第18話
私とジョアナは本当に仲が良かった。
お互い一人っ子だったのもあり、小さい頃からよく一緒に遊んでいた。
家は離れていたが、おばあちゃんが遊びに連れて行ってくれた。
ジョアナは私を姉のように慕ってくれていたし、私もジョアナを本当の妹のように可愛がった。
ジョアナが私を見つけると、よく抱きついてきたものだ。
だからジョアナの感触はよく憶えている。
そして今、私の腰に抱きついている”ウルフェン”。
顔も耳も”ウルフェン”そのものだが、抱きついてきた感触はあの頃と同じ。
この”ウルフェン”はジョアナに間違いない。
ジョアナは生きていた。
でもなぜジョアナが”ウルフェン”に?
なんでジョアナが私の最も忌み嫌う存在に?
私の思考が問答を繰り返していると、抱きついたままのジョアナと目があった。
ジョアナは何か言おうと口を動かすが言葉が出てこない。
「まだその体に慣れていないんだろう」
そう言ったのは、ジョアナが私を庇っている間に”ウルフェン”と戦っていたベスだった。
ベスは生きていた。
いや、今の一言ですべてが繋がる。
先日の“グリーズ”との戦いの後瀕死のはずのジョアナがいなくなっていたが、私が気絶している間にベスが運び去ったのだ。
そして……。
「まさかあなたがジョアナを”ウルフェン”に!?」
私は体の血液が沸騰するような感覚になった。
しかしその質問の答えを得る前に邪魔が入る。
「これはこれは。この森に”ウルフェン”が二匹もいたとは」
邪魔をしたのはカルエナ。
私は座ったまま反射的にジョアナを自分の背中の後ろに隠す。
“ウルフェン”を庇っているというのは妙な感覚だが、これが本当にジョアナであるなら今度こそ守らなければならない。
「俺のことは忘れたのか……」
ベスがカルエナに聞く。
「もちろん覚えていますよ。まさにこの森でのことでしたから。”ルイーズ”に、この森に”ウルフェン"がいると聞いたときには驚きました。まだ生きていたとは思わなかったので」
「ふんっ」
ベスは鼻を鳴らしながら何度も拳を握っている。
自分の狼の家族を殺し、そして自分をこんな姿にした張本人が目の前にいるのだ。
「これはもう言い訳は効きませんよ、”グリーズ”。まさかこの男まで殺し損ねているなんて」
「こいつは殺したはずだぜ」
「ここにいるじゃないですか。しっかり止めを刺さなかったんですね」
「分かったよ。殺せばいいんだろ、二人共。さっさと殺ってアルスフェイトに行こうぜ」
「それもいいですが……」
そう言ってカルエナが兵車から降りていた。
ベスは臨戦態勢を整え、私もジョアナを立たせてから後ろに庇う。
「そう警戒しないでください。あなた方にとっていい条件を出そうというのです」
「条件?」
ベスが返す。
「はい。その子供をこちらに渡しなさい。そしたらあなた方からもこの国や森からも手を引きましょう」
なっ!
