4時間目

 先ほど来た道を通り外へと出る。とっくに日が暮れた街は街路灯やビルの灯りで昼とはまた違った世界を映していた。とは言っても、「条例」の関係でこの景色ももうじき一変するだろう。 

「結構、白熱したじゃん」

「そうそう!秋川くんの方も強そうな駒いくつか取ってたよね!?」

「その倍の数取られて負けたけどな」

「チェスよく分からないけどいい勝負だったと思うよ?桃李くん相手にあれだけ粘ったのって私初めて見た!」

 チカはそう言ってフォローしたが、結果だけで言えば壮也の完敗だった。ポーンの数が半減した辺りで雲行きが怪しくなり、ビショップが2つとも取られた時点でほぼ敗色濃厚になり、頼みの綱のクイーンもほぼ出番なしで盤上から姿を消した辺りで勝負はほぼ決した。中盤の泥沼の末相手のビショップも両方倒した辺りが壮也のピークだった。

「楽しかったよ。秋川くん。よかったら、また勝負してくれるかな?」

「機会があればね」

 正直、桃李のその言葉は嬉しい。時間の関係で互いに1手30秒の制限をつけた早指し勝負では真の実力を測ることは難しい。プロではあるまいし数時間まではなくともせめてじっくり腰を据えられる環境が欲しいとは思っていた。その時は是非将棋盤を片手に伺いたいところだ。

「それで、みんな時間は大丈夫なのか?」

 桃李のその言葉に全員が携帯電話を確認する。現在8時5分オーバー。門限に間に合う最後の電車の時刻まではまだ余裕がある。それを見越してスケジュールを組み立ててもいたのだ。

「ああ。大丈夫。そーいやさ、この寮ってこんな時間まで女子がいてもいいんだな?ここって男子寮だろ?」

 それは壮也も疑問に思っていた事だった。壮也の住む寮はいわゆる女人禁制という奴で、例えどんな関係であっても女子生徒が敷地内に入る事は許されない。発覚時点で退寮まではいかなくとも罰掃除など然るべきペナルティはある。だが、校則というのは案外進学校程緩いと聞くし、Sランクともなればその辺りは割とおおらかなのかもしれないが。しかし、「条例」の前ともなれば話は別だ。


 正式名称『学園都市青少年健全育成条例』。校則より遥かに強い権限を持つ、学生を縛る最大の枷と言っても過言ではない非常にメンドくさいルールだ。外出時間に始まり街の施設やテレビ番組、出版物、挙げ句の果てにはほとんどプライバシーに関わるような分野までを制限するそれは学園都市では知らない者はいないとされる程の絶対的なルールとして君臨している。午前のオリエンテーリングも、大半がこれの説明に使われたようなものだった。非常にややこしく長ったらしいそれに思わず眠気がこみ上げてきたその脇で小太郎が熟睡していた事は今でも覚えている。まあとにかく、この条例の前には何人たりとも逆らう事は出来ない。


「いや、本当は女子を連れては入れないんだ。もちろん女子だけで入る事も出来ないしな」

「まっ、男女が同じ部屋にいたら何か間違いがあるかもしれないからな」

 サラっと小太郎が言う。具体的に何が言いたいのかは壮也も察しがついた。女子2人も意外とそういう察しの良さはあるようで、露骨に小太郎の方を睨んでいる。特にかれんの反応はあからさまで女の子の前で、と小声で言ってるのが聞こえてくる。桃李がフォローに入るが中々怒りは収まらない。

「じゃあお別れの前にクイズ」

「クイズ?」

 壮也が返せば桃李が頷く。唐突に放たれたその言葉は、場の空気を改善しようと試みたものなのかもしれない。

「学園都市の条例により男子寮に住む学生は条例があるので恋人同士であっても寮に女子を連れて入る事は出来ません。間違いがあっては困るからです。更に、女子の人数の方が多い状態で入る事も不可能です。しかし俺たちは、この5人でなら入る事ができました。理由はどうしてでしょう」

「はあ?そんなの分かる訳ねえだろ…」

「ちょっと考えれば簡単な理由だよ」

 偏差値70オーバーの人間が言う「簡単」ほど基準にならない言葉も珍しいとは思ったが、一応壮也も頭をひねる。全員がそれに続くが中々答えは出ない。「早くしないと電車来ちまうぞー」の言葉がプレッシャーを煽っていた。

 ほどなくして小太郎、チカ、かれんの順に次々と白旗を上げた。壮也も満足な答えが思いつかない。試しにもう半分当てずっぽうで最初に考えた言葉を口にしてみる事にする。

「男子も女子も2人以上いたから、とか?」

「おお、それ一応正解だわ」

 少しだけ驚いたような桃李の反応に全員がこちらを向く。1番驚いたのは壮也自身だ。適当に言っただけなのに、まさか一応とはいえ正解なんてもらえると思うわけがない。

「正確には、男子3人と女子2人で入ったから、かな。片っぽが1人だけなら異性の数関係なしにNGだから、その時点で最低でも男3人女2人は必要って事。分かった?」

 1分近くかけて頭の中で数字を整理してようやく理解した。早い話が、女子が複数いれば間違いは起こらないという単純な考えなのだろう。そこまでわかってしまうと、こんな事に本気を出して悩んだ自分がアホらしくなってくる。

「なるほど、つまり乱交とかのシチュエーションは想定されていないという事ですな」

「乱交って…」

「サイッテー!!」

 今度はそのものズバリな小太郎の発言についにかれんの堪忍袋の緒が切れた。駅の方向に向かって逃げ出した小太郎をかれんが追い掛け回す。チカはあまりにあけすけな発言に引いていたがすぐにそれを追いかけた。時刻は8時10分、このまま電車に乗るつもりなのだろう。壮也も3人を追う。別れ際、少しだけ振り向いて桃李に手を振った。

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