第16話

眩しさに促されてゆっくりと瞼を開ける。

そこには見慣れた天井。見慣れた窓。

ここは私の家。そしてここはおばあちゃんの部屋のベッドだ。

昨日は何があった?

昨日はたしかこの家を出て街に寄って、それから……。

「ジョアナ!」

そう言って私は起き上がったが、背中と後頭部の痛みでまたベッドに倒れ込んだ。

思い出した。

私は”グリーズ”に殴り飛ばされ、木に体を打ち付けて気を失ったのだ。

じゃあ何で私はここにいるのか。

しかし今はそんな問答を自分の中で行っている場合じゃない。

気を失う前に見たあの光景。

頭が割れるような痛みがあっても、あの光景は忘れない。


私は頭を押さえながらベッドから降りた。

部屋には私が着ていた血の付いた白いエプロンと、泥だらけの赤いずきんが散らばっている。

しかしそんなことは気にせずに私は部屋を出た。

ジョアナを探しに行かなくては。

頭の痛みと背中の痛みに少しずつ慣れてきた頃、私が玄関のドアを開けた。

するとそこにはキャンベルお母様が倒れ込んでいた。

「お母様!」

私はすぐに駆け寄り、お母様を仰向けにする。

息はあるし、私の声にも反応した。

しかし体は冷え切っている。


私が”グリーズ”に殴り飛ばされ気を失ったあと、お母様が意識を取り戻し、私を家まで運んでくれたのだろう。それで、以前に入ったことのあるおばあちゃんの部屋に私を寝かしたのだ。

でもジョアナが一緒ではないことから、きっとお母様が意識を戻した時にはジョアナはもうそこにいなかったのかもしれない。

ジョアナのあの状況を知らないお母様は、ジョアナが一人で森の中に行ってしまったと思い、一晩中探していたのだろう。

そして疲れきって家の前で倒れてしまった。


私はお母様を肩を支えて自分が今まで寝ていたベッドに寝かせた。

そして今度は私がジョアナを探しに森へ入って行く。

でも一体誰がジョアナを連れて行ったのだろう。

“グリーズ”がジョアナを連れて行く理由はないし、あのまま去って行ったのを消えかけた意識の中で見たのを覚えてる。

もしかしたらあの金色の喋る鳥が連れて行ったのか?

もしかしてまた化物を生み出す実験に?

