08 Scorching Heat-業火-

 ヨエキア・コール将軍は僕の祖父で、僕にとっては「なることを求められている相手」でもあって、周囲の大人たちは僕をヨエク・コールである前に、ヨエキア・コールとして扱ってきた。僕だって僕っていう、ヨエキア・コールっていう一人の人間である筈なのに。だからぼくは、将軍を慕っていたし、尊敬していたし、同時に疎んでいた。

 疎んでいたけど、それでも、いなくなられたら困るんだよ。ガイストの防衛はどうなる? レンジャーズの人々はどうすればいい? 裁判だってどうする? みんな、あなたを慕っているんだ! みんな、あなたを求めている! あなたがいなくなれば、みんなそれを僕に求めてくる。ヨエキア・コールを、僕に押し付けてくるじゃないか! なぜ今! あなたは!

 ヨエキア・コールは、どうして死ななきゃならなかったんだ!


「うわぁぁぁぁっ!」


 僕は正気を取り戻す前に、気が付いたら叫びながら走り出していた。将軍を乗せた飛行機を襲撃した橙の真竜、ノナクは襲撃成功後も離脱せず、そのまま基地を襲い始めていた。止めなきゃいけないとか、そんなことを考えはしていなかった。今この瞬間僕は、かっとなっていた。考えるよりも先に体が動いていた。走っていただけじゃない、その身も変化を始めていた。

 一歩進むたびに、体は肥大していく。体を真紅の鱗が覆っていき、手足の先から鋭い爪が生える。尻尾が伸び、翼が生え、顔も完全に変化する。そして。


「グガァァァァァッ!」


 ノナクの元にたどり着き、彼目がけて爪を振り下ろすときには、僕の体は灼熱の紅蓮竜のものへと変わっていた。


『来たな、紅い奴!』


 橙の真竜、ノナクは僕の動きを見極めて、僕の爪をかわす。


『なぜ、将軍を狙った!? 聖者の意思だって言うか!』

『粛清である!』

『何をっ!』

『ヨエキア・コールは、聖者に仇をなす者、それに従う貴様らも!』

『勝手を言って!』


 僕を駆り立てるのが、怒りなのか悲しみなのか憎しみなのか、それすら僕には分かっていなかった。ただ、僕はただ、目の前にいる真竜を倒すことだけを考えていた。だけど。


『フッハハ、なるほど、冷静になれば容易いな!』


 僕の攻撃が、当たらない。先日やり合ったときには、うまく立ち回れたのに、今日は僕が押されている。僕が、冷静さを欠いているのか? でも、この状況で、僕が、どう冷静になれっていうんだ! 考えるなんて、できやしないってのに!


『所詮、自分の身も守れぬ指導者に、組織に、世界は守れぬと言うことだ!』

『ヨエキア・コールを、語るなぁ!』


 安い挑発に乗ってしまっている。頭では分かっているつもりでも、僕は感情的に、反射的に動いてしまう。右手、左手、尻尾。距離を詰めて、振り回して、攻撃するけれど、かわされて、いなされて、隙をつかれて蹴りを入れられ、そして相手の尻尾の直撃を受けて吹き飛ばされ、僕の、紅蓮竜エリフの体は地面に叩き付けられる。


「グゥッ……!」

『屈辱、晴らさでおくべきか! 否!』


 ノナクの口元に、魔力の光が収束する。まずい! 頭でそう感じたが、体が追い付いてこない。倒れた姿勢のまま、まだすぐには起き上がれない。魔力で、強引に体を動かせるか? だめだ、間に合わない! そう感じた瞬間、目の前に光が広がった。

 万事、休す。

 そう思ったけど、その次の瞬間も僕の体は失われていなかった。あまりの閃光で、一瞬何も見えなくなった。でも、魔力がぶつかり合う感覚と、音は分かる。そして、僕とノナクの間に、もう一体竜がいることも、それが、純白の始祖竜であることも、すぐに気付いた。


