第13話

翌朝まで待って、息を引き取ったおばあちゃんを家のすぐそばに埋めた。


おばあちゃんがなくなった夜は全く寝付けず、台所の椅子に座ってずっと何かを考えていた。いや、何も考えられなかった。

頭の中には勝手に思い出が蘇り、そして消えていった。

自分の人生を、命を犠牲にして私を救ってくれたおばあちゃん。

そのおばあちゃんに、私は何かを返せたのだろうか。

もちろん私みたいな子供がおばあちゃんに何かを返せると思っていたわけじゃない。

でも少しでもおばあちゃんを喜ばせたかった。

子供は生まれてきただけで親を幸せにするという。

でも私はおばあちゃんの子供でもなければ孫でもない。

そんな私がおばあちゃんを幸せにできたのだろうか。


そんな堂々巡りの思考を繰り返しているうちに空が明るくなった。

台所の窓に、いつもパン屑をあげている鳥たちが朝ごはんを待って並んでいる。

食べるわけではないパンを切って、その屑を鳥たちにあげる。

昨日キャンベルお母様からもらったコミスブロートの残り。

いつもと違うパンに鳥たちはどんな反応を示すかと思ったが、鳥にとってはあまり関係ないらしい。いつも通りパン屑を的確に啄んでいた。

私は左手に切ったパンを持っていたが、食欲は全くなかったのでそれも鳥たちに投げた。

いつもより大盤振る舞いの朝食に鳥たちがいっぱい集まってくる。

そして大きいままの食パンを巡って数匹での取り合いが始まった。

そのうち喧嘩になったところを親鳥が割って入って喧嘩を収める。


そういえば私はおばあちゃんに一度も叱られたことがなかったなと、鳥たちを見つめながらそんなことを考えていた。


親鳥が大きなパン切れを咥えて飛び立ち、それを追いかけるように小鳥がみんな飛んでいったのを見送ってから窓を閉めた。

切った残りのパンを袋に戻して袋の口をしっかり閉めた。

そしてヤカンに水を入れて火にかける。

飲む気のないお茶の準備をする。

まるでおばあちゃんの部屋に行くのを遅らせるかのように。

しかしいつまでもこんなことをいてはいられない。

お茶をコップに入れたところで、私は意を決しておばあちゃんの部屋に向かった。


コンコン。


意味のないノックをしておばあちゃんに部屋に入る。

そこには昨日の夜と全く変わらないおばあちゃんの姿。

その顔は本当に安らかなものだった。

私はおばあちゃんの顔を見たが、これ以上見つめると泣いてしまいそうだったので目をそらした。

こうなることは予期していたことだ。大丈夫。

そして私は掛け布団をとり、おばあちゃんを着替えさせることにした。

この前に取り出した王家の紋章の入った上等の服を着せてあげようかと思ったが、そうしたら何だか私のおばあちゃんではなくなってしまいそうでやめた。

私は、自分の記憶の中でおばあちゃんが一番元気な時の服を探してそれを着せてあげた。

やはり最近全然食べていなかったため、おばあちゃんがとても軽いのを感じながら着替えさせた。


そのあと私は家の外に出て、ちょうどおばあちゃんの部屋の窓の下に穴を掘った。

おばあちゃんはこの窓から見える景色が好きだったから。

狼たちに変ないたずらをされないように、深く掘っていった。

そして部屋からおばあちゃんを担いでその穴の中に降ろす。

シーツにくるんでゆっくりと。

おばあちゃんは私がいつも持っているラブリュスより軽かったから安全に降ろすことができた。

