第34話 レイの告白
伊佐神は眠りから覚めたあと、真っ青な顔で正面を睨んでいた。
「――ということで、社長。ナーティさまのマンションに向かっております」
洞嶋は伊佐神の逆鱗にふれないように、様子をうかがいながら経緯を説明している、そんな感じに見受けられた。
「しかし、やけにパトカーが多いですぜ」
運転をしている猿渡は、サイレンを鳴らしながら反対車線を走りぬける、二台のパトカーをふり返った。
伊佐神が、ブツブツとつぶやく。
「始まるぞ、始まるぞ、いよいよこの国の破滅の扉が開かれる」
洞嶋はゾッとして伊佐神を見つめる。伊佐神はその視線を受け、我に返った。
「お、おまえさんたち、まだ俺と一緒にいたのか? すまん」
「社長、ご気分がお悪いのでは」
「いや、俺は大丈夫さ。おい、若い衆」
菅原が後ろを向いた、「はいっ」と行儀よく応える。
「俺をナーティさまのマンションで降ろしたら、すぐさま三人ともどこか遠くへ逃げてくれ」
「エッ?」
洞嶋は大きく見開いた眼で伊佐神を向く。
「叔父貴の、いや多賀のことについては、俺が後できっちり落とし前をつける。それよりも、先にやらにゃあならんことがあるのだ。それにおまえたちを巻きこむわけにはいくまい。
そいつは、会社のクーデターどころの話じゃねえ」
続けようとした伊佐神は、洞嶋の瞳にこぼれそうな涙に気づき、言葉を止めた。
「わ、藁人形の」
「社長!」
洞嶋は涙を浮かべたまま、キッと睨む。
「社長が抱えられていらっしゃる問題は、私にはおおよその見当がついております。だからこそこうやって、お供をさせていただいているのです。私は社長をお守りする責任者です。
それとも私では足手まといですか? 社長のお役には立ちませんか?」
伊佐神は驚いて口を開けたまま、洞嶋の眼力に恐れおののいた。
「私は社長をお守りするためなら、命を捨てる覚悟です。私は先代に盃をいただいただけで、社長にはいただいておりません。それでも全身全霊でお守りします。
そんな覚悟を決めた女を、お捨てになるのですか!」
「い、いや、捨てるなどとは」
「同じことです!」
顔立ちが美しいだけに、怒り心頭の洞嶋の表情は鬼気迫るものになっていた。
その辺のチンピラや極道連中が束になってかかって来たとしても、伊佐神は笑みを浮かべたまま相手をするだけの胆力を持っている。
洞嶋の身体から発せられるオーラは、そんな生易しいものではなかったのだ。伊佐神は心底ビビっていた。
「私ではイヤですか? こんな女はお嫌いですか? 心からお慕い申し上げておりますのに、それでも受け止めていただけないのですか」
その言葉に、菅原が口をはさむ。
「あ、姐さん、それじゃあ愛の告白ですぜ」
言ったとたん、洞嶋の裏拳が空気を切り裂き、菅原の頬を直撃する。菅原はそのまま意識まではじき飛ばされてしまった。
横目でそれを見ていた猿渡の口が、カチカチと畏怖の音を立てる。
愛の告白と図星をさされ、洞嶋は急に真っ赤になり顔を伏せてしまった。
伊佐神は猛獣をさわるように、恐々手を伸ばし、そっと洞嶋の頭をなでた。ビクンッと洞嶋の肩が揺れる。
「ありがとよ、藁人形の。おめえさんの気持ち、確かに伊佐神藤吉が受け取った。でも、まさしく死地へ赴く覚悟がいるぜ」
洞嶋はこくりとうなずき、顔を上げた。涙でぬれた瞳が伊佐神を見つめる。
(か、かわいい! はっきり言って、ものすごくタイプ! しかし、しかしだ。怒らせたらあのお三方よりも絶対怖いかも)
伊佐神は半笑いを浮かべた。
「社長、マンションが見えました」
猿渡が嬉しそうに言い、そして付け加えた。
「及ばずながら、俺っちと横で気絶しているアニキも、ひと肌脱がさせて下せえ! こうみえても族時代にゃ、特攻隊長張っていましたから」
~~♡♡~~
トヨタクラウンの黒塗りのアスリートを先頭に、ベンツ、ジャガーといった大型乗用車が数台、伊佐神興業株式会社の本社ビル前に停車していた。
オフィス街には歩く人影はないが、それぞれの乗用車の周囲にたむろする連中を目にすれば、一般人ならそこを避けて行こうとしたであろう。
着崩した派手な原色のスーツを着た男や、胸元をはだけたシャツの下から刺青をのぞかせている男。どうみても、その筋関係の輩である。三十人以上がたむろしていた。
四階の役員室。多賀は客人を招き入れていた。
ソファに座る多賀の前に、夏用の薄手の銀色スーツ姿の男が腰を降ろしている。
オールバックに固めた金髪、細い目、細い鼻筋、薄い口元。
年齢不詳のその男の後方には、二人の男が立っていた。いずれも黒いスーツで、剣呑な顔つきをしている。
「わざわざ李さんにお越しいただかなくても、良かったのに」
「ふふ、大事な今後のパートナーの頼みとあれば、私はみずから動くね」
李と呼ばれた男は、流暢に日本語を操っていた。
「助かるよ、李さん。例の件なんだが、こっちで手配した連中がドジってなあ。早く手を打たないと、あのボンは頭だけは切れるからよ。返り討ちにあっちゃたまらんからな」
多賀の言葉に、李は口の片端を上げた。
「多賀さんにここで恩を売ることは、ビジネスに活かせるかな」
「ハッハッハ、はっきりおっしゃるな李さん。もちろん、こっちは義理人情で世の中を渡ってきているんだ。恩は忘れねえ」
「自分の親を手にかけようとする人が、面白いことを言う」
多賀は両手を広げ、革張りのソファに乗せた。
「おいおい、それは組織の活性化って言ってほしいなあ」
お互いに、声に出して笑った。
ビルの下で待つ男のひとりが、空を見上げている。隣の男がくわえ煙草のまま、同じように空を仰ぐ。
「何か見えるのか」
「ああ、さっきからやけに烏が飛び交っているぜ」
「烏ね。ふーん、どうせオフィス街のゴミでも漁ろうって、魂胆じゃねえのか」
くわえていた煙草をそのまま捨てようとした時、気づいた。
「なんだ、オネエちゃん、そんな恰好で」
男はビルの前に突然現れた人影に声をかけた。
「なかなかのベッピンさんじゃねえか。俺たちと楽しいことしようか」
男の下卑た声に、他の連中もふり返った。
紫色のロングヘアをなびかせながら、蛾泉が妖艶な笑みを浮かべて立っていたのである。
つづく
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