三/犬神夫婦は捜査する
事の起こりは、風の噂で「化物が人を切ったらしい」と聞いたことだった。
この国には
といっても、それが全部本来の意味での「神」かというと、そんなことはない。どちらかというと、たいていが「妖」の類だ。
要するに「人ならざる者」が無数にいて、それが信仰の対象になっているということである。
この中には、いわゆる幽霊は含まれないが、蛇やら狐やらたぬきやら、なかなか賑やかである。
そして、犬神も似たようなものだった。信仰の対象にはなっているものの、どちらかというと妖に、その立場は近い。
八百万の神々は、信仰さえあれば決して滅びることはない。
つまり、無限に時間があるので、慌てるということはない。
退屈だが、それこそが彼らの日常であり、ほとんどの場合、人に何かをすることも、してやることもない。
こういう環境に過ごすと、要するに「うわさ話」が好きになるのだ。
何せ、同類は数えきれないほどいる。
北の端で何かが起きれば、一日二日もすれば南の端の端まで噂は行き渡る。
人間の世界では飛脚やら早籠やらで何日もかけて情報が行き来するらしい。ご苦労なことだ。
「なぁ、犬神、風の噂に聞いたのだが」
その時も、森の中で茸なんぞムシャムシャしながら過ごす犬神(おれ)に、姿すら見えない何かが話しかけた。
神々の世界では、序列などあってないようなものなので、毛虫ほどの小さな者でもタメ口である。おれも気にしたりしない。
『なんだ、言ってみろ』
おれは噂があまり好きではない。自分に関係ないことに煩わされるのは面倒だからだ。とはいえ話したがっている者には話させてやったほうがいいだろうと考えて、先を促す。
「江戸の町で、化物が人を切ったらしい。本当だと思うか?」
『なに?妖が人を?斬った?なんじゃ、そりゃ』
人を斬った?妖が?
『そんなこと、あるもんなのか?』
基本的に、おれたち(神々や妖)と人間の世界は重なり合っているだけで、お互いが影響することは殆ど無い。
人間に求められれば、ほいほいと願いをきく者もいるが、要するに信仰を集めて自分の存在を確固としたものにしたいだけだ。
本物の神様ならば、そもそも人の信仰など、あってもなくても同じであるので、要するに「願いを聞き届けてくれる」神様というのは、妖の一種といえる。
とはいえ、そんな酔狂な者はほとんどいない。
おれもその類で、たまたま自分の存在が人々の役に立つことは、嬉しく思わなくもないが、それ以上どうということもないのである。
「ほら、コレを見てみろよ」
腐った木のむろから、くるくる丸められた瓦版がポイと投げ出される。
「妖刀を持った妖が、人を切ったらしい」
おおぅ。
妖刀!妖刀と来たか!
『そんなものは、おれらの世界に存在しないだろう」
そう、妖は刀など使用しない。刀の妖はいるが、妖は刀など使わない。
だって、じゃまだから。
「……なんだか楽しそうな話をしてますね」
そこに、ちょっとぼんやりとした女性の声がした。
木の実や茸の入った桶を抱えていて、こちらに歩いて来る。
『……楓』
「人を斬る妖がいるですって?」
楓はてくてくと近寄ってきて、瓦版を取り上げる。ついでに、おれの背に座り込む。
文字通り尻に敷かれるかっこうだが、とくに気になることもない。不都合がなければどうでもよいし、楓はおれの背の座り心地を気に入っているらしい。
楓は、どうせただの噂話、つくり話に違いない。そう思ったらしいが、
「あら、切られた人の家のことまで載っているんですね。つくり話、ということではなさそう」
ちょっと感心したように言う。しかし、ぱっと見、興味が有るのかどうかわかりづらい表情でもある。
「江戸ではこの話で持ちきりらしい。あと、そのせいで蕎麦がすごい人気らしい」
……なぜ蕎麦。
楓は首をかしげる。
その横で、犬神が耳をビビビと震わせて言った。
『楓、蕎麦というのは、確かあの泥団子のようなやつか』※蕎麦掻きのこと。醤油をつけて食べると美味。
「そうですね。あと紐のように切って、出し汁につけて食べたりしますね」
『……それは、アレか』
犬神はそわそわしながら言う。
『つまり、アレだ、旨いのか』
「美味しいですよ。特に信州の蕎麦が人気で、江戸でも蕎麦は人気なはずです」
人間世界とほとんど接触がないくせに、どこでそんな情報を知ったのか。
『食ってみたい!』
犬神がその話に食いついた。
『人に仇なす妖が本当にいるのなら、とっちめないとイカン。なぜなら人が作ったもののほうが美味しいから』
犬神は、人間の食べ物が大好物なのだ。普通なら年に一度しか口にできないのだが、楓を妻に迎えてからは、口にする機会がふえて、口が肥えはじめている。
楓は、しばらく瓦版を眺めながら言った。
「これ……人間の仕業ですよねぇ」
『なに、そうなのか』
「はい、これだけだとまだよくわからないですけど、多分、人間が悪さをして、それを妖のせいだと、責任をなすりつけてるんですね」
楓は頬を膨らませる。どうも妖の名誉が傷つけられるのが気に入らないらしい。
『なぜわかる?』
犬神が首を傾げる。
姿の見えない妖も言う。
「瓦版を見ただけでそんなことがわかるのか?」
「はい、こんなの簡単な仕掛けです。だって、燈籠が倒されたんでしょう?」
燈籠?
『追われないように、蹴倒したんだろう』
「六尺の塀をひとっ飛びできる妖が?」
『時間稼ぎくらいにはなるだろう』
「というかですね、ドロンと消えることのできる妖が、なぜ逃げる必要があるんですか。さらにいえば」
楓は呆れ顔で瓦版をひらひらさせる。
『さらに言えば?』
「この妖さんが持っている刀は妖刀なんかじゃありませんよ。ただの刀です。ああ、妖さんといっても、要するにこの犯人は人間なんですけど」
そう言って、立ち上がる。
『……どこへ行く?』
「準備しますね。江戸に行って、ちょっと妖もどきさんに一言文句を言わせてもらいましょう。ついでに……」
楓は犬神の顔を覗き込み、にっこりと笑った。
「いっしょに、お蕎麦を食べましょうね。あなた」
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