ミシロの縛

天流貞明

序章

第1話 白の少女




 これからは、あたしのこと、師匠とあがめるように―――




 

 窓の外では、あの時と同じように、満開の桜の花弁が、ふわりふわりと舞っている。注文のカルボナーラを待ちつつ、晃輝は頬杖をつきながら八年前の春を、ぼんやりと思い出していた。


 ―――初めは、一体何の冗談かと思った。罰ゲームか何かかとすら思った。

 曰く、「大抜擢」なのだそうだが、核兵器レベルに酷いジョークにしか聞こえなかった。あのときの心象風景を語るなら、そう―――いざ高校生活と張り切って桜の門をくぐったかと思いきや、その花弁が全て、重力でばっさりとその場に落ちて、煌々とした枯れ木がどこまでも広がる無人の校舎を背景にしたような、そんな感じだったと思う。―――あくまで当初は。

 そもそもの発端は、母校・県立八ヶ谷高校で当時(おそらく現在でも)校則で選択必須だった、部活動の所属の選択にあった。

 郷土研究会―――活動内容は不透明だが、ヌルい部活だとの評判を聞いて安心して、何故か設置されていた入部のためのテストをパスしてまで入部したと言うのに―――。

 新入部員、神宮しんぐう 晃輝こうきに与えられた、自信の名前に恥じぬ輝かしい任務の内容。それは、一人の少女のお守りを担当しろ、というものだった。それも、校内でだ。今思い出しても信じられない話だ。



 その少女の名前は、白耶麻しらやま 一会ひとえ

 当時の年齢、八歳。小学三年生―――。


 

 かつて「師匠」と『おしたいもうしあげた』少女は、先日、ばったりと出会ったかと思うと、一緒に昼食をしながらお話ししようと、半ば強引に約束をしてきた。休憩時間はあと45分ほどだ。来るならさっさと来いと一人ごちながら、晃輝は『師匠』の到着を待った。



 ◆◆◆◆◆


 

 

「いよいよご対面と言うわけですなァ」

 その年度の新入部員その二―――二人しかいない入部試験突破者の片割れである―――宇呂うろが椅子を後ろに傾げながら、この上なく人事のようにニヤついた。いっそのこと、そのまま後ろに派手に倒れて、本に埋もれて整髪料でツンツンに固めた髪を台無しにしてしまえばいい。

 こいつとは、珍妙な苗字と、人見知りしない―――悪く言えば誰に対しても馴れ馴れしい性格で、すぐに名前を覚えてしまい、そして次の日には、お互いとりとめもないない雑談や悪態を叩き合う、悪友のような関係になってしまった。

 こういった経験は、高校生活が始まる今までほぼ存在しないもので、晃輝にとっては非常に新鮮なものだった。小・中の義務教育時代は、学年があがろうとも卒業しようとも生徒はほとんどかわらず、限られたグループでの交友しか存在しなかった。そして晃輝はどこを間違ったか、その中でも孤立し、おおよそ「友」という一字とは無縁な生活を送っていた。

 そして迎えた高校生活。今年からは「何かが違う」。この予感の萌芽は、晃輝をおおいに昂ぶらせたものだったが・・・。

「明日から俺、何て言われるようになるんだろう」

 盛大にため息が漏れる。

「『ロリコン』『誘拐犯』」

 スタンダードに、半数がそこに落ち着くであろう。何たる不名誉か。

「あと、進学校らしくお洒落に『キャロル』『ハンバート』とか。『事案』『警察呼べ』あと・・・」

 聞いていて空しくなったので宇呂に手のひらを突きつけ、静止させた。

「そんなに嫌なら、素直に嫌だって言えただろ? なんでOKをだしたのさ」

「そう思うか。思うよな」

「そりゃそうだろ、普通・・・」

「信じられないだろうが、拒否権なんぞ無かった」

 晃輝は自身の腕の中に顔を埋めながら、あの日のことを思い出した。

 その話は、校長室にて、校長、教頭、担任、部長、そして果ては、市議会議員だと名乗るスーツ姿の数名の男女たちに包囲されながら通告されたものだった。まるで裁判でも受けているような張り詰めた空気が漂うあの状況下で、どうして首を横に触れただろうか。

「市が絡んでンのか?」

 宇呂は目を丸くして言う。

「詳しくは知らんがそうらしい。厳正な審査の結果―――なんて言っちゃってさ。嘘みたいだろ。選定した奴は目が腐ってる。間違いない」

「でもよ、だとしたらそのお姫様は相当なVIPだねぇ。扱いをミスったらどんなペナルティがあるか―――おおー、コワいコワい。顔は見たのか?」

「見てない。心底、どうでもいい」

「かわいい子だったら、いまの内にツバつけとくのもありかもよ。センセ」

「馬鹿野郎。―――面倒な性格じゃなきゃ何でも良いさ。言っとくけど、俺はお姫様をかしづく方法なんぞ、とんと知らんぞ。部長達から『ごく普通に接してやってくれ』『お前が一番適任』と言われてる以上、俺流に、ごくごく普通にやらせてもらうからな」

