チェンジマイセルフ

案山子

チェンジマイセルフ

 日が沈む時間が早まり、季節は秋から冬へと移り変わろうとしていた。俺こと北村俊介きたむらしゅんすけは、大学受験に向けて猛勉強しなければならない時期に差し掛かっていた。すでに行先が決まっている者や、志望校を決めている者、就職に切り替えて勉強している者などが増えている中、俺はまだ進路を決めかねていた。

 やりたいことが見つかってない、というのがいちばんの理由だろう。

 昔は本を読むのが好きだったので、よく小説家の真似事のような事をして物語を書いてみたりしたことはあったが、周りの友人に恵まれなかったのか現実を突きつけられるような事ばかり言われ、すぐにやる気を失くしてしまっていた。

 加えて、俺はこの大事な時期に進路について考えるだけの余裕を持ち合わせていなかった。

 恋に落ちてしまったのだ。

 いままで異性に興味がなかったわけではないが、俺はこれまで一度も彼女をつくったことがない。その理由として、同年代の女子にはまったく興味を持てなかったからだ。俺はどちらかというと知的な魅力をもつ女性が好みで、クラスの女子はいい意味で言えは今時の女子高生、悪い言い方をすれば正直ウザい存在でしかなかった。目的もなく、ただ時間を浪費し、今を楽しむことに一生懸命で、後先考えない。常に複数人で行動し、仲間外れを嫌い、考え方や趣味趣向が異なる者を徹底的に排除しようとする。そんな女子達の姿を見て、俺は正直うんざりしていたのだ。

 そんな女子達に嫌気がさしていた頃、いきつけのコンビニで新しい女性店員を見かけたのだ。俺は学校の帰りに毎日コンビニに立ち寄ることが習慣になっていたため、そこで働く店員についてはほとんど覚えていた。初めて見たときから、すぐに違うと気が付いた。もちろん、普段接している同年代の女子との違いにだ。

 黒い髪は肩口で切り揃えられており、眼鏡をかけているわけでもないのにその表情からは知的な雰囲気を出している。一目で自分の好みだと知った。驚きのあまり、声をかけることなど当然できず、彼女の雰囲気に圧倒されてしまった。ただただ、商品の代金を支払い、レシートと品物を受け取るくらいしかできなかった。その日は彼女のことで頭がいっぱいで、夜もろくに眠ることが出来ず、翌朝遅刻しかけたのは今でも覚えている。

 それから毎日コンビニに通っては、彼女と会うのを楽しみに日々を過ごしていた。

 何度も会えば向こうも自分のことを覚えてくれているのが嬉しかった。新商品について教えてくれたり、たわいもない日常会話などをふってくれたりすることもあった。やがて俺は彼女と接することに緊張しなくなり、彼女の胸元についている名札を見て、苗字がみなしろであることがわかった。名前は書かれていない。しかも平仮名で書いてあるため、漢字でなんと書くのか気になった。皆のお城と書いて皆城だろうか。いずれにせよ、これで彼女に声をかけるときはみなしろさんで決定したのだが、それよりも自分の名前を伝えらないことに、どこかもどかしさを感じていた。

 こうして、彼女の事を思う日々が始まり、夜は眠れず寝不足が続き、勉強には手が付かず、自分の将来について考える時間はどんどんなくなっていった。

 正直いって、俺は恋愛についてあまり詳しくない。どのように振る舞ったいいかなどわからなかったし、かといってこの大切な時期に今更恋沙汰の相談を同級生にすることなどできなかった。親に相談などもっての外だ。途端に説教を喰らうのが目に見えている。だから俺は、不器用ながらも自分なりに考えて、彼女と接するしかなかった。最初は、彼女と接することができるのは、レジで代金を支払うときだけだと思っていた。だがコンビニの店員はレジ打ちだけが仕事ではない。商品の品出し、外のゴミの片づけや掃除など、良く見れば接する機会はいくらでもある。ただ、周りの目がどうしても気になった。それに、別に友達というわけでもないのにレジで会計する以外に話しかけたり、近づいたりすること自体、彼女にとってみれば仕事の邪魔でしかない。自分でもかなり臆病だと思った。それくらいに、本気の恋だった。

