7 エニグスってなんだ

「それって、フランクさんはエメトールにはいないってこと?」


夕食の席で、亮の説明を聞いたアレッサが、わずかに首を傾げる。


「30点です。図書館での一件では、フランクもここで調べ物をしたってのがわかっただけよ」


すでにグラス数杯の葡萄酒を飲み干し。ステラが使い物にならなくなるのも時間の問題だ。

亮は、この話題を切り出すのを食後にしたことを後悔しながら。空になったグラスに、新たに赤い液体が満たされていくのを見つめた。


「問題はなんで英雄記なんてのを調べてたかってところよ」


「ふむ。エニグスなどという新種を調べるのに、なぜ古書である英雄記なのか、であるか?」


「あ、新種なんだ、やっぱり」


亮の呟きに、一同から"なにを今更"という視線が突き刺さる。

異世界慣れしてきたせいで、気が緩んでいた。


「いや、ほら。ステラさん、イベリア古代海洋生物なんちゃらって読んでたからさ」


少々焦りながら、手振りで先を促す。


「そうね、うん。実は似た妖魔はいるのよ実際」


「そうなんですか」


「古代種の海洋妖魔みたいなんだけれど、ヒトデの化け物がいてね。なんと、そいつの名前がエニグスなの」


一同がどよめく。


「じゃあ、そいつじゃん」


「いいえ。その妖魔は海上を漂い、接近した獲物に張り付いて捕食するらしいわ」


「今のエニグスは、思いっきり陸上に出て来てるよなぁ」


「だから、私が思うに。今のエニグスの名前はその古代妖魔からつけたれたのではと思うの」


「えっと。初めて今のエニグスを見た人が、古代のエニグスを知っていて。ヒトデと海という共通点から、エニグスと呼んだと?」


「90点。その通り」


10点足りない。いまいち基準の分からない採点ではあったが。


「私は、その名付け主をフランクと見たわ」


思い当たるふしがあり、亮は指をパチンと鳴らす。


「なるほど。確かにフランクさんの塔に海洋生物の本がありましたね。それに、ステラさんにエニグスって言ったのなら、時間的にフランクさんの可能性が高い」


「それで、それがなんなの?」


サラがあっけらかんと言い放ち、場の動きが止まった。


「結局、エニグスとは何かって話しだろう?」


サラの扱いになれたグンナロは、すぐに話しの筋を立て直した。


「古代種がいたっていうなら。その亜種や進化したやつかもですね」


「シンカとかいうのはちょっと分からないけれど、亜種ということはないわ。根本的に別の妖魔だって、今日調べて確証をもったから」


昼間に書き取ってきた、何枚ものメモを確認しながら答える。


「実際、今のエニグスを研究してみて気がついたのだけれど、あの生き物は生物として大きな問題があるのよ」


「妖魔なのだ。魔物や獣と構造が違っていても、おかしくなかろう?」


ステラは難しい顔をして頷くと、手にしていたグラスを置いた。


「確かに妖魔は生物や自然の変異体という特性上、既存の生命とはそのありようで一線を画しているけれど。それでも補食による生命維持という事においては変わりないはずだわ」