と口から出かかったが「なんだよ、それ!」と言ったのは”グリーズ”だった。
しかしその言葉は聞き流してカルエナはあくまで私たちの様子を伺っていた。
「悪い話じゃないでしょ?その子を渡せばあなた方もこの森も平和になるんで……」
「冗談じゃないわ!」
カルエナが言い終わる前に私はそう言い放った。
ジョアナが”ウルフェン”になってしまったのはショックだ。
ジョアナを”ウルフェン”にしたベスにも怒っている。ジョアナを救うためにもっと別の方法はなかったのかと。
しかしなによりも、ジョアナを守りきれなかった自分に怒っている。
あの時はおばあちゃんのこともあって自分のことしか考えていなかった。そしてジョアナを置いてこの森を出ようとした。
分かってる。
私にベスを責める資格が無いことも。
そしてたぶんジョアナを”ウルフェン”にするしか救う方法はなかったであろうことも。
だから今度は決して後悔しないように。
私の背中で震えているジョアナの手を二度と離さぬように。
必ず守り抜く。
「あなたには指一本どころか、近づくことも許さないわ!」
私はジョアナに誓うように大声で言った。
「……あなたも同意見ですか?」
カルエナがベスに聞く。
「もちろんだ」
「そうですか……」
「お前に渡すぐらいならあのまま死なせてやってたさ」
カルエナは観念したように首を振る。
「子供から”ウルフェン”になるなんて例がないのでね。貴重なサンプルは無傷で手に入れたかったんですが。抵抗されるとどうしても傷ついてしまう恐れがありますが、まぁ仕方ないでしょう」
カルエナが軽く手を上げる。
攻撃の合図だろう。
「あの男は俺が殺る。その代わり”グリーズ”はお前が倒せ」
ベスが私に顔を近づけて小声で言った。
「あら、私にあなたの尻拭いをしろというの?」
「俺はあの男に大きな借りがあるんだよ」
「……分かったわ。その代わり確実に殺しなさい。生かしておけば、いつジョアナを奪いに来るか分からないわ」
「お前もな」
そう言ってベスは駆け出した。
それと同時にカルエナが上げていた手を下ろし、それを合図に”ウルフェン”たちも向かってきた。
でも知性のない”ウルフェン”がベスに敵うはずがない。
ベスは次々を”ウルフェン”を蹴散らし、カルエナを目指す。
私は後ろを振り返ってジョアナの手を握り、道の大岩のところに連れてきた。
「いい?ジョアナ。ここにいなさい。絶対動いちゃダメよ。もし”ウルフェン”が近づいてきたら私を呼びなさい。いいわね?絶対戦っちゃダメよ?」
私は真剣な顔でジョアナにそう言い聞かせた。
ジョアナも上手く話せない代わりに必死に頷く。
「そうね。……ほら、これを持って」
そう言って私は大きめの石をジョアナに持たせた。
「もし危なくなったり怖くなったりしたらこれで岩を叩きなさい。そうすれば私は必ず戻ってくるから」
少し大きめの石だったが、ジョアナは片手で簡単に持った。
きっと以前のジョアナなら両手でやっと持てるぐらいの重さがあるはず。
これも”ウルフェン”になったからだろう。
もしかしたら周りの”ウルフェン”たちと戦うぐらいのことは出来るのかもしれない。
しかしまだ”ウルフェン”になったばかりで力の使い方も戦い方も分からないだろう。
それにジョアナに何かを殺すようなことは決してさせたくない。
「ほら、ジョアナ。これを被って」
そう言って私は自分の被っていた赤いずきんをジョアナに被せた。
元々これはジョアナのものだ。
でもこれでもしジョアナが動いたとしてもすぐに見つけて助けに行くことができる。
ずきんを被せられてから私を見たジョアナは驚いていた。
私の髪が短くなっているからだろう。
私はジョアナの頭を優しく撫でる。
「待っていてちょうだい」
そう言って私は駆け出した。
私がジョアナを大岩のところに連れていっている間にベスはものすごい勢いで”ウルフェン”を倒していた。
親の仇が目の前にいるのだ。気合が入って当然だろう。
しかし残りの”ウルフェン”が十五匹ほどになったところで”グリーズ”が痺れを切らして吠えた。
