精霊界の異端演者(ノイズメーカー)・終幕

飾絹羽鳥

第1章

1 女教師

セヴァーを出て6日。

ザルパニでアダムと別れ、今、御者台には亮が座っている。


馬車は既に国境を越えてランサス王国に入っており。

亮が散々さまよったデュポアールの森を左手に。平原の中を、巨大なデュポアール山の頂きへと真っ直ぐ進んでいるかのような街道が走っていた。


「20点。またそんな、塩のキツいもの食べて。身体に悪いわよ」穏やかに眠るアレッサに膝枕をしながら、ステラが亮を咎めた。


亮は苦笑いを浮かべ。御者台の脇に置かれた、塩漬け肉の入った麻袋から手を引く。


「わかってはいるんですけれどね、こういった味のもの好きなんですよ。暇だと、ついつい摘んでしまって」


「それなら魔法の練習をしなさい。そろそろ基本魔法くらい覚えてちょうだい」


確かにと頷くと、亮は軽く目を瞑り。

ここ数日、ステラとアレッサに教え込まれた魔法をゆっくり詠唱し始めた。

それを聴いたステラは、小さく溜め息をつく。


「また発音が違ってる。水魔法は完璧なのに、どうしてかしら」


「はは……舌噛みそうですよ」


亮の水魔法は、精霊が頭に直接教え込まれたものであり、こうして一から発音の練習するのは初めてなのだ。元々英語の発音も苦手だった事もあり。日本語とも、英語とも違う、新しいイントネーションの発音に苦戦をしていた。


