3時間目

 寮から歩いて10分程の距離に最寄りの駅はある。隣接する施設だけで地下鉄、バス停、ショッピングモールと三拍子揃ったこの場所は周辺に住む学生の生活に欠かせないスポットとして有名だ。他にも電車の本数が多くて利便性が高く、ついでに遊べる場所が近隣にいくつも存在しているのも学生にとっては大きなメリットだろう。 現に壮也もまだ学園都市での生活歴3週間にして登下校を除いて既に複数回訪れている。

 そこから発車した電車に揺られ30分少々の距離に壮也が通う事になる塾は存在する。80段階に及ぶ細かな段階別指導を売りにしたそこは生徒が多いマンモス校としても有名だ。中には「みんなが通っているから」という深く考えずに選んだ親子も多いとは聞くが。


 塾の表玄関の真正面に位置する公園。もうじき授業が始まる時間とあってかそこは制服姿の学生で溢れかえっている。時刻は4時50分、電車の中にいた時から少々その色を増しつつあった夕日はもう完全にオレンジ色に染まっていた。

「いた」

 大半が男のみ、女のみで構成された中では珍しい男女混合のテーブルに小太郎が近づいていく。比率は男子1人と女子2人、女子のうち1人はかなり背が高いようだ。勉強をしているのかテーブルには参考書が何冊か広がっている。男子生徒の方はブレザー姿で女の子2人は西第3中学の制服によく似たデザインのセーラー服。もしかしたら同じ学校なのかもしれない。

 小太郎が歩を早め男子生徒の方に近づく。女子2人がそれに気づき「後ろ!」と悲鳴を上げるがもう遅い。その時には小太郎の右腕が男子生徒の首に絡みついていた。

「うげっ」

 小さく呻いてもがく男子生徒。この生徒が寺橋桃李だろう。親しき仲にも礼儀ありを地で行かない小太郎の挨拶はいくら完璧超人であろうと防げなかったようだった。

「ちょっと…」

「何やってるのよバカ!」

 女の子2人が立ち上がり小太郎の腕を引き剥がそうとする。助成でようやく自由になれた桃李が小太郎を睨んだ。

「おうおう、入学式初日から両手に花とは見せつけてくれるじゃねーか」

「勉強教えていただけだよ。ったく、背後から技かけるなよな…」

 今度はブレザーの首元を掴んでいる小太郎の手を離しながら桃李らしき生徒が振り向いた。なるほど、確かに顔立ちは文句なしに整っている。同じ中学生だというのにいい意味で年齢が10は違うと思うほどの気品と貫禄があり、大学生の集団にいても気づかないかもしれないと思った。服装もヘアスタイルも校則違反にならない程度に飾り立てられ、その容貌をうまいこと引き立てる不思議な魅力がある。首を動かすというなんでもない行為なのに、その動きもどこか優雅であった。一言で言うなら、オーラが違う。

 不意に、その目線が壮也の方に向けられる。その眼は喜怒哀楽どの感情も混じっていないというのに、緊張して壮也は身構えた。

「君が秋川壮也くん?」

「あ、はい…」

 どうやら確認だったらしい。聞けば小太郎から先ほどのラインで簡単な紹介を受けていたとか。当然今日ここに壮也が訪れる事も織り込み済み。変な事ばかり準備万端な小太郎にある意味感心する。

「あ、あたしは一色かれん。あなた、小太郎と同室なんでしょ?このバカがなんか迷惑かけてない?」

「わ、私は千寿チカだよ!」

 桃李に勉強を教わっていた女の子2人、長身の方はかれんという名でもう1人の小柄な女子はチカというらしい。かれんは長身だとは思っていたが、いざ立ってみると本当に背が大きい。165cmという同世代の中では比較的背が高い壮也の上を行く長身だ。小太郎はというとまだかれんに押さえ込まれている。この年代だと女子の方が力が強いと聞くがかれんもそうなのだろうか。

「離せよ!女型の巨人!それに余計な事言うなって!」

「うっさいわね!あーもー、時間じゃない!ほらみんな行くよ!秋川くんもごめんね?今日塾じゃないのに来たんでしょ?コタローに誘われて来たんだよね?」

 壮也が頷いたのを確認するとかれんが小太郎を引きずるようにしてその場を立ち去っていく。桃李もそれに続き、チカがそれを追いかける。嵐のように過ぎ去ったそれを壮也は呆然と見守るしかできなかった。


 今日の塾は5時から7時の2時間。それなりの長丁場となるこの時間をどう過ごせばいいか壮也は途方に暮れかけたがそれは希有に終わった。塾から歩いて5分とかからない場所に結構大きな本屋があったのだ。小太郎にラインでその店で待っている事を伝え、了承を得ると同時に若干急ぎ足でその店に向かう。いざ中に入ればそこは学園都市のご多分に漏れない参考書がかなりのスペースを占める店であったが暇つぶしに利用するには十分すぎる環境だった。