 外の空気がいっそう張りつめて、寒さが増したある日の事、俺は予め自動販売機で買った暖かい缶コーヒーを片手にコンビニの外の壁に背を預けて立ち尽くしていた。コートのポケットには、もうひとつ暖かい缶コーヒーを忍ばせている。

 何をしているかと言うと、彼女がゴミ捨てにくる頃合いを見計らって、待ち伏せしているのである。人目を避けて彼女と会話をする方法が、これくらいしか思いつかなかったのだ。正直この方法もどうかと思ったのだが、俺自身、もう周りの事とかどうでもよくなっていた。恋は盲目とは言うが、実際に自分自身で味わってみるとその言葉の意味がよくわかる。

 しばらくすると彼女が外にやってきた。既に俺とは顔見知りだから、向こうは当然声をかけてくる。問題はそこからだ。どうやって缶コーヒーを手渡すか。むしろ、彼女が受け取ってくれなければ意味はないのだが。

「こんばんは。今日は中に入らないんですか? 外は寒いですよ?」

 俺が言うべき台詞は――


選択肢その一:

「みなしろさんを待ってました。これ缶コーヒーです。よかったら一緒に飲みませんか?」

選択肢その二:

「実は寒いのが得意なので。これ缶コーヒーです。よかったら一緒に飲みませんか?」

選択肢その三:

「わかりました。それじゃ、中でゆっくり話でもしますか」


「え、なんですかこれ? 私にくれるんですか? わぁーありがとうございます!」

 そう言って、彼女は俺が差し出した缶コーヒーを受け取り、プルタブを開けて口につけた。

「あったかい。やっぱり寒い日はホットコーヒーですよね」

 情けない。黙って缶コーヒーをポケットから出して差し出すことしかできなかった。本当に情けない。彼女が受け取ってくれたからいいものの、正直俺の行動はどう見たって謎すぎた。

「なんか落ち着きますね。こうして寒い外で暖かいコーヒーを飲むの。私にとってこの中は職場で、なんか息詰まっちゃうというか、そういう時もたまにあるので……」

 彼女は俺が何を聞くでもなく、自分から話し始めた。

「あ、いま店長は中で事務作業やってるから大丈夫です。お客さんもいないですし……ああ、私何言ってるんだろう」

 まるで自分がサボっているような感じで話してしまったことに後悔しているのだろうか。なんだろう。とても可愛い。

 俺としてはこうやって彼女と同じ時間を共有しているだけで嬉しさを感じていた。きっかけは多少強引だったかもしれないけど、結果オーライだろう。

 缶コーヒーを飲んでいる彼女を見ていると、ふと彼女が話していた内容を思い出した。たしか、職場で息詰まっているとかなんとか。俺はなんとなく気になったので、彼女にそれとなく聞いてみた。

「あ――別にいつも息詰まってるわけじゃないですよ? 窒息しちゃうじゃないですかっ」

 ……もしかして、みなしろさんって結構面白い子か?

「狭い空間で、同じ場所に長い時間立っていると、それだけで疲れることってありません? 人それぞれなのかもしれないですけど、私はどちらかというと、常に動いているような仕事のほうが向いているじゃないかなって思うことがあるんです」

 狭い空間で同じ場所に長い時間。それって俺にも当てはまることじゃないだろうか。いや、皆気付いていないだけで、あの場所だって今みなしろさんが言ったことと一致しているなと思った。

「でも私、叶えたい夢があるから、頑張ってバイトしないと」

 彼女の言葉を聞いて、俺は胸のあたりが少し痛くなった。どうしてかは分からない。今の俺には分からないことなんだろう。

 それでも聞きたい。彼女が叶えたい夢とはなんだろうか。お金が必要な理由とはなんだろうか。聞きたいことだらけでいったい何から聞いたらいいのか。そんなつまらないことで悩んでいるうちに、彼女はコーヒーを飲み終えて缶をゴミ箱に捨てていた。カランカランっていう音が寒空に響き渡たる。そして、その音は俺と彼女の会話がここまでだということを告げていた。

