第32話 多賀の謀り事

 玄関先で、応対に出たみやびの両親に外泊の許可を求めている斜目塚。

 みやびはその場を任せ、自室のある二階へ駆け上がる。

 着ていた撮影用のサマーウールの上着とジーンズを素早く脱ぎ、いつものセーラー服に着替えた。ジーンズは汗と土埃に汚れている。


「お気に入りの一本だったのに、膝のところが破れちゃってる」


 ため息をつくみやびは、ハッと顔をもどし、頭をふった。


「だめだめ、今はそんなこと言っている場合じゃなかった」


 大きめのバッグを押入れから取り出すと、急いで衣類の替えや簡単な化粧道具、洗面道具を突っこんでいった。


「あとは、アレだけ」


 みやびは自室からそっと階下の様子をうかがう。

 斜目塚がいつにもまして、マシンガンのような早口で適当にロケの話をデッチ上げ、両親を煙に巻いている最中だ。

 階段を、足音を殺して下りる。両親は斜目塚と向き合っているため、みやびには気がつかない。


 みやびは裏の勝手口から、武道場へまわった。

 夜半のこの時間は祖父母とも、とうに床に就いているはずである。

 みやびは武道場に置いてある愛用の十文字槍と、革ケースを取りに来たのだ。

 持ち物を再度確認すると、玄関へ回った。


~~♡♡~~


 紅鯱は巫女装束から、魔奏衆の衣装である真紅の革ジャケットに、タイトミニ、ロングブーツの出で立ちに替え、社をあとにした。

 

 暗い森の中を走る。

 常人の速度ではない。切り株や樹木の張り出た枝を瞬時にすり抜け、駆ける。

 森を抜けると、小高い丘から天白区の町の灯りが見えた。

 

 紅鯱は町へつながる道路の手前で、ジャケットの懐から小ぶりの神楽鈴を取り出した。それを両手に持ち、ゆっくりと鳴らし始める。

 

しゃん、しゃん、しゃんしゃんしゃん、りん、りん、一定のリズムで鳴らされる鈴の音が、闇夜に溶けていく。

 紅鯱は目を閉じ、口元で呪詛をつぶやき鈴の音に乗せていった。


 どのくらいの時間が経ったであろうか。

 道路の下方が黒く動き出した。

 それは波のように、道路を昇り紅鯱の立つ所へ向かってくるではないか。

 ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、波が鳴いている。いや、波ではなかった。

 何百匹もの、どぶねずみの大群であった。

 暗い闇の中、道路を走ってきたどぶねずみどもは紅鯱を取り囲み、不気味な鳴き声でざわめいている。


 神楽鈴のリズムが変化した。

 四拍子でも八拍子でもない。そのリズムは変拍子であり、じっと聴いていると精神状態がおかしくなりそうだ。


(さあ、あなたたち。私の心に浮かぶあのお方を、捜してきておくれ。私も一緒に走るから)


 紅鯱は両眼を開けた。オレンジ色に変化した瞳が、どぶねずみたちの姿を写した。

 ぎいぃぃ、真っ黒な波がざっと動き出す。

 紅鯱はまるで道路にトランポリンが仕掛けられているかのように、大きく跳躍しながら町へ向かった。


~~♡♡~~


 多賀は鳴りだした携帯電話を、机上からつかみあげた。

 伊佐神興業株式会社の役員室である。


「おう、俺だ」


 電話から聞こえる声に、加賀の目がつり上った。


「どういうこった! 取り逃がしただとっ」


 多賀は立ち上がり、叫ぶ。


「言い訳なんか聞きたくねえ! 女? 強いって、何者なんだそいつは」


 脳裏にひとりの女性が浮かびあがる。


「ま、まさか、なんだってレイがそんな所にいやがったんだ」


 多賀は携帯電話を持ったまま、ドサリと椅子に座った。生唾を飲みこむ音が、静かな部屋に鳴る。


「あいつが加勢したとあっちゃあ、大抵のやつぁかなわねえ。

 チッ、まさかレイがあっち側につくとは、うかつだったぜ。とにかく伊佐神のボンを捜しだして、始末しろい。こっちも、もうひとつ手を打つ」


 乱暴に携帯電話の通話を切ると、再び架けなおした。


「ああ、李さんかい。ちーとばかり頼みを聞いちゃあくれまいか」


 大きく背中をそらせ、多賀は話し始めた。


~~♡♡~~


 千種にある、洞嶋の住む十階建ての洒落たマンション前。

 繁華街に近いため、夜とはいえ外灯やビルの灯りで明るい。

 