 勉強専用のスペースも漫画のコーナーも完全無視して一目散に向かったのはテーブルゲーム関連書籍のコーナー。脳トレの一環として学園都市公認でおおっぴらにプッシュをされているそれらのゲームは壮也の趣味の1つだった。特に父親の影響で将棋を強く好み、携帯電話にもいくつかアプリを入れている。14区の学校を選んだ理由の1つに14区には学園都市唯一の将棋会館があると聞いたからというぐらいに将棋にお熱なのだ。

 

 はしごをすれば2時間などあっという間だった。テーブルゲーム、漫画、小説、そして参考書のコーナーを少々。小太郎からラインが到着すると同時に数冊見繕った書籍をレジに持っていき、精算を済ませて外に向かえばすぐにみんながやってきた。

「お疲れ」

「いやー、マジ疲れたわ!つーわけで、今日これから桃李の寮向かうな!」

「まったく脈絡ないんだけど」

 かれんの言うとおりだった。何故疲れたからと言って今日初対面の人間の寮に向かわねばいけないのだ。そして、現在時刻は7時とんで10分。壮也の寮の門限、そして学園都市の外出時刻条例に引っかかるまでもう2時間とない。

「は?」

「時間ギリギリまででいいからさ、せっかくだしお邪魔しようってなったんだ。ほら、Sランクの寮って秋川くんも興味ない?」

「いや俺は別に…」

「私は興味あるのっ!」

 声を荒げてチカが言う。どうやら美咲と別ベクトルで自己主張が激しいタイプらしい。結局押し切られる形で5人連れ立って桃李の寮に向かう事になった。


 10分と歩かず辿りついたそこはあまりに学生寮という言葉からかけ離れた環境だった。ビジネスホテルを模したような壮也の寮とは明らかに格が違うホテルを思わせる外観のそこは何から何まで壮也の今までの常識を覆す。まず寮にロビーがある時点でおかしいのにそこから少し進んだ入館受付は本当にホテルのチェックインさながら。男女混合5人分という事もあり若干手間取りながら受付を済ませこれまた不必要に広大なエレベーターホールでエレベーターを待つ。15階建てというボリュームも相まってエレベーター到着までの時間が必要以上に長く感じた。

「なあ、最上階のバー行こうぜ!」

「あるわけねえだろバカ」

「じゃあ屋上露天風呂!」

「ありません!」

 小太郎やかれんがそう思うのも不思議ではない。この寮は条例どころか法律違反のバーはともかく露天風呂ぐらいならあってもおかしくない佇まいだ。出入り口でもないのに観葉植物に彩られシャンデリアが吊るされた学生寮など学園都市中探してもおそらくここだけだろう。


 桃李の部屋がある5階の一室に着くと更にそこから先は本当にホテルを思わせる世界が広がっていた。1人部屋であるのは当然の事、学習机は壮也の寮備え付けのそれよりふたまわりは大きいし、冷蔵庫だ大型テレビだと明らかに学生寮の身分を越えた調度品があちこちに置かれている。

そして壮也と女性陣がそれに目を取られている隙に小太郎はというと真っ先にベッドの下を漁っていた。

「何してる」

「男子の部屋定番の家探しですよ」

「そのまま押し込むぞ」

 突き出した尻を桃李に踏まれ小太郎がもがく。いつの間にかそれにかれんも便乗していた。先程も思ったがこの2人、なんだかんだで仲は悪くない。少なくとも昨日今日の間柄ではないようだ。

「ねえ!チェス盤なんてあるよ!桃李くんチェスやるの!?」

 チカの言葉に振り向けばガラスのテーブルの上にはチェス盤が置かれている。先ほどまではなかったはずだ。おそらくチカが勝手に引っ張り出したのだろう。正直、小太郎に負けず劣らずの好き勝手っぷりだ。少なくとも、初めて上がる他人の家の物を勝手に触るなど壮也には出来ない芸当だ。

「あ、ああ。小3の時からやってて、ハマって今でも好きなんだよね」

「壮也も将棋やってるよ」

 どうにかベッドの下から抜け出した小太郎のその言葉に全ての視線が壮也に集中した。テーブルゲームを嗜む学生は珍しくないはずだったが、どうやら今のこの空間だけは例外らしい。桃李の目に光が宿る。

「へえ、君もこういうゲームやるんだ」

「俺の本業は将棋なんで」

 確かに壮也もチェスをやらない訳ではなかったが、それはあくまで嗜み程度。定石の理解すらほとんどしてない素人同然の腕だ。現に暇つぶし程度にと携帯にインストールしたアプリではまだ1勝もできていない。

「いや、それでも十分だよ。どうだい?俺と勝負しない?」

 出来れば丁重にお断りしたかった。タダでさえ経験値が違うというのに、片や頭の回転が段違いでおそらく壮也の及びもつかない手を使うであろう学園都市のSランカー、片や畑違いの競技が本職で成績が凡人レベルのプレイヤー。勝負は目に見えている。だが、周囲はそれを許しはしなかった。

「いい機会じゃない。面白そうね!」

「桃李くんガンバー!」

「男見せたれ!壮也!」

 三者三様の好き勝手な声援が勝負を煽る。桃李はというとこの空気を是と取ったのか既に駒を並べている。顔はどこか勝負師の笑み。壮也に拒否権はないようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る