3 学問都市ウィン

アレッサが荷台の後ろに陣取って、離れゆくフィロ=レ=バクーナを眺めている。


一行は翌朝早くに町をたった。

地図上での計算ではあるが、早朝に出れば、ウィンに到着するのが2日後の夕方になるからだ。


馬車は街道を北東へと向かい。デュポアール山はいよいよ近づき、街道は避けるように東へゆっくりと寄っていく。

じきに進行方向の左手に移った山は。

春もだいぶ深まったこの時期においてもなお、目に見える山肌のほとんどが白く。

相当の標高であろうと見て取れた。


街道の周囲は相変わらずの平原であったが。点在する岩が徐々に大きくなってきたように思える。

デュポアール山の麓には、鋭く尖った灰色の岩山が広がっていて。その延長で、周囲に岩が広がっているのかもしれない。

手綱を手に、暖かな日差しと、爽やかな風を受けながら。名も知らぬ小鳥の歌をBGMに、亮はぼんやりと、そんな思考を巡らせていた。


ともすれば襲ってくる眠気に抗おうと、御者台の脇に置いてある袋に手を伸ばす。だが袋に入っていたのは、好物の塩漬け乾燥肉ではなく。乾燥大豆だった。


「今日の授業といきましょうか、リョウ君」


乾燥肉の入った袋を手に、ステラが微笑みを向ける。


「わかりました、先生」亮は諦めの溜め息を吐いた。


「よろしい100点満点。それじゃあ《空気操作》といきましょうか。ウィンに着くまでに覚えてね」


「……努力します」


「それと、もう少し馬術も覚えてもらうわよ。アダムさんたら優し過ぎて、苛々していたの」


亮は、げんなりとうなだれ。そんな亮を見て、ニカイラは苦笑を漏らす。


「大変であるな、リョウ殿」


亮は荷台で砦を眺める姿勢のまま、既に寝息を立てているアレッサを一瞬見やり。どこにも助け船は無いと、亮は覚悟を決めて。呪文を書き取るノートを広げた。


それから亮は、日中を馬車の運行に、魔法と文字の練習。日が暮れてからしばらくは、ステラが唱えた《灯》の魔法の下、馬術を習った。


日々、肉体と精神を酷使し。以前の亮であれば、投げ出していたような過酷さであったが。

経験上、この世の中。習得していなかったために死にました。などということが無いともいえない。

異世界で暮らす上で、少しでも利になるならと。少々の苦は我慢する事にした。



メレイデンを出て、2日目の昼。

馬車の手綱はステラが握り。亮は真剣な眼差しで、荷台に座っていた。


《空気操作》


亮が手をゆっくりと下げると。水を張ったペットボトルの中を、気泡が亮の手の動きにあわせ、浮力に逆らいゆっくりと沈んでいく。


「おおーーっ」


固唾を呑んで見守っていたアレッサとニカイラが、歓声と拍手で称えた。


だが、それも数秒の事。気泡はすぐに自由を取り戻し。勢いよく浮かび上がって、弾け消える。


「やっべ……吐きそう」


亮は荷台から外に身を乗り出して、崩れ落ちた。


「ほんと、ギリギリだったわよ。良く発動したものだわ」


「いや……2日しか練習してないんですから」


襲い来る頭痛と吐き気を堪えながら、街道に向かって力無く言い。そんな亮の背中をアレッサは心配そうにさする。


「それはそうよ。私は今日までしか居られないもの」


「そっか、なんだか寂しいです」


「リョウ君がもっと早く覚えてくれたら。アレッサちゃんにも、少し教えてあげられたのだけれどね」


サラッと無茶苦茶を言われたが、亮には突っ込む余裕はなく。黙って流れ行く街道に苦笑を向ける。


「まぁ、《空気作成》はアレッサちゃんに習って頂戴。一番大変な所を残しちゃったけれど」


「頑張ります」


横でやる気を見せるアレッサだったが。もとよりそのつもりで風霊魔法を習っていたのだ。

いい加減、亮はやれやれと顔を上げた。


亮が視線を上げた瞬間。

石塊が転がる平原の遙か先に、すべてが淡く黄色味がかった石材で作られた都市が見えた。


もしやあれがウィンかと、確認をとろうとしたが。慌てて動いたら、更に気分が悪くなり。まぁいいか、と、荷物に寄りかかって目を閉じた。



「リョウさーん、ついたよー」


目を閉じていたのは一瞬の事と錯覚して、亮は飛び起きた。しばらく呆然とした後、自分が眠っていた事に気がつく。


「多少、顔色が良くなったな。精神疲労には寝るのが一番だ」


「寝てたのか。なんか、スッキリした」


亮が御者台に寄ると、馬車は既に町に入ろうという所で。街道は玉石舗装に変わり、車輪が奏でる音が規則正しくなった。


門は設置されておらず、出入口は、装飾が施された大きなアーチで。

町を囲む壁は、防壁というよりも塀で。今までの町に比べれば格段に低く、薄い。

今までの町とは違い。このウィンには、戦への備えは一切見られなかった。


それでもアーチの内側に設置されていた監視小屋で、兵士相手のお決まりの問答を経て。さしたる問題もなく、市街に通される。


荷台から町並みを眺めていた亮の、このウィンに対する印象は堅いの一言。


しっかり施された区画整理と、面白みのない建物に。暖かみのある色合いにも関わらず、町はどこか冷たさを感じた。

