第27話 炸裂! レイの神業
肌色の軽自動車は窓ガラスを全開にして、外灯の照る住宅地の公園横に駐車していた。
エンジンを切っているためエアコンが使えないのだが、元々この車はエアコンが故障している。
「しかし、こういう暑い夜をなんて言いましたっけ、課長代理」
猿渡は首に巻いたタオルで、流れる汗を拭った。ワイシャツの袖をまくり、銀色の派手なネクタイをゆるめている。
「ああん、こんな夜のことかいや」
後部シートにどっしり座る菅原は汗で光るリーゼントのヘアを、大ぶりのクシで整えている。
胸元が大きく開いた青いワイシャツに、汗模様が浮かんでいた。ネクタイは、はずしていた。
「こういう夜は、アレよ」
「へい、アレですか。アレとは?」
ジーッと考えこんだ菅原は眉毛を片方上げた。いきなり運転席の猿渡を殴る。
「察しろよな、てめえ。この世界、上のモンがアレって言やあ、アレなんだよ」
「す、すいやせん」
痛む頭を押さえながら、猿渡は素直に謝る。会社という組織も上下関係は、ヤクザ社会と同じなのだなと思った。
「だけどよ、部署の違う上司によ、毎晩毎晩この辺りに待機せよって命令されるのも、なんだなあ」
「へい」
「俺ら、営業部だぜ。いってみりゃあ会社の花形よ。それが、なーんで秘書室の室長に従う必要があんのよ」
菅原は口をとがらす。
「しかも、社内の誰にも秘密でってことですよね、アニキ、いや課長代理。なんなら俺が、あの秘書室長に一発ヤキ入れやしょうか」
新入社員の猿渡は、こぶしを握る。とたんに菅原の顔が青ざめた。
「そ、それは絶対にやめておけ、絶対にな。おめえ、知らないからそんな大それたことが言えんのよ。
あのお方はな、見てくれはそこいらの芸能人よりかわいくて、ナイスなバディでいらっしゃるけどよ。
ウチの会社で怒らせたら、一番怖ええお人よ」
菅原は声のトーンを落とした。
「あんなスゴイ美人が、ですか」
「ああ。藁人形のレイって二ツ名は伊達じゃねえ。しかも中国武術の達人ときてる」
菅原は数日前に足蹴りを顔面にくらったことを、思い出していた。
「まあ、姐さんの頼みとあっちゃあ、男としては断れまい」
「へい、課長代理のおっしゃる通りで」
菅原は思い出しながら、ひとりほくそ笑んだ。
洞嶋から社内で耳打ちされ、会社近くの喫茶店で今回の依頼を受けた時のことを。
耳元で「あとで会社の前にあるコーヒーショップで、大事なお話があるの」と囁かれた時、洞嶋から上品に漂う香水が鼻孔をくすぐり、大きく張り出した胸元がしっかりと腕に密着していたのだ。
「ここで義理を打っときゃ損はねえってことよ。そういう渡世をよーく勉強するこった」
「へい、ありがとうございます。俺は課長代理にずっとついていきやす」
二人は止まらない汗に辟易しながら、ここが伊佐神の自宅すぐそばであることを知るよしもなかった。
~~♡♡~~
伊佐神はいつものように自転車をゆっくり漕ぎながら、スーパーから自宅までの道のりを走っていた。自宅は、下町の古くからある住宅街にある。
公園を通り過ぎる際に、怪しげな軽自動車が角を曲がったところで、隠れるように駐車しているのが視界に入った。
「ここは駐車禁止ゾーンだってえのに、まったく」
伊佐神が注意しようと考えた時だ。
前方からいきなり自動車のハイビームに照らされた。
「うん?」
伊佐神は自転車を停めて、手で光をさえぎる。
バラバラッと四、五人の人影がこちらに向かって走ってくるのが見えた。全員が手に木刀らしきエモノを持っているではないか。
「おいおい、こんな街中で、俺に用かい」
伊佐神は自転車を降り、スタンドを立てた。
肩掛けしていたビニールバッグをはずすと、それを盾に構える。
影は走りながら、いきなり木刀を打ちこんできた。その勢いに一切の躊躇はなかった。伊佐神はそれをバッグで受け、横に流す。
「テメーら、どこのもんじゃい! 伊佐神藤吉と知ってのことかっ」
伊佐神は囲まれながら、鋭い声で怒鳴った。
