第14話
早朝に家に帰ってきた私は、ごはんをしっかり食べてその後家の掃除をした。
もうこの家を出ていく予定だが、それでもなぜかここは綺麗にしておきたいと思う。
普段から掃除はしているからそんなに大掛かりではないが、それでも3時間ぐらいはかかった。
そしてその後、キャンベル親子に手紙を書く。
本当は会って別れを告げたかったが、昨日のことを思うと会う資格がないと思った。それに勇気もない。
お母様とジョアナそれぞれに手紙を書いた。
ジョアナはまだたくさんの文字を読めないかもしれないが、それでも丁寧に手紙を書いた。
分からなければお母様に読んでもらえばいいし、大人になってからも読み返して欲しい。
勝手に出ていく私のわがままだけど、そんなことを願ってしまう。
書いた手紙は台所のテーブルの上に置いておく。
きっとお母様はまた私の家に来てくださるだろう。結局おばあちゃんが亡くなったことも伝えていないし。
ジョアナには寂しい思いをさせてしまうかもしれないけど、血塗られた私はきっとジョアナのいいお姉さんにはなれない。
そして手紙と一緒にお金を置いておく。
今まで貯めたお金から今回の旅費を抜いた残りをすべて。
お母様がこれを貰うかどうか分からない。貰わないとしても、それもお母様の自由だ。
ただ私にはもう必要ないというだけ。
そして私は赤いワンピースに白いエプロン、両脇に鉈を携え、背中にラブリュスを背負って家を出た。赤いずきんはおばあちゃんのお墓に入れてしまったから無い。
最後におばあちゃんのお墓の前に立つ。
なにも思い浮かばないし、何を言えばいいか分からない。
でも私はおばあちゃんのお墓の前に立った。
『さよなら』とも『いってきます』とも違う、複雑な感情。
それすらも分かってくれそうなおばあちゃんの笑顔を思い出してから、私とおばあちゃんの家を後にした。
できればこのままこの家でおばあちゃんと一緒にいたかった。
でも昨日の出来事で再確認した。
私はこの森では暮らせない。
昔は”ブルートウ”や”ウルフェン”の姿に怯え、今では血塗られる自分の姿に怯えてる。
ずっとここで暮らせばきっと私の心は壊れてしまう。
今まではおばあちゃんという拠り所があってなんとか生きていた。
でもそれももう終わり。
キャンベル親子を見捨てるような形になってしまって申し訳ないが、狼たちがあの親子を狙う理由はないだろう。
私と一緒にいれば逆に危険になる。
私にあの親子の命を背負えるほどの強さはない。
私にはもう守るものは何もない。
だからこの森を出ていく。
私は生きる意味を探しに行くのだろうか。もしかしたら死に場所を探しにくのかもしれない。
それは旅を続けるうちに分かってくるだろう。
ただ一つ言えるのは、もう私がこの森にいる理由はない。
ただそれだけだ。
私は途中でアルスフェイトに寄ることにした。
と言っても中心街まで行くつもりはない。
街の門の入口付近にあるパン屋で食材を揃えるためだ。それに暖かい毛布もあるといい。これから数日は野宿をすることになるだろうから。
家にも毛布はあったが立派過ぎるため少しかさばるのだ。
城門の入口にある質素な店で売っている毛布ぐらいがちょうどいい。
だからすべて入口で済ませられる。