「そろそろ戻らないと。コーヒーありがとうございました。あ、そういえば私、まだ貴方の名前も知らないのにコーヒーとか貰ってしまって……私、みなしろって言います!」

 いや、知ってるし。というかむしろ漢字でどう書くのか知りたい。いやいや、それよりも名前を――。

 そんなことを言える勇気もなく、俺は素直に自分の名前を彼女に伝えた。

「北村さんですね。覚えましたよ! それでは私は仕事に戻るので、また来てくださいね! ……って毎日来てくれてますよね」

 彼女はそう言って笑顔のまま軽くお辞儀をして、コンビニの中へ戻っていった。

 俺は彼女と会話することに成功したことで、喜んでいたはずだったのだが……。

 彼女が言った叶えたい夢という言葉が、何度も頭の中でぐるぐる回って、離れそうになかった。


 

 彼女とコンビニの外で話して以来、なにがどうしてこうなってるのか自分でも分からないが、一度もコンビニに行くことができなかった。彼女が言っていた夢の話がどうしてもひっかかって、なぜか彼女に顔を合わせづらくなっていたのだ。 

 昼食後の五時限目の授業。お腹も満たされて最も眠くなるこの時間の中、俺は生理的現象に逆らう事無く机に突っ伏していた。耳から入ってくる、望んでもいない知識。何の役に立つのか、誰も教えてはくれない。大人になってから抱える悩みのほとんどは、学校で得た知識ではほとんど解決できないと聞いた事がある。それがもし真実なら、いまこうして授業に出ている意味などあるのだろうか。

 そんな事を考えていると、いつの間にか休み時間に入っていた。俺はそのまま席を立つ事無く、惰眠だみんをむさぼろうとしていた。

 すると、どこからかクラスメイト達の話し声が聞こえて来た。

「ねぇ聞いた? 実習棟四階の非常口の話」

「非常口? てか実習棟の四階って封鎖されてなかったっけ? もう使ってない実習室ばかりだから、行く用事もないはずだけど」

「それが、その非常口から外へ出た生徒は、行方不明になっているんだって。噂によれば、過去へタイムスリップするための入り口になってるとか。一度そこに踏み入れた人は、二度と戻ってこれないんだって」

「なにその学校の七不思議。今時そんなの信じてるの?」

「実際、その非常口をくぐった生徒は、次の日からずっと学校を休んでいるらしいのよ」

「本当に? ただの不登校なんじゃないの?」

 二人の会話はまだ続いているようだったが、俺は特に気に留めることなく眠りについていった。



 かれこれコンビニには二週間以上足を運んでいなかった。ここまで通わないと、いままで日課になっていたコンビニ通いはいったい何だったんだと思ってしまう。彼女はシフトを毎日入れているから、コンビニに行けば必ず顔を合わせてしまう。それがわかっていたからこそ、足を運ぶことができなかったのだ。

 だが、足は自然とコンビニの方向へ進んでいく。

 中に入らなくても、離れた所から彼女がいるかどうか確かめることにした。

 距離を置いて、窓を覗き込む。

 彼女の姿は無い。

 事務室やゴミ捨てに行っている可能性もあるので、しばらくそこから見ていることにした。

 だが、それでも彼女の姿は見当たらなかった。

 俺は意を決して、コンビニの中に入った。やっぱり彼女の姿はどこにもない。

 適当な雑誌を手にして、レジに持っていく。俺はさりげなく店員に彼女のことについて聞いてみることにした。もしかしたら風邪かなにかで休んでいるだけかもしれない。それを確認した。

「あ〜みなしろさんなら――――――」

 ……俺はしばらく絶句していた。

 店員が何を言っているのかよくわからなかった。

 だから、最後のあたりはもう何も耳に入ってなかった。何も聞こえないまま、俺はコンビニから出た。店員の声がはっきりと思い出せるようになったのは、家の玄関の前にたどり着いてからだった。

「みなしろさんなら、一週間前にお辞めになりましたよ」 



 彼女がコンビニのバイトを辞めた事を知ってから三日が過ぎていた。

 もしかしたらまたコンビニでバイト再開したかもしれないと淡い期待をして、珍しく朝はやく家を出てコンビニに立ち寄ってみたが、彼女の姿は無かった。昼に食べるパンを買い、おつりとレシートを財布に入れてその場を去った。

 学校について、席に着き、先生がやってきてホームルームが始まる。

 代わり映えのしない、退屈な時間が始まった。


 生きる目的みたいなものを見失ったような感覚のまま、いつも通りの日常が過ぎていく。

 ……いや、そもそも俺に生きる目的なんていう大層なものがあったのだろうか。


 思い返してみれば、俺は彼女の事を何も知らなかった。知っているのは、あのコンビニで毎日夕方から夜にかけてバイトしていること。名字はみなしろで、叶えたい夢のためにバイトをしているということ。それくらいしか知らない。