二発目が振り下ろされた。伊佐神はバッグでヘルメットをかむった頭部をかばいながら、後ろではなく前に転がる。続けて数本の攻撃が襲ってきた。
~~♡♡~~
「あ、あれ、課長代理」
「おう、なにやら喧嘩みたいやのう」
「どうしやす」
「どうって、わしらは姐さんからここで待機を命じられとるからのう」
「はあ、でもあのヘルメットにジャージのおっさんひとりに、大勢が木刀ふりまわしていますよ」
「ほっとけ、わしらには関係ねえさ」
菅原は見て見ぬふりを決めこんだ。
~~♡♡~~
多勢に無勢、伊佐神は木刀の攻撃をかわすのが精いっぱいで、公園の柵に追いこまれた。
襲撃者はみな花粉症用の大きな立体マスクをしており、顔が判別できない。黒っぽいシャツにズボンで、暗闇を味方につけている。
「名前も名乗らずに喧嘩売るたあ、親の教育が行き届いていねえようだな」
鋭い視線で伊佐神は睨む。
右側から空気を割いてふり下ろされた木刀をよけた瞬間、左手側から腹部めがけて強烈な突きが襲ってきた。伊佐神は間一髪で直撃は避けたものの、剣先が横腹をかすめる。
「チイィッ」
ジャージが破れ、腹がえぐられた。
~~♡♡~~
見物と決めこんでいた、軽自動車の二人。
「あーあ、あのおっさん、腹をやられましたねえ」
「ありゃ、痛えだろうなあ」
のんきに座席で貧乏ゆすりをしていた時、自動車の背後を激しく叩く音が車内に響いた。
菅原は、ヒエッと驚いて首をすくめる。
「なにやってるんだよ、テメーら!」
車の右横でジョギングスタイルの若い女が立ち、大声を張り上げながら前方を睨んでいるではないか。
「ああん、なんだよ、ネエちゃん」
猿渡が眉を八の字にして、窓から顔を出した。
「ゲゲッ! ひ、秘書室長さま」
菅原も驚いて顔を出す。
「姐さん!」
洞嶋は、かむっていたキャップを放り投げ、バサッと髪をおろした。セミロングの髪が揺れる。
「早く降りて来い! 助けにいくぞ」
洞嶋のつり上がった大きな眼に怒りの炎が燃え上がっているのを、菅原は発見した。
「助けるって、あのジャージのおっさんをですかい」
「バカ野郎! あれは伊佐神社長だ」
菅原は驚きの奇声を発し、あわてて車から転がり降りる。
洞嶋はすでに走り出していた。腰につけたポシェットから、樫の木で作られた四十センチほどの、二本の棒を取り出しながら。
その棒は、鎖で連結したヌンチャクであった。
~~♡♡~~
伊佐神は切り破られた腹を押さえながら、不敵に笑う。
「こうなったら死なばもろとも、てめらを道連れにしてやるぜ」
木刀の攻撃が頭部を狙った。攻撃は、ヘルメットをかすめる。
「へへっ、中学時代から大事に使ってきたヘルメットが、助けてくれるぜ」
それでも衝撃が脳を揺さぶる。くらりと伊佐神の身体がゆれた。そこに数本の木刀が攻撃を仕掛けてきた。
「ハイヤーッ!」
鋭い気合と共に、襲撃者の群れの中に闖入者が宙を割って飛びこんできたのだ。
ジョギングスタイルの若い女性、洞嶋である。
洞嶋は伊佐神の前に着地すると、ヌンチャクを目の前で回転させバシッと右わきに挟み、左手を前に出し構える。
若い女と見てとったひとりが、からかうように木刀をふり回してきた。
「なめんな!」
洞嶋はヌンチャクを高速で回転させ、木刀を弾き飛ばした。木のぶつかり合う衝撃音が公園にこだます。
驚いた襲撃たちは木刀を構えなおすと、洞嶋も含めて攻撃を開始した。
ヌンチャクを真一文字にビンと伸ばし、両手で構えていた洞嶋は、突き出される木刀の切っ先をすべて紙一重で見切る。
頭上に振り下ろされた木刀を、ヌンチャクの鎖で受け止め跳ね返した。
そこから洞嶋の猛攻が始まった。
ヌンチャクを右手で8の字に回転させ相手がひるんだところへ、アスファルトを蹴った足が相手の腹部へえぐり込む。
「ソリャーッ!」
くの字になった瞬間、洞嶋は身体を回転させ逆の足で顔面を蹴る。遠心力を活用する陳式太極拳の
続いて襲ってきた木刀を、右脚を左脚の外側に交差させその右脚を、円を描くように素早くふり上げ、蹴り飛ばす。
「相手が悪かったねえ。遠慮なくいかせてもらうわよ!」