「まるで今のエニグスが何も食わんような言いようだが、奴は何でも食うぞ?」


「本当に何でもいいのよ、むしろ食べなくてもいい。そもそも消化器官がないんだから」


消化器官といえば、食べたものを消化し、栄養として吸収するという生命活動の基礎ともいえる器官だ。

それが無いということは、食物から新たにエネルギーを得る事が出来ない。


「じゃあどうやって生きてるんです?」


「エニグスは、補食しようがしまいが。セヴァーに来た時点から3日ほどで死滅するのよ。泳ぐ速度から見て、最南方の町を襲っている個体は、その朝には死ぬ計算」


「なにそれ」


思わずサラが怪訝そうな声を上げる。


「セヴァーでは暇だったからね。実際、数十匹捕まえて経過をみたけれど。個体差こそあれ、最大でも4日保たなかったわ」


補食をせず、死ぬまで動き続ける。そんな生き物もいないこともなかろうが、エニグスほどの体格で話なら、その性質は異常に思え。

植物であるとは、到底思えない。

もし、そのような生き物が補食行為をするというならば。それは、生命維持以外の目的だろうと、亮は考える。


「それじゃあ、何のために物を食べるんです? 産卵のエネルギー源とか?」


「まだわかっていない。取り込んだ食べ物は、死骸の中に丸々残っていたから」


そう言うと、ステラはグラスの残りを一気に飲み干した。


現状の情報をまとめると。エニグスとは群れをなして、命の限りただひたすらに町を襲い。理由なく全てを補食する。

モンスターと呼ばれる存在には、お似合いの行為に思えたが。それはこの世界でも異常なのだという。


「結局、いまだ得体の知れぬ妖魔だということか」


「ま、もう数日は図書館で調べてみるけれど。私より先を行っているはずのフランクが、英雄記なんてのを見ていたってのは。やっぱり少し気になるのよね」


話はこうして最初にもどる。


「じゃあさ。その英雄記にエニグスが載ってたんじゃない?」


空のカップをもてあそびながら。またもサラが軽く言い放った。


「英雄記には……ほら。いろいろと、書き換えられたり、不明瞭だったりする事がね」


英雄記を信じるアレッサの手前、内容が嘘臭いとは言えず。ステラは慎重に言葉を選ぶ。


「でも、何かしらのヒントになる絵があったって事ですよね。挿絵のページでしたし」


亮がそう言うと。ステラは「50点」と、手にしたメモの1枚を亮に見せ。裏を返して、白紙の面を見せた。


「あ、そうか。裏ってのもあるか」


本なのであるから。挿絵の描かれたページの裏には勿論、物語の文が書かれているものだ。


「そもそも、あのページにヒントがあるとも言い切れないわよ」


「なぜです?」


「本当に損傷をメモしただけで、それを忘れたのかも知れないじゃない」


英雄記を読むは読んだが。目的を果たした後に、破れたページを見つけてメモを残した。

ぐうの音もでず、頷きと共に言葉を詰まらせ。亮はしばらく黙っている事にした。


「そんなん言い出したら、そのフランクって名前も偶然やら、偽名かもよ?」


「う……確かにそうね」


サラに言われて。ステラも、おもわず苦笑い。

やはり、良くわからないという結論でその場は収まり。ステラは一般的な晩酌よりもだいぶ早い。ステラ特有の晩酌を再開する。


「ほんと、まぁ。よくはわからねぇが、エニグスの発生域はこれ以上広がらねぇってことだよな?」


「いきなし寿命が延びたり、発生源がズレない限りね~」


「発生源てどこなんですか?」


口を噤んでいた亮は、アレッサの質問に密かな賞賛を送る。


「ん? トランティア海のどっか」


「広いって!」


亮は反射的に突っ込んだ。


地図によれば、リベリア半島を囲む海の南面を、アストリア海と。それ以外すべてがトランティア海と表記されている。


「もうちょっと調べればわかるよ。ランサス側の発生地域を見れば、だいたいの想像つくの。1発よ、もう1発」


「ああ、それもそうですね」


回路がおかしくなってきたのか。ステラの目つきが、明らかに変わってくる。


「じゃあ、俺らもう寝ますね。お休みなさい」


亮は絡まれる前に、アレッサを連れてそそくさと部屋へと退散した。


「あのね、リョウさん」


アレッサを部屋へと送り届けたその帰り際。

ベッドに入ったアレッサが、亮の服を掴んで引き留める。


「さっきの話だけど。私、フランクさんが本を破くなんて、どうしても思えないんだ」


ランプに照らされたアレッサの真剣な眼差しに、亮はその言葉は信じられる気がした。

フランクの塔にあった書庫を思い出せば。本を愛する人だというのは、容易に想像できる事だ。


「わかった、俺はアレッサを信じるよ」


「ありがとう」


安心したのか、その手を放し。アレッサは、毛布を口元まで引き上げて微笑む。


「お休み」


「お休みなさい」


挨拶を交わし、亮は少女の髪をひと撫でして、自室に帰った。


部屋に戻った亮は、朝練の準備を整えてから、ベッドに入り。窓の外に浮かぶ、以前よりも赤みがかかってきた気のする月達を眺めながら。ぼんやりと先程のアレッサとのやり取りを思い返した。


フランクは決して本を粗末にはしない。


しかし、退っ引きならない事態。例えば、命を盾に脅されてとかならば、有り得ない事も無いはずだ。

だが、亮はアレッサの言う、決して本を破かないというのを信じ。

それを思考から除外する。


ならば誰が破いたというのか。

フランク以前の人間か、それともフランクが返却した後の話しか。

もしフランク以後であるならば、おそらくは図書館の書庫内での出来事になる。


だとしたら──。


そこで亮は思考を止めた。

結局憶測でしかないし、犯人を見つける必要どころか、知る必要もない事。

明日は昼から、旅の買い出しに行くのだと。

月達に背を向け、その目を閉じた。

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