第20話

コンコン……

執事ローズウェルが慣れた感じで扉を叩く。

扉越しのくぐもった声で『誰だ』という返事が返ってきた。

「ローズウェルでございます。アーサー国王の命により、赤ずきん様をお連れいたしました」

『しばらく待て』

その言葉を返して、扉の向こうの者は奥に行った。

今返事をしたのは扉の番兵。たぶん王に要件を伝えに行ったのだろう。

その者が帰ってくるまでの数十秒の間。

それが何十分にも感じられる。

私は今までにないくらい心臓が鼓動し、緊張が高まる。

この場から逃げ出したいとも思った。

これなら”ウルフェン”と戦っていた方が楽だ。

しかしここで帰るわけにはいかない。

普段なら誰が相手でもこんなに緊張はしないだろうが、今回の私には指名がある。

私は国王にどうしてもお願いしたいことがあるのだ。


しばらくして扉が開いた。

そこには今まで見たことのないほどの大きな部屋が広がっていた。

目の前には綺麗で真っ直ぐに伸びた絨毯。

扉の両側には兵士が立っている。

いつもなら兵士の持っている剣にすぐ目がいくところだが、今はそんな余裕はない。

そんな私の張り詰めた思いを全く気にせずに、ローズウェルはスタスタと王座の間に入っていった。

少し待って欲しかったが、私もいつまでもここにいたって緊張が和らぐものではないし、このタイミングを逃したら本当に王の前に行けないと思って慌ててついていった。


入口から王座に向けて赤い絨毯が伸びている。王座の両脇には入口と同様に兵士が立っており、三段上がったところにアーサー国王とアルトディーテ王妃が王座に着いている。王妃の隣には側近のようなメイドがいた。

