2 フィロ=レ=バクーナ

4人を乗せた馬車は車輪を鳴らしながら、その後30分程でメレイデンに入り。


町の入り口に立つ兵士に教えられた、馬車を停められる大型の宿屋に馬を繋いで。

地方領主のお達しの意味ない記帳を済ませると。手早く自らの部屋に荷物を運び入れる。


4人は旅装束を脱いで。どの街でも変わらない、酒と食べ物の臭いが充満した、宿の1階にある酒場に集まった。


「まだ随分と日があるな」


常連客の好奇の眼差しを慣れた様子で無視しながら、ニカイラは「とりあえず肉をくれ」と、カウンターに声をかける。


「まぁ、夕飯には早いわよね」と、ステラはブドウ酒を注文しながら返した。


「晩酌にはもっと早いですよ」亮は半ば呆れたようにぼやき、特に注文する事なく。鎧から解放された肩を回した。


「ウィンまで、ここから2日だっけ?」


「うむ、もう食料の買い足しはいるまい」


そうなると、もうやる事はなくなった。


「どうします、なんか必要な事ありましたっけ」


どうせ日が暮れてしまえば何も出来ないのだ。日があるうちに出来うることはやっておきたい。


「魔法の練習でもする?」

「剣術でも覚えるか?」


2人同時に提案され、亮は一瞬凍りつき、笑顔を引きつらせた。

必要ではあろうが、今日は魔法で疲れ切っている。正直、これ以上疲れる事をしたくはない。


「え、遠慮しておきます」


「それじゃさ、砦を見に行こうよ」


余程興味があるのか、間髪入れずアレッサが亮の袖を引っ張って言った。


「別にいいけど。お2人はどうします?」


「うろつくと目立つしな。食ってるよ」


「私も飲んでる~」


「さいですか。じゃあ、行ってきます」


「ああ、亮殿。少し待たれよ」


運ばれてきたローストチキンの引き千切った足を振って、ニカイラが呼び止める。


「儂の荷物に片刃の短剣がある。護身用に持って行くといい」


「何か危険な事、あるんですか?」


亮は少しの緊張を見せ、聞き返す。

道中追跡されている気配がないとステラもニカイラも言っていたが。セヴァーで襲ってきた謎の騎士の事はいまだに不安材料になっている。


「いやなに、念のためにな。ここは、砦に王国兵が常駐しておるから治安も悪くない筈だ」


「ああそうか。あの砦、使われているんだっけ」


「そゆこと。まぁ、何かあったら砦の兵士が助けてくれるわよ」


亮は頷きを返し、ニカイラと一緒に泊まっている部屋へと戻ると。ニカイラの荷物から、刃渡り20センチ程の短剣を取り出してベルトに止めた。


「それじゃ、行ってきまーす」


「暗くなる前に戻りなさいよ」


陽気に手を振るアレッサの横で亮は、聞き慣れた送り出す時の注意も、こちらでは本気で守らないと危ないものだと、意味なく感心していた。



メレイデンの町並みは、すべて平屋の建物で構成され。区画設計も施されておらず、道は乱雑に続いていた。

亮が今まで行った町は、戦争に対する何かしらの備えが見て取れたが。

この町に、そのような雰囲気は無く。

どこか、のどかさも感じられる町並みを眺めながら、アレッサと2人、歩く。


低い屋根越しに見える、砦の尖塔を目指し、緩やかなカーブを描く道を進んでいると。町は突然、終わっていた。


町の建物から通り1つといった間隔を開け、町と砦を隔てるように、高さ2メートル程の石壁が延々と続いている。

その壁を越えて数メートル先に、更に倍以上は高い、砦本来の重厚な石壁が見えた。


「町は違くても、こいつが全力で戦争仕様なんだよな」その堂々たる風格に思わず呟く。


「あっちの壁は古そうだけれど、こっちは新しいね」


アレッサの指摘通り、側の壁は荒い煉瓦積みで比較的新しく。

奥に見える、一部表面が削れ、風雨に晒されて変色が見られる石壁とは、同年代には見えなかった。


壁を右手にしばらく進むと、砦への跳ね橋が掛かった砦の門にたどり着く。

そこに至ってやっと邪魔物なく砦の全景を拝む事が出来て。アレッサと2人、立ち止まって砦を見上げた。


「すっごい古そうだけれど、しっかりしてるんだね」


そそり立つ外壁に、深い堀。要所に造られた高い塔。数多の矢狭間。

戦の名残であろう幾つかの大きな傷と、年月による風化をもってしてもなお。フィロ=レ=バクーナは、この場を頑として譲る気はないという、確固たる意志を発して鎮座していた。