「もう面倒くせぇ!俺が終わらせればいいんだろ!」
そして味方であるはずの”ウルフェン”を蹴散らしてベスに向かっていった。
目の前の”ウルフェン”の攻撃をかわしている後ろから”グリーズ”の攻撃が迫る。
“ウルフェン”もろともベスを殴り倒そうというのだ。
しかし”グリーズ”の爪がベスに届くことはなかった。
ガキイイィィィンという音とともに私のラブリュスが”グリーズ”の豪腕を止める。
「じゃじゃ熊ちゃん。私が遊んであげるわ」
“グリーズ”の腕で止められたラブリュスに乗るような形で言う。
ベスは私が”グリーズ”を止めている間に脇をすり抜けてカルエナの方に向かった。
数匹の”ウルフェン”がその後を追う。
それを見送ってから、私は”グリーズ”の腕を蹴って距離を取った。
“グリーズ”はベスには目もくれず私の正面に立つ。
「お前は俺に負けてるんだぜ。諦めろよ」
「背中を狙う卑怯な奴がよく言うわね」
「背中を狙って悪いか?」
「いいえ。悪くないわ。あれは私の油断。だからその借りは返さないと、私の名前にキズが残るのよ」
「死んだら名前なんていらないだろ」
「でも私はこれからも生き続けるから。だから必要なのよ」
「はんっ!好きに言ってな!言い終わる前にお前を殺してやるよ!」
そう言って”グリーズ”が突進してきた。
この巨体のくせに俊敏性があるのが厄介だ。
できれば相手を動かして疲れさせたいが、そうするほどの体力が私の方にない。
そうなれば、森に入って相手の死角から一撃必殺を狙うしかない。
私は”グリーズ”から視線を外さずに後ろに飛んで森に入り、木に登った。
そして気配を殺して死角を探す。
熊というのは木登りも得意と聞くが、さすがに”グリーズ”は登ってこないだろう。
もし来ても木から木へ飛び移ればいい。
「なんだぁ?威勢がよかった割には逃げてばかりじゃねぇか」
そして”グリーズ”は木を倒し出す。
しかしその行動は私にとって好都合。
木が大きな音を立てて倒れている間に木から木へ飛び移れば気付かれることはない。
「まぁお前をあぶり出す方法なんて簡単なんだ」
そう言って”グリーズ”は来た方向へ戻ろうとした。
狙いはジョアナ。
あの娘を餌にして私をおびき出す気だろう。
しかしそうやって進んでいった”グリーズ”の後ろ姿は、まさに私にとって絶好のチャンス。
私は「”グリーズ”!」と呼びかけて奴に飛びかかる。
狙いはを振り返った奴の額。
タイミングは完璧。
これで”グリーズ”の額をラブリュスで打ち抜ける。
しかし千載一遇のチャンスに力が入ってラブリュスを振りかぶってしまい、疲労が溜まった腕ではラブリュスを押さえ込むことができなかった。
ラブリュスは”グリーズ”の鼻に直撃したが、当たったのは斧頭部分。
戦いの前に補強しておいたから壊れることはなかったが、致命傷を与えることはできなかった。
私は着地したらすぐに間合いを取り、”グリーズ”の追撃に備える。
私としたことがつい力んでしまった。同じ手は通用しないだろう。
どうしたら……。
しかし”グリーズ”は追撃どころか立っていることすらできず、鼻を押さえてのたうち回っていた。
もしかして鼻が弱点なのだろうか。
それなら弱っているうちに追撃を仕掛けたい。
しかし痛みで暴れまわっている”グリーズ”の動きが読めず、下手に突っ込もうものならこちらが致命傷を負いそうだ。
少しずつ近づきながら様子を伺っていると、”グリーズ”と目が合った。
充血した目で私を睨み、そして唸り声を上げた。
「ころしてやるぅ!ゴロジデヤルゥゥ!!」
言葉なのか叫び声なのか分からない大声を出し、そして私に突っ込んでくる”グリーズ”。
本来の熊のように四足歩行だが威力は絶大。
体当たりしてくる”グリーズ”をラブリュスでどうにかいなした。
しかし踏ん張れずに弾かれてしまう。
幸い木への直撃は避けられ、茂みがクッションとなってくれたが、これ以上長引かせては不利になる一方だ。
しかし私は今ので確信した。
