第44話 極道流出入り

 蛾泉は社の北、三百メートルほどの場所に立った。

 

 真っ暗な闇の中、周りは見上げるような樹木や熊笹が生い茂っている。太い楢の幹に手をかけると、一気に昇り始めた。十メートルほど駆け昇ったところで、枝に両足をかける。

 紫の革ジャケットの胸元から横笛を取りだし、そろりと吹き始めた。『北の鍵』を開ける調べ。

 

 本殿で常世開門のための祝詞をあげる、鹿怨のしわがれた声が聴こえる。といっても、空気を振動して伝えられる音声ではない。

 結界が張られたこの異空間。回転する水流に墨を流し、さらにあらゆる色の絵の具を溶しこんでいくような色彩に包まれた大気。

 

 雷鳴がとどろく中、空気を切り裂くような高音ではじまる蛾泉の笛。

 社の方向から、化け物の姿に崩れ落ちた加賀の遠吠えがこだまする。

 闇鳩は東の森で、紅鯱は西の森で、それぞれが演奏を始めた。

 

 ゴオオーンンン! 

 

 南に続き、北、東、西の森でも地鳴りとともに大きく地面が揺れ出す。

 

 メリッ、メリメリメリッ! 轟音を伴い、魔奏衆四人の立つ大地に地割れが起きた。


「な、なによ?」


 みやびは傀儡を串刺しにしながら、あわてて態勢を低くする。


「みなさーんっ! 地震よーっ、気をつけてえっ」


 ナーティが野太い声で叫ぶ。


「ヒャア」


 菅原は頭を抱えてしゃがんだ。

 大きな樹木の幹を揺さぶる地鳴り。グラグラッと大きく左右に傾ぐ。

 伊佐神はとっさに身をふせた。洞嶋は大きく跳躍し、傀儡たちの囲いを飛び越え伊佐神の後方に着地する。


「なんじゃあ! こりゃっ」


 伊佐神も叫んだ。

 洞嶋は両膝をまげ、伊佐神の背後でヌンチャクを両手で構える。伊佐神は洞嶋をかばうようにしゃがみ、大地の揺れと傀儡の攻撃に備えた。


「社長、私のことよりも、ご自身の御身を」


「そうはいくかい、藁人形の。大事な社員を守れなくて、なーにが社長でえ」


 窮地のなか、伊佐神は笑顔で答える。


「社長」


 洞嶋は伊佐神に抱きかかえられながら、顔をその胸にうずめる。社員でなければ、お守りいただけないのですか? その言葉はぐっと飲み込んだ。


 ヴァキン、バキバキキキッ! 


 うろつく傀儡をなぎ倒すように、大地が盛り上がった。

 ふり向くみやび。


「あ、あれはっ!」


 瞳に写ったものは、巨大な黒い石柱であった。


 直径二メートルはあろうかと思われる柱が、大地を突き破り、どんどん伸びていくのだ。すでに四、五十メートルほどの高さになっていた。


 巻き上げられた土くれが宙を舞っている。直撃を受けた傀儡が吹き飛ぶ。


 南の地だけではなく、北、東、西でも同様に真っ黒な石柱が大地を貫き、空に向かって上昇していた。

 鹿音流せいてんそうの会の本殿を中心とする菱形の位置に、森の木々や大地を吹き飛ばして四本の石柱が姿を現した。

 その高さはゆうに二百メートルを超える。


 鹿怨が張った結界と、菱形の各点が合わさったのだ。


 石柱は花崗岩のようだが、表面は磨いたような黒い光沢に輝く。しかも驚くべきことに、柱の表面にはびっしりと文字が彫られているのだ。


――臣安萬侶言。夫混元既凝。氣象未效。無名無爲。誰知其形。然乾坤初分。參神作造化之首。陰陽斯開。


 古事記であった。


 石柱からは、うっすらと土煙が漂う。

 本殿で呪詛を唱える、干からびた鹿怨。その眼窩に妖しい光が浮かんだ。


「おおっ、贄の柱が四百二十年の時を超え、姿を現しおったわ! 本来なら、二百十年前に復活させる手筈であったがのう。

 今じゃ、今こそ常世の門を開きて、この現世に大いなる禍を呼び出すのじゃ!

