其ノ二/推理

二/犬神夫婦は不満である

「これ、人間の仕業ですよねぇ」

瓦版を見て、その女はため息をついた。

年の頃は二十歳くらいか。座っていても背筋がしゃんと伸びており、一見すると凛々しい女性といった感じだが、よくみると少々ぼんやりした顔で、凛々しいというよりは――なんだろう、可愛い?気の抜けるような?――とにかく美人ではあるけれど、あまり目を引く感じではない。

と、今度はその女性の足元くらいから、太く、よく響く声が聞こえる。

『まぁそうだろうな。そもそもモノが人間に悪さをすることなど、ふつうは考えられぬ』

いかにもいい声ではあるのだが、こちらもどこか間が抜けた印象である。

ただ、妙に耳に残る声――それもそのはず、この声は人間のそれではない。

犬神とその妻、楓である。

「あの人達ったら、なにか不思議なことがあったらすぐあやかしだの幽霊だののせいにしますよね」

楓は瓦版の「毛利家/山本家を襲撃した妖の図」を眺めながら文句をいう。

目がぎらぎら輝いていて、おどろおどろしいことこの上ない。

……本当の妖は、もっと愛嬌があるというのに。

『仕方なかろう、もとよりおれたちはそういったものだ。人間が理解できないこと、不思議に思うこと、その信仰がおれたちを生かしている』

「まぁ、あなたはそうなのかもしれませんけど……あたしはじゃありません。それに」

の部分で楓がピシャリと足元にある何かを叩いて、

「本当に助けられていることには感謝しないくせに、なにもしていないモノたちに罪をなすりつけるなんて、あんまりじゃありませんか」

と、悲しそうに続けた。

『まぁ、そう怒るな。あとおれを叩くな』

またよく響く声がして――楓の尻の下に白くて大きい、毛皮に覆われた犬神の姿が現れる。

巨大な真っ白な犬。毛足が長く、風にたなびいている。

犬神の目は少し笑っていた。

『どうせ、おまえのことだ。何とかしてしまうつもりなんだろう?』

「もちろん。それでなければ、わざわざ江戸くんだりまで出てきたりしません」

そう言って、楓は尻の下の犬神を撫でる。


ここは、江戸の空の上である。

この世のものならぬ二人。江戸の夜空を背景に走るように飛ぶ、その姿に気づくものはいない。

犬神をはじめ、八百万の神はそれを信じる物にしか見えない――存在しないのと同じなのだ。だから、もし誰も犬神の存在を信じなくなれば――。

ともあれ、犬神夫婦は夜空を悠々と横切り、夜だというのに人々のせわしく動き回る江戸の町を眺める。

馬鹿馬鹿しくも愛おしい、人間たちの営みを、二人の神は見下ろす。


夜空の散歩といえばなかなか優雅に思えるかもしれないが、実際のところはそう良いものでもない。

そもそも犬神は妻の尻に敷かれながら、何十里もの距離の空を走ってきたのだ。

妻には気取られないように振舞っているが、ぶっちゃけ疲れが出ている。

楓は楓で、犬神の背に座りっぱなしで疲れている。

神ともなると、いちいち風にあおられるようなこともないが、背筋を伸ばしてしゃんと座るのも、それなりに大変なのだ。

それでも、夫にだらしないところなど見せるわけにはいかないのだ。


しばらくうろうろと江戸の空を走りまわり、二人はほとんど人の手が入っていない寺を見つける。

神社と違って、お寺は他の神のテリトリーでないことが多いので、止まり木として大変便利だ。

霊域も良いし、居心地もよいし、旨い物にありつける確率も、神社よりは高い。

二人は寺の屋根に降り立ち、やれやれと肩を鳴らす。


さあ、江戸だ。

化物も人間も盛りだくさん。

日の本で最もいろんなモノが集まりやすい町――江戸。

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