』
『ヨエクの、想像の通りです!』
『じゃあ僕ももう一度変身して、地点に向か――』
そう言いかけた時だった。目の前が、カッと明るくなった時には、もう猶予はなかった。
彼女が――ザンクト・ツォルンの真竜マイアがいた地点から前後左右、さらには上空全方位に放たれた無数のブレスは、地を這い、霧を薙ぎ、刹那に全てを呑み込んだ。けど。
「見様見真似でも!」
自分の体内の魔力と、アズールに分け与えた真竜並みの魔力を、すべてブレスの発射地点に集積して魔力の壁を作っていなければ。僕とアズールさえ、消し飛んでいたかもしれない。
アイラムが魔力の壁で相手の攻撃を防ぐ様は何度も見てきていた。始祖竜であるアイラムと違って、ただの真竜である僕には彼女ほどの魔力は無いけれど、それでも手に結集させた魔力で壁を作り、人間の姿のままブレスをしのぐくらいのことは、何とかできた。自分と、アズールを守ることが出来たんだ! けど――。
「――熱っ……!?」
皮膚が焼けるような幽かなにおいに気づいた後、自分の手の異変に気付いた。そりゃあ、そうなるのは仕方なかった。僕の魔力と襲ってきたブレスの衝突で発生した熱に、生身の人間の体が耐えるのは無理筋だったわけだ。僕の手のひらは、やけどでもしたように焼けただれていた。キロアほど十分に熱い魔力の壁を作ることが出来なかったんだ。しかも受けた衝撃で、腕は痺れてうまく動かせない。
僕は痛みに膝をつきながらも、目線を上げた。ブレスで霧が払われたことで、視界はひらけていた。だからすぐに視界に飛び込んできたのだ。悠然と空にたたずむ、一体の竜を。緑色の鱗を持つ、四つ足の大きな竜を。その竜がいる場所から、その竜が何者なのかは容易に想像がついた。
僕はどこかで、思い上がりか思い違いをしていたのだ。始祖竜であるキロアと、その彼女に選ばれた僕だからこそ、あの力を、エウルトの力を持っているのだと。でも、ちょっと考えれば、その可能性にたどり着けたはずだ。
追い詰められた真竜が、絶望を知った真竜――その変身者が、その絶望から逃げるために何をしようとするのか――何の力を使おうとするのか。
ザンクト・ツォルンに見捨てられたと気づいたマイアが、聖者ではなく、何にすがるのか。同じ思考に至った僕なら、気づけたはずだった。
「マイア……エウルト……!」
緑の真竜の姿を見て僕は、小さくつぶやいた。真竜にとって、竜としての真の姿がエウルト。マイアだって真竜なのだからエウルトの力を秘めていたんだ。ザンクト・ツォルンに見捨てられたと感じたマイアがその力にすがるのは、道理だった。
力を与えられ、力を使い、力に頼り、力に振り回される。僕は、僕たちのしてきたこととこれからしでかすことを目の前の事実から感じ取りながらも、今はただ立ち上がり、立ち向かう以外に答えは無かった。
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