 わしを暗黒の世界におとしめたこの国に、復讐じゃあっ」


 立ち上がった鹿怨は、ミイラのような両腕をふり上げた。


~~♡♡~~


 地震が収まり、みやびは油断なく周囲を暗視するが、土埃が煙幕となり暗視も効かない。


「ひゃあ、いったいどういうことよ、いっきなり地面からこーんな柱が出てきちゃって」


 乗って来た二台の車はライトを点けたまま、横滑りに位置が変わっている。

 全員が無事かどうか確かめたい。みやびははやる気持ちを抑えるように、深呼吸する。

 背後に気配を感じ、手にした十文字槍を構えた。


「み、みやび?」


「弥生さん!」


 土埃を払うように現れたのは、斜目塚であった。その横には猿渡がチェーンを両手で持ち、斜目塚の背後を油断なく見張っている。


「みなさーん、ご無事ですかあっ」


「あの甲高い声は、しゃちょーね」


 みやびが「こっち、こっち」と手を振る。

 伊佐神が右手で手探りするように、左手には洞嶋の右手をしっかりと握って現れた。反対側の森の木陰から顔をのぞかしているのは、菅原であった。

 菅原の上からナーティが、ひょっこりと大きな顔を出した。


「どうやら全員大丈夫みたいで、ひとまず良かったわ」


 みやびは安堵する。

 爆撃を受けたようにめくり返った土の道。車のライトに照らされ、無残に転がる傀儡たち。


「でも、アタシたちを襲ってきた連中は、もっと多かった気がするんだけどな」


 みやびは首をひねった。


「そうですね。倒れている数をざっと見渡しても、少な過ぎますね」


 洞嶋は伊佐神に握られた手をはずそうとはせずに、言った。


「ところで、この柱はいったい何なんですかね」


 菅原が黒い石柱に手を伸ばした、その時。

 ヴォーオオオンン、ヴォーオオオンン、ヴォーオオオンン、ヴォーオオオンン、と再び不気味な音が辺りを包んだ。


「ゲゲッ、柱が!」


 菅原はあわてて手を引っ込め、みやびたちのたたずむ位置まで転がった。


「ムウッ」


 みやびは咄嗟に十文字槍を胸元で握りなおす。

 天高くそびえる石柱が、唸り声を轟かせながら淡い光に包まれる。

 伊佐神はひそめていた眉を上げ、叫んだ。


「みんな、走れ! 急いであの柱の立つ、森の奥へ入るんだ!」


「藤吉さん、どういうこと?」


 ナーティが問うた。


「これは、わたくしの勘ですが、もしかしたら邪魔者が侵入できねえように、防護幕を張るかもしれねえんです!」


「ありうるわね、それは。わかったわ、みなさん、行きますわよ!」


 ナーティがその巨体に似合わぬ俊敏さで、いきなり走り出す。


「オッケイ、しゃちょー! 行っくよーっ」


 続いてみやびがセーラー服のスカートをひるがえし、駆けだした。

 地面から生えた柱の奥は、薄暗い森である。


「さあ、行くぜっ」


 伊佐神は洞嶋の手を握ったまま、二人で走る。

 その直後、石柱の唸り声が一転した。


 ヴォヴォヴォヴォッ! そして、シャアアアァァァッ! とカーテンを勢いよく閉めるように、灰色の光が石柱の左右から目にも止まらぬ速さで走った。

 光は障害物となる樹木をスッパリと切り落とし、あっという間に森と土道の間を塞ぐ。


「アアッ」


 斜目塚、菅原と猿渡は口を半開きにしたまま、灰色の光を凝視した。


「みやびーっ」


 斜目塚はその光の奥へ走りこもうとしたが、あっさりと光に跳ね返されてしまった。すぐに猿渡が近寄って、斜目塚を助け起こす。


「ア、アニキー」


 猿渡は固唾を飲んで前方を見つめる。


「しまった! 出遅れちまったかっ」


 菅原は歯を食いしばり、声を絞り出した。

 斜目塚がなにやらあらぬ方向に視線をはわせている。


「ちょ、ちょっと、また変な音が聞こえない?」

 斜目塚が耳に手をやった。

 ゴゴゴッと地を這う音が足先から響いてくる。


「また新手の化け物かい。へへっ、いつでもかかってこいやあ」


 菅原はナックルをはめた拳を手のひらで叩いて、口元に笑みを浮かべた。


「斜目塚のねえさん、心配しないで下さいよ。俺っちとアニキで、絶対に守りますんで」


 猿渡はチェーンを両手でピーンと張った。斜目塚も首をコキコキと鳴らしながら、頭上でバトン型のスタンガンを回す。


「ありがとうね、あなたたち。私だってね、百戦錬磨の芸能プロダクションマネージャーよ。負けてないから」


