第23話 魔奏衆の本領

 深夜。

 天白区内の各消防署に、救急要請が相次ぎ入っていた。

 就寝していた家族が夜中に突然苦しみだし、意識を失ったというのだ。


 搬送先の病院に、同じ症状の患者が何人も運びこまれる。集団食中毒か、新型のウイルス感染か。

 

 N市消防局本部では、緊急会議が幹部たちによって持たれた。

 

 運び込まれた数はすでに二十人を超えるのだ。数カ所の救急病院では、臨戦態勢で患者の治療にあたっていた。

 しかしどの病院でも、診察を行った医師たちは首をかしげていた。

 患者の体温や血圧、心拍数、血液検査にまったく異常が診られない。意識を失うというよりも、深い睡眠状態に陥っているだけのようなのだ。

 

 患者同士に関連性がないことも判明している。

 ひとつだけ共通点を上げるならば、患者たちはその年齢に比して異常に若いということだ。見た目がというよりも、細胞段階において、である。

 血液検査や骨密度で平均的な年齢帯の数値よりも、若い年齢の数値であったのだ。

 それ自体は悪いことではないので、問題視はされなかったが。

 

 朝陽が差しこむころには、担ぎ込まれた人たちは何事もなかったかのように、目覚めた。

 

~~♡♡~~


 せいてんそうの会の社。

 

 朝から大勢の信者がぞくぞくと詰めかけている。

 

 昨夜救急病院へ搬送された人たち全員が拝殿の先頭に正座し、一心不乱に教典の祝詞を口にしていた。

 時間が経つにつれ信者の数は増し、拝殿に入れない者たちは地面に座してひれ伏している。

 すでに三百人を超していた。


「おおう! 教祖さまだ」


 拝殿と本殿をつなぐ間に、黄金色の狩衣に指貫袴姿で、鹿怨が姿を現した。

 悲鳴のような、歓喜満ち溢れた信者たちの声が幾重にも広がる。

 鹿怨は端正な顔に、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。


「さあ、わたしとともに、祈りを捧げましょう。そして未来永劫の幸せを、みなで求めましょう」


 鹿怨は両腕を静かに上げていく。

 張りのあるバリトンの声は、まさに神の声として居並ぶ信者たちの魂に訴える。


 おおっ、と感嘆の声が拝殿に響き渡った。


 鹿怨の背後、信者たちの正面に淡い光が揺らめき始めたのだ。光は徐々に伸びていく。まるで鹿怨の背から、光の翼が広がるように。天より舞い降りた神のごとく、白くまばゆい光は拝殿を覆っていく。

 拝殿に入りきれず、外で伏していた信者たちにも、その神々しい光は伸びていく。


 感極まって涙を流す者、失神寸前の者、祝詞をつぶやき続ける者、その場にいる全員が今まで経験したことのない、魂の快楽に身をゆだねていた。


「せいてんそうの会、鹿怨とともにあれ」


 鹿怨は歌うように、高らかに信者たちに訴えかける。

 白い光が太陽の輝きと重なり始めた。

 すると水に七色の絵の具を垂らしたように、光が渦巻きだしたのである。尋常ならざる現象だ。

 三百人以上の人間が集団催眠にかかったがごとく、我を忘れ、頭をふり、身体をゆらし、トランス状態になっていた。


 光に絡みつくように、笛の音が重なりだした。

 鹿怨の背後に、いつの間にか魔奏衆の四人が巫女姿で両膝をついている。


 蛾泉と蠍火は木製の横笛を、闇鳩はオカリナのような土笛を、そして紅鯱は鈴をいくつも合わせた神楽鈴かぐらすずを使い、不思議な音色を奏でている。陰音階いんおんかいの悲しく儚げな旋律が光の陽性と相まって、信者たちは視覚と聴覚から支配され始めた。

 光の洪水の中、鹿怨は正面を向き両腕を高く掲げたまま、魔奏衆四人に命ずる。


「このお社に結界あり! 魔奏衆よ、御霊浮断みたまふだんの調べ、とくと奏でよっ」


 魔奏衆はとろけるような淫猥いんわいな表情で、合奏を続ける。

 じわりと甘美な香りがたち始めた。

 四人の身体から麝香の香りにも似た、官能的な体臭がにじみだしている。一度でも嗅覚にふれれば麻薬のように虜になってしまう、戦慄の香りである。


 信者たちはもはや誰も動いていない。目を閉じ究極の快楽に身をゆだねていく。


 覆っていた光が、スイッチを突然切られたように消滅した。まだ昼前の時間であるにもかかわらず、拝殿を中心にすっぽりと闇に包まれ、辺りが暗くなった。

 魔奏衆の奏でる旋律と、麻薬のように脳をしびれさせる香りだけがその暗黒の中で蠢いている。

 横笛、土笛、神楽鈴の音がフェードアウトしていく。


 すると闇の中にボウッと淡い消えそうなオレンジ色の灯火が、ひとつ、またひとつと浮かび上がってきた。

 連鎖反応が起き、暗闇の中に数十、いや数百の灯火が揺らめきだしたのだ。灯火は、はぐれた小鳥のようにうち震えていたが、ヒュッと音を立て動き出す。


 蛾泉の紫色に染められたくちびる、蠍火の青い輝きのくちびる、艶めかしい緑色の闇鳩のくちびるが開き、その口中にどんどん吸いこまれていくではないか。

 紅鯱はひとりだけ、精根尽き果てたように、ぐったりと崩れている。


「霊薬西天艸の負の効果で、バランスの脆くなった生命力。魔奏衆の本領である、魂を意のままに操る演奏。そして奥義、御霊浮断」


 鹿怨の声が静まり返った闇の中で響き渡る。


「こやつら平民の役目は終わった。西天艸が持つ不老不死の霊力は、永く苦しい修業をつんでこそ、初めて効果を表すのよ。

 ふふふっ、体内に微量投入すれば一時的に若さが回復したようになるが、生命力は不安定になるのだ。

 不安定になった生命力は、簡単に肉体から抜け落ちる。それを魔奏衆がいただくのよ。

 生命力をはがされて生きるしかばねとなり、残りわずかな時間にすがりつけ。おまえたちが捧げた生命力は、常世開門の儀に、この鹿怨が使うてしんぜようぞ」


 鹿怨は眼を細め、辺りを見回した。


「我が復讐の時来たれり。邪魔立てする輩をあぶり出して、返り討ちにしてくれるわ」


 印を結んだ鹿怨の口元が囁く。


 闇が薄れだした。朝日に照らされた拝殿が浮かび上がる。

 死体のように横たわった大勢の信者たちにも、太陽の光が降り注いだ。

 むくり。ひとり、またひとりと立ち上がる。痴呆のようにだらしなく口を半開きにした信者たちは、夢遊病者のように歩き出した。

 帰巣本能が残っているのであろう。信者たちは、せいてんそうの会の社から、身体を引きずるように帰っていく。

 老いが加速し、誰もが生気を失った顔つきで、感情さえも抜かれてしまっているようであった。


「魔奏衆よ、街へ行けいっ。そして新たなる下僕を作るのだ!」


 蛾泉、蠍火、闇鳩の三人がうなずく。

 ひとり、秘儀を会得していない紅鯱は、鹿怨の足元に伏していた。


つづく

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