第25話 多賀の裏切り

 ミニクーパーは港近くの造成地に、停車していた。

 すっかり陽は落ち、港や街の灯りが遠くに瞬き、市内を走る高速道路高架から車のライティングが、かすかに届いてくる。

 ミニクーパーを取り囲むように、暴走族のオートバイが半径十メートル程度の円陣を組み、空吹かしで威嚇していた。


「み、みやび、こんなところまで誘導されちゃったけど、警察に電話して助けに来てもらおうよ」


 ガタガタと震えながら、運転席で斜目塚は携帯電話を握りしめた。


「あれっ、圏外になっちゃてる、どうしてっ?」


 みやびも手にしたスマートフォンを見る。

 たった今、珠三郎との会話の途中で突然通話が途切れてしまったのだ。液晶画面に浮かぶ、圏外の文字。


「弥生さん、アタシの携帯もつながらないよ。こうなったらアイツらの正体を訊き出してみるわ」


「正体って、頭のいかれた暴走族でしょ」


「いいえ、バイクに乗っているのはそうでしょうけど、親玉が気になるの」


 みやびは顎で正面を指した。

 ハイビームがミニクーパーを四方から照らしているため、逆光になって相手がよく見えない。しかし、正面で爆音を上げているオートバイのうち一台には側車がついており、人影が見えるのだ。


「弥生さん、アタシが話をつけてくるから。外に出たらすぐにドアロックしてね。で、スキを見てすぐにこのまま逃げて」


 みやびの申し出に、弥生は首をふった。


「とんでもない! みやびちゃんに何かあったら、親御さんに申し開きできないし、ウチの社長にも」


「大丈夫よ、弥生さん。アタシはこう見えても、武道家よ」


 オートバイが、けたたましく空吹かしを続けている。

 みやびは、「待って!」とすがる斜目塚を押しとどめ、車のドアを開けて降り立った。


 キリッと目を尖らせ、静かに呼吸を整えた。腹部の丹田たんでんに気をまわす。

 逆光の中、みやびは一歩前に進んだ。


「アンタたち、何者なの? アタシに何の用事なのかしら」


 みやびの大きく通る声が、オートバイの空吹かしの音に重なった。

 サイドカーから人影が動いた。

 地面に立つと左腕をふる。それを合図に、オートバイは空吹かしをやめた。


「やはり、おまえさんだったね」


 人影が艶を含んだ声で言った。


「むっ」


 ハイビームのライトをさえぎるように、みやびは手のひらでひさしを作った。

 人影が笑う。


「おや、お忘れかえ。私は、魔奏衆の闇鳩さあ」


「闇、鳩」


 やはり、そうであった。


「こやつらを私の魅力で手なずけてさあ、おまえさんたちを捜していたのよねえ。もうひとりいただろう、あの時」


 闇鳩の姿がライトに照らされた。全身グリーンのスタイルで、両手を腰に当てている。


「お連れは、大きなバイクに乗ってきていただろう。西洋のバイクだったねえ。今ごろ蠍火が捜し出して、お灸をすえているわいなあ」


 緑色に光る口元を、真っ赤な舌が舐めた。


「たしか、次はないよとかなんとか世迷言の捨てゼリフ吐いていた、ミドリのおばちゃんだよね」


 みやびは挑発するように闇鳩に視線を飛ばす。


「おうおう、強がりな娘は大好きさあ。うふふふっ。きつーいお仕置きを、してあげようかねえ」


 闇鳩は頭上で片手を一回転させた。

 フルフェイスをかむった者、ハーフヘルメットに大きなマスクで顔をおおっている者、ノーヘルでトサカみたいに金髪の髪を立てている者、それぞれがお揃いの特攻服を着ているが、闇鳩の合図でオートバイを一斉にスタートさせた。


