第40話 出入り前

 せいてんそうの会の社。

 

 暗闇の拝殿の前に、大勢の人間がいた。百人を超える。

 ところが誰ひとり、口を開いているものがいない。まるでショーウインドのマネキンのように、それぞれがじっと立っているだけなのだ。

 

 魔奏衆により、傀儡にされた暴走族と、李を中心とした香港マフィアたちであった。彼らはすでに人としての心を、完全に失っていた。

 魔奏衆の命ずるままに動く、ただの肉塊に変貌させられてしまっていたのである。

 稲光に驚くこともなく、命令があるまで、ただ立っているのだ。

 

 闇鳩、蠍火、そして蛾泉の三人は拝殿で伏していた。

 

 その目の前には、鹿怨が床の上に倒れていた。着衣から鹿怨と判明するものの、顔かたちが異常に変化している。

 映画俳優のような凛々しく、西洋の彫像のように美しく整った面立ちであったのが、横たわっているのは髪が抜け落ち、渋紙を丸めて広げたようなシワだらけの皮膚。落ち窪んだ眼窩には、ヤニでにごったような眼だけが動いている。

 

 死期の近い老人であった。

 シミとシワだらけの腕が、震えながら持ち上がった。


「さあ、ぬしら、準備せよ。常世開門の儀じゃ。西天艸による御利益で、再びわしが生まれ変わる時期と、奇しくも重なるようじゃ」


 話すことも辛そうに、痰がのどにからんだ咳をする。


「闇鳩よ」


「はい、ここに」


 闇鳩は、グリーンルージュの艶やかな口元で応える。


「紅鯱はいづこぞ。ぬしらの後を追わせたのじゃが」


 三人は頭を伏せたまま、互いに顔を見合わせた。その時、唸るような排気音が社に近づいてきた。

 拝殿の前で、ブレーキの甲高い音。

 タンデムシートから飛び降りた紅鯱が、はねるように入って来たのであった。


「みなさま、お待たせいたしました。鹿怨さま、申し訳ございません。

 ただ、あの者を」


「あやつは!」


 闇鳩は大型オフロードバイクにまたがっている、珠三郎を睨んだ。

  

~♡♡~~

 

 時計の針が午前一時をまわった。

 ナーティは冷蔵庫の中にあった食材で、大量のサンドイッチを作っていた。しかしテーブルの上に置かれたまま、誰も手をつけていない。

 しびれを切らしたかのように、みやびがソファから立ち上がった。


「いったい、タマサブはどこへ行っちゃったのよ。この大事な時に」


 こういう場合にイライラをぶつける相手として、珠三郎は打ってつけだったのだが、その本人がいないのだ。


「あのネズミは、いったい」


 洞嶋は豊満な胸の前で、両腕を組む。


「珠三郎さまは、何かに感づかれたに違いない。もしかすると、魔奏衆のやつらの居所を突き止めに」


「独りで行ったって、おっしゃるの?」


 伊佐神の言葉に、ナーティが驚く。


「河童くんと連絡はとれないのかな、みやび」


 斜目塚の疑問に、みやびは首を振る。


「何回も携帯に電話しているんだけど。電源が切られているのか、電波の届かない所にいるみたい」


「それ、まさか私たちが暴走族に絡まれた時のように、あの変な女が近くにいるってことはないかしら」


 何気ない斜目塚の言葉に、みやびはキュッとくちびるを噛んだ。

 猿渡が申し訳なさそうに手を挙げ、上目遣いに小さな眼を周囲に向ける。


「あ、あのう、こんな時に、なんですけど。

 アニキ、いや、課長代理の腹がさっきから鳴ってるんで、そのサンドイッチをおひとついただいてもいいでしょうか」


「ば、馬鹿野郎! 鳴ってなんかいねえや」


 菅原は思いっきり猿渡を叩く。キュー、キュキュキュ、威勢のいい腹の虫が鳴いた。

 洞嶋はクスリと笑みを浮かべ、テーブルから綺麗にサンドイッチの並べられた皿を持ち上げる。


「ふふっ、さあ、遠慮しないで、いただけ」


 菅原は真っ赤になってうつむいた。


「ほら、早く。女性にいつまでお皿を持たせるつもりだい」


 洞嶋は優しく、お皿を目の前に出す。


「俺、いただきまーす!」


 猿渡は三つほどつかむと、大きな口を開けた。


「て、てめえ、アニキ分より先に手ぇつけやがって!」


 言うなり、同じく三つ勢いよく口に運んだ。


「うめえ! こいつは、サイコーにうめえですぜ」


 菅原はさらに手を伸ばす。

 洞嶋は皿を伊佐神に向けた。


「社長、大事な出入りの前です。どうぞ、お召しあがりください」


「ああ。いただくか」


 喧嘩慣れしているというわけではないのだろうが、いざという時に食欲があるということは、強い。


「あらあら、足りるかしら。ワタクシもひとついただこうかしらね」


 ナーティも大きな身体を乗り出して、サンドイッチをつまんだ。

 斜目塚は二つ取ると、ひとつをみやびに渡す。


「さあ、食べよう、みやび。河童くんなら大丈夫よ」


 根拠のない励ましに、みやびはアイドル志望らしく表情には出さないで、心の中でつぶやく。


(どうしてアタシを置いていっちゃうのよ、タマサブ。どうしてアタシに心配させんのよ。逆よ、逆。タマサブのキャラは違うじゃない)


 束の間の休息に、リビングルームは和やかになっていた。みやびを除いて。

 しばらくの間、手に持つサンドイッチをじっと見るみやびは、いきなりかぶりついた。


「弥生さん、アタシは食べるよ!」


 きょとんとした目で、弥生は首肯する。


(ダメダメ、みやび! アンタもそんなキャラじゃないよ! この最終決戦で勝負つけんだから。宝蔵院流槍術免許皆伝にしてグラビアモデルでアイドル志望、現役女子高生のチョーかわいい千雷みやびよ。

 どこからでもかかっていらっしゃい!)


 みやびは大食い選手権決勝戦のような喰いっぷりを発揮するのであった。


つづく

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