第21話 ゼペットじいさんへの依頼

 ボクは炉治珠三郎。

 我が国が世界に誇る、偉人ベストファイブのひとりだ。

 

 ボクが神様に召されるころには、ボクの伝記が学校の図書館に並べられ、記念館の開会式には各国の指導者が招かれることであろう。場合によってはボクの誕生日は、記念日として休日になるかも。

 グッヘッヘッ。


「んんっ、雨かな」


 ボクは愛車ロードキングを駆り、朝のN市高速を飛ばしているところだ。

 二日徹夜して、やっと図面が完成したのだ。あとはこの図面を渡すだけさ。


 今日はボクの大好きな、ゆるキャラTシャツ。


「このところ、天気が良かったからねえ。

 ボクの肉体をほとばしる、熱い血潮を冷却するにはもってこいだ」


 思っていることを言葉に出しながら、アクセルをさらに吹かした。


 そういえば、メールする時にも、打ってる文面が口から出ているな。

 さっき立ち寄ったコンビニで、みやびちゃんに朝の挨拶メールを送る時も、声に出しながらキーを打っていたんだっけ。

 ジュースを買いにきていた女子高生たちが、ボクを遠巻きにして指差しながら何か言っていた。もしかしたらボクの打った文面を聞いて、彼女たちにはあまりにも難解だったのかもー。

 反省。


 みやびちゃんにも難しかったかな。返信がこないところをみると。

 天才を仲間に持つなんて、普通人にはちょっぴりかわいそうかもねえ。


 おっ、出口だ。いけねえ。

 ボクはロードキングを華麗なるテクニックで、追い越し車線から走行車線、そして出口の矢印に向かって一気に左シフトする。エンジンブレーキを掛けながら急減速。


 おりょりょ? 

 キキィー、ガシャアーンって派手な音が後ろから聞こえるな。下手なドライバーが壁に衝突したんだなあ。見通しのいい直線なのに。

 それとも急に車線変更した、けしからぬ輩でもいたのかもね。


 さて、と。

 天白区をぬけて、東郷町とうごうちょうに入る道はこっちだったよね。


 平日の午前中でも、結構自動車が多いな。片道一車線だから余計に渋滞するのだ。

 このままだと約束の時間に遅れちゃう。


 仕方ない。


 ボクは後方目視を行い、民家や商店の並ぶ歩道に愛車を乗り上げる。ここできちんと後ろを確認するってことが大事さ。交通規則だね。


 歩道にはプールに行くのか小学生の団体や、自転車に乗った主婦がいるけど、大丈夫。

 ボクは時速を八十キロ程度に保ち、歩道を走行する。

 歩行者を縫うように、華麗なドライビングテクニックを披露するんだぜーっ。

 グフフッ、みんなキャーキャー言って、ボクの走行をはやしてくれるぞ。


 よーし、ではウイリー(前輪を持ち上げ、後輪だけで走行すること)でも見せてあげよう。

 そーれ、それそれっ!


 ボクは前輪を上げたまま、嬉しそうに歓声を上げて逃げ惑う歩行者の間を駆け抜けてやった。

 ◇


 愛知県東郷町は中小の工場がそこかしこにある。

 元々この国最大の自動車メーカーが愛知県に本社を置いており、関連する工場が増えていったのだ。

 

 居並ぶさまざまな工場の一角に、是平ぜへい工業有限会社はあった。

 社長は是平戸志和ぜへい としかずという、御年七十三歳の熟練板金工である。是平は昔気質の職人で頑固一徹の面もあるが、その腕はこの工場街でも右にでる者はいないと言われている。

 従業員は、ひとりだけおいていた。

 欧州から、板金工見習いとして来日している外人だ。ミカエル・トンプソン、二十六歳の金髪碧眼の男性である。

 

 妻に先立たれた是平は、ミカエルと工場の二階で寝食を共にしている。

 