 俺の中で、彼女の姿がどんどん美化していく。

 艶やかな黒髪は肩口のあたりでふんわりカールしており、触るととっても柔らかそうな印象で、知的な表情の割には話すとちょっとドジっ娘みたいな雰囲気がでて、そのギャップがまた可愛くて……。

 彼女の叶えたい夢とはなんだったんだろうか。

 やっぱりそれがいちばん気になっていた。

 なんとかしてもう一度彼女に会えないだろうか。またコンビニの店員に聞き出すのはどうだろう。いやいや個人情報をそう簡単に外部の人間に漏らしてしまうほど管理が行き届いていないはずがない。それに普通に考えて男の客が女性の店員がどこに住んでいるのかなんて聞いた日にはストーカー容疑がかかって下手すればお巡りさんの御用になってしまうのは想像に難くない。

 考えれば考えるほど、俺の中に後悔の二文字が押し寄せてくる。あの時ああしていればよかった。こうしていればこんなことにはならなかった。いつまでも後の祭り。後悔先に立たず。

 彼女と話すことができたあの頃に、いまは戻りたくて仕方が無かった。

 あの日をやり直す事が出来れば、俺はあの時とは違って、もっと積極的に自分から話しかける事ができるだろう。コーヒーだって、さり気なく渡す事ができるはずだ。選択肢その三で勝負を仕掛けられるはずなのだ。

 ……叶わない事だからこそ、いくらでも言える。本当にその通りだと思った。

 だったら、叶えてやろうじゃないか。

 六時限目のチャイムが鳴り終わった所で、俺は実習棟四階に向けて走り出した。


 

 実習棟四階。ここには本当に誰もいなかった。元は実習室だったであろう部屋の扉は鍵が掛かっており、入ることができなくなっている。

 このフロアだけ、まるで空間が切り抜かれているかのように、辺りは静まり返っていた。

 廊下の先、突き当たりの所に非常口はあった。普通ならここの扉も鍵が掛かっていてもおかしくはないのだが……。下の方をよく見ると、紫色の髪の毛が落ちていた。えらく長いのですぐ見つけることができたのだが、うちの学校にこんな髪の色をした生徒など居ただろうか。まぁもしいたとしてもすぐに職員室へ呼び出されるのがオチだが。

 手にしたドアノブは気持ちいいほど勢い良く回り、そのまま足を踏み入れて普通にくぐってしまいそうになるほど、あっさりと扉は開いた。これが例の噂の非常口とは思えないほどだった。

 この非常口をくぐれば、過去に行く事が出来るという。

 いままでおもしろがって試した生徒は後を絶たないらしいが、誰一人として過去に行く事が出来た者はいないらしい。これまた噂だが、過去に行くには何かアイテムが必要とのことだ。いかにもロールプレイングゲーム的な発想で笑ってしまう。己の過去へと繋がる扉のカギといったところだろうか。実際、この扉にはカギは掛かっていなかったわけだが。

 正直、過去へ行けるとは思っていないが、それでも何かの間違いで、さもあれば神様の悪戯みたいな感じで本当に過去へいくことができたとしたら、それは俺としても願ったり叶ったりだった。

 いや、むしろ、俺は絶対に過去にいってあの時をやり直さなければいけない。

 それだけははっきりと脳裏に刻まれていた。


 俺は非常口のドアノブから手を離し、その向こう側へと足を踏み出した。


【N】>>>【P】



 目の前には雲一つない、晴れ渡った空が広がっていた。

 足はしっかりとの少しザビ付いた非常階段の上を踏みしめている。

 なんてことはない。非常口の先にある場所だ。

 信じてはいなかった。ただ、ふと試してみたくなっただけだ。俺はそう思い込むようにして、そのまま非常階段を降りた。もう手段なんてないとか、考えただけで目の前がまっくらになりそうだったから。


 家へと向かう途中、なんだか気持ち悪い感覚に襲われた。なんだろうか。もの凄い違和感を覚えた。自分がここにいてはいけないのではないか、単純にそんな言葉が脳裏をよぎった。

