六/人の流儀、神々の流儀
山本の屋敷。
おれは、楓に言われるがまま、おれと楓の姿を「人の目には見えぬ」ようにして、屋敷に忍び込んだ。
忍びこむと言っても、そもそも忍ぶ必要はない、だって見えないから。
楓は、家の中をうろうろと歩きまわり、海鼠塀をしげしげと観察したり、寛十郎の寝ている部屋の床の間に飾られた刀を抜いて眺めてみたり、何かを探すために天井裏に顔を突っ込んだりしていた。
『なぁ、楓』
おれは退屈になって声をかけた。
『こんなまどろっこしいことをせずに、直接下手人の所に行って、おれの姿を見せて脅してやればいいんじゃないか?』
そういうと、おれの背に乗って、天井に顔を突っ込んでいた楓の動きがピタリと止まった。そして、
「それじゃあ、自分の悪さを妖のせいにしている人間と、同じじゃないですか」
『……よくわからん。どういう事だ?おまえ、すでに犯人が誰かわかってるんだろう?』
「はい、瓦版を読めば一目瞭然ですが、そういう事じゃないんですよね」
そういって、背から降りて、おれの目を覗き込む。
……笑っているような、怒っているような、子どもをしかる親のような表情だった。
「妖は、人間に悪さをしたりしません。まぁ、人間のほうから悪さをされて、仕返しすることくらいはありますけど」
『まあ、そうだな。というか人間にそれほど興味がないからな、おれたちは』
「だけど、人間は何かあったときに、あなたたち見えざる者に責任を押し付ける。それをやめさせたいのに、こちらが姿を見せて脅してどうするんですか」
確かに、そんなことをすれば「妖のほうから、人に手出しすることがある」ことを証明してしまう。
『だから、こんなまどろっこしいことをしているわけか』
「そうですね。彼らの犯した罪を明るみに出して、妖の無実を証明したければ、彼らの流儀に付き合うしかないと思うんです。脅すなら脅すでも、やはり証拠がないと。もっとも……」
楓はいたずらな微笑を浮かべる。
大人っぽくなったようにみえるが、その笑みは出会った頃の、まだ小娘だった楓のままだった。
あれから何年経ったのか。きっと何年たっても楓は変わらないような気がした。
楓は肩をすくめて言った
「もっとも、こうして姿を消したたり、人様の屋敷や番所に忍び込んで調べ物をしたり、人間にはとうていできない、ズルもしていますけどね。そこは神々の流儀ということで」
さて、と楓は体を払う。姿を消したこの状態では、埃が付くこともないのだが、まぁそこは気分の問題なのだろう。天井裏にはきっと、埃だけじゃなく虫やら鼠のフンやらが落ちているだろうし。
「大体の証拠は集まりました。でも、あともう一歩ですね」
そう言って、うぅんと伸びをした。
寺に戻ると、楓はまたもや長考に入る。
無視されるのもつまらないので、こちらから声をかけてみる。
「楓、おまえ昨日、解っていることが*つあると言ってただろう」
楓は目を通していた今日の瓦版から目を離して、おれの方を見る。
「でも、おれが聞いたのは、下手人が妖ではなく人間だということと、刀が妖刀でなく普通の刀だということだけだ。あと*つはどうなった」
「ああ、それですか」
背筋を伸ばして座りなおし、
「下手人は人間です。人間ということは、姿を消せません」
『あたりまえだな』
「でも、蕎麦屋の主人は嘘を付いている様子はなさそうです……この件に関しては」
ちょっと含んだような言葉。
「つまり、下手人は海鼠塀を超えていないということです」
ちょっと考えて、ふむ、と理解する。
『なるほど、まぁそうなるな。……だがちょっとまて、海鼠塀を超えて逃げたと言ったのは、被害者の山本寛十郎だぞ。しかも、塀には真新しい泥の足跡があった」
「嘘をついたんでしょうね」
楓はあっさりという。
「それしかありません」
『いやいや、ちょっと待て、いきなり押し入って刀傷を負わすような悪漢を、どうして見逃すようなことをする?そんな嘘をつく理由なんて……」
そこでちょっと思い当たる。
『いや、そうか、なるほど、よく知る人間が相手であれば、庇うこともありうるのか』
しかし楓は、にこにこと笑いながらそれを否定する。
「違いますよ。寛十郎は誰もかばっていません。もちろん刀傷を負わした相手のことも。それどころか、その相手のことを深く憎んでいるでしょうね」
なんだそれは。よくわからん。
「……まぁ、それに関してはそれでいい。では、他の解っていることは?」
「そうですね。まぁ、この事件の原因は、これじゃないですかね」
そう言って、楓は懐からなにやら取り出して、床に広げてみせた。
……お守り?それが四つ。同じ物に見えるが、ひとつだけ紐がまだ付いていなかった。
『なんだこれは。どこぞの神社のお守りか?』
「神社のものではないでしょうが、まぁ、お守りですね。手作りですよ。……これ、毛利惣右衛門さんの奥様であらせられる志乃さんの部屋と、今回の犠牲者、山本寛十郎さんの部屋、そして辻斬りにあったという男の懐にあったものです」
……こいつ、番所に忍びこんできたときに、殺された男の所持品を盗みだしてきやがった。
「だいたいの証拠は集まったんですが、いくつかはすでに処分されていました。でも、あともう一つ欲しいところなんですよね」
そう言って、おれの背に座り込んだ。
「辻斬りがあったという、川べりまで連れていってくれませんか。もちろん、姿を消した上で」
『……蕎麦は?』
「もうすぐです。たぶん、調査もこれで最後になると思いますよ」
言いながら、おれの背を撫でる。
「お蕎麦、お腹いっぱい食べましょうね」
辻斬りがあったという川辺に付くと、ずいぶん人が多かった。
空に浮かんで姿を消したおれが誰かに見つかることはないが、姿を隠せぬ人間がこんなところで辻斬りとは、ずいぶん思い切ったことをすると思った。
「いえ、多分辻斬りがあったときには、人は少なかったんだと思いますよ。事件があったから、みなさん野次馬に来られてるんだと思います。人間もけっこう暇なんですね」
楓が解説する。
見ると、一箇所やけに人が集っている場所があった。人だかりの向こうに橋があり、そのすぐ横に、血だらけの石が転がっている。
人々はそれを遠巻きに眺めている。どうやら辻斬りの現場らしい。
楓はその様子を空からじっと眺めていたが、ぽんと飛び降りて、てくてくと血だらけの岩に近づき、ヒョイと何かを拾い上げた。
「やっぱり。あると思ったんですよね。」
そしてまた帰ってくる。
『何を拾ったんだ』
「……これです」
楓が手のひらに乗せた、小石のようなものをおれに見せる。
赤黒い小石かなにかにしか見えない。
『これがどうしたんだ』
「証拠、ですね」
『この汚い小石がか』
「たぶん、これでもう言い逃れはできないと思いますよ」
楓はそれを懐紙につつんで懐にしまう。
「さあ、行きましょう。決着をつけます」
そういって、嬉しそうに笑った。
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