アーサー国王の誕生祭 2

 私は旅支度の始めにいつもより時間をかけて入念にラブリュスを研いだ。今回はより切れ味が良くなきゃいけない。本来は双斧だったのが、一方が破損して片方だけの刃になってしまっている。それでも長年連れ添ってきた相棒だ。簡単には手放せない。私は丁寧にラブリュスを研いだ。


 今回アルスフェイト王国のアーサー国王の誕生日に招待された。私はその誕生会に行くことはしない。でもあの時、私の願いを聞き入れ、そして今でも気にかけてくれているアーサー国王とその家族には感謝を表したかった。そのために私はアーサー国王に贈り物をすることにした。しかし近隣諸国からも名だたる王が来るだろうし、豪華な贈り物が並ぶだろう。そこに質素な贈り物が並べばアーサー国王の沽券に関わる。きっとそんなことは気にしない国王だろうが、やはり立派な贈り物をするのが礼儀というものだ。しかし私にはお金をかけた贈り物などできない。だから私が選んだ贈り物は剥製だ。


 王家の紋章にも描かれている獅子の剥製を贈れればいいのだが、獅子など今まで見たことがない。幻の動物だと言われても信じてしまう勢いだ。だからその代わりに熊の剥製を贈ることにした。少し北に行けば“グリズリー”と呼ばれる大きくて獰猛な熊がいるらしい。でも今回は大きさじゃない。いつもなら食用のために肥え太った動物を探すのだが、今回は見た目重視。多くの人に見られるのだからイケメンを探さなければいけない。もちろん、肉もありがたくいただくけど。


 今回はラブリュスと鉈を両方持っていく。熊を殺したあと、剥製にするためには皮を剥がなきゃいけない。その時にラブリュスでは細かい作業ができないから鉈も必要だろう。だから私はラブリュスも鉈も入念に研いだ。今回は中身じゃなくて外見が重要。出来るだけ綺麗に殺さなきゃいけない。切れ味が悪いと何度も切りつけなければならず、その分毛皮が傷ついてしまう。だから綺麗なまま保存するなら、仕事は素早く終わらさなければいけない。


 私は出かける前に、ルイーズを通してとある人物に連絡を入れた。最近は会っていないが、昔はこの近くに住んでいた女の人。昔、その人が飼っていた七匹の子ヤギが狼に食べられたことがあった。その時も私が狼を捕らえたのだが、その女の人は狼のお腹から子ヤギを救い出し、代わりに石を詰めて傷口を塞いだのだ。意識が戻った狼はそのまま石の重さで池に沈んでしまった。


 それはともかく、その女の人は裁縫が得意なのだ。だから、大きな熊の毛皮を持って行くから剥製にするのを手伝って欲しいと伝えた。狼のお腹も狼にバレないように綺麗に縫うことができたんだから、死んだ熊を縫い合わせることなんて簡単だろう。


 かくして私は、一路グリズリー狩りに出かけた。ルイーズには、熊の肉を獲りに行くのに何日か空けるといったらすんなりと納得してくれた。それに先日買ってきた鹿の肉でご馳走をたっぷり作っておいた。きっと私が帰ってくるまでは大人しくしてくれるだろう。


 北に向かって旅を続け、その途中であった行商人に今年実りが一番豊かな森はどこかを聞く。食べ物が多ければそれだけ熊も立派なはずだ。やっぱり剥製にするんだから迫力がないといけない。だから雄がいいんだけど、雌の熊もいいかも、とか思ってる。特に子熊を育ててる親熊。母親の力はすごい。子供のために捨て身でくるから一筋縄ではいかない。一応アーサー国王へのプレゼントだけど、でも私もそれなりに楽しみたい。“ウルフェン”相手だと憎しみとか悲しみとか色んな感情が混ざってしまう。たまには純粋に力比べをしてみたい。あっさり倒してしまってはつまらない。高度な命のやり取りをしたいものだ。


