第29話 諜報活動

 肌色塗装の軽自動車が国道六十八号線を走っている。

 N駅の高架をくぐり、そのまま進めばN市の繁華街へつながっている幹線道路だ。

 猿渡がハンドルを握っていた。もちろん法定速度を厳守している。


「今のところ、この車を追尾してくる不審車輛はありやせんぜ」


 助手席に座る菅原はサイドミラーで確認しながら、後部席に声をかけた。

 後部シートには、大きな傷の入ったヘルメットをかむったままの伊佐神と、洞嶋が座っている。伊佐神は左手で脇腹を押さえたままだ。手に血がにじんでいた。


「社長、痛みますか?」


 横に座る洞嶋が、心配そうな顔で見ている。

 伊佐神はニヤリと微笑んだ。


「これぐれえ、大丈夫だ」


 洞嶋はうなずくと、前に座る菅原に言った。


「多賀の叔父貴が動く前に手を打つ。このまま直進して、千種ちくさまで行っておくれ。私のマンションだ」


「へい!」


 菅原と猿渡は、威勢のいい返事をする。


 伊佐神の頭は混乱していた。


(多賀のおいちゃんが、俺を裏切るなんて。何かの間違いであってくれ)


 洞嶋は考えこむ伊佐神の表情を読み取った。そして、形の良い眉をひそめる。


「社長、心中お察しいたします。実はここ何日かご帰宅時に、社長にはご内密で、こっそり護衛させていただいておりました」


 伊佐神は、ハッと顔を上げた。


「自分の親、いえ社長に隠し事をするなんて、道に外れるのを承知で、自分で判断いたしました。あとでお咎めを受ける覚悟はできております」


「いや、藁人形の。お前たちが助けてくれなければ、俺のこの首は今ごろ」


 伊佐神は右手で喉を切る真似をした。


「しかし、どうやって多賀の叔父貴、いや、野郎の魂胆を知ったんだい?」


 洞嶋は口元に笑みを浮かべた。美しい顔は、小悪魔のように妖しい。


「私は伊佐神興業株式会社秘書室長を拝命いたしております。ご存じのように秘書室は、私を含め総勢十五名の女性職員で構成されております。

 わが社役員の秘書としての業務はもちろんですが、もうひとつ」


 言葉をいったん切った。


「敵対する組織や当社内部の、諜報活動を行っております」


「ちょ、諜報活動」


 伊佐神は驚いた表情で洞嶋を凝視する。

 洞嶋は続けた。


「先代の組長が生前、私に命じたのです。

 いずれ組は藤吉が治める。あの子は優しいから人を疑うことを知らない。だからレイに頼むと。

 万が一わしの身に何かあったら、藤吉を陰から見守ってやってほしいとお願いされておりました。

 組織は社長の代になり、看板をはずされてまっとうな会社に作り変えられましたが、私は恩ある先代のお言葉を忠実に守ろうと決めておりました。

 そのため秘書室長を拝命してからは誰にも告げず、社内外の情報をすべて把握するように、諜報部門として活動してきたのです。

 専務の不穏な動きを秘書室二課の内部調査部門が察知し、私が報告を受けたのは一ヶ月ほど前でした。

 内部調査は非常にデリケートな内容を伴いますため、社長にお伝えする場合は百パーセントの確証をつかんでからと、判断いたしておりました。

 ただ、このところ社長がかなり私事でご多忙のようでしたので、変な気遣いをしてしまった私の判断ミスです」


 伊佐神はうなった。

 確かにここ最近は、夢のお告げで化け物を掃討すべく動いていたからだ。仕事に関しては、多賀を中心とする役員たちに任せっきりだったことは否めない。

 洞嶋はさらに言った。


「社長が七代目の跡目を継がれすぐに組を解散されました。

 昔ながらのシノギをすべてご法度とされ、堂々としたビジネスでの組織作りにご尽力賜りました。それを喜んでいる配下の社員は多いのです。だけど」


 伊佐神が継いだ。


「真っ当な商売で汗水たらすよりも、前のようにもっと楽にシノギを得るほうを選びたい連中もいたっちゅわけだ」


「はい。専務は組を再興し、どうやら香港マフィアと手を組んで、クスリの密売ルートを敷こうと画策しているようなのです」


 ハンドルを握る猿渡が、素っ頓狂な声を出した。


「ク、クスリって、バイアグラっすかあ」


 菅原は思いっきり猿渡の額を叩く。


「バーカ。クスリっていやあ、覚醒剤シャブに決まっているだろ」


 伊佐神は眉間に深いしわを刻み、シートにもたれた。


「六代目から引き継いだ看板をすぐに下ろしたのは、間違っちゃいないと慢心していたか。昔のままの極道は、もう世の中の必要悪じゃねえ。時代に取り残された無用の長物だ。

 世間から抹殺されちまうってのを、俺がもっと教育しなきゃならなかったんだ」


 沈黙が車内を包む。


 ふと洞嶋が口を開いた。


「社長、こんな時に申し訳ございませんが」


「言ってみろ」


「実は、私、社長やお仲間の皆さまが現在関わっていらっしゃることを、知ってしまいました」


「えっ」


「あのお三方と社長が、大変やっかいなことに巻き込まれておいでになる、ということです」


「そ、それも諜報活動か」


「いえ、そうではなく、私は個人的に社長の御身が心配で」


 言うなり洞嶋は顔を真っ赤に染め、下を向いてしまった。社長室に取り付けた高感度の盗聴器については、今さら言及しなかったが。


つづく

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