第9話
彼女の母は生前、結婚して実家を出てからも、自分の妹が訪ねてくることを、喜ばなかった。
自身は早々に看護師として働き始めたが、妹は医師になるため、日本とアメリカと二つの医大に通い、自由なふるまいを許された。ようやく妹が医師として働き始めたときも、両親の期待値は全く異なっていた。
自分は結婚と子育てが当たり前なのに、妹はそうではないのがおかしいと、一人娘に手を焼く度、恨み言を口にした。幼い時から、母親のそんな口癖を聞いて育った彼女だったから、当然、叔母のことも、あまり好きではなかった。
彼女の誕生日や、祝い事となると大いに喜び、高価なプレゼントを贈ってくれるのは、ほかの誰でもない、その叔母であったのだが、それも後で母親の不機嫌を招くと分かっていれば、素直に喜ぶことも出来なかった。
叔母は知らなかったはずである。
両親の薦めで強引に決められた相手と、終に上手くはいかなくなった姉が、広い家に娘と二人きりになったとき、叔母は励ましに訪れた。ワイン片手に、陽気な顔をして「心配しないで、私がいる」と言った。
そしてその数日後、夜勤明けの母が交通事故に遭ったときも、誰よりも先に、叔母は駆け付けた。何より搬送先が、叔母も勤務する実家の大病院であったことは、言うまでもない。
打ち所が悪かったと、執刀した医師が、言いにくそうに言葉にした。
出来る限りのことをして、助かった命だから、気を落とさず、お嬢さんにも協力して貰って生活できるようにと、わざわざ休日を選んで、彼女を呼び、話をした。彼女の母は退院した時、真新しい車椅子に座っていた。その時彼女は17歳。介護用タクシーの出迎えで、病院を後にしたとき、痩せ細った母親の顔には、全く生気が無かったのを今でも憶えている。
だから?
彼女は自問する。事前に予測できたし、母の死は止められたと?
まさか、と、彼女は答える。
母親が車椅子の生活になってから、家の中に、複数の人間が出入りするのが当たり前になっていた。彼女も受験を控えて、勉強に部活と、合わせて母親の介助という、忙しい毎日を送っていた。ほとんど誰かが傍にいて、母親の様子を見守っていた。そんな隙などあるはずがないと、誰もが思っていた。
それで?
母親の残した手紙が、たった一つ、彼女宛てに書かれたものであったことが、忘れられないのだろうか。どうしようもない母だったと、不甲斐ない女で、挙句看護師の仕事まで失い、娘の手助けなしに生活できなくなった自分を、生かしておけないと、書かれていたことが?
結果として彼女の母は、死を選んだ。娘の彼女の為に、そうしたのだ。
つまりは、娘の将来を思って、自分の人生を切り捨てたのだ。
そういう「美しい」生き方を、彼女の母は見つけ、実行した。彼女に何の相談もなく、ひそやかに、そして静かに。
体温を失った母親の姿を最初に見つけたのは、彼女だった。
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