 でもこの時期は森で熊に出会うのは難しい。なぜなら冬眠中だから。たまに起きて水を飲んだりするらしいけど、ほとんどは巣で眠っている。だから水辺を探すか、巣を探すかのどちらかだ。これは熊との戦いを楽しむのは無理かもしれない。寝ぼけていたらまともに戦えるはずもない。


 森を歩くこと一時間。なかなか熊に会えない。たまにたぬきや兎を見かけるけど、弱い者には興味はない。だから私は作戦を考えた。わざと枯葉を蹴るように歩いたり、水辺でバシャバシャ遊んだりして大きな音をたてる。これで熊の気を引こうというのだ。でもやっぱり熊が現れる気配がない。今度は森に成っている果物を食べるたりもした。自分の縄張りの食べ物を横取りされたらきっと怒るだろう。私も、私の獲物を横取りされたら怒るから。


 そして案の定、私が三個目のリンゴにかじりついた時に向こうから雌の熊が歩いてきた。水を飲みに出てきた時に、芳しいリンゴの匂いが漂ってきたのだろう。足元には子熊もいた。冬眠中に巣の穴で生んだのだろう。私は一口かじったリンゴを投げ捨て、背負っていたラブリュスに手を伸ばして臨戦態勢に入った。

 全長3.5m。私の身長の優に2倍はある。でも寝起きなら動きは鈍いだろう。私の手に負えない相手ではないはず。私は徐々に距離を詰めていった。そして熊の間合いに一歩踏み入れた時、一気に熊が立ち上がった。うかつだった。私としたことが、相手の間合いに簡単に足を踏み入れるなんて。

 冬眠中の熊は、頭も体も起きていないと思ってた。かろうじて意識がある程度だと。でも自分の縄張り守るプライド、子熊を守る覚悟。これだけあれば、冬眠明けの熊だって本気になる。まだ様子見だった私は、完全に後手に回ってしまった。立ち上がった熊は反動でそのまま右手を振り下ろす。足を踏み出した状態の私は、体の重心が前に向かっているので避けられない。さながらカウンターのように右手を喰らい、ラブリュスでガードするのがやっとだった。


「きゃん!」


 空中で体勢を立て直す前に木に背中を打ち付ける。その場で膝をついた私に向かって、熊が右前足を振り下ろしてきた。


「まったく……、転んだ女の子に手を差し出すのは男の子の役目よ!」


 そう言って私はその手に対してラブリュスで応戦し、熊の手を弾いたところで熊と距離を取った。私としたことが情けない。ダサすぎる。またお気に入りのスカートが汚れてしまった。でももう油断はしない。私はスカートについた泥や枯葉をパンパンと払い、ラブリュスを握り直した。


 さすがに野生の熊だけあって、私が本気になったのを感じたみたい。一気に来ないのは利口なことだ。でもこの身長差、リーチの差は厳しい。かと言って長期戦になるのも避けたい。もう日も傾いてきた頃だ。

 早期決着を願う私はあることを思いついた。これならどうだろうか。私は一瞬視線を子熊の方に向ける。すると母熊は怒りを現わにして立ち上がり、唸り声を上げる。そして荒い息を吐き、私に突進してきた。この体格差を埋めるにはカウンターを狙うしかない。“グリーズ”相手でもできたのだ。今回だってできるはず。勝負は一瞬。一撃で仕留める。

 そう思って駆け出そうとした瞬間。


 ダーーン!!


