第18話 魔奏衆

 拝殿には許容範囲を超えた人々が入殿し、互いに肩や膝がこすれあうのも気にすることなく、一心不乱に祝詞のりとを唱えていた。

 

 せいてんそうの会の社。

 

 すでに陽の沈んだ丘陵地帯にあるとはいえ、昼間の強烈な熱気が冷めているわけではない。

 全身に汗をしたたらせ、百人以上の老若男女が手を合わせ、正座をくずすことなく不気味なイントネーションのハーモニーを口にしている。

 

 全員がトランス状態であった。

 

 本殿を正面に、黄金色の狩衣に指貫袴を身につけた鹿怨が座している。

 信者とともに一段大きな声色で祝詞を唱える鹿怨の端正な顔には、なぜか汗が一筋も流れていない。暑さを超越しているかのごとくに。

 

 夜の帳がおりて、社は漆黒の闇の中である。拝殿には燈明皿が置かれており、わずかな灯火だけがゆらめいている。

 

 鹿怨は閉じていた二重の切れ長の両眼を、うっすらと開いた。

 音もなく、影が忍び寄ってきたのだ。

 

 信者たちの声はけっして大きくはないのだが、これだけの人数が口の中でつぶやくことにより、拝殿内には積み重なった音がこだましている。


蛾泉がせんか」


 影は巫女姿の女性であった。白い千早、袢、衣、に、紫色の袴を着用している。かしずくように頭を下げた巫女は、紫色のカールしたロングヘアを上げた。


「あい」


 蛾泉はうなずいた。

 パープルのアイシャドウに同色のルージュが、灯火にテラテラと光っている。ゾクリとする妖艶な美貌だ。


「闇鳩と、紅鯱がもどってまいりましたゆえ」


「うむ」


 鹿怨は再び目を閉じた。

 蛾泉の姿が闇にとけるように、消えた。


~~♡♡~~


 香りが漂い始めた。

 最初は花の蜜のようなやわらかな香り。それに、甘い果実のような香りが混じる。

 さらに香りが強くなる。どんどん強くなっていく。むせかえるような甘美な香りが充満した。

 官能をくすぐる麝香じゃこうの香り。

 

 灯りもない部屋に、いくつもの香りが交差している。人工の香水の匂いではない。発情期の雌の獣がふりまくフェロモンのような、鼻腔以外の感覚を刺激する香りである。

 

 せいてんそうの会の本殿の、さらに奥。

 

 椈や椚の樹木に隠されるように建つ、木造りの小屋。会の信者でさえ、そこにあることを知らない。

 樹木を使い、カムフラージュしているだけではないようだ。一種の結界が張られているのであった。


「やはり、お前さんがついていって良かったねえ、闇鳩」


「ふん、だから紅鯱ひとりじゃ早計だと言ったじゃないの、蛾泉」


「そうだねえ、言ったとおりだったねえ」


「これで、四つ。子が四つも消去されてしまった。

 我ら魔奏衆といえど、子を生み出すのは難儀ゆえ、蝎火さそりび、どうしたものかいねえ」


「鹿怨さまのご判断を」


「そうだねえ」


「二百十年に一度の常世開門とこよかいもんの儀、決して失敗は許されぬ」


 物音さえ吸収するような闇の中、衣ずれの音だけがやけに大きく聞こえる。艶をふくんだ複数の声が、静かに空気を震わす。


「みなさま、申し訳ございませぬ」


 少し幼げな声が離れた場所から聞こえた。


「仕方ないさあ、紅鯱」


「あい」


「我ら魔奏衆の末裔、なんとしても鹿怨さまのお役に立たねば」


 香りの濃度がどんどん高まっていく。


 紅鯱は思い返していた。川原で目の前に立った男のことを。男の視線を受けた時、鼓動が大きく鳴り出したことを。脳が痺れ、身動きさえできなくなってしまっていたことを。


(またお会いできるのかしら、あの殿方に。夢にまで見た愛おしいお方。あの戦乱において、敵である私をお守りくださった勇者さま)


 紅鯱の頬が赤く染まっていくのは闇に包まれ、誰にも悟られなかった。


つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る