森の奥へ突っ込んでいった”グリーズ”が私の方へ振り返り、鼻息を荒くしている。
それに対して私は、ラブリュスの斧頭部分を右の足元に下ろした。
「ざっざとあぎらめろぉぉ!!」
“グリーズ”が本当の熊のように突進してくる。
その間、私はラブリュスの柄の先の石突き部分を左手で軽く持ち、そして右手は斧頭に近い部分の柄に軽く添える程度。
“グリーズ”は間合いも関係なく口を開け、涎を撒き散らして突っ込んでくる。
私はできるだけ肩の力を抜く。
大丈夫。できるはず。
そして”グリーズ”が私の頭を噛み砕こうとしたその瞬間、私はラブリュスを掴みながら体を沈み込ませるように左足を出して”グリーズ”の牙を避ける。
“グリーズ”の右手の爪が頬をかすめたが、どうにか避けることができた。
そしてもうその瞬間にはラブリュスの加速は十分完了している。
私の真横を飛び越す”グリーズ”の体にラブリュスが喰いこみ、そして通り過ぎていった。
“グリーズ”の体が私の右足をかすめていった。
“グリーズ”はビクビクと痙攣しながら、しかし叫び声を上げることなく動かなくなった。
角度からして、左の首元から右足の付け根辺りまでを斬っただろう。
カウンターを狙ったのは賭けだったが、”グリーズ”の動きは確かに遅くなっていた。
体力も腕の力も残っていなかった私にとって、これが残された最後の手段だった。
私は倒れた”グリーズ”の方に向き直った。
“グリーズ”が突進してきてから今まで息を止めていたため、肩で大きく息をして酸素を体に送り込む。
“グリーズ”の体は早くも崩れ始めていた。
これでもう”グリーズ”が起き上がることはない。
急に頬と足、そして両手が痛み出した。
でももう大丈夫だ。
そう肩を撫で下ろした途端、石と石がぶつかる音が私を緊張させた。
ジョアナの救難信号だ。
痛みを自覚した体では早く動くことはできないが、そんなことは言っていられない。
倒し損ねた”ウルフェン”か、それともカルエナか……。
私が痛みを噛み殺してジョアナの姿が見えるところまで出ると、ジョアナは道の先を指差していた。
道の先から来るのはアルスフェイト王国の旗を掲げた軍隊。
ここでの争いの音が王国にも届いていたのかもしれない。
それで打って出てきたのだろう。
「敵発見!打ち方用意!!」
兵車に乗った男が右手を上げる。
ここでいう敵というのは……ジョアナのことだ!!
ジョアナは今”ウルフェン”の姿をしている。
兵士たちが敵と認識してもおかしくはない。
ちょ!
「待って!」
私は叫ぶ。
しかし兵士たちの耳には届かない。
そして今まさに矢が放たれようとした瞬間に、ある男がそれを止めた。
「お待ちください!あの赤いずきんの方はルカ姫のご友人の方です!」
それには兵士長も慌てる。
「うっ、打ち方止め!!」
しかしその声に驚いた一人の兵士が矢を離してしまった。
ジョアナに向かって飛んでくる矢。
まったくこれだから素人は。
戦いにおいて一番必要なのは冷静さなのに。
私はラブリュスを離し、腰の右に携えている鉈を投げて矢を打ち落とした。
なんだなんだと兵士たちが驚いている間に私はジョアナの元に行って彼女を庇う。
人間が出てきた事に安心したのか、兵士たちはこちらに近づいてきた。
「あ、あなたは……」
以前門の警備をして話したことのある兵士が私に気づいた。
「ではこちらのずきんの方はあなたではなかったのですか……」
私の後ろに隠れているジョアナを指して言う。
さっき被せた赤いずきんのおかげで彼らはジョアナが私だと勘違いしたらしい。
そうでなければ”ウルフェン”の耳がバレて殺されていただろう。
「敵軍はどこへ行った?」
兵士長が尋ねてくる。
さっきまで慌てていたのにもうこの態度だ。
きっとこの男はみんなを指揮することよりも、兵士長という名前が好きなだけなのだろう。私は呆れるように、自分の後方に倒れている”ウルフェン”の群れを指差した。
「来るのが遅いわよ」
「……そうだったか。ずきんの方。ご苦労であった。」
「まだ全滅じゃないわ。森の奥にいるはずよ」
