2 終着点

それから2日。

馬車は夜間にはその歩みを止め、休息をとったが。その間、一度も箱は開かれず。一切の水、食料も与えられる事がなかった。

亮とサラは僅かな水で喉を潤し。体力の消費を抑えるため、極力動かないように努める。


「箱を燃やせば出れるかも。《火炎操作》と《火炎防御》を一緒に使えば、たぶんなんとか……。ま、間違いなく気絶するけど」


やや掠れた声で、虚ろげにサラが呟く。


「じゃあ、その後どうすんだよ?」


「ん~、もちろん、リョウがばったばったと」


「兵士の3人や4人。目じゃねぇからな」


同時に溜息がもれ、それ以上話しは続かない。



このまま飢えさせて殺す気は無いはずで。食事を与えないでいいというなら、目的地がそう遠いわけではないと言うことだろう。

疲弊させて、魔法を使いづらくするというのも考えられるが。

どちらにしても、このような状況に長らく晒されるのは、精神的にも厳しいものがある。

亮は個人的に、2度と味わいたくないと思っていたのだ。早々に辿り着いてもらいたい。


そうこう考えていると、馬車が少しのあいだ停車し。再び動き出した馬車は、小さく跳ねると。急に走行が安定して、車輪から伝わる振動と音が、一定のリズムを刻みだす。


「どうやら、やっと着いたらしいな」


「うん。何処かの町みたい」


切り抜きから表を見たサラが、声をはずませた。


馬車は、その後しばらく町中を走り。木の橋を渡って、僅かな坂を上ると。程なくして停車。

室内に入ったようで、切り抜きから流れ込む空気の質が変わり。大勢の足音が近付いてくるのが、微かに聞こえた。


気付かぬ間に、釘で打ち付けられていたらしい一面がこじ開けられ。顔を覗かせた兵士が、2人に出るよう促す。

亮は固まった筋肉を無理矢理動かし、革鎧を身に纏った兵士達の前に這い出た。


せっかく表に出られたのだが、解放感などまるで無い。予想していた通り、箱から出た先も室内だった。

馬車は数本の松明で照らされた、しっかりとした石造りのエントランスのような場所に停められ。革鎧に槍と剣で武装した兵士達が10人ばかし、亮を囲うように列ぶ。


「逃げる機会を逃した気がする……」


のっそり這い出してきたサラが、固まった腰を叩きながら囁いた。

馬車が丸々入るようなエントランスをもつ施設の規模に、周囲を囲む兵士を見れば、逃げ出すのが困難になったのは明白。

だが、今までもそんな機会が無かったのだから、仕方がない話だ。


しばらく黙ってにらみ合っていると、兵士達の列の奥から、新たに1人、鉄の鎖を持って現れる。

手にしていたそれは鋼の枷で。重厚な造りながら、鍵穴がある事から一生付けさせようという気は無い可能性がうかがえた。


「その男はウィザードだ、気を付けな」


兵士が亮に近付くと、亮達を運んできた兵士が馬車から忠告する。それを受けた方は、あからさまに警戒感を示し。亮を嫌悪とも恐怖ともとれる目で睨みつけながら、その足に枷を掛けた。