『キロア……アイラム!』

『訓練の甲斐が……あったというものです!』


 純白の始祖竜アイラムは今、僕が竜石によって操ることなく、自分の力で魔力の壁を張ってノナクの強力なブレスをしのぎ切って見せた。


『偽物め、邪魔をするか!』

『私が狙いではなかったのですか!』

『聖者の敵は、全て葬るのみ! 貴様も!』

『言葉の通じない!』


 ノナクの打撃を、アイラムはその身に受ける。体に魔力の膜を張っているとはいえ、僕が操ってなければ不完全だ。僕はようやく体勢を立て直して、再びノナクに飛び掛かる。


『お前の相手は、僕だろう!』

『女に助けられて! 相手になっていたものか!』

『こいつ!』


 攻撃をかわされて、続けざまに飛び掛かろうとする僕に対して、アイラムが制止してくる。


『エリフ! 相手の挑発になどに乗って、らしくない!』

『こいつを、許しちゃいけないんですよ!』

『私に乗って戦ってください! 今は魔力も十分あります!』

『竜石は、基地なんですよ! それにこいつは、こいつは僕が!』


 この真竜ノナクは、僕が、僕の手で、倒さなきゃいけない。今の僕にはそれは絶対的に正しいと思ったし、絶対的に果たさねばならないと思った。


『私を、アイラムを守ることだけを考えろと、将軍に任されたのをもう忘れたんですか!?』

『それは……! でも、僕は、僕はただ!』

『戦闘中に、無駄口とは!』


 僕とアイラムの会話に、ノナクが割って入ってくる。と同時に、僕に対して殴り掛かってくる。それを何とかいなすけれど、また尻尾で横から叩き付けられる。何とか相手の尻尾を掴んでやろうかと思ったけど、それもうまくいかず僕の体はまた吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。


『将軍も、基地も、軍も、この島も、ガイストも……アイラムも! 何も守れぬのだ! 貴様は!』


 何も守れない? 僕が?

 スペシャル・チルドレンとして生まれ、軍学校を若くして卒業し、竜乗りのエキスパートとなり、真竜の力をキロアから授けられた僕が、何も、守れない?

 自分のことを、過信していたつもりは無かった、だけど、そうか。僕はどこかで様々なことが出来て当たり前だと思っていたのかもしれない。守ろうと思えば、そう願えば、僕が最大限努力して、尽力すれば、守り切れる。そう言う風に思っていたのかもしれない。

 でも、現実はそうじゃない。努力したって、守れないときは守れない。今僕は、その事実を目の当たりにした。結局、ただ単純にその事実は、僕の矜持を傷つけたのかもしれない。


『分かった様な口で! 彼の何が分かるというのです!』

『偽物が、言える口か!』

『分からず屋!』


 僕をかばうようにアイラムが、ノナクと戦っている。だけど、訓練で戦いに慣れ始めたとはいえ、アイラムは戦うために生まれた竜ではないし、僕が乗ってなきゃうまくは戦えない。

 だめだ。僕が、君を守らなきゃいけないのに、今僕は守られている。

 僕に何が足りない? 守るっていう意思なのか? 戦うっていう決意なのか? どうすれば守れるか考える力なのか? アイラムを信じる心なのか?

 多分、どれも足りないのかもしれない。でも、それだけじゃない。もっと決定的に何かが、僕には足りない気がする。それは、何だ? 僕は、どうすればよかったのか、これからどうすればいいのか。


『エリフ! 基地から竜石を! それで、私に乗って戦ってください! 今日は、魔力も十分にあります!』


 アイラムが言う。竜石が手元に戻れば、アイラムを操って、そうすればアイラムが噛み付いて、その力で相手の真竜の力を奪い、無力化できる。でも、それまでアイラムは持ちこたえられるか?

