6 希少本

どれほど本を見ていたか分からないが。腰が痛く、筋肉が強ばっている事から、そこそこ長時間、同じ姿勢を続けていたようだ。


本を棚に仕舞い。腰を伸ばしながらステラのもとに戻ると。ステラは変わらず本達と向き合っていたが。机に散らばる走り書きのメモが、時間の経過を物語った。


亮が近付くと、丁度ひと息つくのか、ステラが唸り声をあげながら背筋を伸ばす。


「お疲れ様です。お茶でも出せればいいんだけど」


「ほんと、不便よね。どれくれらい経った?」


亮が曖昧に笑うのを見て、ステラは天井の窓から空を見上げて時間を推し量った。


「まだ日は影ってないわね。もう少し大丈夫だわ」


時間を無駄にしないため、気合いと共に頷き。脇にあった1冊を手に取る。すると、そのページの隙間から1枚のメモが滑り落ちた。


「ジェイク・ロナウド・ローエルの英雄記……5章14頁」


足元に流れてきたメモを拾い。亮は、書かれていた言葉が見慣れたものであったので、思わず読み上げる。


「それは私が書いたものじゃないわ。たぶん、前に読んだ人が忘れたのね」


ステラが手にした“古代海洋妖魔研究考察“のページをパラパラ捲り。もうメモが無いことを確認しながら言う。


「英雄記なら多少分かるし、ちょうど良いかな」


暇潰しにはなりそうだと、亮は手にしたメモを見ながら、またも本棚の迷宮に戻った。


要領は最初と同じ。片っ端から本棚を見て、英雄記を探す。

程なくして見つけた棚は、様々な著者の英雄記だけでひと棚埋まるほどのもので。

これならば目的の物もあろうと探したが、残念ながらジェイク・ロナウド・ローエルの名は無かった。


周囲の棚も確認の為に見てみたが、見つからず。ここで降参する。


とくに読みたいという訳でもなし、このまま無視してもよかったが。

亮の心に僅かな意地が顔を覗かせ。司書に尋ねようと、カウンターに向かった。


「ジェイク・ロナウド・ローエルという人の英雄記を探しているんですけど?」


だいぶ時間が経たったせいか、カウンターの司書が入れ替わっており。今度対応に出た司書は、気怠げな美人だった。


「少々お待ちください」と、先程と同じ対応で本をめくり。蔵書を調べる。


「お探しになっている、ジェイク・ロナウド・ローエルの著書は、希少文献として書庫に収められております。閲覧られる場合は記名をお願いしておりますが、よろしいでしょうか?」


