悪霊退散!(物理)

カイネ

第1話悪霊退散!(物理)

 早朝のしっとりと冷たい風を切って、綺麗に舗装されたアスファルトを全力で走る。

 繁華街に近い駅の周辺は、これから出社する社会人や登校する学生でごった返していた。

「なーんか、体が重いんだよねー」

「あー。最近バイト忙しそうだもんね」

 前方をちらりと見れば、今風の小奇麗な女子大生の背中にメガネをかけた小太りの中年が張り付いていたので、通りすがりに殴り飛ばしておく。

 セクハラ中年は死すべし! 女子大生に張り付いて匂いを嗅ぎまわるとか、うらやま死ね! たとえ死んでいたとしても、もう一度死ね!

「あれ、急に体が軽くなったような……」

「えっ、ほんと? よかったじゃーん」

女子大生たちの声が遠ざかって行く。

いくぶん、すっきりとした気持ちでかけていると、前方に不穏な影が。

「おっ!あれ、逢坂あいさか学園の制服じゃね?」

 今日も朝っぱらから喧嘩を数件吹っかけられ、その全てを律儀に返り討ちにしていたら毎回遅刻してしまう。

 一時間は余裕を見て登校しているのに、全く報われていない。

 せっかく、女子大生で上がったテンションが、一気に落ちて行く。

 そのまま足を止めて、信号待ちをしていたら、急に隣に立っていたおばあさんが苦しみだした。

 よくよく見てみると、おばあさんの胸のあたりに、角が生えた小さな赤ん坊のような妙な生き物が張り付いていた。そいつは、心の臓をむように口をもぐもぐ動かしている。

「おばあさん、胸になんか気持ち悪いのついてますよ」

 ひょいとつまみあげると暴れて五月蠅かったので、とりあえず殴って踏み潰す。

 気持ち悪い生物は飛び散って煙のように消えたが、おばあさんは元気にスキップしながら帰って行ったので良しとしよう!

 ――私には、小さいころから他の人には見えない、異形の生き物が見えていた。

 それらは、いろんな形をしていて、もちろん、人に似たやつらもいる。人だと思ったら人じゃなかったり、実は死んでしまっていたり、ややこしくて小さいころは結構悩んだが、やがてシンプルな結論にたどり着いた。

 人でも人じゃなくても気に食わないヤツは取りあえず、殴り飛ばせばいい。

 私の実家は由緒正しい陰陽師? 的な家系らしいが、正直私はそんな面倒事にかかわりたくなかった。

 よって、利用しようと声をかけてくる親戚を殴り飛ばし、妙な化け物を仕掛けてくる親戚も化け物もろとも殴り飛ばしてはねつけた。

 今では私に干渉しようとする親戚は誰もいない。

 両親? 私が小さいころに化け物に食われて死んでしまったと聞いている。

 ――さて、高校に到着!

 私立逢坂学園。

 私の通っている高校だ。

 吹っ切れてから、気に入らない有象無象を殴りまくっていた私の素行は最悪で、授業に出ず喧嘩に明け暮れていたせいで頭も悪い。

 最終学歴が中学では家名に傷がつくということで、いつのまにか、高校への入学が決まっていた。親戚が理事をしている学園へ、コネで入学することになったのである。

 一歩学園の門をくぐれば、周囲の生徒の視線が一斉に私に向き、人ごみが割れて昇降口までの道が綺麗に作られる。

「暴君だ……」

「しっ!……聞こえるよ」

 そんな私のあだ名は「暴君」。

 とりあえず、今呟いたやつを引きずり倒し、後頭部に蹴りを一発食らわせる。

 ついでにそいつに憑いていた黒い靄も消えたが、そんなことはどうでもいい。

 そうして、一目散に教室まで走る。

 教室の扉をがらりと勢いよくあけると途端にあたりがしん―――……と静まり返る。

 名前と顔の判別もつかない生徒たちの中、一人だけ、周りとは明らかに違う雰囲気を持つ少女がいた。

 癖のない、濡れ羽色の長い黒髪をもつ日本人形みたいな少女。逢坂あいさか月子つきこ、この学園の理事長の義理の娘らしい。

 他人と友好関係を築くことのできなかった私の、唯一の友達。

 彼女は長いまつげを伏せて、物憂げに窓の外を眺めていた。

 良かった。今日もちゃんと生きてる!