少し寂しい感じだったので、家の周りに咲いている花を摘んで穴に入れた。


おばあちゃん。とっても綺麗だよ。

おばあちゃんは最後まで私を心配してくれていたね。

私は大丈夫だから。安心して。


最後に私は自分が被っていたずきんを外して穴に入れた。

長い髪が揺れる。


さよなら、おばあちゃん。


そして私は穴に土を入れていった。

おばあちゃんの上に土が積もっていく。

顔のところに土を被せるのには抵抗があったけど、その後は淡々と穴を埋めていった。

簡単な作業なのに、私はスコップを力いっぱい握っていた。


穴を完全に埋めて土を慣らす。

ここに何か立てようかと思ったが、汗をかいたのでとりあえず家に入る。

いや、ただ単におばあちゃんに関することを少しでも先延ばしにしたかった。

すべてが終わったら、おばあちゃんが私の中から消えてしまいそうで。


台所には朝に入れたお茶が冷たくなって置いてあった。

それを飲む前に台所で手を洗う。

泥だらけの手から汚れが流れていく。

それを見ながらどうしても抑えられずに涙が出た。

本当におばあちゃんは死んでしまった。

誰も聞いてないのに、必死に嗚咽を抑えた。

手を洗ったあとに、そのまま顔を洗う。

水滴と一緒に涙もタオルで拭いた。


その後、とりあえず椅子に座ってそれを飲む。

ここにきてキャンベルのお母様に最後の顔を見てもらっていないことに気づいた。

でも今更だし、昨日も来ていただいたからいいのかもしれない。

とりあえず午後には顔を出して報告だけしておこう。

きっと後日改めてお墓を参ってくれるだろう。


そして一息ついたら急に眠気が襲ってきた。

昨日は一睡もしてなかったし、いろんなことを考えたりいっぱい泣いたりして疲れた。

私は睡魔に抗えず、台所のテーブルでそのまま寝てしまった。



そして数時間後。

眩しさで目が覚める。

顔を上げると、台所の窓から西日が差し込んでいた。

朝から夕方までずっとここで寝てしまったらしい。

昼食を食べないどころか、夕食だって遅くなってしまいそうな時間だ。

私としては珍しいことでかなり慌ててしまった。

急いで立ち上がって駆け出す。

そして……。

コンコン!

私は急いでおばあちゃんの部屋のドアをノックして、そしてドアを開けようとした。

しかしドアノブに手を掛けたところで気づく。

おばあちゃんはもういない。

昨日まではいたおばあちゃんはもういないんだ。


私はゆっくりドアノブから手を離した。

そして台所に戻る。


静まり返った家。

もともと静かな家だったが、今日は耳が痛くなるほどの静けさだった。

朝に飲んだお茶のコップを流し台に置く。

私が小さい頃は、おばあちゃんが毎日ここに立っていた。

私はその後ろ姿を見るのが好きだった。

振り向いた時のおばあちゃんの優しい顔が好きだった。


私はおばあちゃんを幸せにできただろうか。

私はおばあちゃんに何かを返せただろうか。


……。

私は何を言っているんだろう。

私がおばあちゃんに何かを返せた訳がない。

おばあちゃんは私に全てをくれたのに、私は何もできなかった!

おばあちゃんのお世話をしたって、おばあちゃんが私のためにしてくれたことを考えると比べる事などできない。

薬をもらってきても、何の役にも立たなかった。

私はおばあちゃんの痛みを和らげることすらできなかったんだ!