両足を鋼の鎖で繋なぎ、重量と歩幅を制限する事を目的とされたそれを付けられても、さして気にならない。

金属であるならば、壊すのは容易だ。

サラに視線を送ると、サラも同じようで。余裕を含む笑みを一瞬返してきた。


サラの足にも同じ枷がつけられ。無言の促しを受けて、数人の兵士に前後を挟まれるように建物の奥へと歩き出す。


エントランスから続く長い通路は、窓がなく。等間隔で松明の明かりが照らしてはいるが、どうにも薄暗い。

松明は昼夜関係なく掲げられているのだろうが。構造上必要とも思えない柱が、装飾も施されずにいくつも立てられ。明かりが届かぬ影が、点在しているのだ。


「手を見えるように上げておけ!」


兵士の1人。まだ若さの見える、そばかす顔の男が、声を上擦らせながら亮に槍を突きつけた。

突然の事で意味が分からなかったが、亮は黙って従い、その手を肩まで上げると。

若い兵士は鼻を鳴らし。槍を引いて、列に戻ると。誇らしげに胸を張る。


「印が切れないよう、見える所に出しとけって事よ」


サラに理由を教えられ。そんな事かと、小さく舌打ち。巷のウィザードは常にこんな扱いなのかと。その苦労の一端を垣間見た。


長かった通路を抜け、四方に扉のある小ホールで階段を上がる。

侵入者対策のためか、異常に複雑な造りになった建物の内部を、足早に歩く兵士に急かされ、邪魔な足枷に苦労させられながらも。亮は、その道順、目印を必死に記憶していた。


2階に上がると窓もあったが。それは身体はおろか、頭も通らない程に小さい代物で。とにかく出入り出来るような場所が無く。

せめて1階まで降りる道順でも覚えておかなければ、いざという時にもたつき、それは脱出の可能性を著しく低下させる。


「ここで止まれ」


通路の途中で発せられた、兵士の号令とも思える声で、慌てて立ち止まり。こぼれ落ちそうになった記憶の蓋を必死に押さえながら、兵士が脇の扉の鍵を開けるのを見守る。


扉が開かれると、鼻をつく薬品の臭いが漏れ出てきた。

開け放たれた扉を、促されてくぐると、そこは奥行きが5メートル程の部屋で。荒い木の机がいくつか置かれ。その上にはフラスコや乳鉢。用途不明の器具が列んでいる。

壁際には同じような物が仕舞われた、粗雑な棚に。書類の入った本棚。

部屋の奥には、小さな寝台がひとつ。

机の上に出された器材はどれも空で、見たところ薬品の類が置かれているようには見えず。この臭いは長年さらされ、壁や家具に染み付いた物だと思われる。


この、明らかに研究室然とした部屋の中央に、研究者であろう男が1人。机に向かい座っていた。

男は開いていた本から目を離し。椅子に座ったまま、入って来た者たちの方にその身体を向ける。


「その子達は?」


禿げ上がり、深い皺の刻まれた気難しそうな顔の初老の男は。顔に似合わぬ温和な声で、亮達の事を兵士に尋ね。

その老人の足にもまた、足枷がはめられていた。


「貴様が頼んでいた助手だ」


「では、あの本を見つけたというのかね。この子が?」


驚きに目を丸くして、亮とサラを交互に見やる。


「どうして2人もいるのかね?」


「女の方はオマケだ」


「いろいろあんのよ」


理解出来ていない老人に。オマケと言われたサラは、面倒くさそうに放ったその一言だけで、説明をすませた。

亮にもその気持ちが分からなくもない。説明だなんだの前に、飯を食わせろと。頭が無意識に反抗しているのだ。


「では君があの本を見つけたのだね」


「ええ、図書館で」


「あの本を見つけたウィザードを助手として連れてきて欲しいと頼んであったのだよ。すまないけれど、よろしくお願いするよ」


老人は微笑みを浮かべ、亮に手を差し出し。

亮は、椅子から立つぐらいしろよ、と思いながらその手を握り返す。


「私は、フランシス・スチュアートだ」


突然の事で、亮の頭が空っぽになる。

心に微かに残っていた苛立ちが、一気に膨れ上がり。漆黒の衝動となって、空っぽになった空間を埋め尽くす。

気がついた時には、すでに掴みかかっていた。


「あんたがぁぁーーーーっ!!」


床に引き倒して馬乗りになり。胸ぐらを掴んで拳を振り上げる。

だがその拳が振り下ろされる前に、兵士達に引き剥がされて、押さえ込まれた。


「離せよこらぁっ! そいつはぶん殴ったぐらいじゃ気が済まねぇんだ!」


「何やってんのよ、まったく」


サラが手を貸し、フランクを助け起こす。


「いや、良いんだよ。彼の怒りはもっともだ」


フランクは変わらぬ温和な声で返し。サラに小さく礼を言う。

だが、肩を貸されても、その足が床をしっかり踏みしめる事なく。ヨロヨロと、床をかくだけだった。


「そいつは足が動かねぇのさ」


若い兵士が冷めた目で言った。


フランクのその姿と、兵士の言葉で。もがき、わめき続けていた亮の動きが止まり。心を支配していた怒りが、見る見る静まっていく。


「ちくしょう……きたねぇよ」


新たに開いた空間からは、涙が溢れ出し。


「それじゃぁ……そんな奴、怒れねぇじゃねえか……」


亮は顔を伏せて、咽び泣き続けた。

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