第43話 襲う傀儡
マンションの地下駐車場。
億ションと言われるだけあり、駐車場は国内外の高級車の展示場のようだ。
「みやびちゃんと、弥生さんはワタクシの自家用車にお乗りなさいな」
「いいんですか? そのほうが道中安心できるけど」
みやびはナーティの好意に甘えることにした。
ナーティは部屋着であるシルクのガウンを脱いでいた。下には濃紺のビロードで作られた道服を着用していたのだ。長い髪を、後ろで結んでいる。
「山賊峠までの道はわかりますから、俺っちのあとについてきて」
猿渡は軽自動車のキーを振り回す。
伊佐神たち四人は、マンション前に停めた所まで歩き出した。
途中で菅原のスマホが鳴った。
「社長、姐さん、すいやせん、ちと野暮な電話が入っちまって」
「構わねえさ。先に車に乗っておくぜ」
伊佐神は軽自動車を指さした。
「へえ、すんません。すぐに行きますんで」
菅原は頭を下げ、スマホに向かって小声で話しだした。
「じゃあ、ワタクシたちも参りましょう」
みやびと斜目塚は、ナーティの大きな背中についていく。
ナーティは一台の乗用車の前で止まった。
「で、でっかい乗用車ですね」
みやびはその車体を見上げた。
ハマーHⅠ四ドアワゴンだ。ブラックボディはピカピカに磨きあげられている。
「ワタクシ、ご覧の通り少しばかり身体が大きいでしょ。だからこれくらいのサイズがちょうどいいのよ。ささ、乗って乗って」
ナーティはドアを開け、仕込み傘を先に入れてから。よっこらしょと乗りこんだ。みやびと斜目塚は後部ドアを開ける。
~~♡♡~~
せいてんそうの会の社が建立する森を包む空間は、かき混ぜた水に様々な色の絵の具を次々と垂らしていくように変化していた。
色彩は禍々しく、まともな精神では耐えきれない極彩色の空間となっていった。
フラッシュバックのように次々と変化する色空間に、ときおりコールタールをぶちまけたような黒が支配する。その間も雷鳴がとどろき、稲妻が走る。
閂で施錠された小屋。
珠三郎は依然床の上に転がったままである。のんきな鼾はすでに止まっているが、覚醒しているわけではなさそうだ。
天才といわしめる脳髄が、紅鯱のかけた妖術と闘っている最中であった。
むろん珠三郎の意識下ではない。
異物を排除する白血球のように、脳自体が絡みくる妖術を駆逐しようとしているのだ。
蜘蛛の糸よりも細い繊維を何十万、何百万と無造作に混ぜ合わせた塊を、一本一本解きほぐしつつ、砂浜に埋もれた一粒の白い欠片を探し出すような、気が遠くなる作業を行っいたのだ。
コンピュータに計算だけさせるような、単純作業ではない。
普通の人間にはもちろん不可能である。
魔奏衆の妖術は強力な粘着性があり、いったん術に嵌ってしまうと容易にはがすことができない。
アインシュタイン級の脳みそを持つ珠三郎ならではの、人智を超越した除去作業に取り組んでいた。
~~♡♡~~
深夜のN市内を走る二台の乗用車。
伊佐神興業株式会社の営業社用車である肌色軽自動車には、伊佐神、洞嶋、菅原そしてハンドルを握る猿渡の四人が乗車している。
「社長」
「なんだ」
猿渡は伊佐神の顔色をうかがうように問う。
「この時間は、道も空いておりますんで」
「そうだな」
「あの、若干ながら、法定速度をオーバーしても」
伊佐神は大きく目を見開いた。
「ナニィッ、馬鹿野郎!」
大声で叫ぶ。
助手席に鎮座している菅原は部下の失言に、また殴られるのを覚悟し歯を食いしばった。
「天下の一大事だ。この際オカミには目をつむってもらうしかなかろう。構わん、飛ばせいっ、メーターをふり切れい!」
伊佐神の号令に、「わかりやしたあっ」、と一気にアクセルを踏みこんだ。
「あら、急に速度を上げたわ」
軽自動車の後ろを走っているナーティの運転するハマー。
ナーティは、舌なめずりする。
「お二人さん、シートベルトはしっかり、大丈夫かしら」
「オッケイですよ、ナーティさん」
みやびと斜目塚はシートベルトのロックを確認する。
「ワタクシ、こうみえても国際A級のライセンスをいただいているの。久しぶりに加速世界にこの身をゆだねるわよお!
