第2章

1 箱の中

ほとんど見通せない闇の中。狭い空間に2人、無理やり押し込められて滅茶苦茶になっている体勢を正そうと姿勢を変える。


「痛いって、ぶたないでよ!」


「わりぃ、なんも見えなくて……がッ」


そんな2人の姿勢が整うのを待つこともなく、馬車は動き始め。

舗装されていない原野に出た車輪が跳ねて、鼻先を蹴り上げられた。


「ごめ~ん」


数分間、サラと意図しない格闘を繰り広げ。互いに斜に向かい合って膝を抱えるという形で落ち着く。

箱の大きさは。相手の横に、足を伸ばせるぐらいの広さはあり。この体勢なら、頭もギリギリ天井にぶつからない。


亮から見て左面の上部に、拳二つ分程の小さな切り抜きが開いていて。外の様子がわずかに見れた。


「ムカつくね、あいつ」不意にサラが声をあげる。


「つか、なんでこっちに着いてきたんだよ? ベルナに案内する途中の方が、逃げる機会も多かっただろ、たぶん」


助けに入ってもらった手前、強くは言えなかったが。サラを逃がすためにした交渉だったのに、結果、こうして一緒にいるのは、いささか不服だった。


「うっさいな。こっちなら一緒に逃げれるでしょうよ」


「この状況を見ろ。どこにそんなチャンスがあんだよ?」


「蹴破りゃ……いいんで……しょっ!」


ムキになったか、そう言いつつ、亮の脇の壁を何度も蹴り。そのたびに、箱の中には轟音が轟く。


「止めろっ、無理だよ。結構厚いんだって、この板!」


壁の切り抜きの縁を見るに、板の厚さは3センチ近くはあった。道具もなく壊すのは難しい。


「静かにしてろよ。ウィザードも妙な魔法を使うんじゃねぇぞ」


天井がノックされ、兵士の声が響いた。


「うっさい。燃やすぞ」


サラが噛みつくと、余裕の笑い声が返ってくる。聞いたところでは恐らく3人ぐらいは居るようだった。


「参ったな~。木箱だとは思わなかった……」


そう言いながらサラはブーツの脇を探り。先ほどナイフを仕舞っていた空間から、小さな瓶を取り出す。


「おい、まさか! ……それって」


小瓶の中身をすぐに察した亮が、期待から思わずその身を乗り出し。表の兵士に聞かれないよう、咄嗟に途中で声を落とした。

亮の驚きと期待の眼差しに、サラは勝ち誇ったような笑顔を見せる。


「そ。リョウに貰った、鉄溶かす薬。ナイフ渡す時に隠しといたの」


「サラさん、最高。どれくらいある?」


「まだ使ってない」


ならば、当時、半々にしたのだったから。セヴァーで使った時と同じぐらいはある。つまり、錠前1つ分くらい。


「上出来、上出来」


「でも、周りは木だしね。使いようが無いよ」


「今はな。そのうち機会はあるって」


「じゃあ、それまで大人しくしときますかね」


もたれた壁からズルズルとずり落ち、両膝を立てて寝転がると。サラのお腹が可愛らしい鳴き声をあげた。


「お腹すいたね……」


「そういや、飯食ってなかったな……」


しみじみ呟き、同時に切ない溜息。


「ね~食べ物ないの~?」


サラが天井に向けて叫ぶと、表からは五月蠅いとだけ返ってきた。


「溶かすぞこら!」


空腹の苛立ちから、亮が噛みつくと。今度は笑い声が返ってこない。


「溶かせるの? つか、何溶かすの?」


「さぁ、知らねえよそんな魔法」


無駄に体力を使うのも馬鹿らしい。亮もまた、ズルズルと膝を立てて寝転んだ。


「そういやあんた、本当にウィザードなの?」


サラも燃費を抑えてか、空腹でダルいのか。声のトーンを幾分落としていた。


「ん、まぁね……」


「でも、初めて会ったときは、水の章印あったじゃん?」


「あの時は、水の精霊に、精霊結晶の探索用として貰ってたんだよ」


右手を掲げ、いまや章印の無い、その甲を見上げた。


「へ~、そんな事できるんだ」


「らしいね」


僅かな沈黙が2人の間に流れる。


「あたしは、別にウィザード嫌いじゃないよ。むしろ好きかな……」


その声には、たまに片鱗でしかその姿を見せない、彼女の優しさが溢れていた。


「私の母さん、ウィザードだったから。……あ、私のというか、父さんの奥さん。いや、意味同じか、えっと……」


身体を起こし、身振りを込めて説明しようとして。さらに混乱したのか慌てる。


「大丈夫、わかるから」


「ん。ほら、ウィザードって子供が作れないでしょ。だから、養子を育てようってさ。そんで、なにを思ったか。道端でワルやってた、こんなひねくれ者を選んじゃったのよ、あの人」