陳式太極拳は健康のための武術ではない。相手を確実に戦闘不能にする術だ。
ヌンチャクは毒蛇のように宙を舞い、牙をむきだし襲撃者の口元を叩く。前歯と鼻骨を折られ血しぶきを上げてのけぞる。
右手、左手と洞嶋は瞬時にヌンチャクを持ち替えながら、鮮やかな技をくり出していった。
「ハイッ! ハイッ! ハーイッ!」
神がかり的な技に伊佐神は、ただただ目を見張るのみである。
「つ、強えぇ」
洞嶋の鍛えられた長い脚が地面を蹴り、鞭のようにしなり襲撃者の顔面に食いこむ。
「藁人形のレイから、逃げ切れると思うなよっ」
洞嶋の目つきが完全に変わった。
陳式太極拳の神髄は身体を回転させて生み出す遠心力と、大気を取り込み体内でエネルギーを凝縮させ一気に爆発させ攻撃に換えることだ。
それにヌンチャクの攻撃が、縦横無尽に相手を襲う。
菅原と猿渡は対戦の輪の少し離れた場所で、中腰のまま待機していた。
「すげえ! 秘書室長ってあんなに強かったんですか」
「ああ。だから言ったろう。組で、いや会社で一番怖いって」
「あんなにお綺麗で強くて。アニキ、素敵な上司ですねえ」
「だろう」
菅原は自分が褒められているような、高揚した気分になっていた。
洞嶋はヌンチャクと足技を駆使し、あっと言う間に四人を撃沈した。残りはひとり。
「さあ、おいで。気持ち良く昇天させてあげるから」
洞嶋はヌンチャクの一本を右手に持ち、鎖で繋がったもう一本を右脇に挟む。
左手を軽く突き出すと、指を二回曲げた。
残ったひとりの襲撃者は戦意喪失なのか、木刀を持った左手をぶらんと下げた。と思いきや、右手を素早く黒シャツの内側に突っこんだ。
「いかん!」
伊佐神は叫ぶなり、洞嶋をかばうように抱きかかえ、地面に転がった。
プシュッとくぐもった音とともに、二人が立っていた地面のアスファルトがはじける。襲撃者はサイレンサーのついた拳銃を、その手に握っていたのだ。
「ちくしょう、ふざけた野郎だぜっ」
立ち上がろうとした洞嶋に、伊佐神が上からおおいかぶさった。
「しゃ、社長」
「無茶するなっ、藁人形の」
伊佐神は自分の社員を守るため、自ら盾になろうとしているのだ。
男は狙いを伊佐神の背中に向け、トリガーを弾いた。
伊佐神は両眼を見開いたまま、歯を食いしばった。
弾丸が発射された音が聞こえたにも関わらず、身体に痛みはおろか衝撃すらない。
ドサッ。人の崩れ落ちる音に、顔を上げる。
拳銃を握ったまま、男が倒れているではないか。
そのかたわらに、公園の花壇の煉瓦を持った男が二人立っていた。菅原と猿渡だ。
「しゃ、社長! ご、ご無事で」
菅原は煉瓦を投げ捨てると、駆け寄った。
「おう、おめえらか。ありがとうよ」
「社長、あ、あのう、そろそろ」
洞嶋が恥ずかしげに、下から声をかける。
伊佐神は盾になるためにおおいかぶさったのだが、勢いあまって右手がなぜかしっかりと、洞嶋の大きな胸をわしづかみにしていたのであった。
「あっ、あっ、こ、これは、ししつれれ」
伊佐神はあわてて手を離すと、裏返った声でわびる。
洞嶋は頬を真っ赤にし、先ほどとは打って変わった恥じらいの表情で、小さく「いいえ」と返す。ヌンチャクを片手に大立ち回りした片鱗さえない。
伊佐神は洞嶋の手を引いて身を起こすと、転がっている襲撃達に視線を向けた。
「おまえたち。ありがとうね」
洞嶋は菅原と猿渡に礼を言った。
「姐さん、この襲撃をご存じだったのですかい」
菅原は両手を広げた。
洞嶋はちらりと伊佐神を見て、首をふった。
「社長、これはクーデターです」
「どういうことだ、藁人形の」
「端的に申し上げます。多賀の叔父貴、専務が裏で仕組んでいます」
伊佐神は口を開けたまま、言葉を失った。
菅原は辺りを警戒するように声を出す。
「とりあえず、社長、姐さん、ここからづらかりやしょう。面倒になる前に」
洞嶋にうながされ歩き出したものの、伊佐神の表情は固まっていた。
つづく
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