第13話 愛しき殿方
紅鯱と名乗った美麗な少女。その手は前に組まれたままである。
(いったい、さっきの武器はなんだったの)
みやびは十文字槍を持ち替えた。
少女の横には、汚泥のような雍和が二本足で立っている。紅蓮の炎のごとく光る双眸、ギィギィときしる嘴。
グオオーンッ! 二メートルを超す化け物が咆哮し、ゆっくりと少女の横から歩き始めた。
(早く葬っちゃわないと。誰も通りかかりそうもない所だけど、万が一もあるし。それにしゃちょーが言っていたように、これが成長して分裂拡散したら大変よ。
あの気色悪い化け物がネズミ算式に増えるなんて、ゾッとしちゃうわ)
みやびは謎の少女と、雍和の双方に油断なく気を向ける。
「おおーい、みやびちゃーん、走るの早すぎー」
後方の草むらから、場にそぐわないのんびりした声で珠三郎が歩いてきた。暑さと体力(というほど歩いてはいないが)を使うためか、フウフウと息を切らしている。
「いいから、のんびりしてないで加勢しなさいよ!」
「うっほほーいっ」
珠三郎は返事をしながらしゃがみこみ、背中のリュックを地面に置いた。ごそごそと何かを探し始める。
「ったく。いいわ、行っくよーっ!」
みやびは走りながら、雍和をロックオンする。
「はあああっ」
気合いとともに、大きく宙に舞う。グィンッ、槍の真っ赤な柄が空気を裂く。
キィィーン!
みやびの十文字槍の切っ先が、飛んできた物体を跳ね飛ばした。
ざんっ、みやびは雍和の手前で着地すると、今たたき落とした物体を見て、川べりにたたずむ少女にキッと鋭い視線を向ける。
「ちょっと、危ないじゃない! こんなナイフみたいな凶器を人に投げつけて。当たったら怪我じゃすまないよっ」
もっと危険な切れ味抜群の、本物の槍を構えているみやびは怒鳴った。草の生えた大地には、みやびが槍で受けた笹の葉型の鋭利な金属刃が突き刺さっている。
「申し訳ございません。ただそうでもしませんと、この子が消去されてしまいますので」
少女が謝罪し、頭を下げる。
(なに謝ってるてんだか、調子狂わせるのが狙いなわけねえ)
みやびは真剣勝負で一対多の実戦経験は、もちろん無い。だが、師である祖母は常に実戦を想定し、激烈な稽古を課していた。それが、役に立つ。
「そいつを葬らないと、アルバイト代が出ないのよ! こっちにはこっちの事情があるわけよ」
みやびは視線を片方に集中しないように、暗視と呼ばれる方法で、ほぼ全方位の景色を視る。これは攻守両方に活用できるのだ。
「悲しいことです。本当に、悲しい。では仕方ありません。この子を生かすために、あなたさまを消去させていただきます」
紅鯱は、本当に涙を浮かべていた。しかし、その指先には危険な光が星明りを反射している。笹の葉型の刃が数枚、トランプのカードを指先で操るように並んでいる。
紅鯱の指先から瞬時にかつ正確に、幾枚もの刃がみやびの喉もとに飛んだ。
「ウムッ!」
みやびの動作が、コンマ一秒遅れる。
楯にしたはずの十文字槍の切っ先をすりぬけて、紅鯱の放った刃がざっくりとみやびの喉を貫いた。ように見えた。
カシュッ! 飛来した凶器がすべてはじかれる金属音。紅鯱の細い眉が歪んだ。みやびの額に、一筋の汗が流れ落ちる。
「だめだよぉ、ボクの大切なみやびちゃんに刃物なんか投げたら。ボクが許さないぞぉ」
みやびの後方で、珠三郎が憤慨し赤らんだ顔で怒鳴った。
その左手には、珠三郎が改良したスリングショットが装着され、右手にはパチンコ玉のような丸い金属が握られている。
のっそりとしたおデブな身体からは想像もできない素早さで、珠三郎はマシンガンを撃つように金属球を連射したのだ。
静止しているターゲットに当てるのも難しい明かりの乏しい川原で、珠三郎はいとも簡単にすべてを撃ち落した。恐るべき命中率であった。
ただのおデブではないことを、自ら証明してのけたのである。
「タマサブッ」
みやびはホッと息を吐くと、素早くふり返り、珠三郎にウィンクを送る。珠三郎の援護があれば、戦える。
「まずは、こっち、イッくよー!」
走りながら十文字槍を大上段に構え、雍和に対象をしぼった。
「ボクは、ボクの大切な人を守る。それだけなんだもーん」
珠三郎のスリングショットは、魔奏衆の紅鯱と名乗った少女に照準を合わせている。
それは通常市販されているタイプとは、異なっていた。拳銃のグリップ部分だけを使い、上部にUの型パイプを装着。そして要であるゴムとパッチ(球を包み、指で引っ張る時に持つ部位)をパイプに通す。
グリップから腕の肘部分に、固定させるための腕あてがついている。
ここまではほぼ同じだが、珠三郎が構えている特注品には、さらにU字の部分にバランサーが取付けられ、照準器まで取り付けられているのだ。
グラスファイバーと合金を組み合わせ、ゴムもシリコンを黄金比で配合した物である。
珠三郎は両手にプロテクターでガードされた、黒革手袋をはめていた。
通常のスリングショットだと、百メートル前後、機種によっては二百メートル近く玉を飛ばすことができる。