 あまり聞きなれない音と、木々に留まっていた鳥たちが一斉に飛び立つ音がした。そして熊がフラフラと足をよろめかせ、茂みに顔を突っ込む。突然のことで驚いたが私は熊を視界の片隅に入れながら音の方を見た。そこにはライフル銃を持った猟師が二人立っていた。音の原因は熊を撃ったそのライフル銃という訳だ。アルスフェイト周辺ではあまり銃を見たことはない。だから知識はあっても現物を見たのは初めてだが、あんなに大きな音がするものなのか。あれだけの威力なら熊も殺せるかもしれない。でも…。


「大丈夫かい!?」


 猟師たちが心配したのは私の方だった。

 当然だろう。傍から見たら、熊に襲われている可憐の少女の図。でも私からしたら、その猟師たちこそ大丈夫なのかと思う。こんな簡単に熊の縄張りに入って来てしまって。それにいくらそのライフルでも5発ぐらいは打ち込まないと殺せないはずだ。きっと鹿でも狩りにきたのだろう。でも私が襲われてるところに出くわしたので助けに来たと。私は大丈夫だから、さっさと山を降りてくれればいいのに。このラブリュスが目に入らないのだろうか。まぁ可憐な少女が熊に襲われてるのに見て見ぬふりをする男のほうが最悪だとは思うけど。


「熊は俺たちの方に引きつけておくから、その隙に逃げるんだ!」

 そして猟師がライフルを熊に向かって構えた。冗談じゃない。

「頭じゃなく足を狙え。殺すのではなく、まずは動けなくすることを考えるんだ」

 それは的確な判断だけど。


「ちょっと待って!」と私は叫ぶ。

 猟師は躊躇わずに引き金を引いた。迷っていては自分たちがやられるからだ。再び森に銃声が響いた。

 でも熊の呻き声は聞こえない。代わりに金属が金属に当たる音が響いた。

 一番驚いたのは猟師たちだった。なぜなら私がラブリュスでライフルの弾を弾いたからだ。この熊は国王へ剥製にしてプレゼントするのだ。銃で穴だらけにされたらあげられなくなってしまう。一番綺麗な状態で、外傷もできるだけ小さい状態で仕留めなきゃいけないのに。それに銃で何発も撃ったら火薬の匂いが残ってしまう。飾る物が臭いだなんてもっての外だ。

 でも猟師たちにそんな理屈は通用しない。どんな理由があろうとも、襲ってくる熊は殺す対象であって、守る対象じゃない。私だってそうだ。でも猟師たちとは目的が違う。


「あなたたちこそ、私が熊を引きつけている間に逃げなさい」

 でも猟師たちは銃を構えたまま動こうとしない。私は猟師たちの動き、特にライフルの動きに注意しながら、でも背中では熊の気配をビンビンに感じていた。撃たれた熊も、今はもう立ち上がっている。しかし今は襲ってくる気配はない。倒すはずの相手が自分を守ったのだ。熊でも戸惑うことがあるのだろうか。

「早く、熊から離れるんだ!こっちに来るんだ!」

 猟師は大声を出すが、そんなに叫ばないで欲しい。熊を刺激してしまう。いくら私でも、猟師たちを守りながら、しかも猟師たちの撃った弾が熊に当たらないようにしながら熊を倒すのは難しい。無理ではないけど。


 そんなことを考えてる間に熊がとうとう立ち上がって唸り声をあげた。猟師たちは怯んだが、立ち上がってはライフルの格好の的。猟師は熊の頭に標準を合わせてライフルを撃った。でも、ライフルの角度と引き金を引くタイミングが分かれば、弾を弾くことは難しくない。私はライフルの弾をことごとく弾いた。それと同時に私たちに襲いかかろうとする熊にラブリュスで対抗する。

 しかしここまで混乱した状況で熊に向かってラブリュスを振り下ろして、下手に熊の顔を傷つけたらそれこそ贈り物にならない。額に傷のある熊の剥製も飾っていて格好いいかもしれないが。でも私はできるだけ傷を少なくするために斧頭部分で応戦するに留めた。以前の“グリーズ”との戦いで双斧だったラブリュスの刃が片方だけになってしまったのがこんなところで役立った。