「そこの2人、砦に何か用か!」


突然かけられた威圧的な声に、揃って一瞬身をすくめる。

声の主を探すと、砦の門から跳ね橋を、些かくたびれた革鎧を身に纏った2人の兵士が、ブーツを鳴らして近づいてきた。


「すみません、砦をどうしても見たくって」アレッサがすぐさま謝る。「お兄ちゃんは駄目だって言ったんだけど、わたしが無理言ってお願いしたから……」


胸に手を当て、身につまされるような声色で兵士に訴えるアレッサに。亮は「またか」と、小さくぼやく。


アレッサが、そんな亮を兵士から見えないよう小突き。一瞬の視線を送る。

亮は仕方がないと覚悟を決め、ともすれば溢れ出しそうな苦笑いを押し殺した。


「五英雄の時代の建物に興味があるんです。外から少し見るだけでも駄目ですか?」


超至近距離、上目遣いでの懇願。

正直、反則級の威力がある。兵士の片割れ。恰幅のいい、人の良さそうな中年男には特にだ。


「駄目に決まっているだろう!」


「まぁ、そんなに怒鳴らなくてもいいだろ」


亮の思った通り。声を荒げる相棒を、人の良さそうな兵士が宥めた。


「砦は警備中だから。あまりジロジロ見ていると、間者と間違われてしまうよ」


兵士が腰をかがめて、視線をアレッサに合わせて優しく諭す。


「そうですか……」


アレッサが、あからさまに落ち込み。過剰にも思える程に肩を落として、うなだれた。


一見演技過多にも思える仕草であるが。

一度アレッサの術中にハマってしまうと、これぐらいの違和感は自然に感じられ。

むしろ尚更効果的に相手の良心を抉る。


人の良さそうな兵士は、そんなアレッサの様子に腕を組んで唸ると、ポンと手を打つ。


「それじゃあ、おじさんも一緒に行こう。それで良いのなら大丈夫だよ」


「おいっ!」


相方がたしなめるが、人の良さそうな兵士は「お前が黙っていれば、バレやしない」と、相方に肩を叩いた。


「ありがとう、兵士さん!」


さっきまでの落ち込みはどこへやら。花の咲いたような笑顔でアレッサが礼をすると。兵士は満足げな頷きを返し。


納得の行かない様子の兵士を残して。3人は門を後に、再度、壁を右手した、外壁沿いを歩き出した。


「なんで壁が2枚あるんですか?」


「このあたりは町中だからね。昔、堀に酔っ払いが落ちた事があったらしくて、それ以来、近付けないよう囲っているのさ」


アレッサの問いに答える兵士を見ながら、亮は、なるほどガイドも手に入れたかと、その様子をやや離れて眺める。

2人は直ぐに打ち解けて、楽しそうに談笑を始めた。


こんな事をしている事がバレたら、ただでは済まないだろうに。アレッサの魔力とはつくづく恐ろしいものだ。


「私達は、図書館があるウィンの町に行く途中なんです」


たしかに、嘘は言っていない。


「それは偉いな。家の娘なんて文字を覚えるのも嫌がってねぇ」


しきりに感心する兵士の姿に、なんだか亮は、少々いたたまれない気持ちになってきた。


「こんな利発な妹さんがいて。お兄さんもさぞかし鼻が高いでしょう?」


「ええ、まぁ」内心、こっちに振らないでくれと突っ込み。


しばらく壁沿いを進むと、町を抜け、同時に手前の壁も終わっていて。

ここからは小さな岩がゴロゴロしている平原の中を進む事になる。


「空堀だったのか」


壁がなくなり、姿を現した堀をのぞき込み、亮が呟いた。


堀は3メートル程の深さで、水は無く。代わりに鋭く尖った木の杭が幾つも立てられている。杭と杭の間は割と間隔が開けられていて、落ちても運が良ければ串刺しにならないだろう。