私は慌てて頭を振った。

そんなことある訳ない。そう信じたい。

あの鳥だってすぐに飛んでいった。

それに熊の融合を成功させたのだ。これ以上はいいだろう。

禁忌を犯した者に道理など通じないと分かっていても、私は全てを否定するように走り続けた。


すると、遠くの茂みが大きく揺れた。

「ジョアナ!?」

私は急いでそちらに向かう。

しかしその茂みを揺らしたものはビックリしたかのように慌てて逃げ出した。

あれだけ恐ろしい目にあったのだ。

誰かの声に反射的に逃げてしまってもおかしくない。

「ジョアナ!待って!」

私は茂みの揺れを目印に後を追っていった。

もうすぐそこは森の切れ目。

ジョアナが茂みから出て私を見てくれればきっと安心してくれる。


しかし茂みから姿を現して走り去っていったのは狼だった。

それもそうだ。

ジョアナは”ウルフェン”にやられて致命的な傷を負った。

あんなに早く走れるわけがない。

ちょっと考えれば分かることなのに。


私は森を抜けて立ち止まると、そこはアルスフェイト王国の城壁が立っていた。

もう行き止まり。

私にはもう道がない。

私はその場で呆然と立ち尽くした。


なんでこんな事になったのだろう。

決して知り合いが多い方ではない私の大事な人が、こんなに続けて死んでしまうなんて……。

私は頭が真っ白になり、視界も真っ白になった。

絶望感も行き過ぎるとなにも感じなくなり涙も出ない。


ジョアナは守れたはずだった。

おばあちゃんとは違って、ジョアナは守れたはずなんだ。

私さえしっかりしていれば。

“ウルフェン”を斬ったとき、しっかり首を落としておけばよかった。

「ジョアナ……、ごめんなさい……。ジョアナ……、ごめんなさい……。」

私は城壁に両手をつき、頭を擦りつけながら同じことをつぶやいていた。


「おい!そこで何をしている!」

額から血がにじみ始めた頃、上から声がした。

見上げると、城壁の上から弓で私を狙っている男がいる。

私は逃げることも隠れることもしなかった。

気力がなかったのもあるが、ここで死んでもいいと思った。


そして男は矢を放つ。

しかしそれは私の左側に大きく外れた。

「おい、どうした!攻撃命令は出てないぞ!」

「敵だ。もうここまで来やがった」

「なに!?」

そして二人目の男が私を見る。あの顔はどこかで見た顔。

先日、出口を封鎖した街から出るときに、門番に話をつけてくれた兵士だ。

「今度こそ!」

「ま、待て!あの方は敵じゃない!」

再び矢を射ろうとした兵士をもう一人が止めた。

「あの方はルカ姫のお知り合いだ」

「なに!?じゃあ王族関係か?」

弓矢の兵士は急に焦りだした。王族の者に矢を射ったとしたら自分の首が飛ぶ。

「分からん。とりあえずお前は姫を連れてこい。俺はあの方を中に入れる」


そして抜け殻のようになった私は、兵士に肩を支えられながら街の中に入った。

しばらくするとルカ姫が来た。

ルカ姫はすぐに私の手を掴んで私の身を案じてくれた。

額の傷に気づいて手当してくれた。

しかしルカ姫の言葉はなにも頭の中に入ってこなかった。

そして「この国にいれば安全ですから」という一言に無言で頷いた。


この国は安全ではない。それはさっきの兵士の弓矢の技術を見れば歴然だ。

あの距離を外す者が戦いに熟練してるはずがない。

それを見張りとして据えている時点でこの国は終わりだ。

でも私は何も言わず、少しも動かなかった。

この国に居れば私は死ぬ。

わたしを殺すのは”ウルフェン”かもしれないし”グリーズ”かもしれない。

“グリーズ”に負けたままなのはしゃくだけど、もう戦う力はない。

私にはもう生きる意味も、守るものもない。


ルカ姫は、顔を上げない私を心配しながらも私から離れて集まってきた民衆を勇気づけていた。


「皆さん、大丈夫です。たしかに敵の戦力は未知数ですし私たちは戦いを知りません。それでも私たちは兵士の皆さんを信じましょう!できることが少ないなら、せめて信じることは最後まで続けましょう!」