「おはよう、月子!」

 元気そうではないが、生きていてくれることがたまらなく、うれしい。ざっと道を開けるクラスメイト達を尻目に、月子に駆け寄る。

「おはよう」

 にこりと笑う月子の笑顔はどこか翳りを帯びている。

 寂しげな影に惹かれて寄ってきた妙な生き物をちぎっては握りつぶしながら、私は首をかしげた。

 最近の月子はずっとこうである。

 私の両親と同じように妙な生き物をき寄せやすい体質の月子は放って置くと、ぱくりと食べられてしまいそうで、放って置けない。

 悩み事でもあるのかと直球で聞きまくっても、「大丈夫」の一点張り。

 状態はだんだんひどくなるし、このままではラチがあかない。

 面倒なので殴って聞き出そうかとも思ったが、私が殴れば月子はあっけなく死んでしまいそうで、それは最終手段として取っておきたい。

 よって私はプランBを発動。月子をストーキングすることにした。

 授業が終わると月子はまっすぐ家に帰る。

 一緒に帰ろうと誘ってくる月子の誘いを断り、私は昇降口の掃除用具入れに身をひそめる。

 ――用具入れは渇いた牛乳のにおいが充満していて、最悪だった。

 私はこみあげてくる吐き気と怒りをぐっとこらえて、月子を待つ。

 が、いくら待てども月子は来ない。

 ……とうとう昇降口が施錠されてしまった。

 私は用具入れからでると、それを殴り飛ばし、踏みつける。

 さて、すっきりしたところで月子を探そう。

 とっくに日は沈み、学校は耳が痛いほどの静寂と夜の闇に包まれていた。

 月子がどこにいるかなんて、私には皆目見当もつかなかったし、月子の携帯電話の番号も知らなければ、そもそも私は携帯電話を持っていない。

 というわけで、教室を一階から屋上までしらみつぶしに探す、ローラー作戦を決行することにした。

 トイレの便座から校長の隠し金庫の中まで、腕力にものを言わせてこじ開けてみたが、結局どの教室にも月子の姿はなく、私は屋上にたどり着いた。

なぜ、屋上?