人通りの少ない事に加え、たまに人がいたかと思えば、厳しい顔で足早に歩いていて。陰気というほどではないが、活気があるともいえない。


好意的な言い方をするならば。

大学を有するという、この学問都市は町並みからして、知的であるといえる。


「ステラさん、ちょっと停めて!」


馬車が大通りに入った矢先。亮は不意にそう言うや否や、荷台を飛び降りる。通りを歩く人を流し見ていたその中に、意外な人物を見かけていたのだ。


一目でその人であると気がついたのは、その姿が周囲から浮いていたからで。

その人物は、キルトのシンプルなブラウスに、ひざ下丈のスカートと。一見すると普通の町娘風の装いであったが。

ベルトと一緒に剣帯を着けて。そこに女性の護身用にしては、いささか大袈裟な、大振りの短剣をぶら下げ。それを、まるで、ブランド物のバッグであるかのように、柄頭に手を乗せて軽快に歩いていた。


そんな出で立ちでもって、こんな真面目一辺倒の場所を歩かれれば、嫌でも目に付くというもので。よくよく見ればというやつだ。


亮は道行く人達をかき分け。先をいく赤茶のポニーテールの少女に追い付くと、声をかけた。


「ちょっと、サラ!」


声をかけてから、亮が彼女と一緒にいたのはたったの1日程度であり。ひょっとしたら人違いかもしれないと、一瞬、不安になる。

だが、果たしてその少女。サラ・ウォーカーは、呼び掛けに反応して振り返った。


サラは亮の姿を確認するなり、眉間にしわを寄せ。口元に手を置いて亮の事をジッと見つめる。

口が一瞬 “だ“ といいかけたが。不意に表情が明るくなり「おおっ」と、手を打つ。


「リョーじゃん。何あんた、真っ当な格好してんのよ。一瞬、わかんなかったじゃない!」


「うわ、ひでぇな」渋い顔で、笑う。


「ごめん、ごめん。でも、元気そうで良かったよ。父さんと心配してたからさ」


「何とかね。いや、本当。今、元気なのは2人のおかげだよ」


思わぬ再会に、2人で盛り上がっていると。そこに、亮の後を追ってきていたアレッサがやってきた。


「あら、可愛い。どしたの、この子?」


アレッサの存在に気づいたサラは、しゃがんで視線をあわせると「はじめまして」と、微笑んだ。


「はじめまして。アレッサ・フェルランドです」


「一緒に旅をしてるんだよ」


亮は、はにかんだ笑顔で返事を返すアレッサの頭を撫でながら。アレッサらしからぬ控えめな笑顔に、内心では、新技使ってるよと、呆れる。


「彼女はサラ・ウォーカー。俺の命の恩人」


「命の恩人?」


不思議そうに亮を見上げるアレッサに答えたのはサラだった。


「森で死にかけてたリョウと一緒に、遺跡に精霊けっ── 」


「おわっ! ちょっと待て、サラッ!!」


亮が慌ててサラの口を塞ぐと、そのまま引きずって、少しアレッサと距離をとる。


「精霊結晶の事は言うなよ……」アレッサに聞こえぬよう、声を落とす。


「なんでさ? 別に良いじゃん、減るもんじゃなし」


サラは口を塞ぐ手を外すと、唇を尖らせた。そんな様子に、亮は思わず溜め息を返す。


「精霊結晶を見つけたなんて、ポンポン言いたく無いんだよ。一国を揺るがすような代物だぞ……」


「でも、もう持って無いんでしょ?」


「精霊結晶は、水と交換してしまって持っていませんって?」


「ははは、馬鹿だよね、あんた」


亮は思わず拳を握りしめた。


「そんな馬鹿を本気でやったって、誰が信じるんだよ。どこで誰が聴いてるかわかんねぇんだぞ」


「気にし過ぎ。そもそも精霊結晶を手に入れたってこと事態、信じないって」


サラは目を伏せて、ヤレヤレと大袈裟に首を振った。


「だとしてもだ! 万が一って事もあるだろ。注意を怠ったせいで、こないだ酷い目にあったばかりなんだよ」


「なにしたのさ?」


一転、サラは興味津々といったように瞳を輝かせる。


「……後で話すよ」


セヴァーでの一件は複雑な事情を多分に含むため、おいそれと語る訳にはいかず。

亮はとりあえずそれだけ言うと、アレッサの側まで戻った。


「ごめんねアレッサちゃん。リョーの恥ずかしい大失敗は口止めされたわ」


サラが、さも不満げな口調で、アレッサに謝り。直後に送られた、亮の念を押すような視線は、完全に無視する。


「ま、森で死にかけてたリョウに食べ物あげたって話しよ」


そこに、亮達の馬車がやってきた。


「ちょっとリョウ君。女の子口説く前に、宿を決めちゃいたいんだけれど?」


亮達の様子を見たステラが、御者台から、からかうように言った。


「あ、馬車なんだ。じゃあアタシらと同じ宿屋にしなよ。馬車の倉庫もついてたし」


「なら丁度いいわね、そこでいいでしょ?」


「いいんじゃない。サラ、案内頼める?」


「まかせて、アタシも今から宿に帰る所だったし。もうすぐ父さんも帰って来るはず」


そう言いながら、サラは荷台の後ろから乗り込む。


「うわ、リザードマン」


「如何にも」


サラの失礼な驚きにも、ニカイラは慣れたように笑顔で答えた。

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