オーホッホッホッ!」
ナーティの眼の色が変わり、ハマーHⅠは大型肉食獣さながらの雄叫びを上げた。
~~♡♡~~
社の拝殿、本殿の中がグラリと揺れる。
地震ではない。大地が動いたのではなく、空間そのものが
祭壇前で結跏趺坐のまま、呪詛を唱える鹿怨。
雷鳴がとどろき、森の上空を稲妻が何本も走る。地の底から響く咆哮に、醜い化け物に落ちた多賀が呼応している。
「魔奏衆よ、開門の儀を始動させよ! 地脈の中心点はこの本殿! 方位陣を組み、我が力に援助せよ!」
「御意!」
四人は拝殿から消えた。
本殿を起点として、蛾泉は北の森。闇鳩は東の森。紅鯱は西の森。それぞれ本殿から直線にして三百メートルほどの距離だ。
蠍火は南の、山賊峠から社に分岐する土道の奥に立った。そこだけは社から七百メートルほど離れている。
魔奏衆の四人が立った位置は、鹿怨の術式により張られた結界の、ちょうど切れ目にあたる。結界の内側では、空間そのものが別次元につながっているようだ。
極彩色の大気に包まれ、雷雲が天空を支配する。その様相は今の時点では、外側からうかがい知ることはできない。
分岐点は静寂が包んでいる。
その切れ間に立ち、四人は革ジャケットの胸元から笛や神楽鈴を取り出した。
魔奏衆は開門の儀を行う旋律を、奏で始める。
歪められた空間に、音色が拝殿まで届く。
傀儡と化した男たちが、ゆらゆらと身体を動かしながら移動しだした。
~~♡♡~~
国道五十六号線を走り、二台の車は天白区に入った。
東に進路を変える。深夜であり、すれ違う自動車はない。中学校らしき建物と校庭が脇に見える。
先頭を走る軽自動車は住宅街に進む道路から右折し、丘陵に延びる道路に進路を向けて上り坂を走る。。
その辺りから、左右に背の高い樹木に挟まれる。
なだらかな坂道の頂上手前で、アスファルトを敷いたメイン道路から脇の道へ入る。
これは伊佐神の指示であった。
車が対向できるほどの幅はあるものの、土がむき出しの道路となった。
軽自動車はハイビームにして先を進む。
「社長、武器はいかがされますか」
「武器といやあ、やっぱり定番アイテムはこれだぜ」
洞嶋の問いに、伊佐神はアディダスのバッグから刃渡り三十センチほどの、白い木製の鞘に収まった鍔無しの刀、ドスを取り出した。
「このドスは、確か」
「おう、見たことあるかい? 藁人形の。そうさ、先代愛用のドスよ。言ってみりゃあ、親父の形見さね」
「では、常に肌身離さずお持ちになっていらっしゃったのですか」
「まあな。じゃあ、なぜ加賀の差し向けた刺客相手に使わなかったのか、ってツラだな。ふふっ。そうさ、使うつもりもなくこんなモンを持ち歩いていたのさ。
一回でも鞘を抜けば、もう戻れねえ。俺たちはもうカタギになったんだよ。
俺は親父の人間性じゃなく、生きざまには反対だったんだ。だからこそ持っていても使わねえ。もしそれでヤラれたのなら、そこまでが俺の人生だって思っていたのさ。
だが、あの魔物の連中には、むざむざヤラれるわけにはいくまい。おまえたちだけを戦わせるなんて、考えてもねえぜ。
だからあえて封印を解くのよ」
「社長」
助手席でじっと話を聞いていた菅原は、伊佐神の心意気、男気に思わず鼻をすすった。
その時、軽自動車は急ブレーキでタイヤを鳴らした。
「どうした!」
洞嶋の激しい声が飛ぶ。
猿渡と菅原が、口を開けたまま前方を指さす。
ハイビームにしたヘッドライトに照らされる道路。百メートルほど先に浮かび上がっているのは、数十人の人影であった。
「でやがったか。よし、このまま突っ走れ」
伊佐神はドアガラスを下げ、後ろに停車し顔をのぞかせているナーティに叫んだ。
「ナーティさま、このまま突っ込みますぜ!」
「了解よおっ!」
~~♡♡~~
蠍火の聴力は自動車のエンジン音を捉えた。
山賊峠の幹線道路から一本奥に入った道。舗装はされておらず、かつては信者たちが社に向かった道には、夏特有の雑草が生い茂っている。
常世開門の儀のため、横笛を用い『南の鍵』を開ける調べを奏でていた。
一抱えもある大きな椚の幹、地上から十メートルほどの枝上に立ちながら。蠍火は一心不乱に笛を奏でているにも関わらず、耳が異音をキャッチしたのだ。
『南の鍵』を開けるための旋律を吹きながら、傀儡たちを操つる音色を挟み込む。
~~♡♡~~
自動車が目前に迫ってきたら、いくら操り人形になったとはいえ自己防衛の本能から逃げるであろう、と猿渡の良心は考えた。多分、伊佐神も誰もがそう思ったに違いない。
ところがヘッドライトに浮かぶ数十名の傀儡となった人間、特攻服の若い男や派手なスーツのヤクザ者たちは、無表情のまま道幅一杯に立ちふさがって動かないのだ。
