第14話 みやびの懸念

 あれから自宅まで珠三郎に送ってもらったのだが、ほとんど言葉を交わすことなく玄関に入っていくみやびを、珠三郎は怪訝な表情で見送った。

 祖母は門弟たちの稽古をつけた後、夕方から奈良県の本家へ会議に出かけている。教員である両親は、すでに自室で床に入っている時間だ。

 

 みやびは母親の作った冷めた夕餉を、味も感じないまま食べた。

 もやもやはシャワーをあびても消えず、スウェットシャツに着替えベッドに入ったのだが、横になったものの、眠ることができずに朝を迎えた。

 

 カーテンから朝の光が元気よく差しこんでいる。


「ええーいっ、アタシらしく、なーい」


 ベッドから勢いよく飛び起きると、そのまま二階の自室からダダッと階段を駆け下りた。洗面所で顔を洗い、キッチンに顔を出す。


「おはよう、おじいさま」


 祖父がテーブルで熱い日本茶をすすりながら、朝刊を広げていた。


「ああ、おはよう、みやび。今日も朝から暑いねえ。父さんたちはもうご出勤だ。朝ごはんは用意してあるよ」


 大学教授を退官した祖父は見事な白髪をオールバックにし、真っ白な口髭をたくわえたいかにも学者然とした見栄えである。

 毎日きちんとカッターシャツにスラックスという格好で過ごし、この人が慌てふためくさまは、みやびの記憶にはない。


「どうした? 顔色が、よくないようだが」


 祖父は新聞を置いて、みやびを心配そうに見上げる。みやびはさすがに今のアルバイトのことは言えず、うーんと口をとがらせた。


「高校生にもなると、いろいろな出来事に一喜一憂しがちなものだよ。まだまだ人生これからだ、みやび。若いうちに多いに悩みなさい。

 おまえは、ばあさんに似ているからな。ばあさんも若い頃は、そんな表情をたまに浮かべていたなあ、うふふふ。

 そういう時はな、みやび。ばあさん、必ず武道場で汗を思いっきりかいていたさ。たった独りでな。

 私は槍術については、からっきし疎いから、相手をしてあげられなかったけど。

 それでもばあさんは、ひとしきり汗をかくとな、いつもの元気な笑顔にもどっていたさ。

 なにか困ったことがあったら、私も、ばあさんも、父さんや母さんもいつだって相談にのるよ。

 まあ、うちではばあさんに訊くのが一番確かだがね」


 祖父の笑顔は、みやびの表情を自然と明るくしてくれる。


「了解です、おじいさま」


「そうそう、みやび。先月号の写真も、とてもかわいかったぞ。我が孫ながら、ずっとながめていたよ、アハハッ。来月号もまた表紙を飾るのかな」


「うん、昨日撮影してきたのよ。おじいさま、ありがとう」


 みやびはニッコリ微笑み、「ご飯はあとで」と言い残してキッチンを出た。


 朝の武道場は神聖な朝陽に包まれ、厳かな気持ちになる。

 みやびは神棚に向かって柏手を打つと、練習用の長槍を握りしめた。


(もし、あの時タマサブが援護してくれなければ)


 紅鯱の放った凶器は、確実に喉もとを切り裂いたはずである。

 昨夜から心にわだかまっていたのは、その事であった。


(免許皆伝だからって、過信していたわ。こんなんじゃ、アルバイト料なんてもらう資格はない)


 みやびの寝不足だった瞳に、くっきりと光がさした。


「ツエェイッ」


 激しい気合とともに、みやびは独り黙々と鍛練を始める。

 みやびの形のよい富士額から、汗が飛び散る。まるで身体に燻っていたもやもやを、一緒に絞り出すかのように。


~~♡♡~~


「じゃあ、おじいさま、いってまいりまーす」


 みやびはセーラー服の登校スタイルで、学生鞄を持ち、玄関先で見送る祖父に手をふる。


「夏休みとはいえ、夏季講習があるのだねえ。大変だ。いっといで」


 祖父は笑みを浮かべて手をふり返した。


(てへっ、ホントは学校じゃあないのだけど。嘘ついてごめんね、おじいさま)


 みやびは、ちらりと舌を出す。


 練習のあと朝食を終えて自室にもどると、スマホを起動させた。着信履歴に、またもや伊佐神の電話番号がずらりと並んでいたのであった。

 そして受信メールには一件、珠三郎からのメールが入っていることに首をかしげる。


「アタシ、いつタマサブとメアド交換したっけかなあ」


 いぶかししげながら開くと、カラフルな絵文字に目がくらむ。


「このハートマークは、なによ。文字より絵の方が多いし」


(社長が全員で相談したいので、今日の午前八時頃に会社ビルまでご足労願いたい)そういうことであったらしい。

 読み終えた直後、計ったように珠三郎から電話が入ったのであった。


~~♡♡~~


「おはよう! みやびちゃーん」

 