「でも、最初よりは大分良くはなっているわよ」


「そろそろ発動してみたらどうだ?」


亮の剣と、新しく買った円形盾の手入れをしてくれていたニカイラが、手を休めて2人を見る。


「うーん、そうね。気絶はしないと思うわ」


無責任に2人は言うが。馬車を走らせながら万が一、気絶でもしようものなら、大惨事になりかねない。

予定では今日の夜までには、ザルパニに北にあるランサスの街、メレイデンに到着する予定も無理になろう。


「もし気絶したら、今日中にメレイデンにつきませんよ」


「それなら気にしなくていいわ。私が代わりに御するから」


「ステラさん、馬車を御せるんですか?」


「ええ、言っていなかった?」


しれっと頷かれ、亮はがっくりと肩を落とした。アダムがいなくなってこっち、慣れない馬車に最近まで緊張し続けてきたのだ。


畳んだマントをアレッサの枕にして、ステラが御者台に座り。自由になった亮は、背伸びを1回すると。気合いを入れて、魔法を詠唱し始めた。

水魔法の数倍の時間をかけて詠唱し、指を鳴らして発動。


《空気探知》


窒素79%、酸素21%、二酸化炭素0.04%、一酸化炭素ほんの少し、その他諸々。呼吸に支障なし。

わずかな目眩と一緒に、周囲の大気成分が頭に浮かぶ。


「どう? 今は、そこら中に空気があるから。どれだけ汚れているかが解ったでしょう?」


亮は少々困惑した。

空気の汚れと言ったステラのニュアンスとは、自分が知った大気成分は少し違うように感じられた。


「どうかしたのか?」


「いや、ステラさん。酸素濃度までわかるんですか?」


「酸素濃度? 詠唱にそこまで問題はなかったけれど。失敗したの?」ステラが首を傾げる。


「いえ、成功したと思います。すみません、気にしないでください」


慌てて訂正して、亮は荷物に寄りかかり、どういう事なのかを考察する。

魔法が変異するほど、詠唱に失敗したとは思えず。もしそうならステラが発動前に止めているはずだ。


魔法側の問題ではないならば、問題は術者側。

ステラが酸素の存在を知らなかった事を見るに、知識差であろうと思われた。

魔法で情報を得ても、それを理解出来ず。ステラ達は呼吸が出来るかや、汚染状態などと抽象的な表現になってしまう。

だが亮は前もって大気の構成を知っていたため。酸素や窒素という情報を理解出来。

その他諸々は、亮の知識不足で抽象的な表現になっているのだろう。


「成功したのであれば、おめでとう。後は《空気操作》と《空気作成》を覚えてしまえば、後はもう少し楽になるわ」


「そんなものですか?」


亮はそのまま胡座をかいて座ると、期待に満ちた瞳でステラを見た。


「ええ。操作、作成、知覚の3種が基本魔法。それ以上の魔法になると、基本魔法の組み合わせと応用になるのよ」


「しかしそれも、風霊魔法だけなのであろう」


「まぁ、そうね。魔法の極意には、そうそう容易に辿り着けないのよ。魔術なんて更に複雑、複数の精霊魔法の融合なんだから」


「うわ……遠慮しておきます」


「儂は早々に諦めたわ」


ニカイラの笑い声を聞きながら。亮は脱力するように、荷物に倒れ込んだ。


「でもリョウ君は、治療魔法を覚えておいた方がいいわ」


「そりゃ確かに、冒険なんかには便利でしょうけど……」


別に冒険者になるつもりの無い亮は、煮え切らない返事を返し。

振り返り、目の端でその姿を見たステラは「もう」と、困り顔で微笑んだ。


「30点。街で暮らす分には別にいらないけれど。どこかの村に落ち着くには必須といってもいいの」


「ふむ。確かに村ごとに1人は、治療術士がいる印象はあるな」


「村落の人間は排他的なものだし、それがウィザードならば尚更。そんな所に住まわせてもらうには、それなりの益がなければ駄目なのよ」


「それが回復魔法?」


「そう。薬師の手にも負えない重傷を治せる存在として、一応村においてもらえる」


トーンの落ちた声に、ステラの悲しみが背中越しでも伝わる。


「腫れ物を触るように……か。それ程までして、人里に住む必要もあるまい」


「そうは言っても、山奥や深い森に住むウィザードは不気味だからね。目の届かない所にいたらいたで、今度は別の問題が生まれるのよ」


「別……ですか」


「邪悪なウィザードの討伐は、酔った村民の娯楽だから」ステラが自虐的に鼻で笑った。


「人里を離れて研究に没頭していただけなのに、妖魔を作っただの、村人を呪っただの。果てには娘を拐かしたとか……、ただの駆け落ちだっていうのよ!」


実感を込めて吐き捨て。馬が御者の緊張を察したのか、耳を後ろに向けた。


「ウィザードを過剰に恐れるのは、魔王の影響だろうな」


「眉唾モノの人物に、現代のウィザードを重ねられてもね」


魔王。


亮が読み書きの勉強用に買った本『英雄記』の諸悪の根元。

遥か昔、世界を壊そうとした強大なウィザードで、始原の魔女セイラムの最後の弟子とも言われている。


その最後は。人間の剣士、ウィリアム:バーネスによって倒され。

魔王城と共に地中に沈んでいったらしい。


「魔王って実在しないんですか? 俺、抗魔戦争の砦に行きましたけれど」


以前、グンナロ達と探索したフィロ=レ=ベルナは、抗魔戦争時代の代物だったと記憶している。

魔王軍に追われた王族の話しもあり。亮は魔王は実在しているものと思っていた。


「微妙な話しよ。セイラムの弟子になり、ほんの1年程で精霊魔法を極めたって。どう考えても無理な話しだわ」


「それに、五英雄の伝承も各地に在りすぎて疑わしくあるな」


「四魔将なんて凄まじい魔物をあっさり作り出すなんていうのも、荒唐無稽」


「それじゃあ、『英雄記』って作り話なんですか?」


「うーん。魔物との戦いというのは異民族との戦争って見解はあるけれど。実際の所、確証は何もないの」


本の中でも、英雄達のその後は書かれておらず。 英雄や魔物の死体が埋葬されたという記述は無い。

亮の本では、ウィリアム:バーネスの遺体を教皇が持ち帰ったとあったが。アレッサ曰わく、教皇って誰? との事で、信用できない。


「けれど、あれは実在しているわ」


ステラが正面を指さす。その先には、平原の中にそびえる、いくつもの尖塔と、それらを繋げ囲む高い城壁。

さらにその周りには、張り付くように赤茶い屋根の低い街並みが広がっていた。


「抗魔戦争時代に作られたリベリア4砦の1つフィロ=レ=バクーナ。メレイデンは、砦に隣接するように作られた、あの街よ」


「意外と早かったな。着いたぞアレッサ嬢」


ニカイラは手入れしていた武具をしまうと、馬車酔い対策にひたすら眠り続けるアレッサを揺り起こす。

毎度の妙な鳴き声を上げてアレッサは目を覚まし。目をしばたかせながら、状況を把握しようと、四つん這いで御者台の側に移動した。


「ついたの? あれ、ステラさん?」


御者台に座るのがステラだとやっと気が付いたアレッサに微笑みを向け、ステラはメレイデンの町を指差す。


「あれがメレイデンよ。砦と一緒にあるの」


「なんか古そうな砦だね」


「ふむ、なにしろ抗魔戦争時代のものだからな」


「五英雄の時代のものなんだ!」


御者台から身を乗り出し、無邪気に瞳を輝かせるアレッサに。先程まで英雄記の信憑性について論じていた3人は、思わず苦笑いを浮かべた。


「どうせわからないなら。俺は夢のある方を信じる事にします」


馬車を降りる準備をしながら亮が呟くと、小首を傾げるアレッサの横で、ニカイラとステラが小さく笑った。

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