しかし私はまともに顔を上げることもできず、絨毯とローズウェルの踵ばかりを見て歩いて行った。

心臓がさっきより大きく響く。この建物自体が揺れているのではないかと勘違いするほどだ。

そしてローズウェルの足が急に止まった。私も慌てて止まる。

緊張のあまり50メートルぐらい歩いたと錯覚してちょっと後ろを振り返ったら、本当に50メートルぐらいだった。

「アーサー様。赤ずきん様をお連れいたしました」

「ご苦労だった。ローズ」

はじめて国王の声を聞いた。

「赤ずきん殿」

アーサー国王に話し掛けられ、私はドキッとする。

ローズウェルは音も立てずに脇に寄っていった。

私は王座の前に一人残される。

「この度は我がアルスフェイト王国のために命を懸けて戦ってくれたことに心から感謝する」

国王が私に話しかけている。

私も何か喋らなくてはと思うのだけれど、何も言葉が出てこない。

喉が異常に乾く。


「赤ずきんさん……」

その声にまたドキッと反応する。

今度話しかけてきたのはアルトディーテ王妃。

しかし今回の体の反応は緊張や恐れというものではなかった。

なんて優しい、包み込むような声……。

「どうかお顔を見せてくださらない?」

私は自然と顔をあげた。

そこには優しい光に照らされたアーサー国王とアルトディーテ王妃がいた。

きっと大きな窓から入ってくる陽の光のせいだったと思う。

「あら。ルカが言っていた通り、本当に可愛らしい女の子ですこと」

そう言ってアルトディーテ王妃は優しく微笑んだ。

「ルカの話も兵士たちの報告も半信半疑だったけれど、本当にこんなに可愛らしい子が私たちの国を守ってくれたのね」

私は思わず見とれてしまう。

さっきまでの緊張など、どこに行ったか忘れてしまった。


「戦いに出た兵士の話によると、化物の大群を君一人で討ち返したと聞いたが、それは本当なのか?」

アーサー国王が私に聞く。

もうさっきまでの緊張はない。

「私一人ではありません。ベ……」

と、ここで私は言葉を飲んだ。

ベスのことは言えない。

言ってもいいが、そうなると彼が”ウルフェン”であることも言わなければいけない。

それにベス自身も国王から賛辞を受けたいとは思わないだろう。

「いえ、森の狼たちが協力してくれました」

「まぁ。狼たちが?」

アルトディーテ王妃が驚いたように口に手を当てる。

「はい。普段はそんなに仲がいいわけでもないのですが、やはり同じ森に住んでいる者同士、こんな時は自然と協力するのです」

「まぁまぁ。あなたあの森で暮らしているの?」

アルトディーテ王妃にそう言われ私の体は一瞬反応した。

このことは今回の核心にせまる点だ。

「そうか。化物はかなりの数だったと聞いたが、そんな化物を倒す力をどこで得たんだね?」

「この森で育ったので、その間に自然と。狼たちとも、常に仲がいいわけではありませんので。時には喧嘩することもありましたわ」

「狼との喧嘩なんて、街の子供たちの喧嘩とは訳が違いそうだな」

アーサー国王は苦笑しながら言った。

喧嘩というより死闘という言葉の方が近かったかもしれない。

「まだ幼いように見受けるが、そんな生活をしていたのかね」

「はい」

「そうだったのね。ルカが赤ずきんさんに助けていただいたという話を聞いたときは信じられなかったけど、会ってみてそれが本当だって分かるわ」

「なに!そんなことがあったのか!?」

アルトディーテ王妃の言葉にアーサー国王が反応した。

アーサー国王は知らなかったようだ。

というか、ルカ姫はあの時アルトディーテ王妃には内緒と言っていたのに喋ってしまったのか。

おおかた自分が経験したことに興奮して話さずにはいられなかったのだろう。

「見た目はこんなに可愛らしいのに、瞳の奥には力強い意思を感じる。でもとても優しい瞳だわ」

「ルカがそんな危険な目にあったことがあるのか?」

「ふふ、それは後で話すわ。客人の前よ」

そうアルトディーテ王妃に諭され、アーサー国王は改めて私に向き直った。

家庭の事情、しかも王族の家族模様を他人に知られるのは国王の威厳のためにも良くないだろう。

「どうやら我々家族は以前から赤ずきん殿にお世話になっているようだ」

私は『とんでもない』というような感じで目を伏せる。

「国王としては、家族を守ってくれた者、何よりこの国を守ってくれた者にそれ相応のお礼をするべきではないだろうか」

私は頭を下げる。


ここからだ。


「赤ずきん殿。何か望みがあるか?」

「私のような者が国王に願い事などを述べてもいいのでしょか」

「構わぬ。皆の前でそなたの功績を称えよう。もし失礼でなければ感謝の印としてアルスフェイト硬貨を進呈することもできるし、望むならアルスフェイトの町に住む権利を与えることもできる。なんでも申すがよい」