なんて強い子だ。

きっと勝てる確率が限りなく低いことは承知の上だろう。

それでも希望を捨てていない。

少なくとも、希望を手放す姿を民衆には見せまいと気丈に振舞っている。


その後ろ姿に、一瞬ジョアナが重なった。

ジョアナももしかしたら”ウルフェン”に立ち向かうとき、あんな背中をしていたのかもしれない。


ルカ姫が私の手を握ってくれたとき、それは確かに震えていた。

きっとジョアナも震えていただろう。

それでも立ち向かったんだ。


私はジョアナにいつも勇気と元気をもらってた。

ジョアナを妹のように感じてた。

そして今度はルカに。

そしてルカは本当の私の妹だ。


ルカはもう一度私の元に来た。

私はルカの顔を見る。

不安はあるがそれを押し殺したような顔だ。

国も自分も、出来ることはやった。あとは実行するのみ、という感じだろう。

しかし人智を尽くしても最悪の状況に陥ることはいくらでもある。

自分にはそんな悲劇は起こらない、などという考え方は浅はかな絵空事であることは私が経験したばかりだ。

このままこの街に居続ければきっと死ぬか捕虜として連れ去られる。

それはつまり、ルカも国王も皇女もそうなるということだ。


私はルカに手を伸ばす。ルカはそれを掴んで私を起き上がらせてくれた。

私はルカの手を強く握り、そしてそっと手を離した。

「ありがとう。でも森に残してきた人がいるから、私は帰るわ」

「それなら兵士の方も何人か連れて行ってください。その方もこの国に来られればいいですわ」

「……ありがとう。でも今は一人でも国を守る人が必要でしょう?これは自分の事だから、自分でなんとかするわ」

「……でも」

「その人を連れて来れたら、また街に入れてちょうだい」

「はい、分かりました」

そう言って私はアルスフェイト王国を出た。

もうここに戻ってくるつもりはない。


私はまずキャンベル家へ向かった。

私の家にはラブリュスと鉈が無かったからだ。

さすがにお母様も私とラブリュスを持って私の家まで歩くのは難しかったのだろう。


私はあの時投げ捨てたラブリュスを拾い、”ウルフェン”に刺した鉈を抜いた。

“ウルフェン”の体は、死後まだ一日しか経っていないのにもう殆ど腐って朽ちていた。やはり禁断の体はとても負荷が掛かるのかもしれない。


私はざっと周りを見回したが、ジョアナがいないのは明白だった。

まだこの近くにいるならお母様が置いていくはずがない。

それにもう生きてるかどうか分からない。


私はブンブンと頭を振って嫌な考えを吹き飛ばした。

私もルカのように最後まで信じることにしよう。


そして私は家に戻ることにした。

歩きながら今回の出来事を整理する。


薄々気づいていたことだが、ベスが以前言っていた魔術師と、おばあちゃんが話してくれた”魔術師カルエナ”。それは同じ人物だろう。

アルスフェイト王国と関係があり、禁断の魔法に手を出している魔術師がそう何人もいるとは思えない。

ではなぜカルエナは今になってこの森に”ウルフェン”と”グリーズ”を差し向けたのか。

あの二匹の狙いは完全に私だった。

カルエナはきっと私を殺したいのだろう。

なんせ生まれたばかりの私を殺そうとしたのだから。


なぜカルエナは私がこの森にいることを知っているのか。

それはきっと”グリーズ”に伝言を伝えたあの鳥。

キャンベル家に薪を届けに行った日に空を見上げた時もあの鳥が飛んでいた。

そしてその日に森から不気味な視線を感じた。

その視線の正体については、ベスに否定されてからは不明のままだった。

でももしかしたら私が殺した”ウルフェン”だったのかもしれない。


そして”ブルートウ”や”ウルフェン”と戦ったあの日も、あの鳥は空を舞っていた。

きっとあの鳥が見たことをカルエナが分析し、あの日生まれた赤ちゃんがまだ生きていることを知ったのだろう。

この森でこの金髪ブロンドはよく目立つ。

それで、この国を責める前に私を殺しておこうと思ったのか。

自分の血を引いていることを恐れたのかもしれない。

私は魔術は使えないし使いたくもない。

でもカルエナにしてみれば、不安要素は極力排除しようということか。


それならいろいろ辻褄が合う。

先日ルカ姫は『エネミゴという国は聞いたことがない』と言っていた。

きっとそんな国は存在しない。カルエナがこの国を奪い取るために作り上げた『エネミゴ王国』という名の化物の集団だ。

なぜ国でもないものが奇襲をせずにわざわざ宣戦布告をしてきたのか。

化物を作り出す奴が道理を通すとは思えない。

狙いはアーサー国王だろう。

恐れ逃げ惑い為す術もなく恐怖に落ちる国民をアーサー国王の目に焼き付けるため。

自分を国から追い出した恨みなのだろうか。

どんな理由だろうと関係ない。

私がいまやるべきことは……。


自分の家に着き、お母様の寝ている部屋を覗いた。

キャンベルお母様はまだ寝ている。顔を覗くとぜんぜん起きる気配がない。

よほど疲れていたのだろう。


ふと横のテーブルを見ると、おばあちゃんが最後の夜に飲む予定だった薬がまだ置いてあった。

体調を整え、体力を回復させる薬。

“グリーズ”と戦ってる時から体のだるさはあったし、今も頭が痛い。

私は台所でその薬を飲むことにした。

またおばあちゃんに助けられた。


そして家の裏の物置に回り、斧と鉈を手入れする道具を取り出した。

鉈に着いた”ウルフェン”の血を十分拭き取り、砥石でしっかり磨く。

斧も同様に磨き上げる。

その間に風呂を炊く燃焼室で薪をいっぱい燃やし、鋼を溶かしておく。

それを”グリーズ”によって割られた片方の刃のヒビの間に流し込み、すぐに冷やして強度を高める。少し溢れて固まった鋼を荒いヤスリで滑らかに慣らしておく。


私は部屋に戻り、着替えを取り出した。

替えの赤いずきんもあったが、やっぱりジョアナの使っていたずきんを使いたかった。

部屋の壁に立て掛けてある鏡を見ると、酷い顔だった。

顔どころか髪も泥だけでボサボサだった。

こんな格好でルカ姫に会ったのなら、ルカ姫はさぞ驚いたことだろう。

私は鏡の自分の姿をみてあることを思いつき、物置に戻る。

そして再び部屋の鏡を見ながら、鉈で背中まで伸びた髪を切った。


おばあちゃんを守れなかった自分。

ジョアナを守れなかった自分。

私は自分を変えたかった。


変わらなければ、また大事な人を守れない。


ルカ姫を守ったからといってジョアナが帰ってくる訳ではない。

でも自分のけじめとして、引き下がることや逃げることはできない。

私は髪を切ることで、自分の思いを決めた。


私は先ほど燃焼室に火を入れたついでに沸かしておいた風呂に入り髪と体を洗う。

風呂から上がると首元に風が通る。短い髪が頬をくすぐる。

頭が軽くなったような気がする。

短い髪もそれなりにいい。


そして私は白い長袖のブラウスと赤いスカート、それに黒い革のベストに着替える。

このような一張羅を着ると、なんだか死ににいくような感じになるが、それぐらいの覚悟は必要だろう。


カルエナの思惑などに興味はない。

でももしここでルカやアルスフェイト王国を守らなければ、このさき生きたとしても、無価値な生を伸ばすだけだ。

私もいつか死ぬ。

その死を価値あるものにしたい。


おばあちゃんに守られた命。

ジョアナにもらった生きがい。

ルカにもらった勇気。


私は最後に、洗って燃焼室も前に干しておいたジョアナのずきんを被り、ラブリュスと鉈をもって家を出た。


逃げるためじゃなく、今度は前進するために。

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