どうりで見つからないはずだ。

亮は少々面倒にも思ったが、せっかくなので司書に持ってきてもらい。リストに記名すると、かなり古そうな本を手にステラの所に戻る。


「これも希少本でしたよ」


一応の説明をしつつ、ステラの前の席に座り。いざその表紙を見た瞬間、脱力して崩れ落ちた。


「どうかしたの?」


あまりの様子にステラが顔を上げた。


「ああ、すみません。予想に反して、まったく読めなくって」


そう言って亮は、見えるように表紙を持ち上げる。そこには、今までアレッサやステラに習ってきた文字とは別系統の文字が刻まれていた。


「ああ、なるほど。相当古い物みたいだし、帝国共通語が作られる前の物なのね」


「メモに騙されました」


「騙されてはいないでしょうよ。まぁ、古代語の勉強だと思いなさいな」


微笑みを残し自分の研究に戻ったため。亮は諦めて手元の本を開いた。

中身はまったく読めないが、英雄記のストーリー事態は分かっている。どうやら、亮の持つ子供向けの本では割愛された話があるらしく。みしらぬ場面の挿絵がいくつもあった。


これは、なかなか楽しくなったと嬉々としてページを捲る。

以前、アレッサが憤っていた五英雄が集まる場面は。こちらではちゃんと、始原の魔女が、戦士を求めて各国を旅する姿が描かれていた。


戦士達の集結。魔王城での敗北。アンドレオスとの戦いをヘて。

物語はヴェヴィナとの戦いの章へと入る。


船を求めて一行は港町に入るが、その町はヴェヴィナの脅威さらされており。

戦士達はヴェヴィナとその軍勢と戦う。

暗雲垂れ込める寂れた港町を、丘から4人の戦士が見下ろす絵から。次の挿絵を見ようと、素早くページを捲り。その手が止まった。


丸々1ページ、乱暴に破り取られていたのだ。


僅かに残った切れ端から、そのページには挿絵が描かれていたことが分かり。

そして、破り取られたそのページこそ、あのメモに書かれた第5章14頁だった。



「酷いわね」


亮の様子から異変を感じ取り、状況に気づいたステラが眉をひそめる。


「メモにあったページですよ。そのためのメモだったんですかね」


報告用に書いておいたが、忘れて帰ったという線を想像。


「普通は、希少文献を破損させてしまった瞬間に報告すると思うけれど」


亮は、“破損を見つけた図書館関係者が“という意味で言ったのだが。

ステラは閲覧者の仕業と思ったらしい。


「その前に、怖くなって逃げたとか?」


「ありえるわね」


ステラの声に嫌悪がこもる。


「実際、俺も割とビビってます」


亮は引きつった笑みを浮かべた。入館料クォーター銀貨2枚のしたのだ。希少文献の弁償となれば、どれほど請求されるか想像もつかない。


「あなたがやった訳じゃないでしょうに。司書さん達は本の専門家よ、大丈夫だから行ってきなさい」


呆れ顔でそう言われれば、付き添ってくれなどとも頼めず。

亮は全身に鉛でも付けられたかのようにゆっくりと、立ち上がると。憂鬱な気持ちを引きずって、本を司書の所へと持って行った。


「あの、これ……」


亮が本を、破られたページが見えるように開き。怖ず怖ずとカウンターに差し出すと。それを見た司書の表情が凍りつく。


「お預かりします」


「私がやったわけでは無いですよ」


カウンター内にいた司書達が集まり、険しい表情で話し合いを始めた事で恐怖が増し。身を乗り出して、思わず訴えた。


「はい、ご安心ください。切り口が古いのでそれは分かりますので」


それを聞いて、亮はホッと胸をなで下ろす。


「別の本に、こんなメモが挟まっていたんですが。ご存知なかったんですか?」


メモを見た司書達は心当たりは無いと、揃って首を傾げ。棚から破損報告と書かれた書類を取り出すと、すばやく数回目を通した。


「報告は出ていないわね」


「それじゃあ、私以前にこの本を読んだ人がやったって事ですか?」


「以前というか。あなたの前にですね。破損を見て見ぬ振りをしたのでなければ」


司書は、いよいよ苛立たしげにそう言うと。先程、亮も記名した英雄記の閲覧者リストを確認した。完全に他人事となった亮も、好奇心からその手元を覗き見て、自分の前に書かれた名前を探す。


「えっと、前回閲覧したのは。フランシス・スチュアートさんという方か……」


そこにあった予想外の名前に、亮は驚きのあまり洩れそうになった声を、咄嗟に抑えた。覗き見て一緒に読んでいなければ、思わずリストを取り上げ。自らの目で確認するところだった。


「へぇ、いつ頃から破れてたんですかね?」


平静を装い、世間話をするよう努めて尋ねる。

情報は欲しいが。せっかく他人事になってくれたのだし、知り合いだと思われるのは避けたかった。


「この人の仕業なら、2年ちょっと前ね。見つけるのは無理だわ、まったく」


司書は苛立たしげにリストの名前をはじく。


「そのページの修繕は出来ます?」


「同じ本が見つかれば、複製を継ぎ足す事になりますが。なにぶん希少文献ですので、当分は無理だと……」


そこで司書は、相手が亮であることを思い出したのか。ふと冷静さを取り戻した。


「この度は申し訳ありません。報告していただき、ありがとうございました」


「いえ、大丈夫です。それじゃあ」


これ以上聞き出そうとしてボロを出す前に、ステラの所に戻る。


天井の窓から見える空が、いつしか燈色に変わり。ステラは、荷物をまとめて戻る支度をしていた。

ステラが希少文献を返却している間に、亮がその他の本を棚に戻し。2人は図書館を後にする。


「ステラさんがフランクさんに最期にあったのって、いつでしたっけ」


大学の敷地を出たところで、亮が尋ねると。ステラは、何を突然といった風な表情を見せ。軽く握った拳を口元に寄せ、記憶の糸を手繰る。


「エニグスの事を教えてもらった時が最後よ。まぁ、4年ぐらい前ね」


「そうですよね」


「どうかしたの?」


「いやですね。実はさっきの破かれた本なんですけれど……」

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