とはいえ、それでも間違いなく大怪我はする。尻が縮こまるのを感じ、亮はそそくさと掘りから離れた。


「ルドガープの独立戦争の時に大改修をして、あの杭を埋めたらしい。それ以前はただの空堀だったそうだよ」


「昔の砦だから。木が腐って、無くなっちゃってたんだね、きっと……ほら、あそこ壊れてるし」


アレッサが堀の先を指差した。


近づくと、確かに堀の砦側に、崩れた岩が積み重なっていた。

だが、堀が壊れた訳ではなく。その上部にある壁が崩れたらしい。壁の大部分の色合いが、他よりも新しくなっている。


「これもルドガープとの戦争の時についた傷だよ。一昨年、修復されたんだ」


そこからしばらく行った所で、亮は気になる物を見つけた。

空堀である堀に、排水路と思われる鉄格子のはまった大きな横穴があったのだ。


雨水の排水用にしては大きすぎる、それを見た亮はある点を思い出した。


「あの、この砦って。水源とかどうしているんですか?」


それを聞いた兵士は驚きに目を丸くする。


「流石にお兄さんも博識だね。その通り、この砦は水源の確保が大変だったのさ」


「どういう事ですか?」


「砦は多数の兵士が常駐する上、籠城などに備えて、大量の水が必要なんだよ。でもデュポアール山の影響で、ここいらには川がない」


山があれば川はありそうなものだが、裾の森に木の実がないとの事であるし。デュポアール山とは、なにか特別な山なのだろう。


「そこで、王国が砦を接収した際。通常の3倍近い深さの井戸を掘って、やっと水源を確保したらしい。これが本当に深くてねぇ、新米はいつも、ひぃひぃ言って水を汲んでいるよ」


「それじゃあ。井戸を掘る前は、どうやって水を手に入れてたんですか?」


「さてねぇ……やっぱり魔法で出していたんじゃないかねぇ」


兵士は顎を触りながら首をひねる。

いよいよ砦を一周したらしく、正面にはメレイデンの町並みが近づいてきていた。


「色々と、ありがとうございました」


町に入り、砦がろくに見えなくなったので、兵士とはここで別れる事にする。

なるべく早く砦に帰してあげた方がいいという、亮の思惑だ。


「いやいや。楽しんでもらえたなら、よかったよ」


「なんだったら。勝手に砦を見物していた私達に、注意をするため出ていた事にでもしてください」


「そんなに気にしなくてもいいさ」


兵士は笑うと、身を屈めてアレッサの頭を撫でた。


「じゃあね。お兄さんの言うことをちゃんと聞くんだよ」


「はい。兵士さんも元気でね」


兵士は笑顔で手を振りながら立ち去り。

その姿が見えなくなるまで見送っていた亮とアレッサも、宿に戻るため歩き出す。


いろいろと説明を聞いていたから、いつの間にか2時間程度の時間が経っていて、遠く西の空が色付き始めている。

帰り着くまでに日が落ちるような事はないであろうが、一応、少しだけ歩く速度を上げた。


影が伸び始め、帰宅する人足も増え始めた道。

2人とも一言も発っする事なく歩いていたが。先ほどの兵士の事を思い返していた亮が口を開いた。


「あのさ──」


「分かってるよ」


同じ事を思っていたアレッサが、すぐさま亮の言葉を遮る。


「あたしもちょっと悪い事したなって、今、思ってた」


亮のいない方へ僅かに視線を逸らし、少しの後悔を滲ませてポツリと呟く。


亮は「ならいい」と、一言。その頭に手を乗せる。


「もう、お兄さんぶって」


アレッサは、頭上の手を取り。頬を膨らませ、悔しそうに非難の眼差しを向けた。


「なんせ、お兄ちゃんですから。俺」


笑顔の亮と。

少し不機嫌そうな、それでいて嬉しそうでもあるアレッサ。


そのまま2人。夕暮れの町を、手を繋いで歩いて帰った。

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