私は足を引きずるようにして家の倉庫から木の板を持ち出し、おばあちゃんを埋めた場所に立てた。

名前と昨日の日付を彫り込んでおく。

いつ生まれたのかは分からない。

私はそんなことも知らない。


もっとおばあちゃんと一緒にいたかった。

もっとおばあちゃんの事を知りたかった。

今までお世話になった恩を返したかった。

おばあちゃんをたくさん幸せにしたかった。


おばあちゃんは病気で毎日苦しかったことは知ってる。

おばあちゃんはやっとその苦しみから解放されたんだ。

それは分かる。


だからこれは私のわがまま。

でもきっと優しいおばあちゃんなら、私のわがままを聞いてくれる。


だからおばあちゃん。

私のお願い聞いてよ。

呆れてもいい。怒ってほしい。

わがままを言うんじゃないって、おばあちゃんを困らすんじゃないって叱ってよ。


私はおばあちゃんのお墓の前に立ち、震えながらジッと地面を見つめている。

すると床にポツポツと染みができた。

私が泣いている。

拭いても拭いても涙が溢れてくる。

膝が震えて立っていられない。


もうダメだ……。


私は駆け出し森へ入っていった。


どこへ行くわけでもなく、森を走り続ける。

木の枝や岩で腕や足を切った。

ずきんをしていないので頬も傷つけたけど気にしなかった。

日が沈み、紫だった世界が段々と闇に覆われる。

私はどこまでも走り続け、そして木の幹に躓いて盛大に転び、大きな木に激突した。

気に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立ち、木の葉が落ちる。

私は痛みに耐えながら、その木を支えにしてどうにか立ち上がる。

そして見上げた空は、昨日と同じ澄んだ星空だった。

満天の星空に向かって手を伸ばす。

届きそうで、でも絶対届かない。


「行かないで……」

流れ星が一筋流れる。

私は必死に手を伸ばす。

「行かないで…。行かないで、おばあちゃん!私を置いていかないで!」

そして流れ星は消えた。


なんで今更になってこんな気持ちになるんだろう。

考えれば考えるほど、後悔しか浮かんでこない。

もっとおばあちゃんのために何かできたのではないか。

無理にでもおばあちゃんを城の医者に見せれば、もっと長生き出来たかもしれない。

ではなぜそうしなかったのか。

おばあちゃんの気持ちを汲んでというのは、私の勝手ないい訳だ。

おばあちゃんを城に連れて行けば、もう帰ってこないと思った。

城の人におばあちゃんを取られてしまうと思った。

おばあちゃんを助けるのは私でありたいと思った。

おばあちゃんを死なせたのは私だ。


私は額を大きな木にぶつけるようにして、声にならない唸り声をあげた。

噛み締めた奥歯が軋み、強く握った拳から血が滲む。



それからしばらく、意識が朦朧としたままその木の根元に倒れ込んでいた。

日没から今まで、有に五時間はこのままだった。

変な体制で寝ていたから体が痛い。

でも今日の夜をあの家で過ごせる自信がない。

ならばこのままここで朝を迎えたほうがいい。


そんなことを思いながら身動ぎすると、辺りから気配がした。

いや、ずっと前から私の様子を伺っていたのだろう。私が気付かなかっただけだ。

それもそうだ。

夜に自分の縄張りに踏み込まれた狼が黙ってるはずがない。


私が自分たちに気づいたと知ってか、一匹二匹と狼が姿を現した。

勿論傷心の私を慰めるためではない。

私に向けられるのは敵意だけだ。

私は少ない気力を振り絞って立ち上がった。


狼は五匹。

そしてその後ろから現れたのは、以前に戦った”ウルフェン”だった。


「あら?また私に倒されに来たの?」

私は精一杯の虚勢を張った。

「俺はお前に倒された身だ。戦う気はない」

よく見ると”ウルフェン”は戦闘モードではなく人間の顔だった。

「お前も戦うような状態ではないだろう。今日はこのまま森を出て行ってくれ」

「あらつれない。少しは私と遊んでよ」

「……なにかあったのか?」

「なんにもないわ。ただ許せないことがあっただけ。だから嫌な気分を発散したいのよ」

私は笑った。

暗くて良かったと思う。“ウルフェン”に、泣いていたことを悟られずに済む。

「そんなことはよそでやってくれ。俺は静かに暮らしたいだけなんだ」