 アイラムは僕が守る。そのために手段を問うてはいけない。そうだ、将軍だって守るもののために裁判まで起こされてもレンジャーズを立ち上げた。目的のために、手段は、問わない。それは、僕だって、きっと、そうしなきゃ、いけないんだ。


『アイラム、よけてください』

『エリフ! あなた!』

『こいつ、急に!』


 僕は立ち上がり、アイラムが飛び退いたのを見ると、手を前へと突き出し、手のひらを広げる。そうして手に魔力を集中させるとそこに巨大な火球が生まれ、そしてそれを目の前へと放つ。ブレスよりも、威力やスピードは格段に劣るけど、範囲が広い分相手は迂闊に動けず間合いを取るしかなくなる。

 僕は続けざま地面に手を着き、ノナクの場所を見定める。そうして地面を通じて魔力を送り込み、相手の場所目がけて魔力を解き放つと、それは火柱となって地面から吹き上がる。

 僕は、灼熱の紅蓮竜エリフだ。その魔力で、炎を操ることは造作もない。

 ノナクは僕とアイラムから距離を取らねばならず、その隙に僕はアイラムに話しかける。


『竜石は、アイラムがとってきてください』

『すぐに戻って、竜石をお渡しします!』

『その必要は無いです』

『必要ないって、エリフ何を』

『その竜石で、今度はキロアが僕を、僕の暴走を、止めてください』

『そんな、ヨエクまさか!』

『それが最善の策です』

『力を、侮ってはいけません! まだ、あなたには!』

『だからあなたにお願いするんです。任されてください』

『……任されます』


 竜の顔でもはっきりとわかる辛そうな表情を浮かべて、アイラムは小さくうなずいて基地へと向かった。


『逃げる? まぁいい、偽物はいつでもやれる』

『無理ですよ、あなたにはできない』


 僕は火球と火柱を操りながら、ノナクの行動を制限しているうちに、彼に距離を詰める。爪を振るう際にも、ただ爪を立てるだけじゃなく魔力を集中して先に炎を走らせる。熱が、ノナクの体力を奪っていく。


『小癪なっ!』


 でも、これでもダメだ。この体の使い方を分かってきたけど、まだダメだ。僕の速さは、強さは、ノナクを上回らない。これじゃ、勝てない。もっと速く、もっと強く、戦わなきゃ。もっと、もっとだ。


「グルルルル……」

『っ、こいつ、何だ……!?』


 尻尾を使って反撃してくるノナク、僕はそれを後ろに飛び退いて、かわして、着地する。その時、バランスをとるために手も地面につける。ふと僕は、それがいやにしっくりくることに気付く。やはりそうだ、二本足で立ってなどいるから、姿勢に無駄が生じて早く動けないんだ。魔力が体を巡るのにも効率が悪い。

 僕は手に力を入れて、前へと駈け出す。そうだ、もっとだ。僕は、もっと速く、もっと強く!


「ガァッ!」

『速いっ!?』


 それまでよりも素早く近寄る僕に、ノナクは対応が遅れる。それまでかするだけだった爪が、ノナクの肉をえぐる。

 でも、だめだ、まだ遅い、まだ弱い。

 僕は素早く後ろに飛び退く。速い姿を、強い姿を意識する。僕は、灼熱の紅蓮竜エリフ。今僕は、竜だ。竜はこんな二足で立つ姿じゃない。アズールはもっと、しなやかで、力強い姿をしている。僕だって、もっと、もっと竜らしく、ならなきゃ。

 魔力が体を巡る度、ノナクに攻撃をして飛び退く度に、僕の体は魔力の光を放つ。そして、それに呼応して体が作り変わっていくのが分かる。

 手の指が短くなる代わりに、爪が鋭く伸びる。大地をより速く駆けるためのそれは、もはや手ではなく前足だ。

 尻尾も長く伸び、より体をしなやかに、バランスよく動かせる体へと変わっていく。鼻は何かに引っ張られるように、より前へと突き出し、頭に生えていた角はもっと長くなる。翼もより大きくなる。