それに、あまり街の中にまで入っていくとルカ王女に会う可能性だってある。
それは少し避けたいことだ。
私は先日通った行商人用の入口から入ることにした。
しかし今日は誰も並んでいなかった。
私は商売のことはよく分からないが、このまえ来た時はあんなに大勢いたのに今日は一人もいないということがあるのだろうか。
門番らしき男たちも建物の中で慌ただしく動いていて私に気づいていない。
でもまぁ私には関係ないことだ。
買い物を済ませてとっとと出ていこう。
と、そう思ったが、先日は開いていた店が今日は開いていない。
やはり行商人が来なければ商売にならないから、こっちの店も休みなのだろうか。
少し不穏な空気を感じる。
このまま街を出ていこうかと思ったが、なんとなく心に引っかかるものを感じ、街の中の方まで行くことにした。
街は生き物だ。
その街が活気にあふれていれば、その街に入る前でさえ高揚感を感じるものだ。
しかし逆もまた然り。
街全体が不安を抱いていれば、その街に一歩足を踏み入れただけでそれが分かる。
私はそれを感じながらも、さらに歩いて行った。
街の中まで入っていくと、ちらほらと人とすれ違うようになったが誰も私のことを気にしない。自分の用事のことで手一杯のようだ。
そして街の中央区に行くと、そこには逆に人がごった返していた。
慌てて食料を買っていく人や教会に詰めかけている人。
これから何か特別なことでもあるのだろうか。
私は嫌な予感がして、早く食料と防寒具を買って街を出ていこうとした。
しかし物を買ってすぐに街の出口に向かったのが怪しまれたのか、ある男に呼び止められた。
「おい待て。お前、この街の者ではないな?」
私は足を止める。
振り返ると、私を呼び止めたのはこの街の兵隊だった。
その体つきや胸当てに刻まれたこの国の紋章。そして腰に帯びている剣からその事が分かる。
「はい。そうです。私はこの街の者ではありません」
ここで変に隠そうとして嘘をつくと逆に怪しまれる。
それにこんなに大きな斧を持っているんだ。嘘をついてもすぐにバレる。
しかし必要以上のことは言わない。
そして逆に質問する。
「見たところ兵士様のようですが、何かあったのですか?」
これで兵士の注意を私からこの街の状況に向けさせる。
それに以前来た時はいなかった兵士がこんな街のど真ん中にいる理由を知りたかった。
「知らないのか。本当にこの街の者ではないんだな。不運な時に来たものだ」
意味有りげな含みを持たせながら兵士が答える。
「もうすぐ戦争が起こる。ある国がこの王国を狙っているんだ」
戦争……ですって?
以前はよく戦争をしていたと言うが、ルカ王女が言うにはもう戦争からは手を引いたと聞いた。
今になって何で……。
そんなことを考えていると大きな音が響いた。
もう敵国が攻めてきたのかと思ったがそうではない。
なぜならその音の正体は、鳥が一斉に木から飛び立った音だったからだ。
その鳥は慌てるように飛んで街の上空を横切っていった。
私は森で育ったから分かる。あの鳥たちは何者かから逃げるように飛んでいる。
私は飛んできた方角を確認する。
飛んできた方向には森が続き……いや、キャンベル家のある方向だ!