「ボクは的に当てることが目的じゃあ、ないもんね。
一撃必殺! 標的を木端微塵に破壊すること、これなんだよお、グヘヘヘッ」
珠三郎の眼鏡の奥、細い眼が妖しい光を帯び始めている。
「ボクは三百メートル先に立てたオロナミンCのガラス瓶を、連射で粉々にできるんだよう」
珠三郎は獲物を発見した
紅鯱は立ったまま動かない。
その大きなうるんだ瞳は、珠三郎をじっと見ている。
その間みやびは、ツッ、ツツッ、と青い草原をすべるように移動する。闇から生まれ出た雍和は、不気味な唸り声をあげながら前進していた。
太い黄土色の獣毛に覆われ、真っ赤に光る二つの眼はいったい何を見ているのか。
「テエエッヤーッ」
みやびの構えた十文字槍の鋭い刃が、星の瞬きをすべて吸収したかのように光り、一閃した。
ズバァッ!、 雍和は袈裟掛けに切断された。巨体が崩れ落ちる。切断面から、黒い煙がたちこめ舞い上がった。
紅鯱はその間一度も雍和を振り返ることなく、珠三郎を見つめ続けている。
その距離は二十メートルを切っている。
「グヘヘッ、もう絶対ボクから逃げられないよ。ぐふぐふ。
さあさあ、どこから攻めてあげようかなあ。身体の好きな部分を言ってごらんよう」
聞きようによっては、変質者そのものである。
紅鯱の大きな瞳に写る珠三郎。紅鯱の白い頬が徐々に赤らんでいった。
(まさか、まさか、私が初めて心を動かしたあの殿方? いえ、だけどあの殿方はすでに遠い果てに。
でも私の心の臓がこれほど早く打ち鳴らされるなら、間違いなくあのお方。
どうして再び私の目の前に現れたの?
あの澄んだ瞳、凛々しい口元、
もう二度とはお会いできないと覚悟を決めておりましたのに。ああ、私の身も心も張り裂けてしまいそうです)
~~♡♡~~
「心配になって来てみれば」
みやびたちが戦っている川べりから、下流に向かう途中に架けられた橋の上。橋といってもコンクリート製ではなく、木材を組み合わせた簡易なものだ。
人ひとりがやっと渡れる幅で、長年風雨にさらされ半ば朽ちかけており、通行禁止の立札が地面に斜めに打ちこんであった。
腕を胸元で組んだ、若い女が立っている。
緑色のカールした髪はショート、切れ長の目にとがった鼻梁、グリーンに輝くルージュを引いたやや厚めのくちびる。
濃いグリーンに染めぬいた、腕部分を切り取った革のジャケットに、同じ素材のタイトミニスカートを着用し、だめ押しでグリーンのスーパーロングブーツを履いていた。
全身が緑色の女である。
上流で対峙している人影をじっと見つめていた。
~~♡♡~~~
みやびは雍和が暗黒の塵と化していくのを横目に、槍先を紅鯱に向けた。左手側には、スリングショットのパッチを引っ張る珠三郎がいる。
「みやびちゃん、もう大丈夫。ボクがこの女を成敗しちゃうから」
「せ、成敗って?」
「もちろん、撃ち殺すのさああっ!」
「ゲッ、 やばっ」
珠三郎は限界まで引いたパッチの照準を、紅鯱の眉間に合わせた。
「タ、タマサブッ、その女子は化け物じゃないっ!」
みやびが止めにはいる前に珠三郎は、「っしゃあっ!」の気合とともに一切の躊躇なくパッチを放した。
紅鯱は瞬きもせず、珠三郎の顔を潤んだ瞳で見続けている。
その眉間に凶器と化した金属球が飛んだ。
ところが空気を切り裂いて飛ぶ玉はまっすぐ川を越え、闇に消えたのであった。
人間の肉と骨が砕ける音に耳をふさごうとしたみやび、その生音を期待した珠三郎、どちらもはずれ、「ヘッ?」っと前を見つめた。
「やれやれ、やっぱり紅鯱はまだネンネだねえ」
色香をたっぷり含ませた、艶のある女の声が聞こえる。
紅鯱が立っていた場所の三十センチ横に、その女は
「だれ?」
「さあ」
みやびと珠三郎は互いに首をひねった。
夏とはいえ、露出度の高い謎の女のスタイルに目が引きつけられる。
「世慣れしていないからねえ、この子は」
誰に言うでもなく、つぶやく緑の女。
「ええーっと、どちら、さん?」
化け物退治のことを忘れたかのような雰囲気の中、みやびは槍を構えたまま問う。
女は切れ長の眼で、ゆっくりとみやびを見た。みやびでさえ、ゾクッとする凄まじい色気を含んだ眼差しだ。
「あんたたちなんだねえ、子たちを消去してくれたのは。そこいらの人間じゃあないね。
まさか、あの時の妖術使い? そんなはずはないか。あんたたちが何百年も生きられるはずは、ないからねえ。
今日は引くけど、次は、ないよ。
私かえ? 私は魔奏衆の
言った瞬間、落雷のような閃光が音もなく川べりを包んだ。
「アッ」
みやびと珠三郎は腕で顔を隠した。
「消えちゃったよーん」
珠三郎のまったりした声に、みやびもあたりを見渡す。
(消えた。いったい、なんだったの? 雍和のことを子供って呼んでいたけど。なになに、どうなちゃうのよ)
「それに」
みやびの内側に、言いようのない負の感情がふつふつとわき出していた。
つづく
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