「殺したっていいのよ」

私の一言に”ウルフェン”の耳がピクリと動く。

「あなたの弟を殺した女よ。どう?殺したいでしょ?」

“ウルフェン”が私をじっと見つめる。

私の真意を見定めているようだ。

「……斧はどうした。武器も持たない女を相手にする気はない」

「あら紳士だこと。でも斧がないぐらいがちょうどいいハンデになるわ。あなたが来ないなら私から行くだけよ」

「本気か?」

「私はいつだって本気よ」

そう言って私は飛びかかった。

一瞬にして”ウルフェン”の顔が戦闘モードの狼になる。

一直線に向かって放った私の拳は”ウルフェン”に安々と受け止められる。

しかし顔色が変わったのは”ウルフェン”の方だ。

斧を持たない私など楽勝だと思ったのだろう。

しかし私の拳撃の重さに驚いているのだ。

それはそうだ。

思うラブリュスを扱う私が非力な訳がない。


それに今の私には余計な雑念がない。

もう今後の事などどうでもいい。


「ここで私を殺り損ねたら、もう私を殺す機会はないわよ」

「どういうことだ」

「明日、私はこの森を出るの。今日が最後のチャンス。だからもっと本気で来なさい」

「……なぜそこまで戦いを望む」

「……もう」

もう何もかも忘れたい。

嫌なことも、いい思い出も。

今はなにも思い出したくない。

この戦いに身を任せ、すべてを忘れるために戦いに身を沈める。

今日ばっかりは、自我を失った”ブルートウ”が羨ましいと思った。

本当にどうかしてる。

私は自嘲的な笑いを浮かべ、再び”ウルフェン”に飛びかかった。

身長差は歴然だが、跳躍力と素早さで翻弄する。

逆に”ウルフェン”は小さい私の体をなかなか捉えられないようだ。

大きな斧を持っていない分、素早さに徹した私に攻撃を当てるのはそんなに容易くない。

“ウルフェン”の顔面めがけて拳を繰り出し、防御されてもジャンプした勢いで膝蹴りをお見舞いする。そして地面に着地すればキックで”ウルフェン”の膝を狙う。

そのように押し気味の私だったが、ただ不安材料があるとすれば不慣れな戦い方というところか。

最初は私も”ウルフェン”と互角にやり合っていた。

しかし私は慣れないスタイルなのに対し”ウルフェン”は得意分野であることと、私のスピードに慣れてきたのが重なって、私は少しずつ劣勢になっていった。

そうと見るや私は落ちていた長い枝を拾って武器にする。

斧というより槍のような形だが、武器を持てば私の戦いの幅はぐんと広がる。

しかし私が圧倒的有利になると、今まで見ているだけだった狼も戦いに加わってくる。

相手の戦う能力が私より著しく劣っているからといって、この状況で手加減などできるはずもない。

“ウルフェン”への攻撃の流れで狼たちも薙ぎ払う。

その勢いで割と太めだった木の枝も折れてしまった。

そして”ウルフェン”の顔色が変わる。さっきより攻撃が鋭くなった。

それでいい。

もっともっと私を戦いに飲み込んで。

きっとこんなことをしても後で後悔するだけだ。

それが分かってても止められない。


夜の森に冷たい風が吹く。

金色の髪を激しく揺らす。

額から流れた血が左目を染める。

私は笑いながら大地を蹴った。


それから数時間後、森が少しずつ明るくなってきた頃、戦いは終わりを告げた。

“ウルフェン”は木に背中を預けながら座り込み首を垂れている。

狼たちもみなうずくまっている。

その中で私だけがゆっくり体を起こす。

持っていた木の棒でどうにか体を支えながら。

お互い傷だらけだ。

ここまで私が痛めつけられたのはどれぐらい振りだろう。

もしかしたら初めてかも知れない。

久しぶりに綺麗な金髪ブロンドが血で染まった。


「やっぱりあなたじゃ役不足だったわね……」

私の小さなつぶやきに”ウルフェン”の耳がピクリと反応した。

「あなたじゃ私を殺せない……」


もしかしたら私は殺して欲しかったのか……。

もう死にたかったのか。

家族を失って、行き着いた先がこの惨状。

きっとおばあちゃんがこの姿を見たら悲しむ。


でももう悲しんでくれる人すらいない。


うわわわああああぁぁぁぁぁーーー…………。


私の、魂を吐き出すかのような叫びが、森にこだました。

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