第2話 最初の一歩
そうこうしている内にカルボナーラが届いた。休憩時間は残り40分と少し。
来店のチャイムが鳴ったのは、ちょうど一口目を口に運ぼうとしていた時だった。晃輝はフォークを降ろし、遅い、と言いかけて、やめた。
「先、やってるぞ」
来店者は頭を下げるでもなく、笑って謝りながら「女の子は準備にいろいろと時間が」などとのたまったので、「社会人には時間が無いんだよ」と問答無用に返してやった。
今更俺に色気を振りまいてどうなると言うんだ。もとより、そういう関係ではないのだし―――。八年の歳月でさらに美しく変身した彼女、一会の姿をぼんやりと眺め、晃輝は苦笑した。
今から彼女は、向かいの座席に座り、食事を取りながらとりとめもない話を30分間付き合わせるのだろう。
晃輝は、はじめて一会と同じ机に相対して座った時のことを思い出した。
◆◆◆◆◆
なんとも無様な自己紹介の挨拶から、一時間が経過した。
部室は、晃輝と、白の少女・一会の二人きりになっていた。
互いの視線は相変わらず逸れたままである。一会は、餌付けのために置かれたケーキなどの類にはまるで手をつけず、持ち込んだ漫画を静かに読んでいる。これだけでも絵になる美しさであると思う。あくまで姿だけなら、妖精とか、天使という言葉が似つかわしいだろう。どうでもよい話だが。
まるで通夜のようにひっそりとした空気の中、聞こえてくるのは春風が窓を揺らす音と、分刻みで物音を立てる時計の針、そして本のページを捲る音。晃輝も同じく、部室の小説に視線を落とし、無言だった。
宇呂はというと、一会と簡単に挨拶を済ませると、「女との待ち合わせの時間だから、あとは若い者同士で仲良くやってくれや」と、笑いながら部室を出て行ってしまった。
しかしだ。宇呂に対しては、一会はごくごく普通に「よろしくお願いします」を言った上に、奴が仕掛ける少し軟派な質問や会話に対しても「どうも」とか「ありがとう」とか、無表情ながらも普通に返していた。この差は一体―――いや、言うまでもないか。
宇呂のように、何でも楽しみながら笑顔を振り撒いて生きているような人間にはなれない。これは、持てる者の特権なのだろう。
いずれにせよ、「見破られた」のだ。第一印象はひとまず、最悪、といったところだろう。今更、打開する気も起きない。
時間だけがゆっくりと去っていく。どうしようもないほどゆっくりと。晃輝は、針の筵に座らされている感覚を味わっていた。
そら見たことか。最初からこうなることはわかっていた。ああ、早くこの場を去りたい。早く―――
だが、そう思うと同時に、去り際に宇呂が耳打ちした言葉が、まるでリプレイのように頭を巡った。
「あんまり邪険にするなよ、センセ。確かにどういう基準で決まった人選なのかはわかんねーけど、お前は選ばれたんだよ。お前が一番適任だっていうなら、この子のお守りはお前しか出来ない事なんだよ。たぶん。そうとなればだ、ここで退いたり尻込みすンのは男が廃るってもんだぜ? 人生に課せられた試練だと思って、イッパツ全力でぶつかってみ? 意外と何とかなるやも知れんぜ?」
(お前にしか出来ない・・・。って言ってもなぁ)
自分にしかない・・・たしかに一つだけ、まったく関係ないが、ひとつだけある。おそらく晃輝にしか使えない、一風変わった『能力』が。
しかし、あるきっかけで、この『能力』は封印せざるを得なくなってしまった。そもそも、今この場においてはまったく意味をなさないものだ。
逆に言えば、これを除けば、何も残らない。スポーツも勉強も平凡。交友関係は平凡以下。趣味はゲームと歴史小説を読むこと。将来の夢や目標は特になし(小学校のときは無難に医者と何の気なしに書いていたが、それになるまでの過程と現実を知って驚愕したのはいい思い出だ)。ただ平凡に進学し、平凡な企業に就職し、平凡に月給生活を送って、できれば大病やトラブルに巻き込まれず平凡に老いさらばえて行ければいいという―――まるで路傍に転がる石ころのように存在感のない、15歳の男子高校生がいるだけだ。
もう一度、無表情で漫画を読み続けるお姫様に、視線を向けてみる。
とにかく目立つ。ここに来る道程で、一体何人に振り向かれたのだろう。
流麗に流れる白金の髪と赤銅色の瞳は神秘的でありかつ儚げで、ともすれば何かの拍子で散ってしまいそうな脆さや危うさを感じる。必要以上に寡黙で、物怖じしない落ち着いた態度と合わさって、おおよそ、年端も行かない子供の纏う雰囲気とは思えない。
とにかく普通ではない。それはおそらく、彼女を取り巻く環境も同じだろう。知っているのは、不登校児であるということだけだ。
いじめ、だろうか。原因は。
だとしたら、その光景は安易に想像が付く。黒髪の生徒達に混じって白金の髪の少女が一人。これだけで、理不尽な迫害を受ける十の理由に勝る。まるで、「醜いアヒルの子」を髣髴とさせる話だ。人付き合いも下手そうだし、孤立してしまったのだろう。
暴力などを受けたような傷はないが、もしかしたらもっと陰湿な事をされているのかもしれない。最近の子供の生態は知らないが、分別のない分、どんなに苛烈なことをされていても不思議ではない。
(心に傷を負った、不登校の女の子、か・・・)
晃輝が一会に対して勝手に抱いた印象をまとめると、このようになった。と同時に、面倒事、自信の風評が、という意識の外から、『何とかしてやれないものか』という同情の意識が、わきあがってきた。
ここで『ごく普通に接してやれ』という、部長達の言葉が蘇る。
なるほど、カウンセラーのような真似はできない。普通の話を普通にして、聞いてやって、少しずつ立ち直らせてやれということなのかもしれない。
と思った瞬間、不意に一会が顔を上げ、視線をこちらに向けてきた。
晃輝は仰天し、咄嗟に視線を逸らそうとした・・・が、噛み締めるようにして踏みとどまった。逃げるな、逃げ出すな、向き合わなければ何も始まらないのだ。もう無様な思いをするのは真っ平だ。
今自分はどんな表情をしているのだろう。変な汗まで流れてきている。
このまま睨めっこが続くかと思いきや、その終焉は意外な形で訪れた。
「ねぇ。お兄さん」
一会の方が視線を外したのだ。そして、周囲を見回している。
「ええーと、何かな?」
わざとらしいくらいの猫撫で声で晃輝は答える。これはチャンスなのかもしれない。
ややあって、一会は再び晃輝の顔を見ながら、うんざりしたような顔と声で聞いてきた。
「ここって、何をするところなの?」
「えっ?」
「クラブなんでしょ? ここ」
クラブ、なんていう言葉を聴いたのは小学生以来だ。ああ、そうだ、目の前にはその小学生がいるのだった。
「ああ―――まあ、正確に言えば部活、ね」
「どっちでもいいよ。―――で、何をするところなの? この・・・『郷土研究会』って」
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