困ったように、はにかんだ。

寝転がって聞く話しではないと、亮も身体を起こす。


「私の魔法は、母さんの直伝なんだ……」


「うん、さっきのは格好良かった」


「たりめ~よ~。だれが作ったと思ってんのよ」


とびきりの笑顔を見せ、亮の肩をバンバン叩く。


「だから、私らの前じゃ気にしなくていいよ。初めて会ったときだって隠さなくても良かったんだから」


「ありがとう」


あの時はウィザードだなんて知らなかったのだから、どうしようもなかったのだが。なんにせよ、サラの言葉は純粋に嬉しかった。


「そういやぁさ。アレッサはどうした?」


気恥ずかしさを誤魔化すように、半ば強引に引っ張り出した話題だったが。

口に出してみて、残されたアレッサ達の事は重要であると気づく。


「大丈夫。あたしとあの白頭を確認して、父さん達に知らせに走ってもらったから」


「そうか、よかった」


白髪の騎士はすんなりと諦めたような素振りを見せたが。どうせ同時にグンナロを狙うに決まっている。

巻き込む事になってしまい心苦しいが。みんなに白髪の騎士とランサスとの繋がりが伝わっているならば、相応の警戒は持ってくれるはずだ。


グンナロとステラは頭が良いし。ニカイラに至っては、並の兵士が束になって捕らえに来ても、ある程度の人数ならば切り抜けるだろう。


そして。彼らはアレッサを見捨てたりはしないという、確かな自信があった。

まずは自分達の事だ。とにかくこの状況をどうにかしなければならない。


「あっつい。お腹減った。足延ばした~い」


サラが寝転びながら、天井を蹴り上げる。

半ば密閉されているせいか、箱の中の温度はどんどん上がっていて。不快感から、こうして定期的にサラが騒いでいるが。少し前から、表の兵士達は何の反応も示さなくなっていた。


出発から数時間。

相変わらず原野を進んでいるようで、馬車は不規則に大きく揺れ続けている。

切り抜きから見える風景に、時折デュポアール山の姿が見え。景色の流れていく方向から、南へ進んでいる事だけは分かった。


「水なら少し出せるぞ」


いよいよ黙ってしまったサラを見かねて提案すると。サラは首だけ亮に向け、疑わしげな視線を送る。


「どうやってよ?」


「いや《水作成》の魔法。精霊に魔法を少し教えて貰ったからさ」


「へぇ……。便利ね、精霊。というか、ずるい」


「ま。代償が代償だけどな」


精霊結晶と簡単な水霊魔法では、明らかに釣り合っていない。


「それもそうね。で、どうしてればいい?」


「このままで、口に注ごうか?」


なかば冗談で言ったのだったが。

サラは「じゃあお願い」と、天井を向いて、目を閉じ、大口を開けた。


そうなれは仕方がない。

亮は静かに呪文を詠唱して、軽く握って筒を作った拳をその口の上にあわせる。


あまり勢いよく流し込むと、十中八九むせるのは目に見えているので。

量を調整しようと、手の筒から水が滴るようにイメージ。


《水作成》の消耗の大きさは身に染みて知っている。

気絶しないよう、慎重に詠唱を繰り返してから、魔法を発動した。


イメージ通り、少しずつ流れ出た水がサラの口に落ちていき。サラが亮の膝を叩いたのを合図に止める。


「うまい。いや~生き返るね」


大きく喉を鳴らして飲み込んだサラが、機嫌良く亮の膝を叩く。


「そいつは良かった」


「大丈夫?」


「これぐらいの量なら、まだ大丈夫」


心配そうに顔をのぞき込むサラに、青い顔をしながらも手を振って答えたが。

連続して使うのが無理であるのは明らかであった。

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