「ちょっと待って……」
私は体が一気に冷たくなるのを感じた。
まさか……。
私は兵士の前から駆け出し出口へ向かった。
「おい!待て!!」
兵士が追いかけてくる。
街は一気に騒ぎに満たされた。
しかし今はそれどころではない。
“ウルフェン”がキャンベル家を襲う理由はない。
しかし人間なら分からない。なぜなら人間は理由もなく人を襲うからだ。
私は買ったパンと毛布を投げ捨て、街の正面口へ急いだ。
しかし正面出口に着いてみると、そこに出口はなかった。
出口の前に大きな丸太が何本も立てられていて出口を塞いでいた。
これではこの街から入ることも出ることもできない。
「もうこの街からは出られんぞ」
追いついてきた兵士がそう言った。
「なんでこんなことを……」
「戦争が起こることを知った住民がこの街から逃げようとしたからな。今は一人でも多くの人手が必要だ。逃げられては困るんだよ。それにスパイとして相手に情報を流すことも考えられるしな」
「そんな……」
それではこの街の人たちは閉じ込められて死を待つようなものだ。
自分たちで逃げ道を塞ぐとは……。
「だからお前も外に出すわけにはいかん。だいたいこの街の者でないなら、エネミゴのスパイかも知れんからな……」
エネミゴ?今回の相手か。私がその国のスパイだというのか。
何をバカな……。そんなことは有り得ない。
しかしそれをこの兵士に説明しても聞く耳を持たないし理解しないだろう。
今度は逃げることを選択する。
今更怪しまれても関係ない。もう怪しまれてるし。
さっき入ってきた行商人用の入口はまだ空いていた。きっとまだ防備が間に合っていないのだろう。
私はそっちに向かうことにした。
しかし私が動き出す前に兵士が叫んだ。
「そいつを捕まえろ!エネミゴのスパイだ!!」
その掛け声に、門のところで護衛に当たっていた兵士が反応して集まってきた。
私としたことが判断が遅れた。まさかこんなことになるなんて……。
今度は人間を殺すのか……。いや、それだけはできない。
それは越えてはならない一線だ。
しかし私は行かなければならない。
そんな一瞬の躊躇いの間に兵士が私に飛びかかってきた。
私は反射的に右手で腰の鉈を抜こうとしたが、意識がその動きに急ブレーキを掛ける。抜いてしまったらその勢いで斬ってしまう。
その止めた右手を兵士が掴みとり、背中に回し足を払って地面に押し倒した。
倒れた勢いで地面に頬を打つ。
そしてその間に多数の兵士が槍を向けて私の周りを取り囲んだ。
押し倒した兵士は、背中に回した私の右手の上に自分の膝を乗せて体重をかける。
右の肩が外れるほどに痛む。
「兵士長、この娘は?」
私の上に乗っている兵士が、最初に私と話した兵士に言う。
この男は兵士長だったのか。それならもっと戦術眼を磨いたほうがいい。
街の市民を閉じ込めるような戦略など最低の作戦だし、そもそも私をスパイと勘違いするなど愚かの極みだ。
「エネミゴのスパイだ。尋問して向こうの作戦を聞き出すんだ」
私が大人しくしてるからって好き勝手なことを。
私がその気になればここにいる兵士全員だって楽に倒せる。
こんな奴らを相手に悠長に釈明している時間はない。
こうなったらもう関係ない。これは正当防衛だ。
そして私は空いている左手で鉈を取ろうとした。
しかしそこに思わぬ人が現れる。
「一体何ごとですか?」
さっきの中央区の騒ぎを聞きつけてここまで来たのだろう。
「ルカ王女様……」
「ルカ姫……」
先日私が助けたルカ王女が立っていた。
私と兵士たちの周りに集まっていた街の人たちが口々にルカ王女の名前を呼ぶ。
「ルカ様。この街はどうなってしまうのですか!私たちはどうしたら……」
一人の婦人がルカ王女に泣きつくように言った。
「安心してください。今、兵士の方たちが守りを固めてくださっていますから」
「他国からの助けは……」
そう言う不安な表情の人たちの手を取りながらルカ王女は丁寧に励ましている。
まだ子供なのに、重い責任を背負ったものだ。
しかもそれを自分なりにしっかり果たそうとしている。
ルカ王女はこの場の指揮を取っていた兵士に近づいた。
「何かあったのですか?」
「エネミゴのスパイが街に入り込んでいましたが、ちょうと今捕縛しました」
兵士は満足そうな笑みを浮かべて槍で私の方を指した。
「スパイ!?」
そう言ってルカ王女が私を見た。
「あ!あなたは……赤ずきん様!?」