軽自動車から悲鳴のような急ブレーキの音が響く。後輪がすべり、立ちふさがった男たちの一メートルほど手前で、横向きに停車する。ハマーHⅠも同様に急制御でストップした。
「いかん! 早く車から出ろっ」
伊佐神は叫んだ。
軽自動車の四人は、転がるように飛び出す。
車の中にいるほうが安全かと思いがちであるが、そうではない。これだけの人数に囲まれ、車体を持ち上げられたら簡単にひっくり返される。
間髪を入れず、傀儡どもが襲いかかってきた。
「ヤアァッ!」
洞嶋はドアを開けながら前転し、立ち上がりざまに鋭い気合を発し、旋風脚を繰り出す。肉を打つ音とともに、特攻服の男が後方に吹き飛ぶ。
傀儡の動きは早かった。わらわらと雑木林の奥から次々と迫りくる。
ギュリーンッ、金属のこすれる音と擦過音が重なり、猿渡の手からチェーンが舞った。走りくる魂の抜け殻のような男たちの、胴体に食いこむ。
「くらえっ!」
両手にナックルをはめた菅原が、目の前にせまったスーツの男の顔面をぶち抜く。ところが攻撃を受けて倒れるのにすぐに起き上がり、再び襲いかかってくるではないか。
「こ、こいつら」
ドスを持った伊佐神は、驚愕の表情で周囲を注視する。
三十人ほどの傀儡と化した男たちは、こちらの攻撃にまったくひるむ様子がない。
「藤吉さん、危ない!」
ナーティの声に伊佐神は、ハッと身構える。上半身裸で龍の刺青を入れた男が飛びかかってきたのだ。
バシュッ! 鈍い音とともに、刺青の男はくの字になって後方に弾き飛ばされる。
伊佐神の横に、ナーティが日傘を片手に立っていた。
「みね打ちよ」
「す、すいやせん、ナーティさま」
みやびと斜目塚も、すぐ後ろで構えていた。
「ハアアァ、ハイーッ」
洞嶋がヌンチャクを回転させ、傀儡の集団へ飛び込む。樫の木で作られた武器は目にも止まらぬ速さで、次々と傀儡の顔面を打ち砕いていく。
ゴオオーンン、地面の下から地鳴りが響き、足元が揺れ出した。
蠍火は地上十メートルの位置から、傀儡どもともつれ合う人間たちを見下ろしていた。神経を逆なでするような、魔界の旋律を奏でながら。
ふわり、と蠍火の青いメッシュの髪が揺れた。風が樹木の下から舞い上がってきたのだ。
徐々に風の音が高まり、まるで蠍火の笛の音に呼応するように吹いてくる。
奏でられる旋律が、転調した。
ゴウッ! すさまじい風圧が蠍火を包み込む。陶酔したような蠍火の表情。
みやびはまだ槍をケースから出していない。目の前に立ちはだかる傀儡たちは、少なくとも人間の姿であるからだ。
異界からの侵入者である雍和であれば躊躇なく十文字槍で切りさばくことができるが、人間に対して技を繰り出していいのか迷っている。
傀儡はそんなみやびを遠慮なく襲おうとした。
「危ない! みやびっ」
斜目塚が電源をオンにしたスタンガンで、モヒカンカットの男の首に電撃を食らわせた。
バチンッ! 紫色の高圧電流をまともに受け、男はひっくり返った。
「大丈夫? みやび」
「す、すみません、弥生さん」
みやびは地面でもがく男に視線を落としながら、身震いした。怖いからではない。武道を習得していながら素人の斜目塚に助けられたことに対する、己への怒りであった。
倒すか倒されるか。真剣勝負なのだ。
みやびが下手な同情心を持つことによって、この戦いに巻き込んでしまった斜目塚たちを窮地に追い込んでしまうことに気がついた。
「アタシがやらないで、どうするの、みやび!」
みやびは叫ぶ。
革ケースから十文字槍を取りだし、横にふった。シャキーンとロッドが伸びる。
みやびの声を聞き、ナーティは真っ赤なルージュを引いた口をキュッと上げた。日傘の鞘から刀を抜き、右手で正眼に構える。
「ワタクシと最高の夜を楽しみたい勇気ある男性は、どなたかしら」
狐顔をしたマフィアだった傀儡が、飛びかかってきた。
「昇天させちゃうから!」
ナーティは白銀に光る刃を一閃した。
男は袈裟懸けに右肩から腰まで、一刀両断にされてしまった。飛び散るはずの鮮血の代わりに、真っ黒な気体が拡散する。。
「やっぱりね。こいつら人間のなりはしているけど、もう人じゃないわ。みやびちゃん、こいつらも化け物と同じよ。 むしろこうやって、成仏させてあげましょ!」
ナーティの言葉に、みやびは大きくうなずく。
占術師から聞いていた言葉をナーティは思い出し、迷うことなく刀をふるったのだ。
「イヤアッ」
みやびは次々と襲いかかってくる傀儡に、ためらうことなく槍を突き出した。
つづく
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