「そ、そうか。よし!」
そう言って兵士長は兵士たちに指示を出し、この場に数人残して奥に進む。
一応緊張しながらも武勲を上げる心意気は残っているらしい。
私は兵士長を見送る兵士たちの目を盗んでジョアナを脇に連れて行き、ずきんの中の顔を見る。
その顔は懐かしいジョアナの顔に戻っていた。
「よかったー……」
私は心底安心してジョアナの両肩を持ったままその場にしゃがみこんでしまった。
ベスも人間の顔に戻ることもできていたが、みんながそうかどうかは分からない。
ベスだけが特別な場合だってある。
そんなことを思い、もしジョアナがこの先ずっと”ウルフェン”の顔のままならどうしようと思っていた。
もしかしたら緊張がある程度解けて元に戻ったのかもしれない。
耳はまだそのままなのでずきんは外せないが。
私は立ち上がり、ジョアナの狼の耳に小声で話しかけた。
「いい?ジョアナ。もう安心して大丈夫。だからもう狼の顔になっちゃダメよ?」
「うん。分かった」
ジョアナが喋った。
これも元に戻ったからかもしれない。
もう聞けないと思っていたジョアナの声をもう一度聞けた。
私は嬉しさのあまりジョアナを抱きしめる。
そして言葉を続ける。
「この兵士さんたちに守ってもらいなさい。私はまた森に行くけど、必ず戻ってくるから。だからちゃんと待ってるのよ」
「うん」
そういうジョアナの頭を一回撫でてから、ジョアナを兵士たちに託した。
ジョアナの「いってらっしゃい」の言葉に送られながら。
私はラブリュスを掴んで森に入る。
自分のこの目でカルエナがどうなったか確認しなくてはまったく安心できない。
でもこの森でカルエナの場所を探すのは簡単だった。
なぜなら森の一部が燃えていたから。
カルエナはかなりボロボロになっていたが、それでも立っていた。
左手はベスを引きずり、右手からは炎を出している。
魔術師というのはこんなこともできるのかと思ったが、右の手のひらには魔法陣を書いた紙があった。あの魔法陣から炎を出しているのだろう。
よく見るとベスも狼の毛が黒く焦げている。
「まったく。生きているんでしょね……」
と、つぶやきながら兵士たちを相手にしているカルエナにそっと近づく。
兵士たちにはできるだけ注意を引きつけてもらいたい。
しかしそこは戦いに不慣れな素人兵士。
手から炎を出すという不可思議な男を目の当たりにし、放つ矢はことごとく炎で焼き尽くされてしまっては、それ以上向かっていく度胸はないようだ。
一人の兵士が逃げ出したら、もう抑えられない。
あとは皆がそれに従って行ってしまう。
もう少し時間稼ぎしてくれればカルエナを射程圏内に入れられたのに。
私は少しカルエナの様子を伺おうと、木の影に静かに腰を下ろした。
あんな遠距離攻撃ができる相手だとは思わなかった。
ただでさえもう力が残ってないのに。本当に今度こそ一撃必殺をしないと。
しかしそううまくはいかない。
「さてと。止めの途中でしたね」
そう言ってカルエナはベスを地面に落とした。
「私をここまでにしたのです。ゆっくり焼いて差し上げますよ」
そう言ってカルエナは右手をベスに向けた。
ベスを焼き殺す気だ。
できればラブリュスで確実に息の根を止めたかった。
“ウルフェン”のベスなどどうでもいい、と言いたかったが、ベスにも幾つかの借りがある。
それに不仲とはいえ同じ目的で戦った奴を見殺しにするのは気分が良くない。
立ち上がって左の腰に下げている鉈を取るまでにそんな言い訳を頭の中で並べ立てて、私は残りの一本の鉈をカルエナの右腕に向けて投げた。
鉈は水平に回転しながら飛んでいき、カルエナの手首から下を地面に落とす。
突然のことでカルエナは無くなった自分の右腕を黙って見ていたが、そのうちに血が溢れてきた。
「ぐっ!!!おおおおぉぉぉぉおお……!!!」
カルエナが右腕を押さえてうずくまる。
普段なら飛んでくる鉈に気づかないことはないのだろうが、そこまで気を回せないほどベスがカルエナを追い込んでいたのだろう。
これならいける!