今日は赤いずきんを被っていなかったが、どうやら覚えてくれていたみたいだ。
これで私の身の潔白が証明される。
「みなさん、早くその方を離してください。その方はスパイなんかじゃありません!私の命の恩人です!」
「命の恩人!?どういうことですか?ルカ王女」
「いいから!早く兵士たちを下がらせてください」
その言葉に慌てて兵士たちは私の上からどいた。
やっと顔を地面から離せた。背中に回された肩をぐるぐると回す。
まったく女の子にひどいことをするものだ。
「大丈夫ですか?」
そう言ってルカ王女は私に駆け寄り、腕をとって起き上がらせてくれた。
そして服についた土を払う。
ルカ王女。
おばあちゃんの話では、この子は私の妹、ということになる。
全然実感がない。
当たり前か……。
「それにしても赤ずきん様。まさかこんな時期にこの街にいらっしゃるなんて」
「そうね。近いうちに戦争があるとか……」
「そうなんです。でも……」
「……どうしたの?軍隊を廃止した代わりに他国との同盟を強化したんじゃないの?そこからの援軍は間に合うのかしら……」
「……それが」
と言ってルカ王女は周りに聞こえないように私の耳元に口を近づけた。
「援軍は来ません」
「……どうして?」
ルカ王女は、兵士たちに防備の強化と民衆たちを自分に家に帰らせるように指示してから私を連れて少し離れた。会話の内容が市民の人たちに聞こえないようにするためだ。
そして小さな声で話を続ける。
「エネミゴという国名を聞いたことがありますか?」
「……ないわ」
しかし私は外界から離れた生活をしている。だから聞いたことがないのだと思っていた。
「私もありません。他の同盟国もそうでした。得体の知れない国を相手取るのは同盟諸国も慎重になるようです」
「そんな……。じゃあどうするの?」
「分かりません。今、父が元軍隊長と話し合っています。数年前に軍は解体し、軍人は城の別の仕事に割り当てられました。街の平和を守るために一部兵士が残されただけです。でも軍隊経験者はいます。それでなんとか……」
話にならない。
きっとルカ王女はそれでは勝つことはできないことも分かってる。
いくら経験が会っても、実戦から離れ訓練もしていなければ素人も同然だ。
そんなので戦争が出来るはずがない。
それでもルカ王女はみんなを安心させるために街まで降りてきたのだ。
「ところで赤ずきん様はなんでまたこの街に?おばあさまはお元気になられました?」
しかし今はルカ王女に同情している時間はない。
「また森に戻らないといけないの。でもこの兵士たちが街から出してくれなくて。あなたから説得してくれないかしら……」
「そうでしたか。分かりました。兵士たちに説明して街から出られるようにいたしましょう」
そう言って一人の兵士に事情を説明し、私が街から出られるように手配してくれた。
正面の入口はすでに塞がれているので、私が入ってきた行商人入口からでる。
街の人が拾ってくれたパンと毛布を受け取ってルカ王女と別れる。
ルカ王女ともすでに知らない仲ではない。
できれば助けになってあげたい。
でもキャンベル家の方が私にとっては重要だ。
すでにキャンベル家を置いて森を出ようとした身だが、それでも危険が迫っていると分かっていながら見過ごすことはできない。
私はもうすぐ丸太で塞がれそうになっていた門からどうにか抜け出した。
事情はルカ王女が指示してくれた兵士が説明した。
私は買ったパンを毛布で包んで体に巻きつけ、急いでキャンベル家に向かった。
単なる動物たちの争いならいい。
熊などが縄張り争いで唸り声を上げたり木にぶつかっただけでも鳥たちは飛び立つことがある。
それなら何も問題ない。
しかし胸騒ぎが収まらない。
そんなことを思いながら走っていると、再び遠くから音がした。
方角はやはりキャンベル家の方から。そしてこれは単なる音ではなく声だ。
ウオオオォォォォォォン……
これは……狼の遠吠え!
しかも助けを求める時の遠吠えだ。
いくら人間が武器を持っているとは言え、森の中では狼の方が圧倒的に有利だ。
地形を熟知してるし、群れで囲えばそう簡単にやられるものではない。
その狼が助けを求めるとは、一体なにが起きているのか……。
私は一気に足を速めた。
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