 彼女がバイトしていたコンビニの前を通る。すると、何処かで見たような姿を目にした。

 そこには、俺と同じジャケットを着て、俺と同じジーンズを穿き、コンビニの外の壁に寄りかかっている男の姿だった。

 一目で分かった。

 気持ち悪さが増して吐きそうになった所為で、俺はその人物と目を合わせる事だけは避けることができた。

 そう――そこにいるのは間違いなく、今まさに彼女に缶コーヒーを渡そうとコンビニの外で待ち構えている、俺自身だった。

 俺は過去へタイムスリップすることに成功していたのだ。



 俺は過去に戻って自分の行いをやり直したいと考えていたが、そもそも過去にはそのときを生きている自分自身が存在することをすっかり忘れていた。

 俺は過去の自分自身と接触することで過去を変えてはいけないのだろうか。

 俺が過去の俺に未来から来たと言えば、過去の俺は未来の俺を認識してしまうことで、タイムスリップすることができる非常口の存在を事前に知ってしまう事になる。そうしてタイムパラドックスが生じて、今の俺は存在しない事になり、過去に飛んだ俺が消えてしまう……とか。

 正直よくわからないが、この原因不明の吐き気が、それを物語っているような気がした。

 コンビニから彼女が出てきた。その時の俺はそれを待ち構えていたはずなのに、声すらかけることが出来ていない。彼女から声をかけてもらえることを期待していただけで、その後缶コーヒーを渡す時でさえ、一言も声をかけていない。ただ、黙って缶コーヒーを差し出しただけだ。

 情けない。こうやって客観的に自分の姿を見ると、余計にそう思えてくる。本当に、傍から見たら俺なんてちょっとおかしな男にしか見えない。

 そこで気が付いた。彼女の優しさや気遣いがあったからこそ、あの時ああやって話すことができていたということに。

「北村さんですね。覚えましたよ! それでは私は仕事に戻るので、また来てくださいね! ……って毎日来てくれてますよね」

 彼女の声が聞こえてきた。あれから俺はコンビニには足を運んでいなかった。もしかしたら、彼女は次の日も俺がコンビニにくるのを期待していたかもしれない。息詰まったバイト先での出来事を、俺に話したかったのかもしれない……なんて、随分と都合の良い解釈だ。

 結局のところ、俺は何もしてなかった。ただ彼女の出方を待っていただけだ。声をかける勇気さえない、ただの臆病者だ。そんな俺が、彼女がバイトを辞めて自分の前からいなくなってから、ようやく慌て始めている。彼女と会う機会を失って初めて、何かを得たいなら自分から行動しなければならないのだと気付いたのだ。

 そんな情けない俺が、過去を変えてまでその先の未来を変えるなどと、許されるはずがない。

 だから俺は、一つだけ、彼女に質問することにしたのだ。


 彼女とコンビニの前で会話を終えた過去の俺は、そのまま家へと帰って行った。俺はそれを確認してから、再びコンビニへ入る。彼女はレジカウンターにいた。

「いらっしゃいませー。あれ、北村さんじゃないですか。どうしたんですか?」

 幸いなことに店内には俺以外の客はいない。店長もまだ事務室にいるようだった。

 俺は近くにあったガムを適当に選んで、レジへと向った。そして俺は彼女に聞いた。叶えたい夢ってなんですか? と――。

「ええー聞きたいんですか? うーん、その話はここではちょっとアレなんで……」

 彼女はそう言って、メモ用紙になにやら書き出して、俺に渡してきた。

「これ、私の携帯番号とメールアドレスです。もしよかったら、また今度お話しませんか?」

 俺は何が起きているのかよくかわらなかった。まさか、彼女の連絡先を貰えるとは思っていなかった。

 ぼーっとしている意識をなんとか振り払って、俺は彼女にお礼を言ってその場を去った。

 そして、俺はここから元いた場所に戻らなければいけないわけだが……。俺は、出てきた場所からまた入りなおせばいいだろうという、至ってシンプルな結論に至り、学校の非常口へと戻ることにした。

 実習棟の外から非常階段を使って四階へと向かう。普段から生徒が利用してないだけあって、ミシミシと軋む音を出していた。崩れることは無いだろうが、俺は少し不安になって慎重に非常階段を駆け上がる。

