番外編①

レシュノルティア 1

 空を見上げた私は、眩しさに顔をしかめる。

 突き抜けるかのような青空とその空の支配者と言ってはばからない太陽が、今日の暑さを私に思い知らせる。いつもならこんな青空が広がった天気は好きなのだが、今日は家を出た時点で大きなため息をついた。今日はとても大変な一日になりそうだというのに、その大変なことを行う前に予定外の大変な問題を家で片付けなければならなかったからだ。その問題が私の中で一応納得する仕方で収まったのがせめてもの救いだと思いながら家を後にした。


 家というのは名ばかりで、ここは洞穴に寝る所を作っただけの場所。ちゃんとした家を作ろうとは思っているのだが、この間にもアルスフェイト王国のアーサー国王への贈り物を探して旅に出たり、ルカ姫に会いに行っていたりと大変だったので時間がなかった。

 それにルイーズの世話も必要だった。世話と言っても、ルイーズのわがままを聞いてあげたり、時には怒ったり。今日の朝あった予定外の事とはこの後者だ。


 私は今からキャンベル家に行こうと思っている。しかしキャンベルお母様やジョアナにルイーズを見せるわけにはいかない。きっと彼女らは驚かないだろうが、まだ私の中で覚悟ができていないのだ。

 ルイーズは、普段の見た目は私と同じ金髪ブロンドの幼い少女だが、中身は”ウルフェン”と同じで獣の時が流れている。ただしルイーズの場合は狼ではなく鳥だ。だから無闇に人を襲うなどということは有り得ないし、そもそもルイーズの性格からしてそんなことは起こらない。ルイーズが怒るとすれば、美味しいご飯にありつけない時ぐらいだ。その点で言えば、ルイーズはキャンベルお母様を気に入るだろう。キャンベルお母様の作るご飯は何でも美味しいからだ。

 しかしルイーズがお母様を気に入っても、お母様もそうだとは限らない。しかもルイーズはカルエナの元手下だ。もちろんそのことはお母様には秘密にしてあるし、そもそもルイーズの存在自体知らせていない。いつか伝える時もあるかもしれないが、今はその時ではないと思う。少なくとも、私の心の整理ができていない。


 だからルイーズには留守番をしていてもらわなければならない。しかし私がうっかりキャンベル家に行くことを口にしてしまった。

 ルイーズは人と会うことに興味を持たない。それよりも森に出て美味しいものを食べている方がいい。しかし会う相手がキャンベルお母様なら話は別。それは先日私がお母様から分けてもらった手料理を、ルイーズがえらく気に入ったからだ。そのお母様の家に行くとなればルイーズも行きたがるのは当然だった。もちろんルイーズの目的はキャンベルお母様でもジョアナでもない。キャンベルお母様の作る料理だ。

 この状況でルイーズに留守番をしているよう説得するのは、国王を説得するよりも難しい。私は、向こう一週間は毎晩肉料理を作ることで納得させた。その代わり、私の後を隠れて付いてくることも、キャンベル家の上空を飛ぶことも禁止させた。ルイーズはそれで納得したが、キャンベル家でご飯が出たら少しもらってくるよう言い含めることは忘れなかった。


 恨めしそうに洞窟の入口から私の背中を見つめるルイーズの視線に気づかないフリをして、私は森に足を進めた。向かうはキャンベル家。と言っても元は私とおばあちゃんの家だから、何やら複雑な気分になる。

 複雑な気分になると言えば、今日のキャンベル家への用事もそうだ。

 今日、キャンベルお母様と話そうと思っていることは、私としては両手を上げて賛成できることではない。つまりそれは、前のキャンベル家の家にあったような木でできた大きな柵を今の家にも作るかどうか、という事。キャンベルお母様は森に住むモノ、特に狼に対して異常な拒否反応を示す。それで以前は家の周りに大きな柵を巡らせていた。その理由までは知らないが、キャンベルお母様が必要だと思うならそれに協力すべきだろう。

 以前の家の柵も私が作ったものだ。キャンベルお母様が作れるような柵なら狼に容易に突破されてしまう。だから私が時間をかけて頑丈な柵を巡らした。しかし私自身としては、柵を巡らすことには賛成しかねる。内の世界に閉じこもることはいずれ自分自身を追い詰めることにもなりかねない。それに以前の家でキャンベルお母様が時々柵を眺めていた時の視線はとても悲しそうなものだったから。

