第39話 タマサブ、拉致される
李の護衛を務めるひとりが、大粒の汗をしたたらせながら歯を食いしばっている。
自分の意志に反し、身体が硬直したままなのだ。
男はだらりと下がった腕に渾身の力をこめる。その手には、ベレッタが鈍い光を帯びていた。まるで百キロ近い塊を持ち上げるように、腕が震えているのだ。
多賀に覆いかぶさっていた蛾泉が、顔だけふり返る。
「ほう、なかなかの気力をお持ちだねえ。嫌いじゃないよう、うふふ。でも今はだめ」
蛾泉のパープルに輝くくちびるが、Oの字型になる。すると、口の中にもやがかかり、喉の奥が光り始めた。
蛾泉はのけぞるように天井を向く。大きく開かれた口元から一筋の唾液が顎を伝う。
「アアン、アアーッ」
光を帯びたもやが、気体のように喉から搾り出された。まるでエクトプラズムだ。
不気味な光は三つ生み出され、宙に漂っている。
蛾泉は口を閉じ、恐怖に引きつる表情を浮かべた李と護衛の二人を見た。
「魔奏衆、
三つの光はその言葉により、すべるように男たちの口、鼻、耳に吸い込まれていく。
「グッ、グウワッ」
男たちは驚愕の表情で、身体を大きく痙攣させた。
「外にいた殿方たちも、もう私の下僕になっておいでさね。さあ、あなたたちも私にかしずきなさいな」
蛾泉の妖術により、男たちの魂は、瞬時にコーティングされてしまったのであった。
一部始終を見ていた多賀の精神は、崩れそうであったが耐えた。しかし、この時完全に崩れてしまっていたほうが、どんなによかったか。
「あなたは、ダメよ」
蛾泉は真っ赤な舌を再度のぞかせた。
ゆっくりと顔を近づけ、長い舌を加賀の口の中に挿入していく。その長さは人間のそれを、はるかに超えていた。
加賀の喉が反射的にうめく。さらに奥へ入っていく。
薄目になっていた蛾泉の両眼が、カッと開いた。舌がシュルリともどる。
「あら、あなた、そうだったの。
ふーん、人間さまのなりをしているのに、魂は地獄の亡者のように汚れきって腐臭がするわ。
うふふ、素敵。だから紅鯱の邪魔ができたのかしら。いいわよ、それなら。あなたの魂を、そのまま姿に現してさしあげるわ。
心の半分はあなたのもの。でも半分は私のもの。楽しいわよ。
他の殿方みたいに完全に下僕になれば、苦しみも何もかもなくなるのだけど。あなたはずっと苦しむわ。半分自我を残してあげるのだからさあ!」
蛾泉の舌が、毒蛇が獲物に跳びかかるように加賀の喉奥まで滑りこんでいった。
~~♡♡~~
珠三郎はナーティのマンションを出ると、ミカエルに拝借しているアフリカツインにまたがった。
背負っているリュックへ、丸い顔を向ける。
「おいおい、ネズミくん。いったいどこへ行けばいいのかな、かな?」
問いかけるが、もとよりどぶねずみがしゃべるわけはない。
「やはり、お気づきでしたかしら」
マンション前の道路わき外灯の下、真っ赤な袖なし革ジャケットにミニスカートの若い女が姿を現した。
紅鯱である。
「以前に会った時は、巫女さんだったのに。コスプレが趣味なのー?」
珠三郎のリュックから、キイキイ鳴きながらどぶねずみが抜け出した。
紅鯱の瞳は遠い過去をのぞくような、物憂げな眼差しで珠三郎を見つめる。
「ボクは天才だからね、戦略・戦術のシミュレーションは何千何万通りも頭に描けちゃうのだなあ。
ちなみに、将棋やチェスの駒を握らせたら、間違いなく永世名人の称号を獲っちゃうもんねー。したがって、キミたちの行動予測は事前にしちゃったよーんだ。
なぜあの川原で会っただけなのに、ボクたちを発見できたのか。暴走族のにいちゃんたちを使って、捜したのだなと。
ボクやみやびちゃんがふり切って逃げたあと、次にどうするか。またあのにいちゃんたちを使うのか。
でも、車やオートバイが変わったらどうするのかなっと」
いつになく饒舌に語る珠三郎。
「雍和を操るのなら、他にもナニかを操つっちゃうのじゃないかなあと、ボクの脳細胞は導き出したんだなこれが。エライ? 褒めてもいいよ。
で、さっきネズミちゃんを発見してさ、ピーンと答えが弾き出されましたとさ。
こんな近くにいたとは、さすがに思わなかったりしてー」
紅鯱は小首をかしげる仕草をした。
「ふふ、やはり素敵な殿方でいらっしゃいます」
異性の心を蕩かせるような、紅鯱の微笑みが強くなる。これも魔奏衆の妖術であった。
「むむむっ、ここで会ったが百年目。さっそくゼペット爺さんにもらった銀玉で」
珠三郎の表情が変わった。
「あれれ? 動かないぞぉ」
腕を動かそうと意識するが、反応しないのだ。
紅鯱が歩き始めた。ロングブーツの音が、静寂な夜の空気に響き渡る。
「私といっしょに、おいでくださるかしら」
珠三郎は声帯までもが麻痺してしまったようだ。
紅鯱はアフリカツインの、タンデムシートにまたがる。珠三郎のリュックを背負った背中から、両腕を前に回した。
「ああ、やっとあなたさまに会えました。どれだけ待ち焦がれたか」
珠三郎の脳細胞はフル回転しているが、まったく身体は反応しない。
「鹿怨さまがお待ちですわ。さあ、参りましょう」
紅鯱の真紅のくちびるが囁いた。
つづく
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