 みやびの自宅から徒歩三分の位置にある、児童公園。

 珠三郎が昨夜とまったく変わらない出で立ちで、ロードキングにまたがって待っていた。   素っ頓狂な大声に、朝から公園で遊んでいた数人の子供たちが、ギョッと立ちすくむ。


「アー、もう、そんな大きな声を出さなくても、聞こえていますからぁ」


 みやびはあわてて走り寄り、当たり前のようにタンデムシートにまたがった。真紅のフルフェイスヘルメットをかむる。


「でも、タマサブ。こーんな大きなバイクを乗りこなすなんて、結構すごい」


 珠三郎はゴーグルを眼鏡の上におろした。


「ぐふぐふ、そうかなあ。でもボクは大抵の乗り物を動かせるのよーん」


「えっ、そうなんだ。人間なんかとりえはあるものだね」


「オートバイ、自動車、大型トラック、ブルドーザー、あと陸上では戦車かな。船は手漕ぎボートから大型客船、潜水艦まで。空にいくと、ヘリコプター、セスナ、大型旅客機はもちろんオッケイさ。

 ああ、スペースシャトルも、問題ないかなぁ。試したことはないけど」


 指折り数える珠三郎を見て、みやびは感心した。


「すごいじゃん! じゃあ、タマサブは世の中にある乗り物をほぼ動かせるんだ」


「うん。問題なし」


「ちょっと、見直してさしあげますことよ。でも、免許取るのに相当な時間と、お金がかかったでしょ」


 みやびは右指でお金マークを作った。

 珠三郎はロードキングのセルモーターを回しながら、笑った。


「免許? なにそれ。ようは移動物体の推進及び停止、方向転換の仕組みを覚えておけば、あとは実践での応用でしょ。

 ボクなら一度取扱説明書を読めば、すべて把握しちゃうもんね」


「エッ? ちょっと待って。なに言ってんだか理解できないのですが。もしかして免許証は、なにひとつ持ってないとかって、笑えない冗談は言わないでよね」


「大丈夫、大丈夫。バイクは十五歳の時から乗っているし。八年間、無事故無免許問題なし。

 さあ、レッツ、ゴウゥ」


 ロードキングは轟音とともに車道へ飛び出した。


「ヤッパリ降ろしてええ、まだ死にたくなあぁいぃっ」


 みやびの悲鳴が朝の児童公園に、悲しくこだましていったのであった。


~~♡♡~~


 伊佐神興行株式会社の本社ビル前。

 

 千七百シーシーの低く力強いエンジン音を轟かせながら、ロードキングは通りの角を曲がり本社ビルの玄関わきスペースに停まった。


「も、もう、だめかも、アタシ」


 みやびは真紅のフルフェイスの下で、真っ青な顔を歪ませている。

 エンジンを切りながら珠三郎はふり返った。


「みやびちゃん、お疲れ。さあ、到着したよ」


 珠三郎は大きなリュックを背負っているため、みやびは直接珠三郎の背中に抱きつかずに済んでいることに感謝しつつも、足が震えているのがわかった。


「ア、アンタさあ、よくも無免許のクセに平気で人を乗せて走るよねえ。しかも、あのトンデモないスピードでっ」


「あはっあははっ、気持ち良かったでしょ。朝陽を浴びながらのランデブー」


「いや、ランデブーじゃなくて」


 二人が豪華なガラス張りの玄関先でもめていると、スーッと自動ドアが開いた。


 ビル内から、夏用の紺スーツにタイトスカートの女性がハイヒールの音を響かせて出てくる。

 髪をシニヨンで後ろまとめ、ナチュラルメークでありながら大人の女性の色香を演出し、白いインナーの奥には盛り上がったバストが揺れている。

 モデルのような、抜群のスタイルだ。シャープな顔のラインで少々きつめの目鼻立ちだが、男女問わずに納得する美形である。


「いらっしゃいませ。秘書室長の洞嶋どうしまレイでございます。

 どうぞこちらへ。社長がお待ちでございます」


 洞嶋レイと名乗った美しき秘書室長はスタイルに合うソプラノボイスで、二人の前で慇懃いんぎんに頭を下げた。


(すっごくキレイな女性だなあ。お歳は、二十三歳プラスマイナス二歳ってとこかしら。大手航空会社のキャビンアテンダントみたい)


 みやびは素直に驚いた。


「さあさあ、みやびちゃん、早く入ろうよう。ボク、のどが乾いちゃった。脂の補給、脂の補給っと」


 珠三郎の美的感覚にマッチしないのか、洞嶋には目もくれず自動ドアに向かった。

 なぜかホッと安堵している自分に眉をひそめながら、みやびは後をついていく。


つづく

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