その言葉に私は深々と頭を下げる。

頭の中におばあちゃんの顔が思い浮かぶ。

おばあちゃんの勇気に少しでも見倣いたい。

「アーサー国王、並びにアルトディーテ王妃。誠に失礼ながら、お二人に見ていただきたいものがあります」

少し予想外だったのかアルトディーテ王妃は少し困惑し、アーサー国王の方を見た。

王座の間にいる兵士やローズウェルも驚いている。

しかしアーサー国王は微動だにしない。

私の声色から重大なことであることを悟ったように、どっしりと構えた様子で「よかろう」と言った。


私は持ってきた袋の中からおばあちゃんの手紙を出した。

その手が異常に震えている。

私は近寄ってきたローズウェルに手紙を渡し、ローズウェルがそれをアーサー国王のもとに持っていく。

アーサー国王は王座の傍らにあるテーブルからナイフをとって手紙の封を開けた。

手紙は全部で三枚。

アーサー国王はそれを丁寧に読んでいく。

アルトディーテ王妃は今にも立ち上がってアーサー国王と一緒に読み始めたそうだったが、そこはやはり王妃。

国王であり夫であるアーサーを立てなければならない。

そしてその間私はずっと頭を下げていた。


カサッという音で手紙がめくられたのが分かる。

手紙を最後まで読んだアーサー国王は「ふー」と静かに息を吐いた。

「これは本当なのか?俄かに信じられないが……」

私はさらに深く頭を下げる。

「……あなた」

アルトディーテ王妃がたまらずアーサー国王に手を伸ばして手紙を催促する。

「ああ……」と言ってアーサー国王は手紙を差し出し、アルトディーテ王妃のメイドがそれを受け取ってアルトディーテ王妃に渡した。

アルトディーテ王妃は一行目を読んだだけ、というより筆跡を見ただけで誰が書いた手紙か分かったのかもしれない。

ガタっと椅子を鳴らして私の方を見る。

しかし言葉は出てこないようだった。

この王妃の反応からも、この手紙がマーラおばあちゃんからの手紙であることを証明するだろう。

アルトディーテ王妃は、なぜ今更マーラおばあちゃんからの手紙が届くのか、なぜ森に住む少女がそれを持っているのか、いろいろ疑問が駆け巡っているはずだ。

それを私に質問したい気持ちと、なにを聞けばいいのか分からない思考が交錯している。

アーサー国王も考えを整理しているようだ。


私はというと、ずっと頭を下げながらでも心は落ち着いていた。

ここまで来たらもう後には引けない。

全てをさらけ出し、真実を伝えるしかない。

まだお二人が信じてくれるかどうか分からない。

もしかしたら偽の手紙をでっち上げて国王に取り入ろうとした異端者として扱われ、この国やこの森からも追われるかもしれない。

かつてこの国はそういう経験をしているのだ。警戒をして足りないことはない。

ここまで来たらそれも仕方ない。

元々当初の予定ではこの森を出るつもりだったのだ。


アルトディーテ王妃が手紙の一枚目を読み終えた。

一枚目にはマーラおばあちゃんがあの夜に勝手にいなくなったことに対する謝罪と、それ以降もずっと二人のことを気遣っていた事が書かれていた。

アルトディーテ王妃は堪らず「マーラ……」と呟いて口を覆う。

目には涙を浮かべている。

しかしアーサー国王はまだ複雑な顔をしている。

「赤ずきん殿。手紙の内容は分かった。しかし私としては確信が持てない。国を守ってくれた御仁を疑うわけではないのだが……」

それも当然だ。

手紙だって王家の刻印だって複製しようと思えばできなくもない。

そんなことをしたら重罪だが。

「恐れながら、もう一つ見ていただきたいものがあります」

そう言って私は袋からマーラおばあちゃんの服と王家の紋章が入ったナイフを取り出した。

国王の前でナイフを取り出した時点で処刑されてもおかしくないかもしれないが、今までの流れと王家の紋章が入っていることで兵士たちは押し留まった。

代わりに国王が立ち上がり王座から降りてきた。

それには兵士たちも驚いていた。

慌てて私と国王の間に入ってこようとしたが、アーサー国王が右手でそれを制した。

国王が私のもとに近づいてきたので私は片膝をついて自分を低め、そしてマーラおばあちゃんの服とナイフを差し出した。

アーサー国王に続いてアルトディーテ王妃も王座から降りてくる。

アーサー国王がナイフを、アルトディーテ王妃が服をそれぞれ取り上げた。

「……これは確かにアルスフェイトのものだ。この紋章の飾りは簡単に作れるものではないし、それにこのナイフは確かに見覚えがある。私があの男に渡したものだ……」

あの男とはカルエナのことだろう。

あの夜、カルエナが私を殺すためにナイフをアーサー国王に催促し、国王はこのナイフを渡したのだ。きっと王家のナイフの方が悪魔を完全に消すのに有効だとかなんとか言ったのだろう。

アルトディーテ王妃は完全に泣き崩れていた。

それを側近のメイドが支えている。

「これは間違いなくマーラのものだわ。私はずっとこの背中を見て育ったんですもの。間違いないわ……」

私はその間ずっと片膝をついて頭を垂れていた。

すべての証拠は提出した。

それを判断するのはお二人だ。

私からはもう何も言うことはない。


いや、一つだけある。

今はマーラおばあちゃんの遺品に注意が行っているが、私はただおばあちゃんの遺品を届けに来たわけではない。

「国王アーサー様。王妃アルトディーテ様」

そう言って私は被っていた赤いずきんを取った。

そこに現れるのは金髪ブロンドの髪。

黒髪ブルネットしかいない王家では金髪ブロンドの印象は忘れがたいだろう。

しかも初めて生まれた子供でカルエナに殺された子供の髪だ。

「そうだったな……」

と言ったのはアーサー国王。

アルトディーテ王妃はしばらく状況を飲み込めていなかった。

手紙を途中までしか読んでいなかったからだ。しかし慌てて続きを読む。

そこには、マーラおばあちゃんがあの夜にカルエナに殺されるはずだった赤子を連れて森へ逃げ、そこで生きてきたことが書かれている。

事実に気づいたアルトディーテ王妃は、メイドでも支えられないぐらい力を失ってしまい、床に座り込んでしまった。

それでも私に向かって手を伸ばしてきた。しかし感情をどう表せばいいのか、どのように私に触れればいいのか分からないでいるように、アルトディーテ王妃の手は宙を彷徨っていた。