 エンジンを掛けたまま、軽自動車は待機していた。

 十分前後経ったころ、マンションのエントランスから洞嶋が出てきた。ピンクのジョギングウェアのままである。着替える時間も惜しんだらしい。

 ただ、大きく膨らんだ一抱えもある洗いざらしの布袋をかかえていた。

 

 菅原は素早く車を降り、洞嶋の荷物を持つ。軽自動車の後部トランクを開け、荷物を積みこんで、すぐに車に乗る。

 猿渡は後方を確認し、スタートさせた。


「社長のご容態は、変わらないか?」


「へい。先ほどから寝息も一定しておりやす」


「そうか。では、ナーティさまのご自宅へ向かってくれ」


 洞嶋はホッと小さくため息をついた。

 菅原は恐る恐るという感じで、ヘッドレスト越しにふり返る。


「姐さん」


「うん、なに?」


 洞嶋の切れ長の眼が、真っ直ぐに菅原を見る。

 整えられた眉に長いまつげからのぞく大きな瞳は、菅原の心臓の鼓動を自然と早くした。


「い、いえ、あの荷物なんですが」


「ああ、あれか。あれは出入り用の武器一式と、簡単な生活道具さ」


「ぶ、武器!」


「そうさ。拳銃チャカ手りゅう弾パイナップルは、残念ながら自宅にはさすがに置いてないからねえ。

 ただおまえたちも丸腰でってわけにはいかないでしょ。ナックルやチェーンなんかも持ってきてやったんだ。

 五寸釘に金づちもあるけど、貸そうか」


 洞嶋の瞳がやけに色気をふくんでいる。

 菅原は恥ずかしげに横を向き、「ご、五寸釘はよう使いませんや」と、つぶやいた。


「俺、チェーンは得意ッス」


 ハンドルを握る猿渡が、嬉しそうに声を出した。

 菅原は話を続けた。


「オカマ、いや、ナーティさまのご自宅へ行ったあと、やはり多賀の叔父貴に報復しに行くんですね、姐さん」


 洞嶋は大きく前に突き出した胸元で、腕を組んだ。


「そうか、お前たちは何も知らないのだったな。実は別のもっとやっかいな揉め事があるんだよ。それを片付けないことには社長も動けまい、多分ね」


「別の、揉め事? ですか」


「ああ、そうよ。

 私の口からではなく、社長やナーティさまからご説明いただいたほうが解りやすいかな。私もすべて知っているわけじゃないからね。

 多賀の叔父貴を成敗するより、やっかいなことになるだろうけど」


 洞嶋が話し終わると同時に、横で寝息をたてていた伊佐神がガバッと起きた。


「た、大変だ! いよいよ始まるぞ! この国の滅亡がっ」


 伊佐神の叫び声に驚いた菅原は、少々失禁してしまったのであった。


 ◇

 ボクは性格上、こういった小さな車は好きじゃないのだけど仕方ないさ。

 ええっと、オートマ車だから、こうして、ああやってと。バックしまーす。アクセル、全開だーっ。それっ!

 

 おいおい、なんだ?

 ガシャーンッて音がしたけど。

 あらあら、今すれちがった乗用車が駐車スペースに入ろうとして、そのままお店に突っこんでいったよ。アクセルとブレーキを踏み間違えたのかな。危ないなあ。

 

 えっ? 

 

 運転していた兄ちゃんがこっち見て何か言っているぞ。手なんかふってるぞ。気を付けてね、ってことかな。

 まあ、ボクはプロレーサー並みの技術を持っているから、大丈夫だけどね。

 

 さあ、道路に出たはいいけど、どうする? 

 またあの変なおねえさんや、バイクの連中がきたら困るからなあ。だから、アレを早く完成させないといけないしね。

 ともかく、ゼペットじいさんの工場へ急ごうか。

 

 おっ、結構このミニクーパーって、小さいのにスピード出るじゃーん。ただ今の時速は現在百三十キロですってさ。

 まだまだイケそうだ。

 信号はね、赤でも左右をしっかり確認すればゴーだよん。交差点は早く突き切ったもの勝ちなのさあ。

 それそれー、突っ切るよーっ!

 ◇

 

 珠三郎は夜のN市内を猛スピードで信号無視を繰り返し、一路東郷町へ向かったのであった。


つづく

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