レシュノルティア 2-2

外では冷たい風が吹き、窓辺には鳥が止まっている。もうすぐこの森にも雪が降る。季節は確実に巡っている。

しかしこの家の中だけは時間が止まったような感覚がある。少なくともずきんちゃんにとってはそんな感じだった。

「え……あの……」

ずきんちゃんは戸惑っている。それもそうだろう。いきなりあんな事を言えば。

でも私はジョアナの方に目を向ける。

「ジョアナも。ちゃんと聞いて」

ずきんちゃんは少し焦っていた。

聞きたくないというより、自分が聞いていいものなのかと思っているのだろう。でもずきんちゃんにはいつか言う時が来るだろうと思っていたし、ジョアナもそろそろ知ってもいい頃合だ。このタイミングはちょうどいいだろう。

「私にはね、息子がいたのよ」

この一言にずきんちゃんは飛び跳ねるように驚いていた。

もちろん実際に飛び跳ねた訳ではないが、思わず鳴ったずきんちゃんの椅子の音がその驚きを伝えている。

ジョアナはまだピンと来ていないようだ。それもそのはず。

「ジョアナが生まれて間もない時にいなくなってしまったけど」

あの頃のジョアナはまだ生まれて一年も経っていなかった。主人はジョアナがまだお腹の中にいる間に病気で死んだ。ジョアナが生まれるまでは頑張ると笑いながら言っていたが、そんな目標が虚しくなるほどあっけなく死んでしまった。

そして残された家族三人。

あの日は家からほど近い場所で息子と木の実などを集めていた。もちろんジョアナが泣き出せばすぐに戻れる場所で。どこか具合が悪かったのか、ジョアナがよく泣く日だった。だから何度も家と外を行き来しているうちに息子から意識を離してしまった。息子が家の裏側の森の近くまで行っているとは思わなかった。

息子の泣き声が聞こえて慌てて家の裏に行くと、狼が息子を咥えていた。息子から血は出ていなかったから、たぶん服を咥えていたんだと思う。

でもまさか狼がこんなところまで来るとは想像もしていなかった。

もちろん狼がこの森にいることは知っていたし、今までも見かけることはあった。その狼の対応策として、家の周りの森に紐を巡らせてそこに鈴を付け、狼が近寄ってきたらその鈴が鳴るようにしていた。そうやってすぐに家に入って狼をやり過ごしたことだって何度もあった。しかし私は狼の頭の良さを見くびっていた。狼はその鈴の付いた紐を避けて家まで近づいたのだ。

その狼はとても若い狼だった。まだ好奇心が旺盛な子供と言ってもいい。しかしそれでも野生の狼だ。私を見たって怯えることはないし、ましてや捕まえた獲物を手放すようなこともしない。

そしてその狼は息子を咥えて森の中に入っていった。もちろん私は慌てて追いかけた。もしその狼が私に襲いかかってきても太刀打ちできる自信などない。しかし私は反射的に追いかけた。頭の中では『待って』と大きな声が鳴っていたが、実際に口に出していたかどうかは分からない。それだけ意識は動転していて、無我夢中で追いかけていた。

しかし相手はこの森で育った野生の狼。そして私は自分で巡らせた狼避けの鈴の紐に足を取られて転び、怪我をしてしまった。

もちろんその日も翌日もその翌日もずっと足が痛くて動けなくなるまで私は森に入って息子を探し続けた。時にはジョアナをおぶって探しに行った時もあった。でもジョアナをおぶって森を歩くのは危険だし、そこでまた狼と遭遇する危険さえある。

そしてそれから三年後ぐらいにずきんちゃんと出会った。私が息子を諦め始めたぐらいだ。だからずきんちゃんに柵を作ってくれるようにお願いした。私一人では無理だったが、ずきんちゃんに協力してもらって丈夫な柵を作ることができた。

「だから時々森の方を見つめていたんですか?」

「あら、……知っていたのね」

今でもたまに家の窓から外を見ている時や、少し森に入ったときは息子の姿を探してる。でも十年以上も前のことだ。もう生きているはずもない。それでも私はいつか息子が帰ってくるのではないかと思っている。

「いえ……、たまに気になっていたから」

「いいのよ。私もごめんなさい。ずきんちゃんが私たちのためを思って街に住むことを勧めてくれたのに、その好意を無駄にしちゃって」

「いえ、そんな理由があるなら当然です」

私はこの森が怖かった。狼が怖かった。でも同時にこの森に執着していた。いつか息子が帰ってくるのではないかという淡い期待を抱いて。もし息子が帰ってきた時には私が迎えなくてはいけない。私はここにいなければいけない。だから私はどうしてもこの森を離れられなかった。

今も、家は変わってしまったけど思いは同じ。

それでも少し気分が軽くなったのは、ジョアナが無事に帰ってきてくれたからかもしれない。死んだと思ったジョアナが、姿は多少違えど生きていてくれた。もしかしたら息子もどこかで生きているかもしれない。それにジョアナが帰ってきてくれたとき、息子も一緒に帰ってきたような、そんな感覚さえあった。

もし生きているのなら一度でいいから顔を見たいとも思うが、無事に成長していればもう親元を離れて自立するぐらいの年になっているはずだ。それならその息子を信頼し、健康を陰ながら願うのが母親の務めと言えるだろう。

願わくば、兄としてこの先もずっとこの姿のジョアナを受け入れ守ってくれたらと思うが、それは贅沢な願いだ。それに兄はいなくなってしまったけど、代わりに優しいお姉ちゃんができた。この姿のジョアナを受け入れ守ってくれる、私が一番信頼するお姉ちゃん。きっとこのことを言ったらずきんちゃんは責任を感じて自分のことを犠牲にしてしまうかもしれないから言わないけど、きっと私が言わなくてもずきんちゃんは必要な時にジョアナの力になってくれる。私はそう確信している。


「ねぇママ。お兄ちゃんの名前はなんて言うの?」

「ああ、そうね。お兄ちゃんの名前は……」

ジョアナのその質問に答えたときにずきんちゃんが大きくむせていた。

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