その間も何かを言おうとして口を動かしていたが、言葉は出ずに代わりに涙が流れるだけだった。

母親なら当然の感情だ。もう会えないと思っていた娘が帰ってきた。死んだと思っていた子が生き返ったのだから。

「もっと顔を見せてちょうだい……」

私がアルトディーテ王妃の顔を真っ直ぐに見ると、アルトディーテ王妃は私の頬に触れ、そして瞼にかかる髪を優しく分けた。

その感覚がなんだか懐かしい。

私は憶えていないが、きっとまだカルエナの計画が動き出す前はこんな時間を過ごしていたのだろう。

アーサー国王もアルトディーテ王妃と私の背中を優しく撫でている。

「ああ……。私の娘……」

アルトディーテ王妃はメイドから受け取ったハンカチで涙を拭いていた。

「ねぇ、あなたはマーラからは何と呼ばれていたの?」

「……ずきんちゃんと、そう呼ばれていました」

「そう。マーラにはまだ私たちが考えた名前を伝えていなかったものね」

私の本当の名前。

そう。私も最初は普通の子供として生まれてきたのだから、自分の名前があるはずなのだ。

「そうですか。でもアルトディーテさま。私の名前は赤ずきんです。それ以外にはないですわ」

「赤ずきんさん……」

私の返事に王妃は驚いているようだ。

「アルトディーテ王妃。今更本当の名前を聞く気はありません。マーラおばあちゃんからもらった大好きな名前があるのですから……」

私はそう言って再び深く頭を下げた。

今更本当の名前など知らなくてもいい。


「うむ。赤ずきん殿。そなたの願いを聞いている途中であったな。この手紙にある通り、そなたを正式にこの王家に迎え入れることが望みか?」

私は少し後ろに下がって片膝をついて頭を下げたまま国王に願い出た。

「アーサー国王。どうかお聞きください。今回私はこの国を守りました。この国の民の平和を私は守りました」

「うむ」

「しかし今回私がこの国を守れたのも、マーラおばあちゃんがあの夜に私の命を救い、私をここまで育ててくれたからです。それまでに持っていたであろうこの城での安全な暮らし、王妃との楽しい生活、王族に仕えることの名誉。その全てを投げ捨てて私を守ってくれたからです」

あの時に私を見捨ててこの城に留まっていれば、生涯を王族に捧げた女性として尊敬され、晩年は手厚く介護され、その死は名誉ある死となったことであろう。

しかし実際のおばあちゃんの最期は小さい家の硬いベッドの上で、たった一人の小さい子供にしか見送られないものだった。

おばあちゃんが払った多大な犠牲に対して、それでは釣り合いが取れ無さ過ぎる。

「ですから、マーラおばあちゃんの功績をこの王国に刻んでください。マーラおばあちゃんの犠牲によってこの国が守られたことを、栄誉として語り継いでください。その死がとても尊いものであったことを、どうか忘れないでください……」

「それがそなたの願いか?」

「それだけが私の願いです」

それ以外は何もいらない。

おばあちゃんが生きていた証を残せるなら、私はすべてそれでいい。

「分かった。必ずそうしよう。すべての国民にマーラの名前を伝えよう。あの夜の事をすべて話すことはできないかもしれないが……」

そう言うとアーサー国王は王座に戻っていってこちらに振り返り、次のように宣言した。

「国が守られた日をマーラの記念日としよう。そして毎年語り継ぐことをここに約束しよう」

王座から宣言されたことはすべて王の命令として決定されたこととなる。

これで私の願いは果たされた。


「あなた……。この手紙のことはどうなさるの?」

アルトディーテ王妃がメイドに支えられながら、アーサー国王に手紙を渡した。

「ああ……」

「私たちの娘ですもの。もちろん戻ってもいいわよね……」

私がアルスフェイト王国に戻ることはマーラおばあちゃんの最後の願い。それに私は実の娘。

アルトディーテ王妃としては是非この願いを叶えたいだろう。

アーサー国王はしばらく考える。

きっと反対ではないだろうが、私が王族に入ることはそんなに簡単なことではない。

それに私は……。

「アーサー国王、アルトディーテ王妃」

「なんだ?」

「お二人の心遣いには心から感謝いたします。しかし私はあの森で育ちました。私の生活のすべてはあの森にあります。私はこの城に戻るつもりはありません。いえ、この城にいた記憶すらないのですから戻るという表現も変ですね」