 しかし助けようとした子供からその助けを邪魔された猟師たちは怒ってしまった。

「君はいったいなんなんだ!なんのつもりだ!」

 そっちこそなんのつもりなのだ。この熊は私が最初に見つけたのだ。横から邪魔しないでもらいたい。

 しかしそんな問答をやってる間に、もう一人の猟師が片手銃を取り出して、私の死角から熊を撃った。ホルスターから銃を抜き出す音でなんとか反応できたけど、不意をつかれた私は、猟師の位置、銃声の聞こえ方から予測してラブリュスを出した。熊に当たる前に弾くことはできたが、ラブリュスの角度を間違えてしまい、跳弾した弾が私の左の太ももをカスった。突然の痛みに着地のバランスが崩れ、尻餅をついてしまう。

 今日二回目。

 痛みが走った太ももを見たら血が出ていた。そんなに私を怒らせたいのだろうか。もう怒ってるけど。


 しかし銃声の音に興奮した熊がひときわ大きな唸り声をあげる。でもさすがは猟師。銃を熊から外すことはしない。でも今は逆効果だ。猟師たちとその銃を完全に敵視している熊をさらに怒らせるだけだ。そしたらこの人たちはひとたまりもない。

 私はすぐに立ち上がり、一気に猟師たちとの間合いを詰めて鉈を抜いた。


 ザシュ!


 私は鉈でライフルの銃身部分を切り落とした。これでもうまともには撃てない。それに、平気で銃身を鉈で切り落とす私に恐れをなして、猟師たちはついに座り込んでしまった。私は猟師たちを見下ろす。

 単なる鉈で銃身を切り落とす私に怖くなったのだろうか。それともそこまでして熊を守ろうとする私を気味悪く思ったのだろうか。たぶん両方だろう。猟師たちは完全に戦意を喪失していた。猟師たちを見下ろす私が視線で帰るように促すと、猟師たちは一目散に逃げていった。


 これで邪魔者はいなくなった。ではこれから本格的に熊狩りをすることにしよう。と思ったら、最初に銃で撃たれた傷と私がラブリュスの斧頭での攻撃で熊はすっかり弱ってしまっていた。知らぬ間に戦いが終わってたなんてつまらない。でもこの際しょうがない。今回の目的は国王へのプレゼント。

 私はゆっくり熊に近づく。熊も唸り声を上げるが頭を上げるもう気力はないようだ。あとは鉈で首を狩ってトドメをさすだけ。

 倒れ込んでいる熊の首を狩るなんて、赤子の手を捻るより簡単だ。


 そして私は鉈を抜いて、まだ意識の定まらない熊に近づく。

 でもその間に子熊が割り込んだ。まだ立ち上がることも出来ない子熊が必死に虚勢を張る。その後ろで母親が一際大きく吠えたがそのまま意識を失う。やれやれ。私がトドメを刺すまでもなかったようだ。

 私はまた一歩近づく。子熊が吠える。母親よりも全然小さい声で。これでは私はおろか、狐だって逃げ出さない。子熊が私に向かって突進してきた。しかし私はそれを斧頭でいなす。子熊は勢いそのままに茂みに突っ込んでしまった。それでも諦めずに私に向かってくる。このまま親子で持って帰るのは簡単なことだ。親子の熊の剥製というのもなかなか迫力があるだろう。


 それでも……。


 私は子熊に背を向けた。子供が必死に母親を守る姿は尊いものだ。ジョアナがそうであったように。

 やれやれ。赤子の手を捻るのは思ったより難しいようだ。


 私は倒れてる親熊の傷口を見た。ラブリュスの斧頭で殴られて口の中を切っているようだが、野生の熊だ。これぐらいはすぐに治るだろう。問題は銃で撃たれたところだが、当たり所もよく、弾も貫通しているので放っておいても大丈夫だろう。

 最後に私は向かってくる子熊をラブリュスで止める。


「お母さんが回復するまではあなたがお母さんを守るのよ」

 言葉が通じるとは思えないが、お互い森で育ってきた者同士。なにか伝わるものがあればいい。子熊も私に突進してくるのをやめて母親の元に行った。


 それを見送ってから、私も森を後にする。

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