 十メートル弱の距離とはいえ、重量のある鋼鉄の機械だ。当たれば骨折、場合によっては死に至る危険性もはらんでいる。

 みやびに向かって、突っ込んでいく。


「弥生さーん! 逃げてえ」


 みやびは叫ぶなり、前方のオートバイに向かって走り出した。


「タアッ」


 走り高跳びの要領で、みやびは地面を蹴る。


 ズザッ! 土煙とともにみやびの足が宙に浮き、迫りくるオートバイを運転するライダーの頭上を越えた。


「行きがけの駄賃よっ」


 みやびは宙に舞った右足で思いっきりライダーのヘルメットを蹴り上げ、着地する。

 頭部に半端ない足蹴りをくらい、一人目のライダーは派手に転倒した。そこへ、反対側から走り込んできたオートバイが接触する。二人目は、オートバイから投げ出されてしまった。

 みやびはちらりとふり返り、そのまま造成地を走りだした。


(弥生さんは絶対に巻き込まないから、絶対に)


 自分が囮になることによって、闇鳩と暴走族をミニクーパーから遠ざけようと考えたのだ。


(その後は、その後は、ええーいっ、あとは野となれ山となれよ!)


「あれあれ、逃げてしまうのかいねえ」


 腰に手を当てていた闇鳩が右腕で、みやびを指さす。

 オートバイは方向転換すると、すさまじい排気音を上げ、土煙を立てながらみやびを追いかけ始めた。

 闇鳩は妖しげな視線をミニクーパーに向け、歩き出す。


「何なのよ? 何なのよ!」


 ハンドルを握りしめ、斜目塚は目の前の光景を驚愕の表情で見つめていた。

 緑色の髪に緑色の革ジャケット、タイトミニスカートの女がこちらに向かってきているのが視界に入る。

 斜目塚は、ヘッドライトに浮かぶ闇鳩の顔を凝視した。


(いやだ、誰なの? 綺麗な顔立ち。いえ、これは尋常じゃない美しさ)


 ゾッとするような、この世のものとも思えない闇鳩の美貌に、斜目塚はうっとりと見入ってしまった。


 闇鳩は、とろけるような笑みを浮かべている。真っ赤な舌が白い歯の隙間から、まるで爬虫類のそれのようにチロリと動く。

 斜目塚は、ハッと我に返った。

 本能が危険を知らせたのだ。これ以上見惚れていると、とんでもない恐怖がやってくることを。

 闇鳩はボンネットのすぐ前まで歩いてきている。


「美しいバラには、危ないトゲがあるーっ」


 斜目塚は大声で叫ぶと、ミニクーパーのギアを素早くバックに入れた。すかさずアクセルを力の限り踏み込む。

 ミニクーパーが悲鳴を上げながら土煙を舞い上げ、全速力でバックしだした。


 闇鳩は助走もなしにフワリと宙に浮き、走り出したミニクーパーのボンネットの上に、トンッと降り立った。


「ヒエエッ、化け物よー!」


 斜目塚は目をむき、ハンドルを左右に回す。


「うふふふっ」


 闇鳩はボンネットの上で大きく揺れながら笑った。


 ミニクーパーは急制御で停車すると、今度はいきなり前進した。

 闇鳩が片膝と両手をボンネットにつけているため、斜目塚は前方が確認できない。それでも必死にハンドルを操った。


~~♡♡~~


 みやびは荒れて盛り上がった土くれの上を、左、右と瞬時に方向を変えながら、全力で走り続ける。

 体力は、笑顔の次に自信がある。

 

 暴走族たちはネズミを弄ぶ猛獣のように、一定の距離を開けながらみやびの後方を耳障りな排気音を立て追いかけてくる。


「棒きれでもいいから、何か落ちてないかしら」


 造成地には外灯がないため、追ってくるオートバイのライトだけが頼りだ。

 視界が悪いため、木片や建築用の鉄筋が転がっていても、見つけるのは困難であった。

 みやびは歯を食いしばりながら走った。


~~♡♡~~


「お遊びは、もうお終い」

 