私に王族は似合わない。

あの森が私の家。

私の家族は、大好きなマーラおばあちゃんだけ。

ただそれだけだ。

「そんな!あなたは確かに私たちの……」

「私はあの森が好きです。動物たちも大好きですし、守らなくてはいけない大切な友人もいます。なによりもおばあちゃんとの思い出が、あの森にはあるのです」

それに私の手は血に染まっている。

そのような者は、戦うことをやめて平和を生み出そうとしているこの王国には相応しくない。

「でも……」と言うアルトディーテ王妃をアーサー国王が留めた。

「本当にそれでいいのか?第一王女の地位も可能なのだぞ?」

「……ルカ姫はすでに立派な姫君であらせられます。ルカ姫こそ王女に相応しいでしょう」

私が自暴自棄になって戦いに身を投じ、現実から目を背けて死ぬことを望んだ時に、ルカ姫によって救われた。

どっちが王女に相応しいかは一目瞭然だろう。

「……そ、それじゃあ時々でいいから、ルカに会いに来てちょうだい。あの子、赤ずきんさんの事が本当に大好きみたいだから……」

アルトディーテ王妃のその言葉に私は小さく頷くだけにした。


「赤ずきん殿。今回は本当に大儀であった。何かあればいつでも城を尋ねるが良い。そなたを家族同然としていつでも温かく迎えよ」

アーサー国王の言葉に私は頭を下げる。

「最後に一つ。あの夜はそなたを守れずに申し訳なかった。苦しい思いをさせてしまった。許して欲しい……」

「……私の唯一の願いを叶えてくださったアーサー国王には感謝の言葉しかありません。どうかこれからも健やかに過ごされますように」

そう言って私は深く頭を下げ、そして踵を返して部屋の出口へ歩いて行った。

後からローズウェルもついてくる。

後ろからアルトディーテ王妃の声が聞こえる。

「メイ……」と行ったあと、言葉を詰まらせた。

きっと私がさっき名前を呼ばれることを拒んだのを思い出して飲み込んだのだろう。

私も思わず足を止める。

しかしアルトディーテ王妃は一つ息を吐いてこう言った。

「今日は来てくれて感謝します。あなたに会えただけで嬉しかったわ。生きていてくれてありがとう」

その言葉に唇を噛み締める。

まさかこんな私が生きていることに感謝される日が来るとは思わなかった。

「アルトディーテ王妃。私の名前は赤ずきんです。私の大切な人にはそう呼ばれていますわ。以後、お見知りおきを」

私はアルトディーテ王妃の方を向いて軽くお辞儀をした。

そして部屋を出て扉を閉じる。

最後の隙間からアルトディーテ王妃が手を伸ばしているのが見えた。

きっと昔の私はあの優しい手に抱かれていたのだろう。

それはとても心地の良い、安心できる場所だったに違いない。

たとえ私にどんな過去があり、どんなことをしてきたとしても、アルトディーテ王妃なら受け入れてくれるだろう。キャンベルお母様がジョアナを受け入れたように。

でも私にはそれを受け入れることはできない。

私はお辞儀をしたまま静かに泣くのを堪えていた。


帰りにルカ姫に会っていくかとローズウェルに聞かれたがやめておいた。

代わりにうまく説明してくれるようにローズウェルに頼んだ。

自分ではどう説明すればいいか分からなかった。


ローズウェルとは城の門で別れた。

街を出るときにもう一度城を振り返る。

この国とこんなに関わるとは思いもしなかった。

でもそれも今回きりで終わり。


私は森で育った小さな小さな赤ずきん。

私には帰るべき、いや、帰ることのできる家がある。

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