 そして僕は四足で姿勢を低くして、ノナクをにらみつける。そうだ、これでいい、これが僕の、灼熱の紅蓮竜エリフの本当の姿、真のあるべき竜の姿だ。


「グウォォォォオウッ!」

『何だ、こんな力、聞いていない……聞いていないぞっ!?』


 アイラムと出会ったあの時、アイラムは四足の姿となることで魔力を最大限に引き出していた。キロアはそれを暴走と言っていた。今、真竜になって分かる。あの力は始祖竜としての力ではなく、真竜としての力だ。でも多分、僕はアイラムのあの姿を見ていたから、変身の仕方が分かったんだ。そして、今の僕に対応できる力は、ノナクには無い。

 僕の爪が、ノナクの身を抉り、火球と火柱が身を焼き追い詰める。さっきまでとは逆に、今度は僕の方が一方的だ。僕にはもう今、迷いはない。たった一つの意思で動いている。


『何なんだ、何故、偽物の与えた力に、真竜に、これほどの!? 話が、違……!』


 ノナクは勘違いしている。今僕がノナクに押されていたのは、ノナクが冷静だったからではなく、僕が冷静ではなかったからだ。

 冷静、というのも少し違うかもしれない。僕は今多分、生まれて生きてきた中で一番かっとなっている。でも同時に、頭は怖いぐらいにすっきりしてる。やるべきことと、やっていることが完全に一致して、体が思い通りに動く。僕は今完全に竜だと、実感できる。

 僕は思った。何故将軍が死んだのか。いくつものミスと、慢心と、少しばかりの運のなさが生んだ悲劇だ。数日前に襲撃されたばかりなのに、警備に甘さがあったのは事実。ザンクト・ツォルンが次にどう動くか予測できなかった諜報能力、作戦能力の低さも事実。だから、僕一人が責任を折って、弔い合戦をしようってんじゃない。

 それでも僕は、後悔してる。この間の戦闘で、僕が誤った判断をしたのは事実だったからだ。

 ホテルを襲撃されたあの状況の中、僕はあの戦闘を終わらせる手段が唯一、ノナク達の撤退だと決めつけてかかっていたし、それを実現して自分の判断が正解だったと思い込んでいた。

 でも違う。多分、自分でも意図的にわかっていて、もう一つの、重要で、大事な選択肢を、知らず知らずのうちに外していたんだ。


『何故だ、何故援軍が、救助が来ない!? マイア、ディープス、どうなってる!? 嘘だっ、そんな、俺がこんな、こんなところでぇぇっ!』


 僕はノナクの周囲に無数の火柱を出して、ノナクの行動を完全に封じる。そして僕は、鋭い四足の爪で、しっかりと地面を掴んで、大きく息を吸い込む。僕の口に生まれる、灼熱の炎。

 将軍がなぜ死んだのか。それは、僕がノナクを逃がしたからだ。戦いの後に、サドゥイことテザヤルさんも僕を評していたじゃないか。子供だと、甘いと。その通りだった。初めてテザヤルさんと戦ったとき、彼に偉そうに講釈を垂れたけど、結局覚悟ができていなかったのは、僕の方だったじゃないか。

 あの時僕が、ノナクを逃がさなければ、将軍は死ななかった。それは事実だ。だから、僕が将軍の死に報いるために、今すべきことは、何か。きれいごとじゃない、これは戦争なのだから。


『何が! 何が間違っていたというのだ!? 聖者ぁ、慈悲を、慈悲をぉぉぉっ!』


 だから僕は今、目の前の真竜を、殺す。

 僕の口に溜まった、強大な魔力と熱量は、ほぼ光の速さで僕の口から、橙の巨竜に向かって放たれる。相手は、光の中で断末魔さえ上げることなく、光と炎の中消えていく。

 魔力と炎が空気と擦れる独特の轟音が鳴りやむと、周囲はとたんに静かになる。

 口の中が、熱い。心も、何だかうわついている。

 敵は、殺した。じゃあ僕はどうすればいい? 考えなきゃ、考えなきゃ。だけど、何だかうまく考えられない。

 僕? 僕は、誰だ? ……何を考えている? 違う、僕は……僕は灼熱の紅蓮竜エリフだ。炎の化身だ。炎は、何をしなきゃいけない? そうだ、全てを、炎は焼き尽くすんだ。目の前のもの、全てを。