 ゴゴゴッ、と唸る音は、どうやら今通って来た道路から聞こえてくる。

 ふいに鋭い光が三人の眼を射た。


「あれは!」


 猿渡が叫んだ。


「やっと来たぜ、援軍がよ」


 菅原はホッと肩の力を抜き、手を振った。


「おーいっ、ここだあ!」


 むき出しの土道が、重たいエンジン音で地響く。

 ヘッドライトを煌々と点けたダンプカーが一台、その後ろからホイール式油圧ショベルカーが一台、計二台の大型重機が走行してきたのであった。


「ええっ?」


 斜目塚と、猿渡はそろって驚いた。

 菅原が鼻を鳴らして得意げに言った。


「昔はよう、敵対する組に殴り込みをかける時にゃあ、ダンプカーで相手の事務所ヤサに突っ込んでいったもんだぜえ。って幹部の自慢話を思い出してよ。

 電話で、同期の兄弟きょうでえに召集をかけたんだ。

 会社の一大事、こんな時こそ俺たちが鉄砲玉にならにゃあよ。

 へへん、それをおまえに見せちゃろうっていう、親心、いや、アニキ心よ」


「アニキィ」


 ダンプカーとショベルカーが三人の前で停止する。ディーゼルエンジンの音が、静寂に支配されていた森を震わせる。

 ダンプカーの運転席から、パンチパーマに剃り込みを入れた若い男が顔を出した。薄いグリーンの、現場作業服の袖をまくっている。


「いようっ、来てやったぜ、菅原の」


「仕事が終わった時間に悪かったな、佳賀里かがりの」


「んなこたあいいぜ、兄弟。カチコミ掛けるちゅーからよ、俺も昔の血が騒いじまってな。一度コイツで殴り込みをしたかったんだぜ。

 ただよう、労基法がうるせえから土木部全員じゃ無理だった、すまねえ。

 その代り、部下にショベル運転させてきてやったぜ」


 佳賀里は親指で後方のショベルカーを指した。二台の車両には「伊佐神興業」の金文字が光っている。


「兄弟に天白区の山賊峠に来いって言われて、すっ飛んで来てみたんだが、やけに静かじゃねえかい。その変な柱と、チカチカ光ってる薄膜は何か関係あるのかい?」


 菅原はいつになく真剣な面持ちで、土木部の同期に言った。


「悪い! 電話で話したカチコミが、ちと違う方向に転換しちまってよう」


「どんな方向でも構わねえさ。義兄弟の盃を交わしたおまえさんがよ、来てくれって言えばどこへでも行くぜ」


「兄弟っ!」


 二人のやり取りを黙って聴いていた斜目塚が割り込んだ。


「ちょっと、お話はあとでいいから、早くなんとかしないと」


 菅原は振り返り、そして佳賀里を見上げた。

 男は笑った。


「へへっ、威勢のいいオネエさんだな。とりあえず兄弟の助太刀といくか。

 で、どうすりゃいい?」


 菅原は石柱を指さす。


「こいつをぶっ壊して、森の中に入りてえんだがな」


 同期の男はダンプの窓から身を乗り出して、上空に視線を向けた。


「えらく長い柱だな。何十メートルあんだよ? どうやらどでかい石を削って作ったみてえだが。よし、任せな」


 菅原は斜目塚と猿渡に目配せし、土道を小走りで重機の後方に下がる。

 ナーティの愛車、ハマーの頑丈なボディの背後に隠れた。


 佳賀里はダンプカーを降りて、ショベルカーの運転席に近寄った。身ぶりから、どうやらショベルカーの先端に取り付けられたバケットで、押し倒せるか試そういう魂胆らしい。

 ホイール式のため、キャタピラーのような踏ん張りが効くかどうかだが、すぐにショベルカーはアームをふり上げ、ディーゼルエンジンを響かせながら動き出した。


「頼むぜえ」


 菅原はゴクリとのどを鳴らす。


「アニキ、これが兄弟の盃を交わした絆ってやつですかい。あの土木部の同期の佳賀里課長代理はアニキの電話一本で、駆けつけて下さったんですねえ」


 猿渡は心底感心していた。


「杯かわすなんてのは若気の至りで、単なるカッコつけだったけどな。俺たちは互いに切磋琢磨しながら、一社会人としておとこを磨こうぜ、って約束してんだ。

 奴が困っていたら俺は真っ先に駆けつけるし、俺が助けを求めたら何も言わずに手を差し伸ばしてくれるのよ、今みたいにな」


 斜目塚は男たちの友情を感じながらも、みやびの身が心配でたまらなかった。


つづく

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