第33話 戸山流軍刀術

 みやびと斜目塚は互いにイヤな汗をかいたまま、レンタカーに飛び乗った。


「弥生さん、本当にすみません! つかなくてもいいウソでアタシの両親を説き伏せてくれて」


「それはまったく構わないよ。でも信じてもらえたかしら」


「はい、それはもちろん。母なんて弥生さんに一目置いているし、父は母が許可すれば大抵大丈夫ですから」


 みやびはホウッと息をはいた。


「ところで、これからどうしたらいいかしら」

 斜目塚が問いかけたところ、みやびのスマートフォンがコール音を鳴らした。

 みやびは相手を確認する。


「ナーティさんだ。はーい、みやびです。

 いやあ、さっきまで大変だったんですよ! あの魔奏衆っていうオネエさんや変な暴走族に襲われちゃって。

 うん、なんとか切り抜けましたから、大丈夫です。それで今からしゃちょーに連絡して。

 エッ、ナーティさんの自宅に向かっているんですか?

 はい、はい。じゃあアタシたちも合流したほうがよさそうですね。いえいえ、アタシは事務所のマネージャーさんと一緒なんです。

 はい、ああ、タマサブはやることがあるとかで、単独行動していますよ」


 みやびはこちらを見ている斜目塚に、スマートフォンの送話口を手のひらで押さえ、「行き先が決まりました」と素早く伝える。

 斜目塚は了解の代わりにウインクした。


「あっ、はい、すみません。じゃあ急いで向かいます。しゃちょーの容態はどうなのでしょうねえ。そうですか、わかりました。ではのちほど」


 みやびは通話を切り、斜目塚にナーティの住む超高層のマンション名を告げる。


「へえっ、あんな億ションに住んでいるの、その人。超セレブね」


 斜目塚は素直に驚いた。


 二人の乗ったレンタカーはみやびの自宅から、N市の北部へ向かって走りだした。


~~♡♡~~


 その晩、愛知県警交通機動隊はてんてこ舞いであった。

 オートバイの暴走集団が何組も、爆音を響かせN市内を走行しているとの苦情が相次いで通報されてきたのである。

 交通課のパトカーや、白バイが何台も赤色灯をフル回転させ、サイレンを鳴らしながら夜の町を捜索にあたる。

 ところが通報から何分も経たないで臨場したにも関わらず、暴走集団は煙のように消えてしまっているのだ。

 すると今度は現場とまったく違う方角で、暴走集団が現れたため急行せよとの無線指令が入る。

 交機隊員たちは真夏の熱帯夜に包まれた市内を、それこそ汗をかきながら、四方八方と走らされていた。


~~♡♡~~


 ナーティは落ち着かない様子でリビングにいた。

 最高級のスワロフスキークリスタルシャンデリアが照らす室内、紫色のフリルとレースでできた夏用の日傘を握りしめている。

 大きく腹部で息を吸い込む。ゆっくりと時間をかけて口から空気を吐いた。それを三回繰り返す。

 ナーティの両眼がすわった。

 左手に日傘の真ん中あたりを持ち、右手で傘の柄を持つ。

 カチッという音とともに、スルリと柄が日傘から離れる。柄には白銀に輝く細身の日本刀が仕込まれていたのだ。

 ナーティは右手のみで、正眼に構える。


「旧日本陸軍白兵戦用、戸山流軍刀術とやまりゅう ぐんとうじゅつ


 静かな声でナーティは言った。


 戸山流とは大正十四年に、旧日本陸軍の戸山学校において発生した剣術である。武士の活躍していた時代の、由緒ある流派ではない。戦場でいかにして軍刀を利用できるか、という完全な殺人技術のための流派だ。

 合理面、実用面を徹底追求した剣術なのだ。


 ナーティがいかなる経緯でこの殺人剣法を習得したのか、誰も知らない。本人も「昔ね、飲み代の借金のカタに教えてもらった素人剣道よ」と笑って誤魔化してきた。


 手元に光る細身の刃。斬ることだけではなく、相手の急所を刺し貫きとどめをさす。そんな実戦用の武器を、日傘に仕込んであったのだ。


 ナーティが構えているだけで、室内の空気がピンと張りつめる。


 まさかこの日本刀を本当に使う時がくるとは、ナーティは考えたこともなかった。


 夜の世界で生きていくためには多少の荒事であっても、飲まねばならぬ場合がある。だからといって刃傷沙汰になっては、本末転倒である。

 だからナーティは決して鞘から刀を抜くことはしなかった。あくまでも、お守りのつもりで所有しているのだ。


 伊佐神の会社で観た、雍和の映像。魔奏衆と名乗る悪魔のような女たち。人間相手ではないのだ。化け物や妖怪相手にこの武器がどれほど役に立つのかは、正直判らない。だが、やらねばならない。


 剣術の鍛錬は欠かしたことはなかった。もちろん独りで、である。

 シャンデリアの光を受けて、白銀の刃が煌めき、ナーティの高ぶる心を落ち着かせてくれた。


 ピンポーン。


 チャイムの音に、ナーティの眼から力が抜かれた。


 日本刀を傘の鞘に納め、ドアホンを確認する。


「みやびちゃん、早かったわね。ロックを解除するわ。ワタクシの部屋は四十三階よ」


 了解です、とモニターから明るい声が聞こえた。

 ナーティはエントランスのオートロックを解除した。


つづく

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