「止まりなさいエリフ!」


 何だ? 僕の名を呼ぶ声が聞こえる。向こうから、白い髪の女の子を乗せた青い竜が、僕に向かって飛んでくる。


「ヨエクを助けるの、アズールお願い!」

「キュイィィ!」


 ヨエク? アズール? ……そうだ、聞き覚えがある名だ。いつも聞いて、いつも口にしていた名だ。そうだ、僕は、誰だ? 僕? ……僕は……!?


「ヨエク!」

「グウォウッ!?」


 青い竜が僕の真上まで来ると、青い竜に乗っていた女の子はためらうことなく飛び降りて、僕に飛び乗ってきた! 何だ、何をするんだこいつ!


「おねがい……止まって!」


 急に、体の魔力が自分の思い通りに動かなくなる。何かに操られるかのように。違う、操られているのか。そうか……そうだよな、竜石っていうのはそういうものだものな。竜石を背中に当てられれば、竜は操られる。そうだった。だけど、何だ、急に、僕の、何かが、変わるというか、引きもどされる、この感覚は何だ。


「もう、終わったの! 終わったのよ、ヨエク・コール!」

『ア……ヨエ、ク? ……ソウダ、ボクハ、アレ? キロア、ボク、ナニヲ……?』

「ヨエク、ヨエク!」


 そうだ、僕は何を考えていた? 何をしようとしていた? 僕はエリフだ、だけどその前に僕は、ヨエク・コールという、一人の人間じゃないか! 僕の背中にいるのはキロア・ハート、彼女を乗せていたのは僕の愛竜アズール・ステラだ! 当たり前のことじゃないか! なのに何故だ、なぜ僕は今、その名前が出なかった!?

 はっとなって僕は、自分の体を見た。手を地面についてる、と言うよりも、これは前足だ。尻尾も長いし、翼も大きい。僕はすぐに気付いた、僕は今、完全な竜の姿になっているじゃないか!

 いや、気づいた? 違う、落ち着いて考える、ずっと、何が起きて何をしたのかちゃんと記憶もあるし、自分のしたことは確かに、全て僕自分の意思だった。だけど、自分の名前も、あまつさえアズールやキロアのことさえ一瞬分からなくなってしまっていた。いつどの瞬間からだ? 僕は、僕でなくなったんだ? これが、暴走なのか。

 僕は急速に気が抜けていき、同時に全身から魔力が一気に引いていった。そしてそれは、僕が竜の姿を維持できないということだった。キロアは再びアズールに飛び乗って、すぐに地面へと降り立つ。灼熱の紅蓮竜エリフの体は赤い光と共に霧散し、いつもの僕の姿に、ヨエク・コールの姿になった。そして、膝と手をついて、その場にしゃがみ込んだ。


「ヨエク!」

「キロア、僕は」


 僕の言葉を待たず、キロアは僕に飛びついてきた。彼女の頬は、涙でぬれていた。同時に、アズールも僕に駆け寄って、その大きな体を僕に寄せ、僕と頬を重ね合わせてきた。2人の顔を見て、僕は自分の行いを心底後悔した。2人に、とても大きな心配をさせてしまったことに。


「アズール、キロア、僕は……」

「ごめんなさい、ヨエク、やっぱり止めるべきだった! 何が何でも、私はあなたを、止めなきゃいけなかった!」

「……違うよキロア、謝らなくていいんですよ。キロアが、僕を、エリフを止めてくれたんだから。アズールも。ありがとう、2人とも」


 謝らなきゃいけないのは、僕の方だ。心配も、迷惑もかけてしまった。僕は腕を伸ばして、アズールとキロアを抱き寄せた。もしも、もう少しこの子たちが来るのが遅かったら、僕は取り返しのつかないことをしていたかもしれない。

