甘露照らす灯/ /羽を閉じる/ /

佳麓冬舞

甘露照らす灯

一、起こし


 彷徨い込んだ森深く、たくさんの蛍を従えた南瓜ぐらいの大きさの蛍と出会った。

 月より眩しい光が灯ると、小さな明かりが周りを回る。ほのかな光が視界に満ちて、私の心は今を忘れた。

 木々の吐息に包まれながら、弾む気持ちを口ずさむ。枝葉の影から見える空を、踏みしめた足に伝わる土を。胸一杯に吸い込む いきれ を蛍の光の音符に合わせ、沸き上がる感情(こころ)を歌にする。

 大きな蛍が幼い私に囁いた。

「毎夜歌って? そしたら皆で光るから」

 昔、私は蛍と約束を交わした。


『水面に映る天の星々 瞬く波背に踊る月

  蛍の羽は夜風を纏い ふわりふわりと流れ星』


 夢と見るにはさやかに過ぎて、現を願う夢心地の中、蛍に連れられ深みへ向かう。腰まで伸びる草を掻き分け、少しぬかるむ泥土を進めば、開ける視界に揺らめく水面(みなも)。そこは静かな星見の湖。

 緑の茂る湖畔に立つと、たくさんの蛍が出迎えてくれる。

 私の拙い歌に合せて、淡い光が飛び交った。

 両手を伸ばして くるり と回れば、袖が光の尾を引いて、気分は蛍のお姫様。

 終わらない季節が始まった。



 二、流し


 蛍の光は恋の色、私もつられて恋をした。

 相手は元気な幼馴染み。雲を通して微かに射し込む三日月の姿を追いかけて、夜の森に誘われないようしっかり握った汗ばむ手の平。

 二人だけの秘密だよ? そんなおませな言葉を紡ぎ、深い森へと導いた。

 水色と緑を闇でぼかした私だけの舞台に立つ。心を込めた恋の歌で、このひとときを静かに謳う。無数の蛍に包まれて、世界は二人のための物。

「お前スゲーじゃん!」

 キラキラと光る彼の瞳は、私の頬に朱を入れる。賞賛と、興味の視線が私を綺麗にしていった。


『足音忍ばせ甘露と歌い そっと近づき手を伸ばす

  指組みの籠を求めぬ光は ひらりひらりと飛び躱す』


 悩んで焦がれて恋心、飽きさせまいと少しずつ書き換えていった恋の歌。

 だけど相手は男の子。紡ぎ出される心の糸は、鉄の鎖に及ぶことなく、蜘蛛の巣糸に成りきれない。

 友人。私がどれだけ望んでも立つことが出来ない君の隣。友達と一緒に遊ぶ時間は、どんな蜜より甘いよう。

 視線は次第に遠くなる。


 歌う目的が変わっていった。叶わなかった恋をみんなに託す。

 夜毎に重ねる歌声は、ゆらりと魔法へ変化する。

 なつ、あき、ふゆ、はる、四季を通して恋を絶やさぬ蛍達。星数ほどの恋は愛へと昇華して、湖畔から悲恋が消えていった。

 いつの間にか、昼と夜で体のリズムが逆転していた。私は食べ物を必要としなくなり、甘い水だけで命を繋ぐ。

 それでも私はその魔法に満足していた。

 みんなから必要とされることが嬉しかったから。



 三、飛ばし


 私が大人になる頃、文一つ無く追憶の中の彼が訪ねてきた。

「毎日君の歌が聞きたいんだ」

 欲という熱。知らない色をはらんだ眼差しに、大人びたささやきが添えられていた。心の奥に隠していた宝箱たちはひとりでに開いていって、褪せた夢を再び見せる。思い返せば、鍵を掛けたのは私じゃないもの。鍵は無くしたと思っていた。

 大人の恋は私の心を隅まで燃やす。

 慣れない火遊び、慣れた指先。少女のようにはしゃいで、溶ける。

 熱と、立ち昇る陽炎が私の瞳を欺いた。


『朧な姿に心を寄せて 薄霧を抱く半夏生

  貴方の影が日向に消え行く いずこいずこと一滴』


 反故にされていた幼い秘め事。気が付いた時には、湖の縁に巨大な塔が建とうとしていた。

『一年中蛍の光るホテル』

 驚いて振り返ると、伸びた影は一人分。

 完成した塔の初めての行為は、彼とオーナーの結婚式だった。


 次に太陽が昇った日。彼は私のもとで地面に額を付けて、泣いて見せた。

「これからも歌って欲しい」

 私は目一杯強がる。

「別に貴方のために歌っていたわけじゃ無いわ」

 こうして彼の罪滅ぼしが始まった。

 湖に張り出した一室、最上級の籠。部屋の中には花が溢れ、水が溢れ、蛍が溢れていた。

 私の願いは全て叶っていく。私の望みはただの一つも叶わないくせに。


 月が昇るころ目覚める私は、絶えず歌を歌い続ける。

 開け放した窓から上がる歓声が、向こう岸にも新たな塔を建てさせる。

 無粋な鉄が大地を砕き、空気を揺さぶり、水の流れを侵していった。

 それでも蛍は飛び続けた。私の歌に応えるために。

 それでも私は歌い続けた。みんなの恋を叶えるために。

 それが約束。奇跡の魔法のろい


 ベッドに沈み両手を伸ばすと、無数の光が降ってくる。体を覆う程の蛍達は、冷えた心を優しく優しく愛撫する。

 心地よかった。

 心がさらに冷たくなっていくと、知ってはいても。

 それ、でも。



 四、愛し


『人の姿を借りた二人は 闇夜で出会う夏の頃

  狂った時を共に刻もう おいでおいでと腕の中』


「いい歌だね」

 初めて歌を褒められた。

 深紅の瞳に長い牙、人か獣か迷う匂い。何より、ドアを通らず湖に張り出した窓辺に腰を掛けている時点で、この少年は人では無いんだろう。でも、それを言ったら私だって人の枠からはみ出てしまったモノ。驚く事は失礼かと思って控えた。

「何のご用でしょう?」

「その呪縛を解きに来たんだ。ついでに君の心も解こうかなって」

「……そっちがついでなのかしら?」

「そう。君はそろそろ自由になってもいいと思うんだ。自由に羽ばたいた先で僕の肩に止まってくれるのなら、今度は僕が囲ってあげるよ」

 闇の中で輝く瞳は、こっちが甘いと水を向ける。

 だけど私の心は冷たいままで、自分ではもう触りたくない。

「そのためには、もう少し僕の事を知ってもらわないとね。そんな訳でデートの申し込みに来たんだ」

 変わり始める空の色が見えたから、幾夜ぶりに笑みを形作ってみた。うまく出来たか自信は無いけど。

「それは残念ね」

「うん?」

「もう夜が明けるわ」

 少年は、ポンと弾けて広がった。

「待って」

 気まぐれに引き留めたくなる。

「カーテンは閉めていって」

 窓から空へと飛び出しかけたコウモリたちが戻ってきて、小さい羽で頑張ってカーテンを閉めてくれる。

 また来るよ。そんな声が籠の中に響いた。



 貴方が私を光らせてくれるのなら――

 その夜の歌は、少しだけ熱を帯びていた。

 少しだけ。



 fin.






 注)波背は造語です

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