 もちろん”ウルフェン”や”グリーズ”に襲われた事実を考えれば、柵はやはり必要と言えるかもしれない。だがキャンベルお母様の場合、狼を家に近づかせないというより、ジョアナを外に出さないようにするための檻のようにも見えた。

 アルスフェイト王国の城下町に住めれば理想的なのだが、町に住むにはそれだけでお金がかかるし、それにジョアナの事を考えると簡単にはいかない。キャンベルお母様の一人娘であるジョアナは、一度死の淵を彷徨ったことがある。幸い一命は取り留めたが、その代わりに”ウルフェン”として生きることを余儀なくされた。今のところ生活に問題はないようだが、その姿のままでアルスフェイトの町に住むのは困難だ。

 それにアルスフェイトの町に住むことはずいぶん前から何度も勧めてきた。森がそこまで怖いなら、全財産をかけて町に住む権利を買う価値はあるだろう。慎ましやかな生活を強いられるとしても、身の安全は保証されるのだから。それに今だって十分慎みのある生活だ。きっと大差はないだろう。そんな私の説得にも頑として応じなかったキャンベルお母様だ。今更考えを変えるとも思えない。

 キャンベルお母様はこの森やそこに住む狼を恐れながら、同時に狼に執着しているようにも見える。理由を聞く機会がなかったわけではないが、お母様はいつも言葉を濁すだけだった。でもその表情は自分を責めているようにも見えた。理由は分からないが、それでもキャンベルお母様がこの森で暮らすことを選ぶなら、私としてはその生活が安心できるものになるよう力を貸すだけだ。


 私はまだ朝露が乾ききっていない木の根や岩の上を慎重に踏みしめながら森を進んだ。住む場所が変わったおかげで今まではあまり近づかなかった場所を通ることになる。見慣れない道を歩くのは楽しいし、新しい発見もある。

 綺麗で美味しい湧水が流れ出ている岩の割れ目や、今までの家の近所ではあまり見なかった木の実が成る木。そして木々が避けるように広がる森の隙間に群生する小さな花。花びらの内側が白く先端が青い。

 私はこの花をここで初めて見た時から好きになって家に持って帰ったりもしたが、ルイーズが興味本位で食べてしまってからは時々ここで眺めるだけにしている。今日は久しぶりに何本か摘んで、一番幹の長い花で一つに縛る。小さくて可愛いブーケの出来上がり。それを二つ作ってエプロンのポケットに可愛く飾り、再び歩みを進めた。


 キャンベル家までもう少し。お母様は今でも少なからず怯えて過ごしているのだろうか。

 以前のことはどうしようもないが、今回の件に関しては私にだって責任はある。私が自分を見失わずに、この森を出る算段など立てていなければもっと早く対応できた。“グリーズ”や”ウルフェン”が二人を襲うことだって防げた。私がもっと上手く立ち回っていれば、ジョアナを”ウルフェン”にすることだって避けられた。きっと今回のことでキャンベルお母様はますます森に対する恐怖心を募らせただろう。そのお母様が”ウルフェン”となったジョアナを受け入れられたのは不思議としか言いようがないが、きっと娘だけは例外なのだろう。キャンベルお母様の森への恐怖心を増やさせ、加えてジョアナをアルスフェイトの町に住むことができない体にしてしまった私としては、キャンベルお母様の意向に応えるだけだ。


 そして今日はその話し合いと、必要なら前の家から使える資材を持ってくる必要がある。多少は新しく切り出さないといけないだろうが、それでも幾らか再利用できれば作業が減るし森の木も守れる。

 話し合いの方は難しそうで実は簡単だ。私はキャンベルお母様の決定に従うだけ。心配なのは、キャンベルお母様が私の心配を見越して自分にとって不本意な決定をしないかどうか。だから私は柵を作ることへの懸念を一筋も表情に出してはならない。敏いキャンベルお母様なら、少しの表情の変化で私の考えを察するだろう。感情を顔に出さないこと。これが私の一番の課題だ。

 その顔の筋肉をほぐしながら、私は久しぶりに見る自分の家の扉を叩いた。

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