 いや、取り返しがつかないという意味で言えば、既にしでかしてしまったんだ、僕は。

 僕は腕を降ろし、ゆっくりと立ち上がる。目の前に広がるのは、炎が残る滑走路と、そこに何かがいたことを唯一感じさせる、肉の焦げる匂いだ。

 命が、燃えた匂いだ。


「ヨエク?」

「キロア、教えてください。あの竜は、ノナクは、どうなったんです?」

「ヨエク、今は身体と心を休めないと」

「答えてください。僕は、エリフは。ノナクを、殺したんですよね?」


 キロアは、まっすぐに見つめる僕の目を一瞬だけ見て、視線を落とした。多分、僕の手と足を見ているのだろう。僕自身気づいている。平静を装ったって無理だ。僕の手と足は、尋常ではなく震えていた。


「あれは、あなたがやらなければ、多くの人が死んでいました、だから!」

「わかってます。わかってて、僕は、やったんだ。僕は自分の意思で……!」


 手をゆっくりと開いて、手のひらを見る。やっぱり震えがひどい。僕はもう一度その手をぎゅっと握った。


「僕の意思で、殺したんです。これは……戦争だから……!」

「ヨエク……私は……!」


 2人とも、それ以上言葉を絞り出すことが出来なかった。これは戦争だから、だなんて、口にしてみて分かった。なんて身勝手で、なんて説得力のない言葉だろうか。この選択が、本当に将軍の死に報いることだったのか!?

 得体の知れないもやもやとしてものが、僕の心を覆いつくそうとしていた。だけど、その前に、僕の視界がぐらりと揺らいだ。と同時に、膝が痛い。僕はいつの間にかまた、膝をついていた。


「あれ、力が……入らない……?」

「ヨエク!? しっかりして、ヨエク!」


 人間の体でも、魔力を感じることが出来る。そして、今自分の脳に魔力の供給が足りていないことに気付いた。そう言えばスウケさんが言っていたな、竜でも魔力が足りなければ、貧血みたいな状況になるって。それが、これか。奇妙なことだけど、こうなって見て、改めて実感する。魔力が無ければ行動できない僕のこの体は、たとえ人間の姿をしていても、竜のものになっているのだということを。


「ゾアスアさん! スウケさん! 早く!」


 キロアの声が聞こえる。先輩とスウケさんが来てくれたのか。


「ヨエク、私が分かるかい!? ゾアスア! ポイズナで医務室まで運びな! 問題ないと思うが、すぐに診察するよ!」

「任される!」


 スウケさんの声が叫ぶ聞こえる。ぐるぐると視界と音が周りを回って、言葉も出てこない。これは、まずいやつだなと思いながらそこで僕の意識は途切れる。

 次にはっと気づいた時は、僕はベッドに横になっていた。


「ここは……?」

「ヨエク、よかった!」


 まっさきに視界に飛び込んできたのは、キロアの涙を浮かべた笑顔だった。


「キロア、ここは?」

「基地の医務室です。ヨエクが倒れてしまったので」


 その話を聞きながら僕は目で周囲を見回す。スウケさんを探していた。だけど部屋にはおらず、代わりにイニさんがいた。


「イニさん、スウケさんは? 僕は、一体」

「スウケさんは、アズールの世話でちょっと外していますし、ドクターは基地内のけが人を見て回っています。あれから、えっと、1時間半ぐらいですね。ヨエクくんのは、あの時のキロアちゃんと同じだそうですよ、魔力不足の貧血みたいなものだって、スウケさんが言ってました」