 闇鳩はボンネットについていた左腕を振り上げた。

 フロントガラスを素手で突き破ろうとしたその時、シュッと空気を切り裂く音を闇鳩の聴覚がとらえる。音は間違いなく闇鳩の頭部を狙ったものであった。


「チィッ」


 闇鳩は転がるように、ミニクーパーの上から飛び降りた。

 何事かと、斜目塚は急ブレーキを踏む。


「誰ぞっ」


 地面に着地すると、鋭い視線を投げた。

 ぱしっ! ぱしっ! ぱしっ! 足元の土が撥ね上がる。

 闇鳩は後方にバック転し、そのまま暗闇に溶け込むように姿を消した。


 ドドドッと腹に響く重低音のエンジン音とともに、新たなオートバイがミニクーパーのほうへ向かってきている。


「ええっ、またまた敵さん登場ですかあ」


 斜目塚はうんざりという表情で、シートにもたれる。


「もうだめ、限界。もういいや、好きにしてちょーだいな」


 精神力を使い切ってしまい逃げる気力も失い、自棄やけになってつぶやいた。


 コンコン。窓ガラスを叩く音。


 斜目塚はガラス越しに、相手を見た。


「か、河童っ?」


 ロードキングにまたがった珠三郎が、車内をのぞきこんでいたのである。


~~♡♡~~


 伊佐神興業株式会社の本社ビル。

 

 社長の伊佐神が業務を終了しビルを出るころには、社員たちもほとんどが帰宅している。ヤクザ組織であったころは、若い衆が泊まり、寝ずの番をしていたこともある。敵対する別の暴力団が、いつ夜襲をかけてきてもいいようにだ。

 

 伊佐神はそういった風習をすべて排除した。お天道さまの下を隠れるように生きていた組員たちを、全員まっすぐ前を向いて歩いていけるように組織を作り変えた。

 

 ビルの窓はすべてブラインドが下ろされ、照明も消されている。

 その中で四階の一室だけ、ブライド越しに明かりが漏れていた。伊佐神興業株式会社専務取締役の肩書を持つナンバーツー、多賀の役員専用室である。

 

 多賀も今でこそ事業会社の経営陣として、常にスーツにネクタイという堅気の格好をしているものの、若いころはシノギを削るために、相当あくどいことにも手を染めていた。

 多賀は役員用の執務室で、木製の高級机に靴のまま両足をのせ、本革製の椅子にもたれ紫煙をくゆらせている。

 

 全館禁煙のおふれが出ているが、「そんなこたあ、しったこっちゃねえや」と、ネクタイをゆるめていた。

 机上に置いていた携帯電話が、着信を告げる。


「おう、俺だ。李さんかい」


 多賀はことさら声のトーンを落とし、まるで誰かに聞かれているのではないか、という素振りで周囲を見回す。


「ああ、大丈夫だ。ここにいりゃあ、誰にも話は聞かれねえ。わかってるって、ふふふ。心配性だな、あんたも。

 それより、頼むぜ。俺がここを元の組織に再興した時には、香港経由のブツを全部こっちに任せくれるちゅう件はよ」


 多賀は煙草を机上の灰皿でもみ消した。


「オカルトかなんか知らんが、社長が世迷言にうつつを抜かしている今がチャンスよ。いくら東大を卒業した切れ者でも、この世界を仕切るにゃあまだ甘いのさ。

 考えてもみろって。

 裏街道でシノギを削っていた俺たちが、ネクタイはめてビジネスの商談なんて笑っちまうぜ。

 あんたもそう思うだろ。

 今考えりゃあ、先代の六代目を罠にはめてあの世に送り出した時に、俺がすんなり七代目の跡目をついでりゃ良かったのさ。こーんなデケえビルは建てられずともよ、楽にシノイで面白おかしく毎日を過ごせたってえもんだ。

 今夜だ、今夜で伊佐神組は復活するぜ。いや、多賀組の誕生だな」


 氷のような冷たい表情を浮かべ、口元をつり上げたのである。


つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る