 ロードキングの腹に響くエキゾストノートが、開け放した工場の中にまで響いてきた。

 菜っ葉服で旋盤に向かっていたミカエルが、顔を上げる。


「やあ、おはよさんだな、です。そちらはタマチンですかい?」


「おっはようーっ」


 珠三郎はエンジンを切って、ミカエルに手をふった。


「ゼペットじいさんは、事務所にいるのかな」


「おお、わがあるじは、こちらのおくふかくに、せんにゅー、しておいでらしい」


 ミカエルは陽気に言いながら、珠三郎の頭二つ分は高い上背をかがめ、背負っているリュックごとハグをする。

 珠三郎はミカエルの服に染みついた、機械油の匂いに表情を恍惚とさせた。


「ギヤーオイルは、どうしてボクをこんなに魅了するのかな」


 珠三郎はミカエルの背中をパンパンと叩いた。


「いつまでもこの香りに包まれていたいけど、用事を済まさなきゃ」


 名残りおしそうな眼でミカエルを見上げ、珠三郎は旋盤やプレスマシンが所狭しと置かれた作業場の、奥にある事務所に向かった。


 事務所の中は、意外にもきっちり整理整頓されている。十二畳ほどの室内には真ん中にテーブルを挟んで、二人掛けのソファが向かい合わせにあった。事務用の机は昔ながらの木製である。

 あとはコピー機やキャビネット、小さな冷蔵庫の上には電子レンジまで置いてある。

 主である是平、通称ゼペットじいさんは事務机に向かって、帳簿整理をしているようだ。


 白髪の髪は妙なヘアスタイルである。これは弟子のミカエルに、紙切り用ハサミで適当に切らせているかららしい。

 鼻の下には真っ白な髭をたくわえ、丸いプラスティックの老眼鏡をかけていた。眼鏡のツルには細い紐が通され、首に回している。


 ミカエルと同じ作業用の菜っ葉服の袖をまくり上げ、珠三郎が事務室に入って来たことさえ気付いていない様子であった。


「おっはよーう!、ゼペットじいーさーんっ」


 大きな声で挨拶する珠三郎に、ビクッと身体を反応させ、ゼペットじいさんはふり返った。


「ったく、おまいさんの声にはいつも驚かせられるわい。早かったのう」


 珠三郎は満面の笑みを浮かべている。


「約束の時間は守らないとね」


「で、今回は何用じゃったかいな」


 ゼペットじいさんは、よいしょと椅子から立ち上がり、手でソファを指す。珠三郎は背負っていたリュックを肩からはずし、宙に飛び上がってソファに座った。

 ごそごそと、リュックの中をかき回す。


「えーっとね、あっ、あった」


 言いながら珠三郎はくしゃくしゃになった、紙の束を取り出した。


「これをさあ、大至急作ってほしいんだな」


「相変わらず大雑把な奴じゃなあ。どれどれ」


 ゼペットじいさんは老眼鏡をかけ直し、紙の束を一枚一枚丁寧に伸ばしながら見入った。


「ふーむ」


 沈黙の後、ゼペットじいさんが口を開いた。


「おまいさん、こんなもの作って、どうするんじゃな」


「グヘヘッ、今は内緒」


「内緒ってか。まあよいわ。しかしこれは、材料の調達が、ちいと難しいのう」


 珠三郎は指でブイサインを作る。


「ああ、それなら大丈夫だよ。昨日、NASAの知り合いに頼んで、もうこの工場に送ってもらうよう手筈してあるからさ」


「わしゃ、まだ引き受けるなんて、言うとらんぞ」


「この図面見たら、ゼペットじいさんの職人魂に火が点くって、ちゃーんとお見通し」


 ゼペットじいさんは苦笑した。


「おまいさんには、負けるわいな」


 言うなり立ち上がり、ゼペットじいさんは事務所の入り口に向かった。


「おおーい、ミカちゃんよう。今から一週間、すべての注文はキャンセルじゃ」


 珠三郎は驚いた表情で、ゼペットじいさんを凝視した。


「い、一週間で、できるのかな?」


 ゼペットじいさんは振り返り、ウインクする。


「わしを誰と思うておる。ただし、銭はかかるぞ」


「お金なら大丈夫さ。まず、五千万円まではね。グヘヘッ」


 珠三郎は再び満面の笑みを浮かべたのであった。


つづく

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