 疑問に思いつつも、鉄製の簡素な扉を開け放つ。冷たい夜気がぶわっと全身に吹き付け、同時に腐った魚のような酷い臭気に包まれた。

「……お前、なぜここに」

 思わず扉を蹴り飛ばしてしまうほどの悪臭のなかでも、そいつは涼しげな顔で立っている。

 式巫しきふ元臣もとおみ―――スラリ形の良い鼻梁と、切れ長の清華な目元が特徴的な本家の長男である。

 陰陽師? 的なものとしては、歴代でも優秀な方らしいが、狐狸の類を連想させる人を馬鹿にしたような笑顔を常に浮かべている気持ち悪いヤツというのが私の認識だ。

 煌々輝く月の下、元臣はヤツにしては珍しく真顔で異形の生き物と対峙していた。私の勘がいう、こいつは敵だと。月子を殺そうとしている、と。

「元臣、何をしようとしているのかしらねぇが、アタシに殴られたくなかったら大人しくそこをどけ!」

 低く唸り、恫喝する。

 と、同時に走って腕をまくり、いつでも拳を振えるように臨戦態勢を整えた。

 目の前には元臣。背後に異形の生き物を庇って。

「こいつは私の友達だ。手出しをするなら、本家の坊ちゃんだろうとなんだろうと容赦はしない」

 ぐるると背後で唸り声が聞こえる。

 爪のようにとがった四肢をもつ、毛の生えた大きな異形の生き物は蜘蛛のようにも見えた。

 だが、私にはそれが月子だとわかる。なぜかと問われれば、直感だと答えるしかないが、私には確かに分かるのだ。

「お前が何と言おうとそれはもう手遅れだ。人を喰らう前に滅しなければならない。それともお前が最初のえ―――ぐっ!」

 坊ちゃんの長口上を聞いているのも面倒くさかったし、ぶっちゃけ邪魔だったのでとりあえず殴った。

「月子。大丈夫?」

 月子っぽいものに向き直って近寄ると、それは乱杭歯と肉色のぬらぬらと蠢く触手のようなもので構成された口から緑色の汚水をどろりと垂れ流した。

「あー。月子? なんか涎っぽいものが垂れ流しになってるよ?」

 今の月子には私が美味しそうな肉か何かに見えているのだろうか。

「……だから、手遅れだと、言っただろうッ!!」

 元臣坊ちゃんがそんなことを言う。

 彼もゲロを垂れ流している最中なので、今の月子とあんまり変わらないと思う。

 本家で退魔のノウハウなんかを学んできた元臣に祓えないものを、何の勉強もしていない私に祓えるわけがない。

「うーん。月子。先に謝っておくわ。ごめんね」

 分からなかったので、私はとりあえず親友を殴った。

真に親友ひとのために、拳をふるうのは、初めてだから加減が分からない。

 殴って、殴って、殴って、殴って、殴って。

「……ちょ、おい、おまえやりすぎッぶへらッ!?」

 ついでに、邪魔しようとする元臣も殴って、殴りまくる。

 自分は殺そうとしたくせに、人のやり方に文句をつけるとは、いい度胸だ。大人しくそこで吐いてろ。

 異形の触手が不快な音とともにちぎれ、足捥げ、頭がつぶれた時にはさすがにもうダメかもしれないと思った。

 が、結論から言うと月子は生きていた。

 黒ずんだ緑色の、汚水にまみれていたけれど、多少の打撲があっただけで、特に問題なし。

 殴った本人もびっくりである。

 元臣なんかは月子の姿が戻った瞬間に抱き留め、体をまさぐるなどというセクハラをかましたのでとりあえず大事なところを殴っておいた。

 変態め。

 汚れ、くたびれ、顔を腫らした元臣は、整った容貌ですらカバーできないほどひどい有様だった。私は知っている。こういうのを残念なイケメンというんだよね。

 月子? 月子は汚水にまみれていようが、臭かろうが、全裸だろうが、私の大事な友達だ。息を止めるのを怠ったせいで、むせて吐きかけたけど、優しい彼女ならきっと許してくれるはず。

 そんなこんなで、私と月子は日常に戻った。

 のちに知ったことだが、なんと月子は元臣の義理の妹であったらしい。

 異形の生き物に好まれやすい義妹を心配していたが、そばについていてやれず、気づいたら手遅れ。

 始末をつけるのならば、せめて自分の手で……とヤツはヤツなりに思いつめていたらしい。

 まぁ私の知ったことではない。

 元臣の妹だろうがなんだろうが、月子が私の大事な友人であることには変わりない。

 今日も今日とて遅刻しそうなわたしは、喧嘩を売ってくるばかや気に食わない異形を殴り飛ばしながら、校門目指してひた走る。

 敵は時間だ。だというのに、最近私の敵がもう一つ増えた。

 逢坂高校の校門前。私のために道を開ける他の生徒とは対照的に、立ちはだかる影が一つ。

 すらりと引き締まった体躯に、白皙の美貌を持つ男。

 見目麗しいが、初めは肉弾戦、次は呪術、果てはスタンガンや麻酔銃で狙い撃ちしてくるクソ野郎だ。

「―――お前は私の婚約者だ。今日こそは本家に顔を出してもらう」

 最近増えた日課、それは毎朝校門で私を待ち伏せている元臣バカを殴りつけることだ。


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