「やっぱり、そうですか」

「もう、無茶しちゃダメですよ! ずっとキロアちゃんが看ててくれたんですからね。キロアちゃんにも、アズールにも心配をかけて。アズールを落ち着かせるのだって大変だったんだからね!」

「すみません、イニさんにもご心配とご迷惑をおかけして」

「私は別にいいんですけどね、ヨエクくん、自分を大事にしなきゃダメですよ。想ってくれている人も竜もいるんですからね!」


 イニさんの言う通りだ。僕は、つい危ない橋を渡りがちだ。今回の僕の選択だって、一歩間違えば暴走したまま基地に危害を加える可能性だってあった。それを防げたのは、僕の力じゃない。やっぱり僕はどこかで、僕のことを過信していたのかもしれない。


「基地は、将軍はどうなったんです?」

「それは……」


 イニさんが少し口ごもった。それだけで、大体ことの想像はつく。


「あ、すみません。気を遣わせて。後で、レンジャーズの人に聞きます」

「ごめんなさい。今皆さん呼んできますね」


 そう言ってイニさんは医務室から出ていった。僕はキロアを見て声をかける。


「ありがとう、ずっと看ててくれたんですね」

「これぐらいしか、私にはできませんから」

「あの時と、ちょうど逆になっちゃいましたね」

「初めて会ったときですか?」

「はい。あの日はまだ、こんなことになるなんて思ってなかったけど」

「ごめんなさいヨエク、やっぱり私のせいで」

「大丈夫ですよ僕は、大丈夫ですから」

「大丈夫じゃないでしょう! 今、イニさんにも無理をしちゃダメって言われたじゃないですか! どうして、そこまでするんですか!」


 どうしてだろうな、僕だって自分のことだけど知りたい。でも、これはもしかしたら単純に感情の問題かもしれないし、あまり深く言えることもないのかもしれない。


「どうして、でしょうね。ただ、僕は、考えて。その瞬間の最善を選んでいるだけのつもりです。それが、本当に最善なのか自信はなくなってきましたけど」

「私、やっぱり思ったんです。自分の行動を否定したら、私を守ろうとしてくれる人のことも否定になっちゃうんじゃないかって、怖いけれど、でもやっぱり、こうなった以上、私は」

「ザンクト・ツォルンは、多分キロアが来なくても将軍を殺していましたよ」

「え?」

「僕の、完全な憶測ですけれど。キロアが竜研から逃げてこなくたってザンクト・ツォルンが真竜の力を手にしていたことには変わりありませんから。むしろ、キロアが来ていなければ、僕はエリフの力を得られませんでしたし、真竜に対抗する手立てのないレンジャーズは、無抵抗のまま敗退し、セブンス自体陥落していたかもしれません。だから、キロア。自分を責めないでください。キロアはもっと、堂々としてていいんですよ」

「ヨエクでも、あなたにつらい思いをさせてしまって」

「僕が、決めたことですから」


 そうだ、これも僕が決めたこと。僕の決断は、決してキロアのせいじゃない。僕の決断の責任は全て、僕自身にあるんだ。僕が奪った命も、僕が背負っていかなきゃいけないんだ。僕は静かに決意しながら、もう一度自分の手のひらを見ながらゆっくりと握りしめた。


「でも、無理はしないって、約束してもらえませんか?」

「無理をしないと守れないものだって、ありますよ」

「そうして、あなたの身が持たないことになれば、それこそ!」

「そうですね、分かってます。これからは、もう、がむしゃらに無理をするだけじゃダメなんだ」


 キロアを守りたいという単純な感情が僕を戦いに駆り立て、そしてただ守りたいという感情だけでは何も守れないことを僕は知った。それを知って僕は、なお前に進まなきゃいけないことも感じていた。

 突如将軍を暗殺したザンクト・ツォルンの真竜ノナクを倒すことに成功したことで、基地は一旦平穏を取り戻した。

 だけどこの戦いは、僕とレンジャーズの長い一日の始まりに過ぎないことを、僕はまだ分かっていなかった。

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