 自分に覚悟を促すように、半ばやけっぱちな声で晃輝は言う。宇呂は俺に言われても、とでも言いたげな顔で苦笑した。

 しかし、どれだけ強固な覚悟をしたところで、結局のところ、不適任と言われて、任を解かれてしまう未来しかみえない。いや、そうなるべきなのだ。もっと適任な者は山ほど居るだろう。兄弟もおらず、まともな友人の一人もおらず、コミュニケーションの能力も底辺クラスを自認する。そんな自分に、児童の相手―――しかも、どう考えても何か曰くありげな少女の相手など、どうして務まろうか? 児童がらみの犯罪や問題が横行し、センセーショナルに報道されるこのご時勢に、そもそも、一体何を見越しての人選なのか―――。



 コン、コン



 淑やかに部室の扉をノックする音がする。四方山話が打ち切られ、周囲には静寂が訪れる。二人は顔を見合わせた後、一斉に扉に振り返った。

 もし部員だったなら、ノックなどせずにずかずかと入ってくる。ということは、いよいよお出まし、ということだ。

「センセ、出迎えてやれよ」

「―――言われなくとも」

 重たい腰を上げ、ゆっくりとノブに手をつけ、訪問者をのぞき見るように扉を開けた。

 その先に居たのは―――セミロングの、黒髪の少女だった。まるで人形のように精緻な顔のつくりと白い肌に目を奪われた。

「え? 小学生?」

 宇呂が後ろからおちゃらけて声を上げる。

 少女は私立桜月学院のブレザーを身に纏っており、身長は確かに低めだが、どうみても年の頃は二人と変わらない(あと、ブレザーの上からでもわかる程度に胸もある)。晃輝は、アホと心の中で宇呂に対して呆れた。

「引率の方・・・ですよね? それともお姉さんとか」

 しどろもどろになりながら応対する。こんな近距離で(しかも見知らぬ)女子と会話するのは久々だった。

「ええ・・・。神宮 晃輝さんですね。一会さんをよろしくお願いしますね」

「あー、ええと。どうも」

 丁寧な口調で恭しくお辞儀をする相手に対して、それとはまったく不釣合いな無作法で情けなく返してしまう。それはそうと、やはり、後ろに居るのだろうか。その問題のが。

「それでは私はこれで。・・・一会さん」

 考える前に、黒髪少女が横に退いた。

 そして、そこに現れた小さな姿に、晃輝は思わず息を呑んだ。

 身長は先の黒髪少女より当然のごとくさらに低く、晃輝の臍の上くらい(130cm弱と言ったところだろうか?)。確かに、まごうことなき児童の姿だ。だが、そんなことより晃輝の目を釘付けにしたのは―――その風貌だった。

 白。視線の先にあったのは、まさに一面の白だった。まるであたりを舞う、薄桃と白の、桜の花の風景に溶け込むような―――。

 ふわりとした毛先で腰まで伸びた髪は、純白と言っていいほどの白だった。白髪とは違う。透き通るようような輝きと、薄絹のような艶と柔らかさ、そして、たしかな光沢をたたえた、まるでプラチナのように高貴で美しい髪だった。その肌も透き通るような白。さらには、白を基調としたレースフリルが設えられた上着とスカート。整った顔立ちとあいまって、日本人離れした―――というより、人間離れした美貌だった。妖しさすら感じる。後ろでは宇呂が「はー・・・」と、堪える気もないため息を漏らしていた。

 見とれる晃輝の姿を尻目に、引率の少女は再び一礼をして、その場を去っていく。

 晃輝はようやく、我に返った。

 さあ、いよいよもって、引き返せない。

 少女、一会は、赤銅色の瞳で、視線をまっすぐ晃輝に向けてくる。まるで、心の中まで覗き込むような眼だった。

 内心、大いに慌てていたが、なんとか呼吸を置いて、笑顔をひねり出した。

「えーと。新宮 晃輝です」

 無言。反応はない。さらに一呼吸置いて

「一会ちゃん、だっけ。今後とも、よろしく」

「顔」

 晃輝は思わず「えっ?」と素っ頓狂な声を上げた。「よろしく」で返して来るか、はたまた無言で終わるか。そう思いきや、帰ってきた返答は意外なものだった。

「顔?」

「そう、顔。引きつってる」

 ―――笑顔の練習をなぜ怠ったのか。後悔しても後の祭りだった。

 一会は鼻でふん、というと、視線をそらし、「どうも、今後とも、ご迷惑をおかけします」と、毒を含んだ口調で答えた。

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