 非常口の前に辿り着いた。とても静かだ。まぁ人がいないのだから静かに決まっているが。

 鍵はかかっていない。このまま扉を開いて中に入れば、俺はもといた時間軸に戻ることができるだろうか。

 考えていても仕方がないので、俺はそのまま扉を開いて中に入った。


 【P】>>>【N】


 目の前は静まり返った廊下だった。

 俺はすぐさま自分の教室にむかって走り出した。

 教室のついた俺はすぐさま黒板に書いてある日付を見る。そこには、タイムスリップする翌日の日付が書かれていた。

 ま、まさか一日ズレて戻ってきたのか……と一瞬思ったが、よくよく考えてみればなんてことはなかった。日直が翌日の日付をあらかじめ書いておいただけのことだった。

 そして、俺は彼女からもらった連絡先のメモを手にして、すぐさまメールを送った。内容は、俺の電話番号とメールアドレスと、あと連絡が遅れてしまったことを詫びる文面を添えた。

 メールは無事に届いたようだった。

 しばらくして、すぐにメールの返事がきた。

『ご無沙汰してます。連絡ありがとうございます! 私、北村さんの連絡先聞いてなくて、コンビニのバイト辞めてしまったことも伝えられなくて、本当に申し訳なかったです』

 本当なら俺がすぐに自分の連絡先を彼女に伝えるべきだったのだ。本当に、彼女の謙虚さには頭が下がる思いだった。

 だが、俺はそんな彼女の優しさに甘えるわけにはいかない。

 自分自身のこれからのこと、彼女とのこと。

 今度は自分から動き出して、変えてみせる。

 過去へタイムスリップなどしなくても、未来はいくらでも自分の行動次第で変えることができるのだから


【N】>>>【F】


あれから五年の月日が経ち。

とある書店に並べられている一冊の漫画。

その表紙には『原作 北村俊介。漫画 源城弥生みなしろやよい』と書かれていた。


チェンジマイセルフ 了.



















【N】>>>【?】


 学校の中庭にある噴水の周りを囲むようにして設置されているベンチに、一人の女性と、一匹の犬がいた。

 女性はベンチに腰かけている。腰まである長い髪は紫色に染まっており、黒紫色のラップパーカーの上からチェック模様のストールカーディガンを羽織っている。アンダーは黒のティアードワンピースを着ており、下はドット柄のレギンスで黒色のショートブーツを履いていた。

 犬はその女性に寄り添うような形で地面に佇んでいる。毛並は雪のように白い。一見、オオカミに見えなくもない風貌だった。

「主よ。いくら空間魔法のテストとはいえ、学校の生徒を巻き込むというのは如何なものか」

 その声は犬が発したものだが、女性にしか届いていないようだった。

「いいのよー学生のほうが面白いし、それに純粋だから悪いことには利用しないと思って」

「……皆が皆、主が思っているような善人ならいいのだがな。もし手違いでタイムパラドックスが起こったらどうするつもりなのやら」

「その時はその時で、緊急対応のテストにもなるからいいじゃない」

「その楽観的思考はいったいどこで身に着いたのやら……」

 女性は組んでいた足を組み直し、顎に手を当てて何か考え込むようなしぐさをした。

「それにしても、条件付きの時間転移術式にしておいたはずなのに、あの子よく過去に飛ぶことができたものね」

「おそらくレシートだろうな。あの紙切れには明確な日付と時間、更には場所まで特定できる情報が記載されている。まぁあの者がそれに気付いているとは思えないが、ただ運がよかっただけだろうな」

「おおーなるほどね。それは気が付かなかったわ!」

「……」

 犬は疑いの目を女性に向けているようだった。

「だったらなおの事、彼はあのコンビニで働いていた彼女に感謝するべきね。あのレシートがなければ、彼は過去へ飛ぶことはおろか、未来を変えることさえできなかったのだから」

 女性はそう言って、おもむろに立ち上がり、長い紫の髪をひるがえした。

「さぁ行くわよレッド。いいテストができたから、結果を報告しなきゃ」

 レッドと呼ばれた犬はため息をついた。

「……今回の事がどれだけの成果を生んだのか俺にはさっぱりわからないが、まあ主が満足ならそれでいい」

 そう言って二人はその場を後にした。


紫の魔女と白い犬 了.

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チェンジマイセルフ 案山子 @scarecrow_RM47G

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