私は一気に駆け出してカルエナに向かっていく。
「カルエナァ!」
そう言って私はラブリュスを振り上げた。
ここからカルエナの反撃なんて有り得ない。
私は躊躇なく踏み込む。
しかしカルエナは懐から別の魔法陣が書かれた紙を左手で取り出し自分の額に着けた。
するとそこからカルエナの姿が消えてしまい、私のラブリュスが空を斬った。
私のラブリュスは虚しく地面を斬る。
まさかいなくなるなんて。
きっとあの魔法陣は緊急脱出用だろう。
だからあんな状態でもすぐに取り出せる所に持っていたんだ。
カルエナが最低の奴なのは間違いないが、魔術の能力は確かなものだろう。
もしカルエナが身分を隠してアルスフェイト王国の中に入ってそこで魔術を使っていたら、もしかしたらアルスフェイトを一人で陥落させることもできたのかもしれない。
“ウルフェン”や”グリーズ”を生み出し軍隊を作ってまでアルスフェイトを襲ったのは、カルエナの見栄にも等しい埃のような誇りだったのかもしれない。
そんなことを思いながら私はラブリュスを地面から抜いて担ぎ上げた。
とりあえず今回の危機はこれで脱した。
本当に脱しただろうか……。
最後の最後にカルエナに止めを刺すことができなかった。
それがどうにも気持ちが悪い。
私が苦い顔をしながら一つ息を吐くと、足元でベスが動いた。
「あら、生きてたのね」
「……ふざけやがって。もう少しで俺がカルエナを殺せたのに」
私の軽口にベスが強がりで答える。
「黒焦げになってよく言うわ」
「……奴が火を放つ瞬間に一撃を喰らわすつもりだったんだ」
ベスは実演しようかというように上がらない腕を必死に上げようとする。
「それは悪いことをしたわ。そんなに言うなら、このままここに置いていくわよ」
「……ああ、そうしろ」
「……間に受けないでよ。ちゃんと治療しなきゃ。まずは起き上がりなさい」
バツが悪くなった私はベスに手を差し出す。
「……俺は”ウルフェン”だ。人前には出れねぇよ」
「あ……」と私は言葉に詰まる。
「それに”ウルフェン”の姿のままでいれば治癒力も高まるからな。すぐに治るさ」
そう言いながらベスは私の手を取って立ち上がる。
その光景は、なにやら私とベスが握手をしているような格好になった。
しかしすぐに手を放したベスは、その手をひらひらさせてさっさと行くように振った。
「強がるのは弱い者のすることよ」
そう言って私はベスに背中を向ける。
「ジョアナのこと、ありがとう」
私は小声でそう言った。
ベスは「何か言ったか?」と返してきたが、私は無言で歩き出す。
私はジョアナの元に行き、いつの間にかこの場に戻ってきていた兵士たちに事の顛末を伝えた。
エネミゴの軍隊は全滅したこと。軍の長はカルエナで、その者は取り逃がしたが致命傷を追わせたこと。そしてここに倒れている狼の化物はすぐに腐食していくので、悪臭を放つ前に埋めるように言った。
もちろんベスがこの場を去ったのを確認して。
きっと知性がなかったこれらの”ウルフェン”は、カルエナに無理やり”ウルフェン”にさせられたのだろう。
それなら彼らも被害者と言える。
だから表向きはそうでなくても、一応埋葬という形をとってやりたかった。
「ではこれらのことを国王に報告する。貴殿の功績も国王に報告させていただくが、一緒に来るか?」
戦闘が終わった途端、急に兵士長らしさを発揮しているが、私は手を振った。
「こんな汚れた格好では国王の前には出られないわ。それにこの子を家に連れて行かなきゃいけないの」
「そうか、分かった。では貴殿のことは私の方から重々国王に報告しておく。安心しろ」
「はいはい、そうして頂戴」とは心の中で言いながら、私はジョアナの手を取った。
今回はしっかりとこの小さな手を守れた。
いや。
私が守ったのは、私の居場所なのかもしれない。
「それじゃあジョアナ。一緒におうちに帰りましょう」
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